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―目を覚ますと、私は寝入った筈の寝室とは違う場所にいた。
暗がりの中、月明かりに稲穂が揺れ、蟻が手を擽っていた。
昨日病気で死んでしまったはずの飼い猫が生きていて、何事もなかったかのように、初めて見る稲穂に興味を寄せている。
思わぬ事態に、手は汗を握り、脈は早鐘を打っていた。
渋滞して停止した思考を尻目に、反射はみるみる先を行った。
そうして私は情けなくも末端神経から折り返しで自身の混乱を教わり、自我に鞭を打つ。
しかし相も変わらず、私自身からの返答はない。
麦畑にいた。目の前には、かつて意識の狭間で繰り返し何度も見た、血涙を注いだ虚構の城が目の前にはあったのだ。
起こり得ない事がどうやら起こっている。
汗を肌寒く感じるようになってまでも未だ渋滞中の思考は、小仏トンネル付近でよもや便意までも催しているのではあるまいか。
朝はそう遠くないようだった。
逡巡すれば、確かにこの世は私にとって不都合だった。小さい頃特に自分の世界に没入してしまいがちだった私には、人同士の細かな軋轢に興味を持つ事が出来なかった。
流行りの話題が自然と口をつく彼らを尻目に、幼少期には部屋で本を読み、空想に耽っては絵を描き、外に出ては虫や動物とばかり遊んだ。
私には経済への頓着が希薄で、それに順応した強かな人々の合理性を時々、浅ましくも思えたのだ。
私が特別持て余したのは、執拗な集中力と、その好ましからざる現実から逃避する為の想像力くらいのものだった。
都会に出て行く同郷の、期待に胸膨らます彼らを見送っても、その後の順風満帆たる様子を漏れ聴いても、私の心はその煌びやかなネオンになかった。
私が人心の中心にあったことはなく、時折、暇を持て余したイジメっ子から片手間で蔑まれることはあっても、基本的にそういったものからさえも無関心だった。
つまるところ私は幼く、人間関係よりも興味のある山程のものごとに引っ張られて、逃れられなかったのだ。
厳格な両親からの期待も愛情も、年の近い優秀な弟に早々に譲り、肉親との精神的な距離は遠かった。唯一、心許せるのは弟だったが、それは彼が私に大変な気遣いを持ってくれたおかげに思う。
「姉さんは、もっと評価されるはずの人なのに」
弟はよくそう言ってくれた。
だから、もし私が唐突にこの世から去る時があるなら、心残りは弟くらいのものだった。
私は学びや励み、日々のあるゆることで。
いつしか私は自身を屈服させた今日さえあればそれで満足だった。
誰と競うでもない私には、昨日までの自分自身とだけ切磋琢磨して、それで僅かながら日進月歩しているような気さえすれば、この世界で生きていても構わないのだと。そう自身に言い聞かせることが出来た。
そうすることで私は世界でちっぽけだったが、昨日までの私にとってのみ偉大であれた。
そして日々、そう自らに言って聞かせた自己防衛を礎に、私の心にはいつしか立派な、それはそれは見事な『城』が築かれていた。
私はいつのまにか、寂しく、卑屈にもなっていたのだと思う。