8:城塞都市ゾシウ
公一たちは、朝食を食べ終え、焚き火の後始末をした後、川沿いに上流へ向けて、歩いていた。
髪に絡まった木の葉を取り払いながら、エレがナピに問う。
「方角は確かか?」
「は、はいっ! ここがオギト地方なのは間違いないですのでっ、か、川の上流に行けば、オギトの町『ゾシウ』があるはずです!」
ナピレテプの話によると、昨夜、雷の竜巻が立ち昇っていた辺りの荒野は『オギト荒野』と呼ばれる場所なのだという。
一度、森から出て、太陽が昇った明るい中で見てみたが、赤い大地に、奇妙な黒い草がまばらに生えている、不気味な荒野が広がっていた。そこで、ナピはここが『オギト荒野』でると確信した。黒い草は、見た目そのまま『烏羽草』と呼ばれ、『オギト荒野』にしか生えていないことで有名な草である。酷く苦く、弱い毒を含み、食べると吐き気を催す。
「どれくらいかかるの?」
川の傍は道もなく、崖になっていたり、石や岩の転がる河原であったりしている。激しい起伏があり、木々も多く生えており、歩きづらい。あまり歩き続けたいとは思わない公一は、ナピレテプに尋ねる。
「そ、それほどはかからないはずです。昨夜過ごした森は、静かでしたから。オ、オギト地方は、ゾシウから離れた場所だと、た、たちの良くない獣や魔物が多いと聞いています! それがいなかったということは、この辺りは町の近くだということですっ。ええと……三十キロ前後かと!」
この世界での長さの単位は、公一の世界のものとは違うのだが、公一の耳には『キロ』や『メートル』など、公一の知る単位で翻訳されて聞こえている。ナピの話によると『整えの間』で体を創り直したとき、聞いた言葉を知っている言葉に翻訳する術を、直接体に仕込んだそうだが、中々融通が利くようになっているらしい。公一の方から話す言葉も、自然にドナルレヴェンの共通言語に翻訳されて、口から出される。
文字も同様だ。日本語で書くのと同じ感覚で、ドナルレヴェンの文字を書くことができる。一度目、二度目あたりの召喚では、翻訳できるのは言葉だけで、文字の方は読み書きできないまま召喚されたらしいが、今では改良され、文字の翻訳もオプションでついているらしい。
「なるほど……うん? 魔物?」
聞き捨てならないことを耳にし、公一がナピに聞き返す。
「は、はい、魔物です。オギト地方には、特に多く、軍が出動するような強力な魔物も、せ、生息しているそうです」
「い、いるんだ……さすが異世界……」
顔色を悪くする公一だったが、この辺りの森にはいないという話なので、今は忘れることにした。
ともかく、ナピレテプの話によると、オギト地方は、ドナルレヴェンの人が住む地域の中でも、かなり辺境にあたるのだと言う。
オギト地方は大きさこそ広いが、大部分は荒野や深い森で、凶暴な魔物も多い。ゆえに人間が住むには不向きで、開拓もほとんど進んでいないという。特に川の下流の方に行けば行くほど、未開拓の地域であり、少なくとも今のように、上流に進む分には危険はないのだそうだ。
「よりによって、凄いところに落ちたなぁ」
自分の運の悪さを嘆く公一だったが、あの雷の竜巻が、人の多い町中で発生していたら被害甚大だったであろうことを考えると、まだ運が良かったのかもしれない。
道なき道を歩き続けて、五、六時間も経過した頃、急に森が途切れた。
「あっ、あれです!」
ナピレテプが声を上げた。公一の目にも見えていた。森が切り払われた一帯の中央、川から少し離れた場所に、その町はあった。
高い石壁によってグルリと家々を囲んだ、いわゆる城塞都市というもののようだ。幾本もの道が、その町に繋がっていた。壁の周りには堀があり、川から引いた水が満たされている。掘の一か所には大きな橋がかかり、城門へ続いていた。
あれが『ゾシウ』。オギトでは唯一の都市で、他はせいぜい村程度の規模でしか、人の住む場所は、この辺りには無いらしい。
