【競演】ナツマツリ
【競演】参加作品です。
「アリスさん、こっちですよ」
僕が大きく手を振ると、ヨタヨタと歩きにくそうに、アリスさんが近寄ってきた。
金髪に浴衣。いつもは背中に流している髪はアップにしている。
初見でハートをわしづかみにされたのは、僕だけの秘密だ。
「悠久〜〜、これ歩きにくい〜〜」
どうやら女性用の下駄のことを言っているらしい。
かくいう僕も浴衣姿。
揃ってこんな格好をしているのは理由がある。
季節は夏。
そして夏休み。
さらに浴衣姿の僕とアリスさん。
となれば、行き着くキーワードは一つしかない。
夏祭りだ。
年に一回、僕たちが住む街では祭りが開かれる。ついでに花火大会も開催される。
この花火大会は、県内外問わず割と有名で、遠方からわざわざ鑑賞しにくる人もいる。なので、実際は夏祭りがついでになっていたりする。
出店も多く、それなりに人で賑わう。
そんな中を、普段履き慣れない下駄で人混みを掻き分け歩を進めるのは、アリスさんにとっては割と(大分)苦行なようだ。
──エスコート役としては、手を取るべきなんだろうけど。
そう思うものの、中々手が思うように動いてくれない。
僕とアリスさんの関係は、天文部の先輩後輩の他に、一応、許嫁という設定がある。
だからここで手を繋いだって、誰も文句は言わない。
──でもなぁ。
さっきから、後頭部に視線を感じている。
このちくちく刺さる感触は、アリスさんと同じく、天文部員の先輩である、貢さんだ。
貢さんは、とにかく自分が面白いと思った事を最優先する。さらに神出鬼没だ。
今だって、僕の周りにいるマナ(魔法を発動させる要素)が教えてくれなかったら、気づきもしなかっただろう。
そう。
僕は何を隠そう、魔法使いだった。
だったというのは、僕の魔法はあまりにも危険で、アリスさんのお母さんの手により封印されている。
初期化魔法。
周囲のマナに与えられた役割を、文字通り『初期化』してしまう魔法だ。
僕が意識せずとも発動してしまうため、他の魔法使いは、知らずに自分の魔力を削られる。
魔法使いにとって、魔力は生命そのものだ。
そして、アリスさんも言うまでもなく魔法使い。
語りかけし魔法体系に属する魔法使いだ。
だからアリスさんと一緒にいるためには、僕の魔法を封じ、『精神結界』で互いの精神を接続する必要があった。詳しくはどうにも分からない部分が多いのだが、精神的に接続されると、その対象者は僕と同一だとマナが判断するらしい。ご都合主義っぽいなぁと思わなくもないが、アリスさんと一緒にいられるのはそれなりに嬉しいので、その術を施された時、僕は特に抵抗はなかった。その点についてはアリスさんも同様らしい。
とはいえ。
──これ、アリスさんに知らせると、面倒だよなぁ。
貢さんが尾けているなんて言おうものなら、僕に絶対近寄ってこない。僕もそうだが、知り合いを前に二人きりになると、どうにも挙動不審に陥る。
「さぁて。着きましたよ、アリスさん」
僕はずらりと並ぶ出店の入り口に立ち、貢さんの姿を探りつつ、アリスさんに笑顔を向けた。
「やっと? で、これからどうす……」
アリスさんが固まった。
目が、視線が忙しなく動いている。
なんだろう?
