〜せめて壁の穴を塞ぎたい〜
オレンジ色に染まった太陽が、街並みを照らしている。
くすんだ白も、黒ずんだ木の壁も、今は鮮やかな色に染まり、昼間の喧騒を美しく塗り替えていく。
わたしはこの時間帯の景色を見るのが好きだ。
濃いオレンジの上に薄らと紫がかかり、そしてやがて闇の色に変わる。
ゆっくりと移ろいでゆく緩やかな暖色を、ただただじっと見続ける。
今日も変わらず美しい……。
ほぉ……っと思わずため息が零れた。
こんなにゆっくりと出来たのはいつ以来だろう。
中学生の時は部活で夕日なんて見てる暇がなかったし、小学生の頃以来かな?
なんて考えながら、ふと、あぁ……あの時もこんな風に思っていたんだったと、自分の行動に苦笑してしまう。
場所が変わろうと、例え人が変わろうと、考えることはそうそう変わらないみたい。
四角い空間から見える景色は、少しづつ日の照り返しを弱めていく。
こんなにも綺麗なのに永遠には見れないことが、心のどこかをチクリと刺す。
わたしの名前はリリアーナ・ブラウン。
ブラウン男爵家の長女だ。
歳は5歳。3歳の時に流行病で母を亡くし、それからは父と使用人達と暮らしている……ようだ。
ようだ、としたのには理由がある。
それは、わたしは本当のリリアーナではないから。
うん、あの……ちょっとおかしいとは思ってる……。
まずあの日……。
ここに来る前のこと。
休日だっていうのにその日も仕事してて、パソコンに向かって座ってたんだけど、ちょっぴり疲れたな〜コーヒーでも飲もっかな〜なんて思ったのがいけなかった。
椅子に座ったまま、画面から顔を起こせば、それはそれは綺麗な夕日が窓から見えた。
カラスが鳴くからとか、お母さんが待ってるからとか、そんなこと言い合いながら帰ったあの日々がまぶたの裏に蘇ってくる。
あんなに眩しい夕日を見たのっていつ以来だったかな。
ぼんやりと、そう思って視線を戻したら……パソコンが消えてた。
パソコンだけじゃなく、デスクも消えてた。
更にはこじんまりとした部屋にパソコンがあるだけの殺風景な職場まで消えてた。
…………え?
何これ、どーゆーこと?
訳も分からず周りを見る。
10人が働いていた職場よりも少し広めの部屋。
木で出来た机に椅子に棚にベット。
窓は1つ。
その窓の傍に置かれた背もたれ付きの椅子に、わたしは座っていた。
…………意味が分からない……
そもそもここはどこ? 職場は? と焦っているうちにハッと気付く。
小さい手足。肩から前に垂れる長い黒髪。ピンク色のワンピース。
椅子から降りて立ち上がる。
目線が低い……。
怖い! こわい! どうなってるのっ!?
わたしは部屋の中をうろうろする。
なんで!? どうして!? 誰か助けてっ!!
「だれ……っ!!」
口を押さえた。
助けを呼ぼうとして出した声が、まるで少女のようだったから。
自分じゃない、誰かの体なのだとはっきりと告げてくる。
なんでわたし!? この子はどこに!? わたしの体は!?
混乱したまま横を見ると、窓から夕日が消えようとしていた。
その薄暗がりの中で、薄いガラスにわたしが映る。
黒い髪に薄茶色の瞳。青白く血の気のない肌。
――――震えが、……止まらない……
わたしは、ナニを、してしまったの?
あなたは誰? ここはどこ?
そっとガラスのわたしを撫でる。
小首を傾げたら、向かいのわたしも同じように動く。
――――コンコン!
