0章6話 出会いと別れの物語6-酒井栄子-
適当につけてしまった名字がヤバイってんで名字変えたはずなのに篠崎さんのところで変わってなくて急遽名前を変更。
その男の子との出会いは嵐のようなものでした。
私の両親は塾経営をしています。
私も大人になったら両親を手伝って、塾で教える先生になりたい。
そう願った私は幼いころから勉学に励み、大学では教育学を修め、無事に先生として我が家に戻ってきました。
塾では大学生をアルバイトとして採用することが多く、毎年、人数に多少のばらつきはあるものの15人前後の講師を抱えています。
この講師の採用というものが少々難物でありまして、ただ教えるのが上手ければ良いというわけではないというのが厄介です。
まず大切なのは人格です。生徒と揉め事を起こすというのはいけません。
お金を頂いて勉強を教えるという塾の性質上、教えてもらう側の方が顧客側であり、その要求には真摯に答えていかなければなりません。
ここで問題なのは教える側の意識です。
どうしても教えてやっているという意識から生徒に対して、高圧的な態度に出る人間が少なからず出てきます。
人間という生き物はどんなに優秀であっても楽な方向へ逃げ出そうとするものです。
それをうまくコントロールして気持ちよく学習してもらわなければ、本当の学力は身に付きません。
強制的に嫌々ながら問題を解かされるより、自分から楽しく考え、新しい知識を増やしていって貰った方が成績もついてきますし、教育本来の目的である考える力の獲得につながります。
ですから、生徒に寄添い、学ぶ力を引き出せる人を採用していかなければなりません。
2つ目に大切なものは人品です。
品性というものは、学校や塾での勉強として身に着くものではありません。
塾に本来求められているのは、成績の向上に尽きるとは思うのですが、家庭での教育、あるいは学校教育に足りない部分を補うためにも存在しているのではないかと私は考えています。
では何を補うべきか、そう考えたとき人間としての品性という解に辿り着いたのです。
学校の先生という存在は多種多様です。
それこそ、人間として完成されている聖人君子のような方も中に入るかもしれませんが、多くの場合、俗人に過ぎず、欠点や問題を抱えています。
そして生徒たちは社会経験が浅く、これから社会に出るための準備期間として学校教育の場で生活しています。
学校の先生は生徒たちに勉強を教える存在としてそこにありますが、最も本質的な役割としてはその生徒たちに見せる社会の中の人間のサンプルであることだと思うのです。
しかしながら、前述のように悪いサンプルに溢れ、良いサンプルの例が少なすぎるために生徒たちが良いサンプルに接する機会が少ない、もしくは全くないという事態が発生しているのが現状です。
一つ目でも述べたように、人間は楽な方へ釣られていきます。
生徒も一個の人格を持つ人間ですので、当然、悪いサンプルばかり目の当たりにし、それが楽そうでいいなと思うならば、そうなろうとしてしまうのです。
ですから私は塾が補うべき学校の不足に対応するべく、より良いサンプルとして、講師に人品を求めるのです。
さてここまで御託を並べはしたものの、実際には理想論でしかないのです。
ですから、理想的な人ばかりが募集に応じてくれるわけではありませんし、塾として問題のある講師を抱えてしまうことはあります。
今いる講師の子たちもみんないい子ではありますが、中にはちょっとどうかなと思う子がいないわけではないのです。
3年前の夏のことです。
講師の数が例年より少なく、ただでさえ忙しかった私は塾長である父に募集時の面接を任せたことを後悔していました。
トラブルメーカーというべきその子は生徒に対して、理想的とも言っていい反面教師でした。
講義に遅刻する、無断欠勤、準備をしない、生徒とおしゃべりばかりして学習を進めない等、数え上げればきりがないほどの問題行為ばかり繰り返す子でした。
その日も生徒の保護者の方からの苦情の電話を受けた私は、今日こそ首にしてやるとばかりに教員室に向かいます。
教員室に入ると今年から講師として来てくれている篠塚さんが授業の準備をしていました。
「あ、教室長。こんにちは。」
「こんにちは。篠塚さん。」
「さっき、安達さんが来まして、先生の机に手紙かな?置いてすぐに出て行っちゃったんですけど。」
私は悪い予感がしました。
机の上には中学生がよく使っているようなキャラクターのメモ帳に一言、もうやめますと書かれたものでした。
頭に血が上った私は、安達さんの携帯に電話をしますがすでに着信は拒否されています。