「ね、ねぇ悠久?」
「はい?」
「これが日本の『オマツリ』なの?」
「はい?」
聞き返した。
そして、アリスさんの爛々と輝く目を見て全てを察した。
「これ、全部食べていいの?」
──ああ……やっぱり。
焼きトウモロコシ、たこ焼き、リンゴ飴。魅惑の食材が勢揃いだ。
何となくは気付いていた。
帰国子女であるアリスさんは、僕と出会うまで、人混みを避けていた。
理由は単純。
魔法使いであるが故、周囲の人間の感じた事、思った事を思念としてダイレクトに拾ってしまう。
加えてその容姿。
金髪に深い碧の瞳。
ただでさえ人目を引く彼女は、嫌な思いを沢山してきた。
今でこそ、『精神結界』で僕と接続され、今でこそ、その嫌な思いのはけ口(つまり愚痴)や問題解決を僕が担っているが、独りではきっと耐えられないだろう。
さらに今日に限っては浴衣姿でもある。これで目立たないなんてことはあり得ない。
今も、周囲の視線、様々な感想が雪崩のように襲いかかっている。
《外人が浴衣かよ》
《案外似合ってるけど、無理矢理っぽいよね》
アリスさんの格好を見て、どんな感想を抱こうと、それはその人の自由だが、悪意として向けられると、僕だって気分が悪くなる。
アリスさんは僕に出会うまで、ずっと独りで戦ってきたのだ。
見ると、アリスさんの顔に若干影が落ちている。余計な思念を拾ったんだと思う。
となれば、することは一つだ。
「アリスさん」
「なに?」
「軍資金はメアリさんからたくさん頂いてます」
「お母さんから?」
「はい。アリスさんのことだから、絶対食い気に走るだろうって」
「……あんのクソババァ……」
アリスさんが天に向かって呪詛を吐いた。
*
一方その頃。
貢は、二人を見失っていた。
「おっかしいなぁ。俺があいつらの気配をたどれなくなるなんて……」
首を傾げるも、悠久とアリスの気配は人混みに紛れ、どうにもならない。
「あの二人が俺に黙って夏祭りに出かけるなんて」
貢の口元が、にへら、と歪んだ。
「そんな面白いこと放っておけねぇじゃねぇか」
*
またまたその頃。
悠久やアリスが通う一条学園では、天文部の顧問、由利川先生が、校舎の屋上で、他校の校長や市長等々のお歴々の相手をしていた。
この一条学園、立地条件が良く、花火がよく見えるのだ。
普段は天文部の強化合宿と称し、花火大会を満喫するのだが、今回に限り(うっかり、校長が口を滑らせた)、日頃お世話になっている方々へ解放することになったのだ。
もちろん、天文部の部員はあれこれ『言い訳』を作り、残ったのは由利川先生のみ。一条学園の校長をして「後は任せた」と言い残し、当日は不在。
なので、やむなく、本当に仕方なく、由利川先生が対応にあたることになった。
──これはデカイ貸しだからな、ハゲ校長!
内心で文句を山ほど吐き、表向きは営業スマイル。
ニコニコ、ニコニコ。
「どの位置からだとよく見えるのかね?」
「ええ、ええ、それはもう。お席をご用意してございますので」
「そ、そうか、ありがとう」
若干テンションがおかしい由利川先生に引きつつ、お歴々は各自席に着いた。
後は飲み物(学校内なのでアルコール類は禁止だ)を配り、花火が始まるのを待つだけ。
かと思ったが、校内のルールなど彼らが守るはずもなく、勝手に持ち込んだビールの缶を空け、ぐびぐびと飲み始めた。
──あれだけ酒を持ち込ませるなと言っておいたのに! クソ校長!
由利川先生は、バレないようにため息と一緒に色んなモノを吐き出し、あらん限りの精神力で理性を抑え込み、笑みを絶やさなかった。
*
──あー……これは止まらないな。
アリスさんは、両手いっぱいに様々なスイーツを持ち、腕には山のように焼きそばなどが入ったビニール袋を下げている。
僕と二人きりなんてことは、もうアリスさんの頭にはないだろうな。
その証拠に、精神回線でいくら呼びかけても応答がない。目の前の出店のことで、全ての思考を割いているに違いない。
「何か言った?」
「いえいえ、何にも」
振り返り僕を見るアリスさんの顔は、喜色満面。オマツリを堪能している、そんな表情だ。
──そんなに食べたら後が大変だろうに……。
「はい」
僕が気を緩めた隙を突き、目の前に何かが差し出された。
「おわっ」
「何驚いてんのよ?」
見ると、目の前にはイカ焼きがあった。食べろってことかな?
