2-10:カシゥムの歴史
勇者一行がゾシウに来訪して、約一時間が経過した。
ダーリング邸にやって来た、百人のカシゥム兵とその騎馬。
馬や馬車を、来客用の厩や庭に収めた後、この屋敷に泊まる人間は客室に案内された。
屋敷に泊まるのは、ルシアやオスカーのように、部隊の中でも地位が高い者たちだけだ。
百人全員を泊めるほど客室は多くないため、カシゥム兵の多くは、夕食をダーリング邸でとった後、準備された宿屋に案内されることになっている。なお、屋敷に宿泊しない大半のカシゥム兵は、現在、庭に置いた馬車の中で待機中である。
勇者は無論、特に位の高い人物が宿泊するときのために用意された特別室だ。
ちなみに、案内された『カシゥムの勇者』真美はその客室を見て、
「狭っ、カシゥムの屋敷の半分くらいしかないんじゃないの?」
と感想を述べたきり、案内したナンシーを追い出して閉じこもった。
ナンシーは終始笑顔で対応していたが、その手は血の気を失うほどに強く握りしめられていた。
真美の付き人であるオスカー・ロイドは、真美の隣の部屋に入った。そこも他の部屋に比べると上質な部屋であったが、ロイド家の家柄の良さ、格の高さを考えると、妥当な部屋だ。
しかし、オスカーもまた、案内された部屋を見回してから、鼻で笑うと、
「これが客室? これじゃぁ、うちの愛犬チャーリーの部屋の方がもっといい部屋だよ? いくらお金がないって言ってもさぁ、外からのお客に対しての礼儀ってものがないのかい? おっと、『逆賊』に礼儀なんて期待する方が悪いよね。これは僕が悪かった。許しておくれ」
などと、のたまった。
ナンシーはやはり笑顔で対応していたが、その目はオスカーの『無防備』な首筋を冷たく見据えていた。
この二人以外のカシゥム兵は、特に文句を言わなかったが、礼も言うことなく、自分たちにあてがわれた部屋に入っていった。
「それはまあ、お金がないのも狭いのも本当ですけどね? 面と向かって言われると、殺意が湧きますよ。はい……」
案内した後、ナンシー・ジョーンは公一たちにそう語った。
実際に、他の領主の屋敷と比べると、ダーリング邸は最小限の規模だ。カシゥムの大邸宅とは比べものにならない。
今回使われた客室は、随分使っておらず、掃除もあまりされていなかったのだが、手紙が来た直後にジェインが大急ぎで掃除させた。ザライたち三人の他、兵士まで使って掃除させ、家具も手入れし、何とか間に合わせたのだ。
高価な家具を揃える金銭もないので、部屋の内装も最高級とは到底言えない。せいぜい中の上だ。
だからカシゥムと比べられて、乏しめられるのは無理もない。
「無理はないけど、むかつきます。はい」
カシゥムの客人たちが通った後の廊下を掃除しながら、ギュンギュンと箒を振り回して怒りを発散させるナンシー。壁や窓には決して触れさせないのは、流石の腕前であるが、共に掃除している公一にとっては怖くて仕方がない。
「それにしても……」
しかし、近寄りがたいのはナンシーに対してだけではなかった。
「カシゥムの人たち、ピリピリしっぱなしですね?」
「うぅ~ん、そりゃそうでしょうねぇ。はい」
ナンシーは、箒を振り回す手をピタリと止める。
「彼らカシゥム領は、そもそもオギトの敵となるために生まれたんですから」
◆
一人になったオスカー・ロイドは、割り当てられた部屋に置かれている机につき、椅子の座り心地を味わい、机に指を這わせてみて、不快気に表情をしかめさせた。
「どの家具も、さして値打ちの無いものばかり。これで領主の屋敷とは!」
生まれた時から、一流の品々に囲まれ、裕福な暮らしをしてきた自分の眼は、目利きに優れていると、オスカーは自負している。
オスカーの家にある机も椅子も、この部屋に置かれたものの三倍は高価なものだ。
「ゾシウなど、できれば一生来たくはなかったが、これも勇者の側付きとしての務めだ。仕方あるまい」
独り言を口にして、オスカーはにんまりと笑う。
勇者の側付き!
