2-17:オギトの森
オギトの東に位置する森。
木々が生い茂り、道なき道を行かねばならない。当然、馬車など通ることはできず、少数の騎乗兵と、多数の歩兵によって部隊を形成し、進んでいく。
一口にオギトの森と言っても、魔物や危険な動物の数や種類は、場所によって異なる。
公一がドナルレヴェンにやって来た時に入った森は、運よく魔物が少ない地域であったが、今回は敢えて、魔物の多い危険地帯を通っている。
先頭を進むのはルシア・ゼラ・ランフォリンクス。戦斧槍を片手に木々を切り払い道をつくりながら、いつ魔物が襲い掛かってくるとも知れぬ森の中に、分け入っていく。
しかし怯える様子は微塵も無い。カシゥム軍最強の誉れに恥じない、見事な態度だ。
「大丈夫、ナピ」
「ふぅ、ふぅ、だ、大丈夫、です」
「……あまり無理はするな」
やや遅れているナピレテプに公一が声をかける。ナピレテプは心配かけまいと強がるが、やはり大変そうだ。
「で、でも流石に待ってくれないでしょうし……」
「ごめんナピ。僕のせいで」
確かに騎士団の目的のため、ナピレテプにあわせるわけにはいかない。元々、ついてくるように言われたのは公一だけであり、ナピは自主的についてきた形である。仮にどうしてもついていけなければ、置いて行かれても仕方がないことになる。
「そんな! コーイチさんは悪くないですから、き、気にしないでください!」
「まあにわか雨に降られたようなものだ。しいて悪い所と言えば、運だとしか言えない。ついてきたのは我々の勝手。無駄に背負い込むこともない」
「……はい」
暖かさに触れた気分で、公一は微笑み、想いを言葉にする。
「ありがとう」
「ど、どういたしまして!」
「ウラヌギアの人間を守護するのは、ウラヌギアの神としての領分だからな」
エレはちらりと、公一の肩越しに前を行く少女を見やる。
「……あいつのことも、な」
もう一人のウラヌギアの人間。勇者である真美は、一行の真ん中あたりに配置されている。先を行く者たちによって土が踏み固められ、申し訳程度の道はつくられているが、やはり歩きづらい。苦労というほどのことではないが、それが彼女にとっては不快で、苛立ちを募らせていた。
後ろからついてくる公一が、また気に食わない。泣き言も言わず、遅れもせず、思いの他しっかりと荷物を背負いながらついてくる。魔物の恐怖に蒼ざめて泣きじゃくれば、まだスカッとしたろうにと、真美は公一に対し、更に忌々しさを増加させていく。
(みっともなく泣き叫んで許しを請えば、まだ考えなくもないってのいうのに、何真面目についてきてんのよコイツッ!)
理不尽な怒りを燻らせながら、時折振り返り、公一に視線を送る。
(今は随分涼しい顔してるけど、魔物とかの一つでも出てくれば、そんな余裕も消し飛ぶでしょ。おしっこでも漏らしたら笑ってやるわ)
舌打ちしつつ、森に巣食う魔物たちの出現を待ち望む。その希望が叶えられるまでには、そう長い時間はかからなかった。
「……待て、止まれ」
先頭を歩くルシアが、立ち止まった。
「ルシア隊長?」
「シッ……何か、近づいてくる」
疑問げに名を呼ぶ部下たちを制し、ルシアは耳をすませる。すると、前方から草が擦れる音が急速に近づいてくるのを、捕らえることができた。
「来るぞ!」
その言葉の直後、大きな影が躍り上がり、騎士たちの一行へと喰らいかかった。
ゴオオォォォォォッ!
強い風が吹き抜けるような雄叫び。それは子供など一飲みにできるほど、大きな口から発せられていた。
「おのれ!」
ルシアは戦斧を振るい、牙の並んだ口に刃を叩き込む。
ゴボボッ!