「私はもうお腹いっぱい。後は悠久のノルマだからね」
──うげ。
いくらなんでもこの量は無理だ。そもそも僕は小食だし。身長もアリスさんと同じくらいだし。
《何よ。私を太らせようっての?》
おっと。精神回線が復活したようだ。
アリスさんがふくれっ面で僕を睨んでいる。
《いや、この量は……さすがに……》
《四の五の言わない! 男の子でしょ!》
《いや、男とか女とか、この場合あんまし関係ないんじゃ……》
その時。
ぽんぽん。
夕闇に、軽い破裂音が鳴り響いた。
「あ、花火大会!」
アリスさんは、両手に持つビニール袋を僕に押しつけ、目を閉じた。
こんな場面を、僕は何度か見たことがある。マナと交信している状態だ。
「……うん。風は微風。天候の悪化はないのね?」
僕も感知した。
マナたちは、今日はやけに協力的だ。
天候は花火大会を開催する上で、絶好のコンディションみたいだ。
「いいみたいですね」
「そうみたいね」
さらに。
「……ついでに面倒なのも見つけたわ」
──ああ、見つかっちゃったか……。
「貢さんですね?」
「……せっかく悠久と二人で来たのに……」
「え?」
虚を突かれた。
対して。アリスさんは急に慌てだし、両手をバタバタ振りながら、「今のなし! 何でもないから!」と何かを取り消そうと必死だ。
でもアリスさんの頬は、ちょっと赤く染まっていた。
《な、なんでもないんだからね! 変なこと考えないでよね!》
《まだ何も言ってませんよ》
《……うー》
口で喋ったり、精神回線で会話したり、どうにも頭の切り替えが大変だ。まぁ昨年からこんな状態だったので、もう慣れっこだが。
《とりあえず、気配消しておきましょうよ》
《そ、そうね。邪魔が入ると面倒だし》
《邪魔?》
途端、アリスさんの顔が再度朱に染まった。
「ち、違っ、邪魔とかそんなんじゃなくて、貢がいるとせっかくのオマツリが台無しに、いや、そうじゃなくて……」
大慌てで自分の失言を取り消そうとして、自ら泥沼にハマるアリスさんだった。
*
貢は、持ち前の『野生の勘』をフル動員させ、悠久とアリスを探していた。
立ち寄りそうな出店をチェックし、それとなく聞き込みしたりする。
何せアリスは金髪だ。目立たないはずがない。
引っかかったのは、たこ焼き屋だった。
「ああ、そう言えば……金髪の嬢ちゃんが、どう見ても一人じゃ食べ切れそうにない量の、焼きそばやらリンゴ飴やらを抱えてここに来たなぁ」
間違いない。
アリスだ。
「おっちゃん、それでその金髪の女の子は?」
「ちょうど、花火大会開始の合図が鳴ってな。後ろにいた男の子に荷物押しつけて、上向いてブツブツ言っていたよ」
もう間違いない。魔法を使ったに違いない。
「俺を撒こうったってそうはいかないぜ」
手がかりがあれば、同じ部で三年過ごした仲だ。行動パターンなんかすぐに割り出せる。
「あの高台の人混みは避けるだろうな、悠久君は」
出店の端にあり、河川敷を一望出来る小高い丘。
そこは花火大会を鑑賞する絶好のポイントだ。
だがアリスは人混みを嫌う。それは悠久も配慮するはず。
「となれば……」
貢は高台から視線を移し、人気のない川縁を凝視。
そこは、大きな岩がゴロゴロしている。人が歩くにはちょっと大変だ。
だが。
アリスは魔法使いだ。
ちょっと小細工すれば、二人きりの空間が出来上がる。
「あそこだな」
貢は自信たっぷりに、その場所に向かって歩を進めた。
*
──ああああ! 面倒臭い!
由利川先生は、ブチ切れる寸前で辛うじて耐えていた。
「ビールが尽きたな。由利川先生、この辺で酒屋はあるかね?」と市長。この街の市政は大丈夫なのかと疑うような発言だ。
──あるわけないだろう! ここは学校だぞ!
そして、隣町の校長がトンデモナイ事を言い出した。
「花火大会もこれからだというのに、酒がなくては楽しめるものも楽しめない。そう思わないかね?」
──思うわけないだろう! このド阿呆!
ちょっとでも気を緩めたら、ありとあらゆる罵詈雑言を吐き出しかねない。
もう限界だった。
──そもそも、なんで私が接客なんぞせにゃならんのだ!
