0章5話 出会いと別れの物語5-篠塚愛理佳-
神田さん大活躍!!
彼との出会いはとても微笑ましいものでした。
東京の夏は暑くてジメジメしていて本当に辛い。
今年の夏ほど北海道に帰省しなかったことを後悔しなかった夏はありませんが、卒論も書かなければなりませんし、何より帰ってしまっては、お気に入りの彼に会えなくなってしまいます。
朝だというのにアスファルトからの照り返しに辟易としつつも、バイト先である栄冠塾へ向かいます。
塾に着くと、クーラーが効いていて、生き返った気分になります。
教員室に入ると教室長が椅子に座ったまま寝ている男の子の顔を眺めています。
「篠崎さん、おはようございます。」
「おはようございます。栄子さん、何をしているんですか?」
「佐藤君ね、さっきまで起きてたんだけど話している最中に寝落ちしちゃったのよ。明け方まで実験があったからで、全然寝てないみたいで。授業始まるまで、そっちのソファーに寝かせてあげようかなと思ったけど、一人じゃ運べないし、どうしようかと困ってたところよ。」
「じゃあ、私も手伝います。」
「本当?じゃあ、お願いしようかな。」
近づくとスースーと呼吸の音が聞こえる。
「普段、男の子の寝顔なんか見ないからとても新鮮ね。」
栄子さんがかなりさみしい事を言う。
「コーイチちゃん、寝てるときのがかっこよく見えますね?なんでだろ?」
「佐藤君、起きてると眉間にしわ寄ってたりするし、意地悪そうな顔で笑ってたりするからじゃないかな。」
「塾に来てるときの6割は神田さんと喧嘩してて、3割は神田さんに仕返しをしてて、残りの1割で私とお話ししてくれるんで、かなりの確率でそんな顔をしてますね。」
「この子、講師としてきてるのよね?なんでさっきの話で10割埋まったのかしら。」
「私主観ですから。」
「そっか。」
「でも生徒に教えてるときはあんまりカウントしたくないですね。」
「どうして?」
「個別ブースって小窓から中見えるじゃないですか。たまたま通りがかったっとき朱莉ちゃんに対してデレデレしてたからちょっと・・・。」
「本当にこの子大丈夫かしら。」
二人で体を支えながら、コーイチちゃんを運び、ソファに寝かせる。
「ありがとう。篠崎さん。」
「いえ。お礼はコーイチちゃんから貰います。」
「篠崎さんって佐藤君と仲良いわよね。」
「えぇ、自分でもそう思います。」
「ここだけの話なんだけど、佐藤君と話してるときに神田さんがじっとこっち見てる気がしてちょっと怖いの。」
「あー、たぶんそれ気のせいじゃないですよ。」
「やっぱり?」
「彼女、男友達のノリでコーイチちゃんに接してきて、その先の関係になるタイミングを逃してますから。」
「それ、本人から聞いたの?」
「ま、こんな直接的な言葉じゃないですけど。ほぼそれと等しい言葉ですね。」
「最初はそんな関係じゃなかったと思うんだけどなー。」
「一緒にいる時間が長すぎるのがいけないんじゃないですかね?コーイチちゃん、ヘタレなとこありますし、友達としての神田さんが強すぎて、自分からは女性としての神田さんに向き合おうとしないですから。」
「大学は学部こそ違うものの一緒、お昼もよく一緒に食べてるみたいだし、部活も一緒でバイト先も一緒かー。一日中一緒にいるじゃない。」
「東都にいる知り合いがなんであいつらが付き合ってないのかが分からない。東都七不思議の一つだって言ってました。」
「篠崎さん。東都七不思議って私が行ってた時に13個あったの知ってる?」
「龍造寺四天王みたいなものでしょうか。」
「話を戻すと篠崎さんと神田さんと佐藤君の関係がどうなってるのか知りたいのよ。」
「教室長として、ですか?」
「3割くらいは。職場の人間関係ってとっても大事でしょ?」
「残りは?」
「私だって恋バナしたいのよ!!わたしは、まだ、おんなのこ!!」
「いいですけど、そんな面白くはないと思いますよ?」
「そんなことない。私は乙女心分を求めている。」
「だから、その乙女心分がそんなでもないんですってば。」
「で?どうなの?」
「そうですね。端的に言えば、私は神田さんと貸し借りの契約をしています。」
「お金の話になるのかしら。」
「いえ、どちらかと言えば、人体ですかね?」
「まさかの人身売買契約!?」
「そんな大げさな話ではなくて、うーん最初から話したほうが分かりやすいかもしれないですね。今日の講習終わってからお時間頂けますか?」
「ええ。いいわ。明日の朝まで恋バナするわよ!」
「まぁ、栄子さんがそう思っているのは構わないですが。そろそろ時間ですし、コーイチちゃん起こして授業の準備をしないと。」