大きな猪ほどもある体が跳ねのけられる。しかしそいつは、口から血を流しながらも逃げることなく、騎士たちに向かい合う。
「毛むくじゃらか!」
毛むくじゃら。その名の通り、全身に長い毛を生やした大トカゲの如き魔物だ。
さして特異な能力はないが、酷くしぶとく、死なない限り怯まずに戦い続ける獰猛さを持つ。だがこの魔物の脅威はそこではない。
「気をつけろ! こいつは群れをつくる魔物だ!」
ルシアが騎士たちに呼びかけるのを、合図にしたかのように、新たに二体の毛むくじゃらたちが現れ、騎士団の側面から襲い掛かる。魔物は個で強い力を誇るためか、群れをなす種は少ないのだが、毛むくじゃらは例外であり、しかも連携をとって狩りを行える知能がある。
「盾を構えろ!」
「油断するな!」
騎士たちは素早く戦闘体勢をとる。複数人で盾を構え、噛みつかれる隙を失くし、槍を突き出して、相手の間合いの外から攻撃する。
流石に選りすぐりの精鋭たちである。ノック川の西側に生息する魔物の中では、上位に入る危険度と認識されている毛むくじゃらとの遭遇にも、冷静に的確な行動をとっていた。
が、それを『つまらない』と感じる者が一人。
「邪魔っ、どきなさい」
戦う騎士に罵倒を投げかけ、細腕で強く突き飛ばす。金属の鎧をまとった騎士は、紙風船のように宙に浮き、ふっ飛ばされた。
「うわわわ⁉」
「うおっ‼」
着地点近くにいた別の騎士たちが、何とか押し飛ばされた騎士を抱き留める。そのまま地面に墜落していたら、鎧の重みで怪我をしていたかもしれない。
しかしそんなことなど思いもせず、騎士を突き飛ばした真美は、初めて見た魔物に、
「不細工っ」
恐怖の色ひとつ見せず、突き進んだ。
ゴォォォォォッ!
唸る魔物に無造作に近寄り、その鼻づらに支給された騎士用の剣を叩き付けた。
バグンッと言う鈍い音がし、一瞬後には魔物の体躯が大地に沈んでいた。魔物の中でも著しい生命力を誇る毛むくじゃらが、ただの一撃で動きを止める。頭部は剣身の形に凹んで溝ができており、頭蓋骨が潰れているとわかった。大口から舌をデロリとはみ出させ、獰猛な魔物は完全に絶命していた。
「ふんっ……」
魔物を退治できたことに、真美は喜んでいる様子は無かった。
むしろ不機嫌な顔で、魔物の頭を叩き潰した剣を見る。その剣は剣身が捻じれ、刃は潰れ、もう剣としては使えなくなっていた。
真美が無理矢理振るって力任せに叩きつけたためである。きちんと刃を立てて斬りつけていれば、魔物の体も切り裂けていたはずだ。
「やっぱり剣は使いづらいわね」
忌々し気に、もはや棍棒としてくらいしか使えなくなった武器を見ていると、残った二体が、同時に襲い掛かって来た。先ほど同族が容易く屠られたというのに、恐れの欠片も見せない。その命知らずな姿勢こそが毛むくじゃらの習性である。それでも手強い相手には複数で攻撃するだけの知能はあるため、更に厄介だ。
「うざっ」
しかし真美にとって、ドナルレヴェンの住人から恐れられる毛むくじゃらの獰猛さも、小型犬が吠え立てているのと変わらない。
苛立たしさを更に募らせ、女勇者はまず彼女から見て右側からかかってきた一体を、剣で横一文字に薙ぎ払う。捻じれた剣で無理矢理行った斬撃は、斬ると言うより毟る取るような形で、魔物の頭の上半分を体から分離させた。頭の下半分と胴体もまた、横から受けた衝撃で吹き飛び、地面を転がった後、ピクピクと痙攣し、やがて絶命する。
しかし真美はその末路を見ることもなく、残ったもう一体に冷たい視線を向け、食らいかかる大顎をひらりと避ける。そして目玉に向かって剣の切っ先を突き入れる。剣は毛むくじゃらの右目を貫き、左目から突き出した。頭を貫通した剣を、真美はバットをフルスイングするように振るい、毛むくじゃらの頭蓋を砕いて脳漿を弾き飛ばした。グエと一度鳴いた後、最後の毛むくじゃらはグタリと地面に横たわり、永遠の眠りについた。
その無惨な死に様に、見ていたカシゥム兵たちは顔を引きつらせる。ほとんどの者が、あっさりとやられた毛むくじゃらの死骸に注目していた時、
「危ないっ!」
公一の声が真美にかけられる。
「はぁ?」
真美は眉をしかめ、公一の方を見る。すると、公一はその手に石を掴んでおり、その意志を思い切り真美の立っている方に向かって投げつけていた。
「ちょっ……」
思いもよらぬ剛速球に、真美は焦ったが、それは無用のことだった。元より、石は真美に向けて投げられたものではなかったから。
ギャグゥッ!
