2-12:穢れなき名
食事を終えたルシアは、気心の知れたローザを部屋に呼び、明日の話を始めていた。
明日の朝にはゾシウを出て、東の森に入り、三日に渡って魔物狩りを行う予定になっている。
「食料その他の物資は十分に持ってきました。武装もカシゥム職人による最高のもの。森の中も軽やかに走れる緋之枝馬も揃っている。たとえ東の森最大の魔物であるうねり大蛇が現れても戦えるはずです」
部隊の人数は百人余り。道案内と荷物運びのためのオギト兵が少し同行するが、それでも百五十人を上回ることはないだろう。オギトの魔物たちを相手にするには、いかにも少数である。
けれど、ルシアは十分であるという自信があった。最高の装備と、武力と魔術を兼ね揃える戦士たち。
たとえ勇者がいなくても、短期間ならば悪名高きオギトの森に乗り込むことは可能であると。
「あとは、勇者様の力を見せてもらうだけです」
ルシアはやや棘のある口調で言った。
人間相手の戦闘訓練と、魔物との戦いは勝手が違う。魔物には人間とは異なる力があるし、何より本気で殺す気で喰らいかかってくる。正真正銘の殺意を前に、動けなくなる新米兵士は多い。
勇者とて、ちゃんと戦えるかはまだ未知数だ。
「駄目よそんなこと言っちゃ。勇者は強くなくちゃ、私たちが困るのだから」
「ええ、それはわかりますが……」
「少しくらい、痛い目にあえばいいと?」
内心を突かれて表情をしかめるルシアであったが、ローザは『ほどほどにね』と言っただけで、きつく叱りはしなかった。ローザも、似たようなことは思っていたのかもしれない。
「まあ、その辺りのことは、アーケオン出発前から話してあったから、再確認するだけで終わらせるとして……どう思う? 私たちのお隣さんを」
ローザが話を変えて、ルシアに問いかけた。
ルシアはしかめた顔を、真剣なものに移し、
「やはり侮れないですね。オギトは」
仮想敵への評価を口にした。
「人員も不足していて、物資も足りないように見えるけど?」
「いいえ、貴方もわかっているはずだ。ローザ。確かに人は少ない。物資も足りない。けれど、それでも何とかしてしまっている……普通は持たない状況を、見事に持たせているのですよ?」
ルシアは、屋敷に至るまでに通った、ゾシウの町並みを思い返す。
カシゥムの主都アーケオンの方が、設備は新しく、高価なものだ。しかし、ゾシウの経済状況からすれば、ほとんど奇跡のように立派な町である。
「特に食事です。高価な材料ではない。むしろ、ゾシウでもありふれた安い材料で、あれほどの料理をつくるとは」
「確かに凄く美味しかったわ……。いえ、カシゥムの料理が美味しくないというのもあるけれど」
ルシアとローザは、同時にため息をつく。
カシゥム領は、その豊かさや兵力の強さで知られているが、同時に『食事の不味さ』においても有名なのだ。
「オスカーはゾシウの料理を初めて食べたはずですが……あいつでさえ、嫌味を言うこともできなかったようですからね。私も最初のときは正直ショックでした」
「ええ……今まで自分が食べていたのは何だったのかって、内心嘆いたわ」
カシゥム領主のスライトリー家や、その配下の者たちは、先祖代々の気風として、食事についてこだわってこなかった。
勇猛な戦士であることを誇りとするカシゥム領の貴族たちは、豪勢な食事、凝った料理は、贅沢なものとして食卓に並べない。『保存のきく硬いパン』や『塩漬けの魚』、『干した肉』など、味よりも長期間腐らず、戦場において食されるものを常食とし、いつ戦いが起きても対応できるようにするのが伝統なのだ。
それが五百年以上続いているため、カシゥム領の人間は生まれついてから、そういった美味しくないものしか食べたことがない。調味料でさえ、塩や酢くらいしかなく、砂糖やスパイスは贅沢品として敬遠される。食料品で金をかけるのは、せいぜい酒くらいである。
それを当然のこととして生きているカシゥムの人間が、外に出た時に初めてカシゥムでいうところの『贅沢な食事』を体験したとき、その態度は二つに分かれる。
一つは、慣れない味を嫌がり、それからもカシゥム伝統の食事を続けるか。
もう一つは、味に目覚め、カシゥムの料理を好まなくなるかだ。
ルシアとローザは後者であった。
かつて、ジェインの領主就任の祝いのため、ゾシウを訪れたカシゥム領主リチャードに随伴し、オギトの料理を味わってしまった頃から。
なお、リチャードは筋金入りの前者であり、今でもカシゥムの料理を気にすることなく食べている。
「いいえ……別に、カシゥムの食事を食べたくないなどと、子供のような我儘を言う気はない。それこそ、子供の頃より慣れ切った味。今更、我慢できないわけではありません。けど……」
「わかるわ。できれば、美味しい方がいいわよね……」
二人は同時に、ハァとため息をつく。
「勇者様も、料理が不味い不味いと文句を言い続けていましたが、あればかりは反論できませんからね……」
「カシゥムでは皿の上のものの大半を残す勇者様が、今夜は残さず食べてたものね……。何も言わなかったけど、美味しかったんでしょうね……」
酷くプライドを傷つけられたような、それでいて怒ることもできない哀しい気分になり、ルシアは首を振って気持ちを切り替える。この話をしていると、どこまでも沈んで行って、浮かび上がる術がない。
