2-18:到達、ノック川
毛むくじゃらとの遭遇を皮切りに、騎士団は幾度も魔物の襲撃を受けた。
鉄の甲殻を持つ、人の背丈よりも巨大な肉食クワガタ。鎧蟲。
唾液に強い圧力をかけて発射し、鎧をも貫くイタチのような魔物。水圧獣。
周囲の光を湾曲させ、姿を見えなくして獲物に近づく、不映狼。
どれも並みの戦士であれば太刀打ちできない相手だ。しかし、精鋭の騎士団が連携をとれば手こずりはしても、敗北するような敵ではない。
カシゥム勇者の一行は、一人も欠けることなく、ノック川の川辺までたどり着いた。
「大きいし、な、流れの速い川ですねぇ」
ナピが川を覗き込んで言う。公一も同感だった。並みの人間では泳いで渡るのも難しいだろう。
(この世界に来た時に、イライツと戦った場所より、川幅が広いな)
あの時のあの場所は、だいたい百メートルくらいだったが、ここは三百メートルほどある。
無論、橋などかかってはいない。魔物がたむろするところで橋などかけられないし、かけたところで向こう側に行くこともないため、無駄になるからだ。
「でっ? どうやって渡る気? まさか泳げとか言うわけ?」
出発してからというもの、一度たりとも不機嫌さを拭えずにいる真美は、刺すような視線をオスカーに向ける。
オスカーはヒッと言う悲鳴をかろうじて押し殺した。腕の一振りで骨のニ、三本はたやすく粉砕する相手の怒りを浴び、何とか耐えたことは褒めてもいいだろう。努めて平静な様子を保ちながら、苛立ちに満ちた女勇者に答えた。
「だ、大丈夫ですっ。我々、カシゥム騎士団は魔術にも長けておりますから! 水魔術を使って川の水を固め、水上に歩く道をつくるなど容易いことですとも! た、ただ……森を抜けるまでに少々疲労しておりますため、万全を期すために今日はここでキャンプする予定です」
「はぁ? こんな程度で疲れたっての? 使えないわね……やっぱり一人で来た方が良かったんじゃない」
龍ヶ崎真美は眉をひそめるが、太陽を見れば大分傾いている。今から渡っていては、テントを張る前に日が沈んでしまう。
「あーあ……魔物なんて言ってもてんで弱いし、コレ使うまでもないんじゃない?」
真美は上着のポケットから、白い小袋を取り出した。
(あれは……)
公一はその袋に見覚えがあった。『整えの間』で、ゼウスに見せられた物。
ゼウスはあれを『武器』と言っていた。
「あれはキビシスだ」
公一の隣にエレが立ち、公一にだけ聞こえるような小声でささやく。
「キビシス?」
「かつて、蛇神メデューサ討伐におもむく、勇者ペルセウスに対し、神々が贈った道具の一つ。斬り落とされてなお、視線を向けたものを石化させるメデューサの首を、封印するための袋。袋より大きな物体も収めることができ、破けることもない」
コンパクトで持ち運びやすく、強い力を安全にしまっておける。勇者に与えられる神々の武器を入れておくには、ピッタリの袋というわけだ。
公一の使っている剣もあの中に入っていたのだろう。
(僕の剣は混乱の中で、あの袋から飛び出してしまったようだけど)
どんな武器が入っているのか、興味を抱く公一の視線に気づいたのか、真美がキッと鋭い視線で少年を睨み付ける。なまじ綺麗な顔立ちだけに、公一が後ずさりそうになるほどの怖さがあった。
「ジロジロ見るんじゃないわっ! 抉るわよっ!」
何を抉る気かはわからないが、下手に口にして本気で抉られてはたまらない。公一は慌てて何度も頷いた。
「フンッ! 言っておくけど、今日が無事だったからって安心してるんじゃないわよ……? 明日からが本番なんだからね。明日からは私も少し本気を出すから、巻き添えで吹き飛んでも知らないからね」
今まで真美はカシゥムでつくられた武器しか使っていなかった。高品質ではあるが、あくまで人間のつくった『普通』の武器である。それを身体能力に任せて振るっていただけだ。
勇者の強さは、神から与えられた『加護』と『武器』にある。彼女はまだどちらも使っていない。本気をこれから出すというのは、確かなことである。
「う、うん。吹き飛ばないように気をつけるよ。注意してくれて、ありがとう」
自分の振るう力が、この世界においては規格外に強いことを知っているからこそ、公一には正式な『勇者』である真美の凄まじさを、多少は感じ取ることができた。ゆえに、油断していたら本気で吹き飛ばされかねないと思い、真面目に忠告を感謝する。