「ちょ、ちょっと席を外させて頂きますね〜」
無理矢理笑顔を作り、軽く会釈までして、屋上への入り口に辿り着き、ドアを閉めた。
そして携帯を取り出し、どこかに連絡を取りだした。
*
「はい〜〜。こちら矢萩貢の携帯です〜〜」
『お前! 貢! 今どこで何してる!』
「ああ、由利川先生。どうしたんです? こんな時間に」
事情は知っている。それをあえて会話に出さない。由利川先生の神経を逆なでする行為だが、貢の判断では、こんな面白いことは滅多にない、とでも考えているのだろう。
『……お前らのせいで、私の胃に大穴が開きそうだ』
「それはそれは」
貢はあくまで飄々と、由利川先生の口撃をひらりと躱す。
『貢』
「はい?」
『お前、家族旅行で北海道に行ったんじゃなかったのか?』
「いやまぁ、そうなんですけどね」
『私の耳がおかしいのか? 祭り囃子やたこ焼き屋の威勢のいいかけ声が聞こえるんだが』
「そうですか? 俺には聞こえませんが」
──結構離れたはずなんだがな……。
貢は出店の列を振り返り、改めて由利川先生の地獄耳に恐れ入った。
『正直に言え。そうすれば、お前の件については不問にしてやる』
「そうこなくちゃ!」
貢は喜色満面。これで晴れて祭りを堪能出来るからだ。
『ただし! 一つ条件がある』
「はいはい。何でしょう?」
『生徒会長を、今すぐ、ここに、連れて来い!』
由利川先生は、一字一句区切るように、力の籠もった言葉で貢に命じた。
対して貢は、まさに水を得た魚。
「アイアイサー!」
天文部顧問の命令に、敬礼を返す貢だった。
*
「アリスさん? ここですか?」
僕が見る限り、そこはゴロゴロと大きな岩が転がる川縁だった。
「んー? だってここからなら、花火を大迫力で観れるよ?」
確かに。ここなら花火の打ち上げポイントも近いし、祭りの喧騒からも離れている。
「えー? でも……」
とても人が二人座るような場所はない。しかも草も生え放題。ヤブ蚊だってどれだけいるか分かったもんじゃない。
「ふっふっふ。その心配はご無用! とりゃっ!」
アリスさんが右手を振るうと、岩が淡く発光し、その形を変化させた。
目の前にあるのは、二畳ほどのスペースと岩のベンチ。
──準備済みだったってこと?
「ちゃーんと準備してあるのよー?」
どうも昨日から時々連絡がつかないと思っていたら、このためだったのだか……。
「ヤブ蚊はマナのシールドで入って来ないし。ささ、座って、座って」
さっさとベンチに座り、隣をポンポンと叩くアリスさん。
──何だろ? 今日は積極的だなぁ?
と思う間もなく、腹に響く重低音。
「あ、始まった!」
花火大会がスタートした。
*
夜空に輝く一輪の花。
ドン、ドンと小気味良く打ち上げられ、様々な色で弧を描き、そして散っていく。それはまさに光の芸術だ。
「わぁ!」
アリスさんは立ち上がり、その光景に見入っている。
──そうだよなぁ。
今まで人混みを避けてきたアリスさんは、きっと生で花火なんか見たことないに違いない。
その証拠に、僕との精神回線は切断され、その意識は間近で炸裂する花火の迫力に釘付けだ。
──いい思い出になるといいね。
「ねね、見た? 今のハデだったよね?」
「そうですね」
アリスさんの笑顔。
それは僕にとっても嬉しい。
いつしか僕たちは手を握り、花火に見入っていた。
そこではたと気付いた。
──なんだ? この雰囲気は?
周囲には誰もおらず、そしてアリスさんと手を繋ぎ、花火を観ている。
ちらりとアリスさんに目を向ける。
髪をアップにしたせいで、アリスさんのうなじが見える。
なぜか、そこから目を離せない。
心臓の鼓動が早まり、手に汗が滲む。
ドキドキが収まらない。
その時だ。
急に花火の音が止んだ。
見上げると、上空では花火の煙が流れず留まっていた。これではせっかくの花火が隠れてしまう。
小休止かな?