「もう少しですっ、頑張りましょう!」
この異世界に来てから、体力が跳ね上がった公一もさほど疲労はしていなかったが、小柄なナピも意外に元気だった。こう見えて、やはり天使だということだろう。力は人間並みに落ちてしまっていると言うが、体力はかなりあるようだ。
エレの方は最初から顔色一つ変えておらず、ほとんど声も出していないので、どうなのかよくわからない。どんなに疲れていても、彼は外向きには全く変わらないような気がする。
それから一時間ほど歩き、彼らはゾシウに辿り着いた。
◆
ケニー・サイズモ。彼の仕事は馭者である。馬車を動かし、また馬の世話や馬車の点検整備も彼の仕事だ。馬も馬車も高価なものである。特にここの馬は高級で、彼の給料一年分はくだらない。主人の財産の一部を管理しているも同然の、重要な仕事である。
とはいえ、配下の馬丁たちをこき使えば、馬の餌だ、馬小屋の掃除だ、馬のブラッシングだといった面倒で、汚く臭い仕事は押し付けられる。上手い具合にやれば、そこまできつい仕事ではない。
それなりに役得も存在するこの仕事を、ケニーは十分に気に入っていた。
「えぇと、午後四時にお客さんを迎えに行って、七時に送り返したら、今日の仕事は終わりと」
スケジュールをチェックし、出発の支度を始めようと動き出したケニーが馬小屋に向かおうとすると、一人のメイドと廊下で行違う。
(見慣れない顔だな。また新しく入って来たか)
その器量のいい顔立ちに浮かんだ、暗い表情からして、自分の意思ではあるまい。ここの主人に目をつけられ、無理矢理連れてこられたのだろう。借金でも背負わされたか、家族に手を出すと脅されたか。いずれにせよ主人自身は、せいぜい脅迫しかしていないだろう。実力行使をするならば雇った第三者にやらせる。
欲深くも臆病で、物的証拠は残さないのがケニーの主人のやり方である。手にした権威と併せて、誰もがその悪行を知っていながら、その悪行を証明するものはない。だから官憲も主人を束縛することはできない。
(まったく怖い人だ)
その主人の悪逆を支えるのは金である。表の仕事だけでも十分に金を吸い上げられるが、現状の悪行を成功させるのにはまだ足りない。裏にはケニー含め、少数しか知らされていない、おおっぴらにできない仕事が行われ、それが主人の資金源だ。
(いやはや、いつ神罰が当たってもおかしくないねぇ。まあエルヴィム襲来のご時世、女神様も俺らごとき小物を罰している余裕はあるまいさ)
内心で神を嗤いながら、ケニーは主人の館の庭にそびえる、女神ルル・エブレクニトの巨像を見上げる。
ケニーがここに就職してから二年経つが、今後も彼はここで働くだろう。穢れ、爛れ、人々からの軽蔑の視線を受けながらも、すする汁の甘さゆえに。
ゾシウの町の『中央』に座す、この麗しき堕落の館に。
◆
公一は、ゾシウを囲む壁を見上げていた。十五メートルほどの幅の堀の向こうにそびえる、二十メートル以上の高さの壁。切り出された石を積み上げて造られた重厚なものであったが、それは同時に、このような壁を建てねば危険であるという事実を、公一に教えるものでもあった。
そんな堀と壁を抜けて、町へと入るためにある橋と門。その周りでは、兜と鎖かたびらを纏った門番たちが、槍と盾を手にして立ち、行きかう人々を威圧していた。
「これ、僕たち入れるのかな? 身分証明とかできないけど」
公一とエレは、この上ないほどに異邦人だ。周囲の人々を見るに、この辺りの人々は、ウラヌギアでいうコーカソイド――白人に分類される人種らしい。肌の色からして違う。見るからに怪しい。ナピとて、自分がどこの誰であるかを証明などできまい。
「だ、大丈夫ですよ。こうしたところのチェックは、厳しいものじゃありません。名簿に名前を書くだけです。も、文字を書けない人は、自分の名前を言うだけで済みます」