ゴヅッという音の直後、耳障りな悲鳴があがる。真美が振り向くと、気色の悪い奇妙な蟲が樹木から垂れ下がり、頭から紫色の血を流して悶えていた。
胴体は緑のつる草そっくりであったが、よく見ればそれは滑らかな甲殻であった。小枝のように見えるのは無数の脚だ。全身の長さは3メートルほどだろう。頭は半分潰れていたが、鋭い顎はまだガチガチと開閉を繰り返していた。
「え……ちぃっ!」
助けられたことに気づいた真美は、先ほど同様、手にしていた武器で、甲殻に覆われた蟲の頭を砕く。その衝撃により、歪んでいた剣は今度こそ完全に圧し折れてしまった。
「ナニこれっ……キモッ」
「だ、大丈夫ですか勇者様! それは擬態ムカデの一種です! 噛まれたら毒に犯される危険な魔物です!」
頭部を砕かれて絶命し、力なく垂れ下がる奇怪な蟲。それを嫌がって身を退く真美に、オスカーが駆け寄り、彼女を襲おうとした魔物について説明する。
「お気を付けください勇者様……。貴方の力であれば、大抵の魔物は正面からいかようにも捻じ伏せられますでしょうが、敵は必ずしも正面から向かってくるとは限りません。このように、裏をかき、不意をつき、あらゆる手段を使って仕掛けてくるものなのです」
ルシアも最初に現れた毛むくじゃらを屠ってから、真美へと身を向け、注意を促す。
ルシアにしてみればよい機会であった。この魔物退治は実戦経験を真美に積ませるためのものだ。必ずしも魔物を多く倒す必要は無い。勝つことさえ重要なことではない。ただ多くの種類の魔物と戦い、様々な戦い方を学ぶことが目的である。
今のように、背後から忍び寄る類の敵との遭遇は、真美にとって良い経験である。死にさえしなければ、次に同じことが起きた時に対処可能となる。しのげる限りは、窮地を体験しておいてもらいたいというのが、ルシアの希望であった。
「フンっ……こんなのに襲われたって、どうってことないわ」
だが真美は、ルシアからの苦言を拒絶し、
「だから、あんたの加勢なんていらなかったんだからね。今度余計な真似したら酷いからっ!」
自分を投石で助けてくれた公一を強く睨み、その手出しに対し罵りを浴びせた。
そして先ほどまで進んでいた方向に向き、勝手に歩き出す。
「お、お待ちください勇者様。代わりの剣を……」
「いらないっ。こんな脆いもの、無い方がましよ」
ロイドが慌てて追いかけるも、目も向けずに歩を進める。その背中を見ながら、ルシアはフゥとため息をついた。
「すまなかったなコーイチ。君のおかげで勇者様が傷つかずに済んだ」
「あっ、いえ。咄嗟にしただけです」
「いや、咄嗟にということなら尚更大したものだ。案外、君についてきてもらうことになったのは、幸運なのかもしれないな。無理矢理連れてきたのは済まなかったが、安心してくれ。カシゥム騎士の誇りに懸けて、君らは無事に帰すと誓う」
そう言うとルシアもまた公一に背を向けて、騎士団を率いる仕事に戻る。止まっていた騎士団は、また森の奥に向けて行軍を再開した。