それはつまり、勇者の補佐役。この世界について無知な勇者を支え、教え、導く役目。
責任重大な、誉れある役目。
「ようやく、チャンスが巡ってきたぞ……!」
オスカー・ロイド・ズンガリィ。
カシゥム領において、領主に仕える貴族たちの中でも、一、二を争う名家中の名家の大貴族である、ロイド家の四男。
「父も兄も……私の才能を認めなかったが、この機に知らしめてやる! 私の智と力を!」
今回、自分が勇者の側付きに任命されたのは、あくまで家格がものを言ったのだと、理解するくらいの頭はオスカーにもある。
自分の能力が買われてのことではない。側付きとはいえ、勇者の身の回りの世話をする程度のことしか、任されてはいない。ジェインには偉そうに言ったが、オスカーに特別な権限があるわけではなく、勇者が許したことしか、させてはもらえない。
勇者への用事はオスカーを通すことになったのも、勇者である真美がそう言ったからというだけで、オスカー自身にそんな権利はない。
勇者の気分次第の役目であり、勇者の機嫌を損ねれば、いつだって解雇させられるのが、オスカーの立場であった。
だがそれがどうした。
一番、勇者と近づくことができる位置にいることは間違いないのだ。
今はツンケンしている勇者であるが、優しく対応していれば、いずれはほだされることだろう。
オスカーは、自分の容貌には自信があった。声をかけて、落ちなかった女はいないと。
幸い、勇者はオスカーの目から見ても十分以上に美人だ。
女勇者とのラブロマンスなど、語り草になりそうな話じゃぁないか。
そして、勇者の口から、より重要な仕事を任せてもらえるように、周囲に言ってもらえれば、自分は出世できる。
自分の本来の実力を発揮し、いずれはカシゥムを出て、首都にだって行って見せる。
イルテ王国首都フエリア。
人間世界の中心であることから羨望を込めて、『中央』とも呼ばれる地。
「父も兄も……頭の中まで筋肉で、私の真価を理解できていない。この私が臆病などと……剣を振るうことしか頭にない連中には、逃亡と戦略的撤退の違いもわからないらしい。だが、中央でなら、きっと私は認めてもらえる!」
彼は、カシゥムは豊かな土地で、自分の家であるロイド家は一流の名家であると思っていたが、時代遅れな部分があるとも思っていた。
武力が尊ばれ、武器の扱いや、戦いの能力が重視される。
自分のような、力よりも知恵で勝負するタイプの人間には向かない土地だ。自分の頭脳を発揮できる地で、存分に活躍し、栄光の日々を送るのだ。
それが、オスカーの思い描く理想の未来。それが必然であると、オスカーは信じていた。
◆
「まずはこれを見てください」
ナンシーが壁に飾られていた地図を指差す。
魔物の皮に描かれた古い地図。文字は金箔を貼りつけて書かれ、縁取りに描かれた絵も美しい、凝ったつくりになっている。鑑定すれば、美術品として高い評価がつけられるだろう。ジェインの父が気に入っていたため、財政難のオギトでも売られずに残された逸品である。
いざとなったら売るしかないだろうが。
「これは……世界地図?」
ドナルレヴェンは、神々が山羊ドナルレヴェンを殺して、その肉体からつくったと言われている。
その通り、海の中に、獣の胴体を思わせる形の巨大な大陸があり、それを中心に、脚を思わせる、小さな大陸が四つある。そして無数の小さな島。それが、ドナルレヴェンに存在する陸地であった。
「コ、コーイチさん。ここがオギト、ここがゾシウです」
ナピレテプが、巨大な大陸の東の方を指差す。確かにオギトと書かれた地域があった。
そして、オギトより西。大陸の中央に、フエリアと書かれた地域があった。そこが最初に公一たちが向かおうとしていた、王都フエリアなのだろう。
「そしてあそこがカシゥムだね」
ミシェルがオギトの西を指す。そこにはオギトの三倍はある大きさの領地が描かれていた。
カシゥムという領が、オギトの隣に誕生したのは五百年前。王家がエルヴィムとの戦いで荒れ果て、また領主が死んで所有者がいなくなった土地を再編し、生き残った貴族たちに与えたときのことだ。
オギト前領主の裏切りにより、元々力があり過ぎるとして警戒していたオギト領に、フエリア王家は更なる恐怖を覚えた。そこで王家は、オギト近隣の領主がほぼ全員戦死していることを幸いと、オギトを囲む新しい領を作り上げ、当時最も忠実であったスライトリー大公を領主に任命した。
いつか、オギトが軍を率い、中央王都フエリアを目指して進行しても、立ち塞がる防波堤の役割を担わせるために。
「そういうことで、我らオギトとカシゥムは、警戒対象と監視役の関係なわけだ。コーイチたちが、この世界に訪れたときに発生し、そしてエルヴィムとの戦いでも起こった、『光の柱』……『雷の竜巻』に対しても、我々には秘密のまま、隠密による調査団を送り込んでいる」