しかし、ナピは笑顔で公一に安心するように言ってくれた。こうした町は、大勢の商人や芸人が、毎日、様々な所から訪れており、一人一人の身分などいちいち確かめてはいられない。通行料なども無いため、人は気軽に立ち寄り、結果として町が栄える。無論、たちの良くない連中が入り込むデメリットはあるが、多くの町では警備を巡回させて対処している。手配書が回ってくるような、お尋ね者の犯罪者でもない限り、出入りは自由なのだ。
そう教えられても、まだ公一は少しおっかなびっくりであったが、進んでみれば、門番は何も咎めることもなく、公一たちを素通しした。
「ようこそ、ゾシウへ。名前を書いてもらえますか?」
受付は、口ひげを生やした、温和そうな中年男性だった。
渡された用紙に、公一はこの世界の流儀に習い、『コウイチ・ナンゴウ』と名を前に、姓を後にした順で書き込む。言葉同様、文字も自然に書くことができた。
受付の男は、ふむふむと用紙に書かれた名前を読み、『入って良し』と告げる。たったそれだけで終わった。ナピレテプやエレに至っては、名前だけで姓も書かずにいたのだが、何も言われることはなかった。
(チェックが緩いのか、姓が無い人が多いのか)
緊張していた公一は拍子抜けした気分であったが、ともあれ町の中に入ることができた。
「へえ……」
公一は、町の光景を見つめて、生まれて初めて見たものに対しての、興味と感心の声を漏らす。
門を抜けて、城塞都市の内側に入ると、多くの人が歩き、馬や荷車が行きかっている。商人が声を上げて商品を売り込み、旅芸人が音楽を奏で、玉乗りやジャグリングを披露していた。
映画などで見る、昔のヨーロッパの街並みにそっくりであった。初めて都会に出てきた、田舎のおのぼりさんのように、キョロキョロと辺りを見ていると、ナピが声をかけてきた。
「言った通りでしょう? で、出入りは本当に緩いんです。肌に色を塗って仮装する芸人さんも多いので、み、見た目の違いも問題にはなりません。け、けど、町中で騒動を起こしたら、衛兵に捕まって、牢に入れられるかもしれません。そ、そうしたら、身分がないとさすがに不味いかもしれません。こ、行動は三人、固まっていきましょう」
ナピはどもりながらも、きちんと指示を出す。
「わかった……で、これからどうしよう。お金も無いし」
「こ、ここなら町の外と違い、獣に襲われるようなことは無いので、ひとまずは安心ですっ。そ、それにどの町にも神殿があって、お金がなくても、泊まることはできます!」
神殿は福祉を行うように決まっており、浮浪者や難民のため、寝床を貸し出してくれている。寝床と言っても、通常は老若男女入り乱れた大部屋に、布団代わりの布に包まり、床で雑魚寝するだけのものだが、雨露や風をしのげるので、野宿よりはいい。
「あ、あとは、日雇い仕事の斡旋所もあります! そ、そこで仕事をもらって、お金を稼いで、旅費を用意してから、イルテ国の中央、首都である『フエリア』に向かいましょう! フエリアには国一番の大神殿があり、こ、公一さん以外の、試練を承諾してくれた勇者たちがいるはずですっ。そこで、公一さんを勇者と認めてもらえれば、国から支援をしてもらえると思いますっ」
この世界に存在する国はイルテ王国のみ。かつては複数の国家が存在したが、二度目のエルヴィム襲来の後、イルテが疲弊した他の国を統合し、統一王国が生まれた。その後、ずっとイルテ一国による体制が続いているという。
勇者たちは、『調整の間』で試練を受けることを承諾し、加護と武器を与えられた後、各地の大神殿へ降臨する手はずになっている。召喚された勇者たちは、そこで情勢などを説明され、国の支援を受け、要人会議で決められた方針や指示に従い、エルヴィムと戦うための要となって行動するのが、ドナルレヴェンにおけるエルヴィム復活時のマニュアルだという。