「ちょっと休憩ですかね」
僕はなぜかほっとしたように、石のベンチに腰を降ろした。
でも。
アリスさんは立ったまま。そして手も繋いだまま。
「アリスさん?」
周囲を照らすのは、月明かりのみ。
だが逆光で、アリスさんの表情は見えなかった。
「悠久」
その声は、周囲の静けさに溶け込むように、僕の耳に入った。
「ふぁ、ふぁいい?」
得体の知れない緊張感が僕を襲う。だがアリスさんは動じない。
「私たち、付き合いだして一年経ったよね?」
何かを決意したような、落ち着いた声色。
「そ、そうですね」
退路はない。僕はそう直観した。
徐々にアリスさんの顔が近づく。
周囲には誰もいない。音さえない。
水面に反射した月明かりに照らされ、アリスさんの深く碧い瞳が、淡く輝いた。
その瞳が閉じられ、静かにアリスさんの顔が迫る。
──これは覚悟なのかな?
僕は抵抗せず、アリスさんを受け入れ……。
「おう。そんなトコでなにやってんだ?」
「は?」
「え?」
突然後ろから声がした。この声は聞き覚えがある。いつも何かしらについて面白がり、僕たちをからかう人物の声だ。
「ちょうどお前さんたちを探しててなー。正確には悠久君なんだがな。いやー、まさかこんな人気のないところにいるなんて、考えもしなかったぜ」
軽い。
そして、場の空気すら読んでいない。完全に面白がっている。
僕は、固まったままのアリスさんを見、声の主である貢さんを見た。
「ど、どうしてここに?」
「俺がお前らの行き先を見抜けないとでも?」
さっき、考えもしなかった、と言っていた割には確信的な回答だ。
「由利川先生直々の命令でな。生徒会長──渡井悠久を至急学校に連れて来いとさ」
学校に?
と言いかけて思い出した。
いつもなら天文部の特権を使い、天体観測を理由に屋上で花火大会の鑑賞会を開いていたが、今年は校長先生の指示で、他校の校長やら市議会の方々が来ている。
もちろん、そんな堅苦しそうな所にいたくはないので、天文部全員が『用事』やら『体調不良』を用意し、由利川先生に全部押しつけた。
──貢さんがわざわざ僕を呼びに来たってことは、由利川先生の限界、突破したか……。
由利川先生は、保健室の先生かつ天文部の顧問だ。
そして、校内のあらゆる人物に貸しを作り、誰も先生に頭が上がらない。
「校長先生は?」
「いたらこんな事態になってないだろ? 後が怖いよな〜」
と言いつつ、貢さんはにまーっと笑い顔を浮かべた。きっと『後』の事を思い描いているらしい。
と──。
「み〜つ〜ぐ〜」
地獄の底から声がした。
──しまった。
マナの流れが変わった。
「貢さん!」
「おうよ!」
言うが早いか、貢さんは即座にバックステップ。直後、さっきまで貢さんがいた地面が爆ぜた。
「危ないなー、アリス。俺じゃなかったら大怪我してるぜ?」
「その減らず口、後悔させてやるっ!」
その言葉に呼応し、アリスさんの背後に、多数の火球が出現した。
「ア、アリスさん?」
「悠久は黙っててっ!」
「は、はいっ!」
こうなったらもう誰も手を付けられない。
──貢さん、怪我しなきゃいいけど。
*
花火大会は中断しているが、メイン会場からちょっと離れた川縁では、ド派手な『花火』が貢さんを襲っていた。
「貢っ! そこを動くなっ!」
「ご冗談を。動かなきゃ俺が丸焦げになっちまう」
「その通りにしてやるから動くなっ!」
貢さんとアリスさんが騒ぐ度、地面に大穴が開く。
僕はいつ終わるとも知れない不毛な戦いを、ベンチにもたれかかって眺めていた。
──貢さん、僕を呼びに来たんだよなぁ?