ノックの音が響いた。
ハッと振り返った時には、既にドアがゆっくり開くところだった。
音も無く、部屋に入ってくる。
手には燭台が握られている。
「すみませんお嬢様、遅くなってしまって。テルミさんに呼ばれて厨房へ行っていたんです。暗かったですよね、今お付けします」
壁にある燭台と、ベットサイドにある燭台に手際よく火を灯す。
ほんのりとした明かりが、部屋の中を照らしてくれた。
「さ、お嬢様、本日のお夕食ですよ」
こっちを振り返った女性の見た目は40代くらいだろうか。穏やかで落ち着いた雰囲気の笑みを浮かべている。
聞きたいことは山ほどあるのに、聞いていいのか分からない。
この女性はおそらくメイドさん。
この体の子を『お嬢様』と呼んでいるから間違いない。
つまり見た目的には――いくらガリガリで血色が悪かろうと――わたしはこの子になれているのだ。
下手に中身が違くて〜なんて頭のおかしいことを言わないほうがいい。
医者なんて呼ばれたり、最悪ここから追い出されたら、どこかも分からない場所で生きていけないのだから。
「少しでいいですので、お口に入れてくださいね」
カチャと小さな音と共に、テーブルに木のトレーが置かれた。
ほかほかと湯気が立つスープに、ちぎったパンが入れてある。小皿に乗った黄色いのは果物だろうか……。
「…………」
じっとわたしを見てくる。
その視線に耐えられず、銀色のスプーンを手にする。……重い……。
銀食器の重さが細すぎる腕には辛い……。
ぷるぷると震える腕を抑えこんで一口。
傍で見ていたメイドさんから、ほっとしている空気を感じた。
「ゆっくり食べれる分だけで構いませんからね」
コクリと頷き、もう一口。
やたら塩辛いスープは美味しくないけど、黄色いさくらんぼみたいな果物は、イチゴの味に似ていて美味しかった。
ふわり、と。開けていた窓から柔らかな風が入ってくる。
鼻腔をくすぐるその香りは、眼下に広がる王都の食堂か、はたまた我が家の厨房からか。
初めての時は部屋まで運んでくれていたけど、今では食堂で食事を摂っている。
わたしから部屋じゃない場所で食べたいと申し出た時は、うっすらと涙まで浮かべられた。
……わたしがリリアーナになるまで全然食べてなかったみたい……
自然とお腹がキューと鳴く。
体って正直。
でもその正直さが舌にも出て困る。
スープは塩辛いだけのほぼお湯だし、肉は厚みがあって切りにくく、しかも獣臭い。
せめて野菜を食べようと思ったら、しなしなの干からびたミイラ……。
まともな食事がないせいで細すぎなのかも。
どうにかしてほしいけどわがままは言えない。
なんせ、壁に穴が空いていてもそのままにするような家なのだから。
自分の部屋で初めて発見した時は、暖炉に使う薪を置いて修復したんだけど、廊下、食堂、浴室などでも発見。
気付いてないとは思ってないけど、一応この家の執事であるバルトさんに伝えたら、
「……そうですね、そのうち手が回るときに致しますね」
と、悲しげに微笑まれたのでやめた。
大人を責める小さな女の子になるつもりなんてない。
まずは、穴がどうとかよりこの子が戻ってきた時までしっかりと体を整えよう。
もうこちらに来てから1週間は経ったと思う。
不自然にならないように自分のことや家族のことを聞くのは苦戦したけど、皆、優しい人だからか黙って教えてくれた。
それでも分からないことはたくさんある。
でも、とりあえずは女の子の意識が突然目覚めて『出て行って!』なんて言われることもないし、父は朝早くから夜遅くまで仕事らしく出会わないしで、中身がわたしになってしまったことは誰にもバレてない……と思う……。
だいいち、わたしも帰り方が分からないので、このまま過ごそうかと思ってる。
――――コンコン!
「すみませんお嬢様!また遅くなってしまいました!」
この家は使用人の数が少ない。
執事のバルトさんとわたしの専属侍女のナタリーさん。テルミさんは恐らく厨房の人。
まだ会ったことは無いけど、部屋に呼びに来るナタリーさんがいい匂いを連れてくるから、そうだと思ってる。
男爵家と位は最底辺だけど、屋敷がそれなりに広いし、この世界には家電製品が無いみたいだから人手が足りなくて仕方ないのだろう。
でも侍女を増やさない辺りにも我が家の、というかリリアーナの家が貧乏であることを物語っている。
「さぁ付けましたよ! お夕飯へ参りましょう」
火を灯してくれたナタリーさんが先導してくれる。
廊下を歩いて食堂へ行くだけなのに「お嬢様はご立派です!」と褒めてくれた。
前がひどいだけにちょっとした事で喜んでくれる。
ナタリーさんみたいな上司が居たら休日出勤も楽しく出れるのに。
消えた職場。自分じゃない体。
意識と心だけが以前のまま。
部屋を出る前に窓をみれば、もう日がしっかりと落ちるところだった。




