0章3話 出会いと別れの物語3-松実加奈恵-
おかしい。もっとゆるふわなはずっだった。
その先輩との出会いは・・・かなり苛々するものでした。
入学式の日の強引な勧誘に捉まってしまった私は、なんとか抜け出して目的の場所へ向かおうとするのですが、たくさんの男性に囲まれてそこから動けなくなってしまいました。
「テニサーなんだけど、うちのサークル女の子も多いし、飲み会なんかも結構多くて、みんな仲良くやってるから君も入ってくれるよね。今日も新歓あるんだけど、来てくれないかな?」
「・・・えと」
「サッカー部のマネージャーとか興味ない?仕事とか全然大変じゃないし、マネージャー同士も結構仲良くやってるみたいだから。それにうちのサッカー部結構強いから応援してても結構楽しいと思うんだよね?どう?」
「・・・はぅ」
「写真とかカメラとか興味ない?いろんなとこ行って綺麗な風景とか、建物とか撮るだけで、何も難しいことないんだって。僕たちもみんな優しく教えるし、みんなで写真旅行なんかもしてるんだ。興味あるなら詳しく説明したいから部室行こうか?」
「・・・ひぃ」
「貴方達はサルか何かかしら。群れていないで通行の邪魔だから散ってくれないかしら。それともここで叫んであげましょうか。男どもが一年生の女の子に寄って集って酷い事ししてるわーって。どう?」
困った私に救いの手を差し伸べてくれたのは、袴姿の素敵な美人の先輩でした。
「はぁ?おめぇには関係ねぇだろ?」
テニサーの方がその美人な先輩に詰め寄ろうとすると写真部の方がそれを制止しました。
「なんだ。とめるなって。」
「やめとけって。お前、神田のこと知らねえのか。あいつ入学式の時、隣に座ってた男を殴り殺したんだよ。」
「殺してはいないわよ!!で、どうするの?退くの?退かないの?」
私のことを囲んでいた方々は美人先輩を恨めしそうな目で見ながら散っていきました。
「はー。加奈ちゃん久しぶりだねー。大丈夫だった?嫌なことされたり言われたりしなかった?」
美人先輩は私に駆け寄ってくると私を包むように抱き着いてきました。
「は、はい。大丈夫です。芽衣先生も変わらず美人でかっこよくて素敵です!!」
「やーん。なんでこの子こんなにかわいいのかしら。男どもが群がる気持ちもわからなくわないわー。」
「あのー、芽衣先生。先生は入学式の日に誰かを殺してしまったのですか?」
「殺してないわよ。平手一発とボディに一発ねじ込んだだけで、今もぴんぴんしてるわ?それにあいつなら殺したって死なないわよ。」
「そ、そうなんですか。」
私は芽衣先生のこれまで知らなかった一面を見て若干引いてしまいました。
「それで、部室まで案内したいんだけど、今誰もいないし、私も勧誘の受付で離れられないし・・・そうね・・・。この道を真っ直ぐ進むと白くて大きい建物があるから、左に曲がって突き当りの黒い建物が道場だから先に行ってて頂戴。」
「はい」
「たぶん勧誘サボって弓引いてる石潰しがいるから、神田先輩から佐藤先輩に説明を受けるように言われてきたって言えば、断らないで説明してくれるわ。ごめんね。私も仕事終わったらすぐ戻るわ。」
「また囲まれちゃったらどうしましょう。」
「その時は法2の神田を呼ぶって言ってやりなさい。お守りぐらいにはなるわ。」
芽衣先生召喚の呪文を使わずに先輩に指示された建物についた私は、扉の隙間からそっと中を覗き込みました。なぜか知らないけど初めての建物の扉を開くのは緊張しちゃって、なかなか手がかけられないのです。自動ドアだともっと嫌です。覚悟を決める前に開いてしまうので、圧迫感が半端じゃないのです。
そっと覗いた道場の中では眼鏡の男性が弓を引き絞っていました。
他に誰もいない静かな場所で、両腕が弧を描きながら下がっていきます。
腕が止まると、じっと的を見詰めたままです。
わたしはその的を見詰める姿に吸い込まれるような不思議な感じを覚えました。
永遠に続くように思えるようなその不思議な感覚でしたが、その人が両腕を止めてから畳まれた右腕を伸ばし矢が離されるまで、時間にしたらおそらくは10秒もなかったでしょう。
気が付いた時にはその人はこちらに向いて私のことを見詰めていました。
「新入生か。部室に誰かいると思うからそっちで入部届を貰ってくれ。説明は受けたか?」
さっきの吸い込まれるような感じがまだ残っていて、放心したままの私に男性は話しかけてきました。
なんというか心と心がふれたような、私とその人の体が一つになってしまったような、それでいて周りの景色の中にも自分が溶け込んでいるような、不思議な感覚。
私が返事もできず、立ち尽くしたままでいると、その男性は私の顔を覗き込みました。