だが今は、飛び交う火球ひらひらと躱し、さらにアリスさんの怒りを煽っている。
由利川先生に、忍耐力が備わっているとは考えにくいので、この場は早期解決して、一刻も早く学校に向かう必要がある。よなぁ。
──しょうがない。
僕は、とりまくマナに働きかけ、ある『お願い』をした。
僕の魔法はもう使えないが、マナとの交信は出来る。そしてマナは、機嫌が良ければ、頼み事を聞いてくれる事もある。今日みたいに、お祭り騒ぎをしている日なんかは特に機嫌がいい。
「貢さ〜ん! アリスさ〜ん! 今から付近一帯のマナの動き止めますよ〜!」
「な! 悠久っ! あんた私を裏切る気!」
「おっと、その手があったかー」
両者の反応は正反対だ。
まぁ、今はとっとと事態の収束を図るってことで無視。
ほどなくして、アリスさんの背後に浮かんでいた火球が掻き消えた。
僕は手を打ち、アリスさん、貢さんの順に目を向けた。
「ささ。早いトコ学校行かないと、由利川先生に何言われるか。そうでしょ?」
「うぅ……」
アリスさんは意気消沈。貢さんは満面の笑顔。一体何が面白いんだろう?
とにかく対照的な二人と共に、僕たちは川縁の特等席を後にした。
*
「遅いっ!」
鬼の形相はこのことか。
由利川先生は僕たち三人を睨みつけた。。
「この私に接客なんぞさせて! 校長はとっとと逃げ出すし! お前らは旅行だか体調不良だかで来ないし! 残ってるのは私だけだし! この後始末、どうするつもりだ!」
「由利川先生、落ち着いて下さい」
「私は冷静だ!」
どこをどうみても冷静ではなかった。
「大体、なんだ。アリス。お前、体調不良とか言ってなかったか? 悠久、お前もそうだ。天文部の部長が家族旅行なぞ言語道断だ!」
言語道断とか言われても……。
誓って言うが、僕たちは事前にちゃんと由利川先生の承認を得ている。
花火大会を部活の一環で鑑賞出来なくなった時点で、全員が口裏を合わせ、所用だったり体調不良だったりとそれっぽい理由を作り上げた。
さすがに校長先生が逃げ出すとは予想していなかったが……。
「そもそも、私に接客なんか出来るわけない。私は保健室の先生だぞ?」
「いや、それでも僕たちよりは大人でしょう?」
言い返すも、由利川先生の怒濤の勢いは止まらない。
「大人にも得手不得手がある。私は向いてない。大体、あの連中、学校だというのに酒なんぞ飲みやがって! あれで市議会だったり、校長が務まるとは思えん!」
暴論だと思ったが、校内での飲酒は、天文部の部長、そして生徒会長として看過出来ない。
《ね、悠久》
《何ですか?》
《さっきからマナの様子がおかしいの》
はて?
僕は由利川先生の罵詈雑言を聞き流し、マナに耳を傾けた。
──何だろう? ざわざわしている。
あれだけお祭りではしゃいでいたマナが、ある一点を向いている。
河川敷だ。
そこにあるのはまだ半分は残っている花火。
──まさか。
そしてそれは唐突だった。
視界が暗転し、替わりに見えたのは、火炎に包まれた花火の打ち上げ現場。
花火職人が逃げ惑い、一部の花火が出店にまで飛んできている。
まさに阿鼻叫喚だ。
「悠久! 悠久!」
アリスさんの声で我に返った。
──一体僕は何を見た?
目眩がする。足に力が入らない。
「どうした悠久?」
由利川先生が訝しげな視線を向けた。
「いえ……」
脂汗が額を伝う。
「悠久、何を見たの?」
アリスさんが肩に手を置いた。
《アリスさん、大変な事が起きます》
《一体何が……》
僕はさっき見た映像を思い浮かべつつ、アリスさんの手に自分の手を重ねた。
《大惨事が起きる》
《花火?》
《うん》
さぁどうする?