「お待たせしました。」
「いいえ。栄子さん、そこの喫茶店で良いですか?」
「焼肉でもお寿司でも何でも来いって感じだったのですが。お母さんからも経費でいいよって言われてますし。」
「それはどうかと思いますけど。」
「いいんですよ。職場の安定のためですから。」
「それで、実際のところの三人の関係はどうなってるんですか?」
「もう建前はどっか行っちゃいましたね。」
「その位、乙女心が渇いていたのです。死活問題です。」
「命の危機とあらば仕方ないのかもしれませんね。」
そう、あれも暑い夏の日のことでした。
栄冠塾には大学生のアルバイト講師が大概は15人前後勤めています。
私も一年生の春からここでアルバイトを始めました。
同じ時期に採用になった子が私を含め3人いましたが、1人は夏休み前に辞めてしまいました。
もう1人が神田さんで、最初はただの同じ職場の女性として、普通の友人手前ぐらいの関係を構築していたと思います。
さて、辞めた1人ですが、何の御縁かゼミの同期でして、友達のような何かとして今も付き合いはあります。
栄子さんにも覚えがあるかもしれませんが、彼女が辞めた時は講師の数が足りなくて忙しかったので、仕事が増えてしまったんですよね。
塾長も必死で募集を掛けていましたね。
そんな時に神田さんが暇そうなやつがいるから連れてきたわと言って、引き摺ってきたのがコーイチちゃんでした。
コーイチちゃん教員室に入ってきて一言目になんて言ったと思いますか?
おもしろすぎたので今でも覚えていますよ。
「俺に勉強を教わるとか、生徒のためにならないと思います。公式とか嫌いなんで、何も頭に入ってないですから。」って言ったんです。
コーイチちゃん理系なのに数学とか物理嫌いなんですよね。
本人は嫌いとかじゃなくて生理的に受け付けないって言ってましたけど。
それに、教えているところを何度か見た感じでは、公式を嫌いというよりかは、どうして公式を使うとそうなるのかが理解できないから嫌だって、そんな感じですね。
問題解くときに公式覚えていないからって、公式を求め始めますから。
一々、公式の成立から理解しないと納得して使えないんですよ。
まぁ、そんなコーイチちゃんですけどね。
教員室にいた私を見て神田さんに何か耳打ちしたと思ったら、いきなりグーで殴られていたんです。
神田さんって女性の目から見ても美人じゃないですか。
肌だって白くて透き通ってるみたいだし、顔だって小さくて目もパッチリしててまつ毛だって長いし、モデルさんみたいな体型だし、おやつ食べても太らないし。
そんな人といきなり、小学生みたいな罵り合いを始めたんですもの。
それを見て、男女でこんな近くにいて、ただの友人としていられる人たちがいるんだって思って衝撃を受けたんです。
まあ、今の神田さんの縺れ具合を考えればただの勘違いだったのかもしれないとは思いますけどね、でも神田さんには感謝してますよ。
当時、私は春の新歓の悪乗りで毎年行われているミスコンに出場する羽目になったことで、すごく男性不信だったんですよ。
他薦でエントリーされていた上に、エントリー写真も隠し撮りみたいな写真でしてね。
そんな状態で自分でも知らないうちに優勝しちゃったものだから、名前と顔だけが大学中に広まっちゃってて。
近寄ってくる人は男も女もみんな下心が丸出しで近寄ってくるので、本当に大学通う事が嫌になっちゃって。
今はもう平気ですよ。
あしらい方も大分様になってきましたし。
そんな私にとって、神田さんとコーイチちゃんはとってもまぶしく、そして何だか微笑ましくていつまでもとっておきたいって、そう思えたんです。
「で、神田さんとの契約っていったいなんなの?」
「コーイチちゃんの貸し出し契約です。神田さんに正直にその気持ちを話したら、こんなんでよければいいよって。当時の神田さんは、全然自覚なかったですから、私に同情してくれて、篠崎さんのリハビリ用教材として2割貸しますってことで。」
「うわー。あれ?でもさっき篠崎さんと話している時間は1割って言ってたよね?」
「はい。だから未徴収分がもう2年半分溜まってるんですよね。だから、もう1年切りましたし、これからはガンガン回収しにいかないと。」
「神田さんがまた怒りそうね。」
「2年前の神田さんが悪いんです。だってあんなにいいもの見せびらかしてきたんですもの。」
喫茶店を出ると外の空気は肌に張り付いてきます。私はそれを振り払うように歩き出しました。明日からの債権回収に思いを馳せながら。
本人以外の話でグイグイ突っ込んでくる女、神田。
2/1間違い見っけ。