なお、神殿によって認められなければ、偽物と見なされる。これはかつての戦いで、エルヴィムが勇者に化けて混乱を引き起こした事件を踏まえた処置である。
「そうか、なるほど……」
公一は納得し、感心していた。
おどおどした印象が強いため、公一は内心、ナピを頼りにして大丈夫かと不安であったが、ここまでナピレテプはきちんと案内してくれた。いくら臆病であっても、全くこの世界のことを知らない公一よりは、ナピレテプの方がしっかり行動できて当然である。
公一は内心でナピレテプを侮っていた己を恥じ、
「ナピ、ありがとう。この異世界に落ちてきたのが君と一緒だったのは、不幸中の幸いだったよ」
至極真面目に礼を言った。一方、礼を言われたナピの方はびっくりして、
「ふぁっ⁉ え、ええ? そ、そんなっ、こちらのせいで、コーイチさんをドナルレヴェンに連れてきてしまったんですからっ、お、お世話するのは当然と言うかっ、あうう……た、大したことじゃ、ありませんよっ!」
顔を真っ赤にして謙遜する。大体、そんな反応をするだろうと予想していた公一だったが、あまりに予想通りすぎて、少し笑ってしまう。
「ぷっ、ははっ、ははははは!」
「う、うん? え、えへへへへへ」
公一の笑いにつられ、ナピも恥ずかしそうに笑った。
「あははっ、でも、感謝してるのは本当だから、それは受け取ってほしいな」
「えへへへ……う、ううん、そ、そこまで言うなら、えへへ、感謝されますねっ」
ナピは自分の両手を合わせ、公一の言葉を味わうように感じ入っていた。
「わ、私……褒められたり、お礼を言われたりすることなんて、は、初めてで……とっても嬉しいです」
「え、それって……」
ナピは、女神に仕える天使である。あのルル・エブレクニトの従者として働いていたはずだ。それが、一度も礼すら言われたことが無いと言う。
彼女が、どんな扱いをされてきたのか疑問に思った公一であったが、本当に嬉しそうに微笑んでいるナピレテプを見ていると、嫌な話になりそうなことを、口にしたくはなくなった。
(まあ、いいか……)
照れくさそうな、でも嬉しそうなナピを見て、公一は気にかけながらも、口を噤んだ。
「えへへ……あれ? エレさんは?」
と、そこでナピが、公一のすぐ後ろにいたエレがいなくなっていることに気づいた。
「え? さっきまでそこに」
公一も周囲を見回し、黒肌銀髪の男の姿を探す。あの目立つ肌と髪である。視界に入れば、見過ごすことはない。
幸い、公一たちのいた場所から、ほんの十数歩離れた人ごみの中で、すぐにエレは見つかった。行商人に声をかけられ、リンゴらしき果物を勧められているようだ。
「エレさん!」
「だ、駄目ですよぉ、勝手に離れちゃ!」
公一たちに呼びかけられたのを機として、行商人のしつこい売り文句を中断させ、エレは公一たちの方に歩いてきた。
「すまない。しつこかったものでな。しかし、こちらが見知った食べ物も多いようだな」
行商人の引いている屋台には、他にも果物や野菜が積み込まれている。確かに、見覚えのあるものが多い。リンゴの他にも、ブドウやオレンジ、レタスやトマトもあった。見たことのない、ピンク色のスイカのようなものや、紫と黄色の縞模様をしたキュウリのようなものもあったが。
「朝に見つけたミントといい、異世界とはいえ、全く生態系が違うわけではない、か」
冷徹に観察する学者のように、エレはこの世界を分析しているようだった。
「あの、申し訳ないですけど、神殿を探しませんと」
水を差すような気がしながらも、公一は町の様子を神妙な様子で眺めているエレに、声をかける。
「ああ」
公一の心配は杞憂だったらしく、気を悪くした様子もなく、エレはその場から歩き出してくれた。
「ナピ、神殿の場所はわかるの?」
「は、はい、神殿は町の『中央』にあると決まっていますので」