マナが見せた映像は、可能性でしかない。
──でも、マナが僕に見せた。
いたずらとは思えない。
「悠久」
由利川先生が僕を呼んだ。
「行け」
「え、でも……」
僕は由利川先生に、何も説明もしていない。
でも先生は「行け」と言う。
「あのな」
由利川先生は、軽くため息をついた。
「私は保健室の先生だぞ? 生徒が何を考えているのか分からないでどうする?」
随分「保健室の先生」が拡大解釈されたような気がするが、察しがいいのは助かる。
「お願いします」
「ああ。この場は任せろ。ただし、これは貸しだからな」
由利川先生は踵を返すと、お歴々に向かって離れていった。
由利川先生には出来るだけ『貸し』は作りたくはなかったが、仕方ない。
「あー、俺は?」と貢さん。
「万が一に備えて下さい。僕たちが失敗したら出番です」
「おし。了解だ」
「お願いします」
そして僕とアリスさんは、学校を出た。
*
僕とアリスさんは、小走りに、花火大会の会場へ向け移動。でもこれじゃ間に合わない。
「どうするの? 時間ないわよ?」
上空の煙は晴れつつある。今にでも花火大会が再開されそうな雰囲気だ。
「メアリさんに頼みます」
「えー?」
「だって空間転移、アリスさんは使えないでしょう?」
「まぁ……しゃーないか」
言うが早いか、アリスさんの瞳の色が翠に変化した。今アリスさんの体を支配しているのは、アリスさんのお母さん、メアリさんだ。
「悠久君」
「はい」
「マナのビジョン、見たのね?」
「はい」
「具体的には?」
どうやらメアリさんも見たらしい。
「残っている花火。あれ全部水浸しに出来ますか?」
「……三〇〇〇発くらいあるようね?」
「どうなんです?」
「悠久君の頼みですからね。ただ、ちゃんと傘差しておくこと。いい?」
「傘と言われましても」
そんなモノは持っていない。ついでに言えば、コンビニで傘を買っている時間的余裕はない。
と、言ってる内に、ポンと傘が宙に現れた。
「貸しておくわね。それから転移ね。ああ忙しい」
そういうアリスさんは、にっこりと笑みを浮かべた。
*
岩場に転移し、傘を差す。
それを待っていたかのように、暗雲が立ちこめ、大粒の雨が降ってきた。
僕は、アリスさんの体に雨が当たらないよう、ちょっとだけ傘を傾けた。
数分後。雨は上がり、花火大会の中止のアナウンスが流れた。
あちこちから聞こえる、残念そうな声、そして思念。
《もういいみたいよ?》
見ると、アリスさんの瞳の色が戻っている。
《悪い事しちゃったかなぁ?》
せっかくの花火大会。花火職人さんたちが精魂込めて作り上げた光の芸術を、僕は可能性だけで無駄にさせてしまった。
《大惨事が起きる。マナが悠久にそう教えたのなら、それは信じるべき。私もマナを信じるし。きっと放って置いたら大変な事になってたと思う》
《そう言って貰うと、僕も助かるんですけどね》
《でもちょっと残念》
《ですね》
この花火大会、最後に特大の花火が打ち上がる。
今年はそれを見る事が出来ない。
「まぁ、それは来年にまた見ればいいじゃない」
「来年って……アリスさんは大学生ですよ?」
「ぅ……」
アリスさんは、今自分が受験生にいつことの現実に引き戻され、言葉に詰まったようだ。
「現国さえなければ……」
アリスさんは帰国子女だ。なので、まだ知らない漢字も多く、長文問題も苦手。試験の度に僕が教えているので、徐々に成績は上がってきている。
「ええと、それは僕が教えますから」
「……それって何か悔しいんですけど!」
ギロリと僕を睨むアリスさん。
と──。
ドン。
腹に響く重低音。
そして、上空に向かって力強く立ち上る一筋の光。
数瞬後、それは上空で弾け、円状に特大の光跡を描いた。
大輪の華。
花火大会最後の、大玉だ。
「最後の一発残しておいたのか……」
──メアリさん、やってくれるなぁ。
煌々ときらめく様々な色彩が、夜空、そして地面を照らした。
「悠久っ!」
アリスさんの両手が僕の顔をわしっと掴んだ。碧い瞳が僕を見据える。
「今日のために色々準備した」
「うん」
「浴衣も着た。下駄は履きにくかった」
「うん」
「でも上手くいかなかった」
アリスさんは俯き、肩をふるわせた。
夜空は花火の光を失い、僕たちの周囲は闇に包まれつつあった。
《そんな事ありませんよ》
僕は優しく、語りかける。
《天文部にいて、トラブルがなかった事なんてなかったし》
《もう……バカ悠久……》
アリスさんが顔を上げた。瞳が潤んでいる。でも笑顔が戻っている。
《アリスさん……》
*
辺りは闇。いや、月明かりが二人を照らし、地に影を落としている。
そしてその影は、ゆっくりと近づき、そして──。
了