男性がこんなに近くに来ていたことにびっくりした私はようやく声を出せたのです。
「め、芽衣先生に、佐藤先輩に説明して貰うように言われて来ましたっ!」
「芽衣先生?芽衣?あー神田か。」
「そうです!神田先輩ですっ!」
「いや、いいけどさ、あいつ仕事押しつけやがったな。しょーもない奴だな。」
なぜか芽衣先生のことを仕様がないと言いながら優しく笑う先輩を見ていると、私の心にチクチクしたものが刺さってくる気がしました。その気持ちが何かわからないけれど、嫌なものだと感じた私は、その気持ちを押し流すようにして話しかけました。
「佐藤先輩でいいんですよね?松実加奈恵と言います。文学部独文科に入りました。芽衣せんせっ、神田先輩は塾の先生なんです。よろしくおねがいします。」
「よろしく。佐藤紘一です。建築の2年です。神田とは同じバイト先なんだけど会ったことないよね?立川の栄冠塾でしょ?」
「夏休み前には御稽古事の都合があって別の塾に代わってしまったので、栄冠塾には3か月しか通ってないんです。でも、芽衣せ、神田先輩にはそのあとも良くしていただいて。」
「そっか。俺は夏の集中の臨時からだから、そりゃ会ったことないね。」
道場に入り、雑談を交えながら弓道部についての説明を佐藤先輩から聞いていると、道場の扉が勢いよく開いて、神田先輩が入ってきました。
「加奈ちゃん届いてるー?」
「ちゃんと来てるよ。それよりお前なんで説明とかしてあげなかったんだよ。」
「可愛い子の相手できるんだから文句ないでしょ?それとも何?加奈ちゃんが不満なの?どんだけ贅沢なのアンタは。こーんなに可愛いのに。ねー、加奈ちゃん?」
「そこに不満はない。松実さんは可愛いよ。問題はそこにはないんだ。いいか、芽衣ちゃんよ。なんで説明をしなかったのかが問題なんだ。答えは明白で、お前の塾の講義前の準備が3時間もかかるのと同じ理由だ。極度の説明ベタな芽衣ちゃんよ。お前、数学の証明どころか現文の記述も怪しいからな。解答はできてるのになんで説明できないのか理解に苦しむよ。」
「なにも可愛い教え子の前でそんなに言わなくたっていいじゃない。」
「お前のレポートの添削、いつまで俺にやらせるんだ。共通ならまだしも専門の法学なんか分野違いもいいところだ。参考書読みながらの添削もいい加減限界だぞ。もう一人分課題やってる気分だ。というか実際そうなってるんだがどう思う。」
「いっぱい勉強できていいじゃない。それに私は小学生からやり直したほうがいいんでしょ?できる佐藤君が手伝ってくれなきゃ大学生の勉強には追いつかないなー。」
「一年も前のこといつまでも根に持ちやがって。」
芽衣先生がこんなに楽しそうに話すのは初めて見ます。
「先輩方はとても仲がいいんですね。」
私は、自分の声が酷く冷たく聞こえたことに狼狽えました。
「そんなこと、ないわ。こいつすごく失礼な奴で、初対面の私に向かって小学校からやり直せとか言ったのよ。最低でしょ?加奈ちゃんもそう思うよね?」
「しっかり平手で返されてるんですが。」
芽衣先生が殴ったというのは佐藤先輩のことだったらしい。
私の心にまたあのチクチクが刺さった気がしました。
「いえ。わたしはそんな・・・」
「むー。加奈ちゃんは私じゃなくて、初対面のコーイチを庇うのね。これが今流行の寝取られってやつなのね。脳が破壊されるってやつ。」
「おい。人聞きの悪ぃこと言うんじゃねぇよ。暴力に訴えるのは人品に関わるってだけの話だろ。」
「コーイチの発言は心の暴力です。ドメスティックバイオレンスです。」
「芽衣ちゃんさ。ドメスティックバイオレンスは配偶者間、つまりは夫婦間、せめて同棲者間とか恋人間での暴力のことだって知ってて言ってます?」
「コーイチが恋人?嘘でしょ?いつの間に?え?やだ。何考えてるのあんた。キモい。」
「あのさぁ。口火切ったのは芽衣ちゃんなんですけど。そこについてはどうお考えなんでしょうかね。」
「コーイチが夫婦とか恋人とか言い出すのがいけないんでしょ。見なさいよ。加奈ちゃん固まっちゃってるから。」
「全面的に無罪だと思うんですけど。」
私はチクチクとずっと戦い続けていました。芽衣先生はああして佐藤先輩のことを悪く言いますが、その実、ずっと年上の兄にじゃれ付いて遊んでいる・・・いえ、心を許しきった恋人に甘えているように感じました。
私にはそれがなぜか赦し難いことに思えたのです。
なぜ佐藤先輩のことを悪し様に言える人がその傍で笑っていられるのでしょうか。
あの不思議な感覚を、永遠の時間をくれる人の傍にこの女は相応しくない。
わたしはこの瞬間、この女との関係を捨て排除し、紘一先輩の傍には私が立つことを誓ったのです。
キャラが勝手に走ると作家さんはよく言いますよね。なんか初めて解った気がします。