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結果として、私の手には新品のワイングラスがあった。
これでこうなった今もこうして、私が物を創れることは立証された。
私の創ったものを見てみれば、ヒビも曇りも、更に言えば分子結合も均等で偏りなく、割れにくい。ガラスを継げば出来てしまう継ぎ目も敢えては生まず、それは一見してガラス職人の夢見る至高の品のようにも思えた。
ーーしかしだからこそ、私は少し怖かった。
傲慢と思われるかもしれないが、私は本来濁りも継ぎ目も副次品となる製法や法則のものに、それがないことを不自然で、気持ち悪く感じるきらいがあった。
ワイングラスにとって本来自然なのは、先に私が感動した不細工な継ぎ目も多くにはあり、しかも割れやすいということだ。
たしかに不都合ではあるが、私にはその方がよっぽど美しく思えた。
これは人工も自然も隔てなく、私の勝手な趣向によるものだ。
しかしその芽生えは明確にあり、それは材木を使った初めての建築から始まる。
本来、柱などに使われる材木は含水率を下げるために数年寝かせる。
その間に多くが無作為にねじれ、思わぬ形に収まったりするし、その収まりに応じて、家などの大きな建築ではどこにどの木を使うか決めるのだ。
切り倒す前の木をどこに使うか、既に決めてしまうことはない。
私がむかし、創り出した材木にははじめから適量の水分しか含有していなかった。
そもそも今まで自分が触れて来たものが、寝かせた後の材木で、それには〜云々。という前述の認識が、ほとんどなかった為だ。
しかしはじめから僅かな水分のみを含む、「一見、どこにでも使える理想の材木」を用いて、簡単な納屋を建築をした時に、問題は発生した。
乾燥を経ない私の材木は徐々に水を吸い、建物を組んでからねじれ、又重くなり、季節の巡りもろくに味わわない内に倒壊したのだ。
20棟程建てた内、倒壊したのは3棟だが、納屋ということもあって怪我人こそ出なかった。
原因についても偏に素材だけの問題とは断定できない。
現に他の棟でも、必ずしも同じことが起こったというわけではなかった。
適材適所を形骸化させる理想の材木などそもそもないからして、「一見、理想の素材」と考えた私の建築に対する造詣の浅さも、おそらく充分に起因していただろう。
現にガラス製のワイングラスは、手作業で作ったものよりも割れにくかったのだから。
それでもそれは、どんなにそのようにイメージしても、現実同様に「絶対に折れない矛」のような、言葉上だけにある存在は創ることは出来ないということの証明であったし、私が完全というものの完全性を疑うきっかけにもなった。
だから私にはずっと、「星には手を伸ばせよ」と促す教育こそ居心地が悪かったし、このワイングラスに向く想いにも、創れた喜びよりも憂いが勝ったのだった。
しかしそこに是非を問うでもない。私にはこの力を使わない、「自然の産物」の方が安心できただけなのだ。
そしてやはり不遜に聞こえるだろうが、私にとってこの力を使わない人工物は、自然のものと同じように思える時さえもあったのだった。
気付けばまた長い思案に、日が延びてしまった。
今や朝もそう浅くなくなっていた。
私はワイングラス同様に、虚空から着替えのフード付きチュニックとズボンを取り出して、そそくさと着替えた。
やはりどうにも得心のいかない出来だったが、これで意図しない身元の特定は避けられるだろう。
立場も明確でない今、部屋着姿でウロウロと、思えば軽率な徘徊だった。
街はもう、いつ邂逅を私達にあてがうも不思議はない。
麦畑からも早起きを見て取れた、既に往来盛んであろう街の中心部へと、1人は恐る恐る、1匹は軽快に歩みを進めた。