カシゥム料理の味について、フォローできる要素はどうしても思いつけないルシアだった。
「ところで……ローザは随分気にしていたようですね。あの『光の柱』」
「え? ええ、あんな現象聞いたこともないからね。まして、エルヴィムの大群を薙ぎ払っただなんて」
「はい。我々もその現象の調査のため、オギトに潜入しましたが、何もわかりませんでしたし」
「エルヴィムは神の力か、異世界の力でなければ倒せない。つまり、自然の物理現象では倒せないはずなのに、どうして下位とはいえ、エルヴィムを倒せたのか……神の奇跡は降りられぬはずだし、やはり不思議よね」
口火を切ったローザは、まだ気になっているらしかった。気にしても答えが出るものでないと知りつつ、考えずにはいられない様子である。
この世界には、ある呪いがかけられている。
エルヴィムによってかけられた呪い。
エルヴィム襲来の時期、神や天使は、直接地上に降臨できない。無理に降臨すれば、ナピレテプのように力を失い、人間同様になってしまう。
それがいかなる呪いなのか、人間にはよくわかっていないが、それゆえに、ルル・エブレクニトは自分自身ではなく、異世界の勇者を地上に降ろしているのだ。
よって、それを信じることを前提とすれば、神の奇跡は起こりえないはずなのだ。
「ただの雷では、エルヴィムをどうにかできるはずもない。エルヴィムは自然に存在する物体で殺すことはできない。神よりもたらされた、魔術によってのみ倒せるものだ。どれほど強力であろうと、魔術を使わない力で、エルヴィムは倒せない」
神の加護によってのみ、エルヴィムは滅ぼせる。それがドナルレヴェンの法則だと、古くから言い伝えられ、実証されてきた。
「けど考えてみれば、エルヴィムが雷に撃たれたという記録もないのよね」
「え? ええ、まあ確かにそうですが」
ドナルレヴェンにおいて、『電気』の研究はあまり進んでいない。
ただ、ものが擦れることで時折『静電気』が発生すること。そしてその『静電気』が、魔術では操れない力であることは確認されていた。高温、低温、気体、液体、固体の、いずれとも異なる性質の現象であると。
そして、天を切り裂いて輝き、爆音を轟かせる『雷』もまた、魔術では影響を与えられない自然現象であることが知られている。
この共通点から、ドナルレヴェンの学士たちの間では『静電気』と『雷』が同じものではないかと言われているが、現状では、仮説の域を出ていない。
いずれにせよ、『雷』はドナルレヴェンの者たちにとって、未知のものであった。人間が、神から与えられなかった、いまだに神のみが触れることができる特別な力として、神殿では『雷』を特別視することもある。
「意外と、雷なら魔術を使わずとも、エルヴィムを倒せるのかも……なんてね」
ローザは途中まで真面目な顔つきだったが、最後は悪戯っぽく笑った。
さすがに突飛な考えだと、自身でも思ったのだろう。
「もしも本当に、雷によってエルヴィムを傷つけられるなら、神がそれを人間に教えないわけないわね。ごめんなさい、変なこと言っちゃって」
「いいえ、そんなことはない。私のような頭の固い人間からは出ない発想です。やはり、ローザは柔軟で、目の付け所が面白い」
ルシアは真面目にローザを褒めたたえる。心からの言葉であることがわかっていたので、ローザも心からその賞賛を受け入れた。
「まあ、気になることではあるけれど、ダーリング卿も知らないのであれば、これ以上は無理ね。この時世では、これ以上調査に人員を割くわけにはいかないし……。エルヴィムとの本格的な戦いが迫っているのだから」
「はい、人類の存亡……否、世界全ての存亡のかかった戦いです」
ルシア・ゼラ・ランフォリンクスは静かに、しかし目の奥に覚悟の炎を燃え盛らせて、近くに迫った大戦争に思いを馳せる。
怯えはなかった。カシゥムの戦士は恐れを知らない。
ただ、名が穢れることのみを恐れる。
「そのための下準備……明日はよろしくね」
「はい……期待には応えてみせます」
友人に重々しく頷き、カシゥム最強の騎士は心の中で誓う。
たとえ未来に何があろうとも、自分とカシゥムの名を穢させはしないと。
◆
「ようやく終わった~~」
グリグリと腕を回し、肩をもみながら、公一は息をつく。
たった今まで、皿洗いをしていたところであった。下手に力を入れると割れてしまう皿は、魔術で洗うのは難しく、手作業となる。まして、今回は見栄を張って高価な皿を使ってもてなしたのだ。万が一にも割るわけにはいかなかった。
「あれ……?」
公一は廊下を歩く人物を見かけた。公一の心にまず浮かんだのは、驚き。
公一は、その人物は部屋から出ることなく、閉じこもっていると思っていたからだ。自然とそう思い込んでしまうほど、彼女は他者を拒絶しているように見えたのだ。
「竜ヶ島さん……」
「んんっ? 誰よあなた」
ほんの幽かな呟きを、おそらくは『勇者』として強化された聴覚によって聴き取り、振り返る。
その綺麗な顔を不愉快そうにしかめた竜ヶ島真美。
それが、南郷公一にとって、異世界を訪れてから初めての、同郷の人間との対面であった。