が、その反応は真美には予想外であったようだった。
「あぁ……? あんた……」
咄嗟に怒鳴ることもせず、公一をまじまじと見つめる。怒りを通り越して、日本の町中で何故かラクダに跨る西洋の騎士でも見たような、そんな理解の範疇の外にいるものを見る目だった。
怒りならば無視した。怯えるならば嘲笑った。だが、小さな微笑みさえ浮かべて感謝されることには、対応を準備していなかった。
(……ズレているな。やはり)
エレも、そしてナピレテプもまた、公一の反応を良くは思わなかった。実際、真美を不快に思うのが普通なのだ。公一にしてみれば、同じ世界の人間であり、共感などを抱いてもいるのだろうが、それにしたとしてもだ。
だが公一には自分が罵られたり、傷つけられたりすることに対し、負の感情を返すことがない。あっても薄い。過去に友人を助けられなかったという負い目から、自分の価値を安く見積もり過ぎている。下手をすればあっさり死んでしまうかもしれない。それをエレたちは心配していた。
そんな少年のトラウマを知らない真美は、どう反応すればいいのかわからず、公一から視線をそらす。やがて諦めたように踵を返し、
「……私休むから、夕ご飯になったら呼びなさい」
「はっ、はいっ! おやすみなさいませ」
オスカーに言うと、真っ先に建てられた真美専用のテントに入っていった。
その後ろ姿を、オスカーは頭を下げて見送る。しかし、
(…………!)
公一は、オスカーが顔を上げた一瞬、その表情が酷く歪んでいたのを見た。その表情はすぐにかき消され、彼は平常を装ったが、やはり真美にアレコレ言われることに大層不満があるのは明白であった。見知ったばかりの公一でも、オスカーのプライドが高いことがわかるのだから、その内面は相当に屈辱に思っていることだろう。
どうやらナピも気づいていたようで、表情に怯えが見受けられる。エレは、気づいたのかどうかわからない、変わらぬ鉄面皮で通していた。
「フン……おい、お前たち」
公一たちに本心を垣間見られたと気づかぬ様子のオスカーは、公一たちに顔を向けた。
「日が沈む前に火を起こして、焚き火をつくれ。今夜は火を絶やさないよう、交代で見張りをしろ。居眠りでもしていたら魔物に食われるだろうから、せいぜいサボらないことだ」
指示を下すと、オスカーもまたテントを張る作業に入る。偉そうな態度だが、彼も騎士である。最低限のことはこなせるし、働かなければルシアあたりに蹴り飛ばされる羽目になる。
そうして、真美以外の全員が、野営の準備に入った。
◆
勇者一行がキャンプを始めている頃、カシゥムでは領主リチャードがランプの光の下で、書類仕事を行っていた。
オギト領領主ほどではないが、領主は多くの仕事をこなさなければならない。地方の最高権力者である以上、義務もまた伴うのだ。
「ああ……つまらんなぁ! わしもついて行きたかったなぁ!」
ペンを走らせる手を止め、完全に日が沈み、夜のとばりが降りた窓の外に目を向けて、リチャードは愚痴を口にする。
「わしも腕に覚えがある。決して遅れはとらんものを」
それはうぬぼれではない。
若い頃から獅子の如しと、その勇猛さと武力を讃えられたリチャードだ。領主の座についてからも訓練をかかしたことはない。槍を振るえば並みの兵士の十人程度は、容易くあしらえる。
魔物との戦いとて、何度も経験した。オギトほどではないにせよ、隣領であるカシゥムも魔物が多い地方だ。領主は普通、後ろに控えているのが普通なのだが、カシゥムとオギトは違う。
オギトは人手が少ないため、領主であろうと役割を担う能力があり、手が空いているのなら駆り出さられるという、必要に迫られた悲しい事情がある。一方、カシゥムの方は、ほとんど領主の趣味である。
執事や文官はやめてほしいと申し出ているのだが、武官には評判が良いし、民からも人気が出るというメリットがあることを盾に、反対を封殺している。
つまらない書類仕事の間の、束の間の息抜きなのだ。そこはリチャードも譲れないところだった。しかし、最近はそれもできない。何せ勇者の一人を任されていて、あまりに忙しすぎるのだ。太陽の出ている間は仕事をしていなければいけない。
「自由時間は夜も深くなってからだけ、か。あぁ……息抜きをせねばなぁ」
リチャードは外の闇を見つめながら、強い渇望を込めて呟くのだった。




