1章X-1話 バレンタイン特別-神田・松実姉-
まだ五人分あるのか。
「あわわ。作っちゃいましたよ。どーしましょう。」
今、私は家の台所で一人頭を抱えていた。
話は昨日の部活終わりまで遡る。
私が片付けをしている最中に4年の吉本先輩に声をかけられました。
「え?バレンタインですか?」
「そうよ。加奈ちゃんは誰かにあげないの?」
「えー。先輩こそ誰かにあげるんですか?」
「私はばら撒くからいいの。チロルが何百倍にもなって帰ってくるんだからボロイ商売よね。」
「うわー。悪い顔してるー。」
「私のことは言いのよ。加奈ちゃん佐藤君にチョコ渡さなくていいの?」
「なんで紘一先輩に渡すことが前提になってるんでしょう。」
「いいの?芽衣に取られちゃうよ?」
うぐぅ。私のハートは打たれ弱いんですから、棍棒で叩くようなことはしないで欲しかった。
「神田先輩は関係ないです。」
「佐藤君モテるタイプじゃないから、チョコなんか貰ったらコロッと逝っちゃってあっという間にゴールインしてるなんてことになっちゃうかもなー。」
ぐぬぬ。否定しきれないのが何とも悲しい。
「そもそも神田先輩が紘一先輩にチョコ渡すんですか?性格的にもそれはちょっと考えにくいんじゃ。」
「芽衣ちゃん今年がラストチャンスだからなー。」
「まだ一年ありますし、そもそも来年の2月もあるじゃないですか。」
「甘いわね3年生。4年生の1、2月は修羅場よ。恋に浮かれてる暇はないわ。」
「そ、そうなんですか。というかそもそもラストチャンスってまるで神田先輩が紘一先輩のこと好きみたいじゃないですか。」
「そうなんだよねー。顔合わせる度に口喧嘩になって、最終的に芽衣の拳で決着がつくんだけどさー、殴った後またやっちゃった、嫌われちゃうーって大変なんだよね。」
私の体の芯がすっと冷えていくのを感じる。
「でもそれっておかしいです。紘一先輩のこと馬鹿にして、蹴飛ばして、傷つけて、それは好きだから素直になれなくて甘えてるって言うんですよね。馬鹿にしたり、傷つけたりなんて好きな人相手にできることじゃないです。都合のいいおもちゃ扱いって言うんですよ。」
「加奈ちゃん。」
「吉本先輩に言うことじゃありませんでしたね。すいませんでした。失礼します。」
私は話をそこで切り上げた。
気が付くと私は家の台所に立っていた。
目の前にはチョコチップクッキーがある。
先輩が好きなお菓子だからなんとなくこれにしてしまったんだということは判る。
あの女に先輩は譲れないというか、先輩を幸せにはできないという気持ちが私の背中を押してしまった。
「ひえー。どうしよう。」
計画性がなさ過ぎて困る。
「ただいまー。」
「あ。お帰りなさーい。」
私がしばらく台所で固まっていると妹の朱莉が帰ってきた。
「お姉ちゃん。なにやってんの?」
「えっと。チョコ作り?」
「そっか。お姉ちゃん紘一先輩にようやく渡す気になったんだ。」
「な、なんで、紘一先輩に渡すって判ったの?」
「だって、お姉ちゃん毎日、紘一先輩の話しかしないし。」
「そんなことないって。もっといろんな話してるってば。」
「そんなことあるよ。お姉ちゃん知ってる?お父さんね、お姉ちゃんが晩御飯のたびに紘一先輩の話しかしないから、その紘一君にそろそろ身辺調査入れようかって言ってるんだよ?」
「嘘でしょ!?」
「ほんとだよ?でもそっか。偉いぞお姉ちゃん。しっかりやってくるといいのです。」
「妹がすごい上から目線!?」
「もう私はダーリンに渡して来たから、お姉ちゃんより先に進んでるし。」
「え?うそ?だれ?三軒隣の水橋君?」
「やめてよ。あんなマザコンお断りよ。」
「じゃあだれ?」
「お姉ちゃんも知ってる人。」
「近所の人?」
「んーん。佐藤先生。」
「佐藤先生って学校の先生?」
「違うよ。塾のアルバイト講師。大学生だよ。」
「だ、だめだよ。大学生と高校生なんて。それに塾の先生とかよく知らない人ととか絶対ダメだって。」
「だからー、お姉ちゃんもよく知ってる人だってば。」
「塾の先生で、私がよく知ってる佐藤先生?」
「そう。東都大で。工学部で。弓道部の。塾の先生やってる。佐藤さん。」
「紘一先輩!?」
「はい。よくできましたー。」
「な、なんで?」
「私が通ってる塾が紘一先生が講師やってる塾だからでしょ?」
「そうじゃなくて、チョコ。」
「あぁ。それ?だって、ずっと先生の傍にいるのは私だもの。」
妹は私が見たこともない美しい笑みを浮かべていた。
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「芽衣。聞いてるんでしょ。出てきなさいよ。」
「多貴子・・・。」
「あんたのライバル怖いわ。」
「なんであんなこと言ったのよ。」
「だって、今年も作ったんでしょ?チョコ。」
「作ったけど・・・。」
「毎年渡せないでもう三年目でしょ。いいかげん覚悟決めなさいよ。」
「だって、嫌われてるかもしれないし、叩いたり蹴ったりしちゃうし、それにこの間もふわふわの可愛い子と駅前歩いてたし、塾でも愛理佳ばっかり見てるし、塾生の女の子達にもすっごい懐かれてるし、加奈ちゃんだって取られちゃったし。
私なんか可愛くないしどうやったってふりむいてもらえないょぉ。どうしよう多貴子・・・。」
「アンタなんでそんな美人なのに残念なの。」
「だって。コーちゃんといると何やってもドキドキして恥ずかしくなっちゃうんだもん。」
「砂糖吐きそうなんだけど。」
「それに、コーちゃんだって悪いんだよ。他の女の子にはすっごく優しいのに私には意地悪したり、悪戯したりするんだもん。」
「あのさ。芽衣。私も佐藤君のこと好きだよ?」
「え?多貴子、コーちゃんのこと好きなの?私、多貴子に勝てる気しないよぉ。」
「話を最後まで聞きなさい。私が好きなのは、芽衣と一緒にいて、笑ったり怒ったり色んな表情をしてる佐藤君が好きなんだって気づいちゃったから。アンタだったら、あの寂しそうな顔をしてる男の傍で色んな顔をさせてやれるんだって思ったから、だから頑張りなさいよ。」
「多貴子。」
「何よ。」
「多貴子大好きっ!!」
「佐藤に向かってやって頂戴。」
「ちょっと恥ずかしい。」
「やっぱり私が佐藤君に渡そうかな?」
「多貴子!?」
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2月14日、朝。
神田と松実から駅前で待てとメールが来たので待っていたら、一緒にやってきた二人からなぜかすごい勢いで怒られた。
朱莉と奈那子からチョコを受け取ったのがいけなかったらしい。
モラルとは道徳とは何かを3時間も説かれた。
なんだったんだろう。
昼。
吉本から珍しく電話が来た。
なぜかすごい勢いで怒られた。
なぜだ。
吉本多貴子・・・東都大人文科学科4年人類行動学専攻。小っちゃい。