「塾長!!」
私は塾長室の扉を蹴飛ばす様にして開きました。
「どうしたんだ。そんなに声を荒げたりして。」
そんな父の様子に私の怒りはさらに増していきます。
「どうしたもこうしたもないです。なんなんですかあの子!!問題ばかり起こして山積みにして、結局辞めてったじゃないですか!!」
「えぇー。辞めちゃったの?何も聞いてないよ?」
「私の机の上にこれだけ置いてありました。」
「うわー。補充まだ決まってないのにどうしよう。」
「夏期講習もすぐですし、教えられる人間の補充は急務ですよ?」
「栄子の後輩とか同級生で来れる子はいないの?」
「みんなもう社会人ですから。それに下の子たちも就活や公務員試験がありますから、今から来てくれというのはまず無理です。」
「こまったなー。どうしてこうなったんだろう。」
「お父さんが可愛いからって理由で人間性無視したからでしょう!?」
空きっぱなしだった扉から事務長が顔を出しました。
「あなた達、何をそんなに騒いでいるのよ。」
「聞いてよ、お母さん。お父さんが顔採用した子がこれ1枚残して辞めますだって!!ふざけるのもいい加減にしてよ。ただでさえ人手が足りなくて仕方なく頸にできなかったのに。」
「少し落ち着きなさい。あなたの気持ちは解りますよ。えぇ。お父さんにはあとでじっくりお話はさせていただきます。でも、今ここで責めていたって、何の解決にもならないでしょう?」
「それはそうかもしれないけど。」
「それにそろそろ時間よ?」
「時間ってなんの?」
「今日、神田さんが講師できそうな子を連れてくるから4時から面接って言ってたじゃない。」
時計を見るともう5分もなかったことに私はびっくりした。
「お父さんは今日、簀巻きベランダの刑だからね。」
私はそう言い捨てると教員室へと急ぎました。
教員室に着くと男の子がおなかを抑えて倒れこんでいました。
「この状況を誰か私に説明してください。」
肩で息をする神田さんを横目にしつつ、篠塚さんが説明してくれます。
「えっと。神田さんがその男の子を連れてきたんですけど。こうなんか行き違いがあったのか急に男の子のお腹にパンチ入れまして。」
「神田さん?」
「無罪ではありませんが、執行猶予はつけていただきたいですね。」
「えっと、その子が神田さんが連れて来てくれるって言っていた子でいいのかしら?」
「はい。ねぇコーイチ。アンタいつまで寝てんのよ。面接よ。しゃっきりしなさい。」
神田さんが男の子を引き摺り起こします。結構力持ちでびっくりしちゃいます。
その男の子は痛そうにお腹をさすりながらもはっきりした声で挨拶しました。
「神田の紹介で参りました。佐藤紘一です。東都大建築学部1年です。」
「神田さんとは学部違うのね。」
「はい。部活が一緒です。」
「すぐに夏期講習始まるから忙しくなると思うのだけど、予定の調整とか大丈夫かしら。」
「予定は調整済みです。」
「理系ということだし、主に数学と物理化学を教えてもらうことになると思うけど、希望はあるかしら。」
「実は物理と数学はそんなに得意ではないというか。」
「担当してもらうのは高校1年生と中学生になるわ。そんなに心配しないでちょうだい。」
「高校レベルだったら国語とか社会は一通り教えられると思います。英語はてんでだめですけど」
「そんなに無理してくれなくていいわ。理系なんだし。本来、試用1ヶ月の後に正式採用なのだけれど、今回はすぐ夏期講習だからもう即採用するわ。」
「えっと。いいんですかね。」
「いいわ。今日辞めちゃった子がいるから、その子よりできそうなら即採用のつもりでいたし。」
「えー。じゃあ、これからよろしくお願いしますということでよいのでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします。挨拶がまだだったわね。教室長の酒井栄子です。」
その後の夏期講習で佐藤君が理系科目が本当に苦手なことが発覚しましたが、幸いなことに英語以外の文系科目は優秀どころか、非の付けどころがなく文系講師だけど理系も少しはいける、講師としてはカバー範囲の広い便利な存在であることも発覚しました。
よく中学生の男の子と性癖について熱い議論を交わしたりしているのはどうかと思うのですが、年上のお姉さんもいけると分かったことはポイントが高いです。
全く本当に嵐のような一日でした。
このあと、栄子さんは紘一くんをぐいぐい甘やかしに来る予定。性癖だからね。仕方ないね。
2/2朱莉と出会えなくなるので訂正。年表作らないとヤバイって。