ジェインが、形のいい眉を若干しかめ、不機嫌さを表しながら口にする。
ウラヌギアの主神ゼウスの武器『雷霆』。その欠片が巻き起こした、大地を薙ぎ払い、天を焼き焦がす『雷の竜巻』。その威容は、当然カシゥムでも目撃された。
正体はわからないながらも、オギトの監視を五百年間、代々に渡る任務としていたカシゥム領は、当然の如く、調査のための人員を無許可で潜り込ませていた。オギト側の調査員は、カシゥムからの不法侵入者を見つけたものの、それを捕らえられるような戦力は持ち合わせておらず、報告だけが行われた。
調査したところで、真相に辿り着くことなどできないだろうが、スパイを送り込まれて気分が良いはずはない。
「そういうわけで、カシゥムとの仲は良くない。まったく取引がないほど、悪くもないが。特に今のカシゥム領主リチャード殿は、中々風変わりな方だしな……」
商取引や、よほどの祝い事でもない限り、互いに関係しあうことはない。そんな冷たい間柄だということだ。
「なるほど……友好的になれない理由はわかったが」
そしてエレが頷き、次に、公一やナピも気になっていたことを口にした。
「なぜ、貴殿がここに? ミス・ジェイン?」
エレは、ジェインに対してある程度、敬意を示す呼び方をする。『雇用主』として認めているためだ。
神でありながら、人間相手に下手に出る態度に、事情を知ったジェインも恐縮というか、何とも困っていたが、
『領分は守る主義だ。この屋敷において、貴殿が主人であり、給料を払う立場である。その領分に反する気はない』
というエレに、複雑な気持ちながらも納得することにした。
それはさておき、ジェインはエレの言葉に答え、
「食事の準備をするためだが?」
あっけらかんと、女領主は答える。
「……普通、それは使用人の仕事であって、領主の仕事ではない。それに何より、貴殿のするような仕事はもうない」
そう。ここは勇者とカシゥムの騎士団に食事を供するための、大ホール。昨日から準備をして、並べたテーブルと椅子が並んでいる。白いテーブルクロスの中央に花瓶が置かれ、それぞれの席に銀食器やナプキンが配置されている。
後は料理を出すだけだが、それは客人が席についてからのことである。
「い、いや、しかし他にも手伝うことがあるだろう? ん?」
慌てた様子で尋ねるジェインは、あからさまに様子がおかしかった。
確かに、使用人の手伝いを買って出るくらいはする、身分さの意識を持たない人間であるが、今回は純粋な親切心ではなく、何か思惑がありげだ。
「……ジェイン。何か隠してない?」
「えっ⁉ な、なに、何がっ、か、隠すとか隠さないとかそんなこと、いやいやいや! 私がそんなことするはずないだろうが‼」
背後から突然撫でられた猫のように、ビクンッと慄き、飛び退きながら首を横にふる。怪しくない所を探す方が難しいくらいに、どこもかしこも怪しかった。
「ジェイン」
そんな怪しい若領主の背後から、冷たい冷たい声がかかった。
「ヒウッ!」
妙な声をあげて、ジェインの肩が跳ねる。そして、恐る恐る振り向くが、所詮どのように振り向こうが、背後の光景が変わるわけもなかった。
「こんなところでナンシーたちの邪魔をしていないで、早くご自身の支度をしてください」
背後の光景。すなわち、ナナ・ルフ・ファウンドは、逃げ場無き獲物に牙を突き立てるように、右手でジェインの手を掴む。
「ま、待ってくれ! や、やっぱり私なんかが着ても似合わないだろ⁉」
「似合う似合わないの問題ではありません。領主の義務としての問題なのです。それにこのドレスは私自らが仕立てたもの。似合います。絶対」
逃れようとするジェインを、ナナは異様に滑らかな動きでジェインの手足を絡めとり、関節を極めて動けなくしてしまう。
誉れ高き槍使いジェインも、格闘戦においてナナには敵わない。
「あいたたたたっ! ちょっ、もっと優しくっ!」
「逃げなければ優しくもしてあげますが、逃げる人に優しくはしてあげません。さぁ、行きますよ」
鮮やかに逃亡者を取り押さえたナナはロープを取り出し、テキパキと音がしそうな手並みで縛り上げてしまう。
「ああっ、ナンシー! ミシェル! ナナを止めてくれっ!」
動きを封じられた領主は、腹心の秘書官に担ぎ上げられた体勢で、『その忠誠、犬にも勝る』と認められるメイド姉妹に助けを求めた。
が、
「すみませんジェイン様……私も、ジェイン様はドレスを着てもお似合いになると思います。はい」
「いやぁ、きっと綺麗だろうねぇ。こんな機会でもないと見れないから、楽しみだ~」
あっさり裏切られた。
「そんなっ! あっ、コーイチ! 君なら助けてくれるだろ⁉」
次に救いを訴えた相手は、公一であったが、
「……ごめんなさい。ちょっとナナさんには勝てそうにないので。それに、僕も見たいです」
「あ、わ、私も」
返事は無情であった。
普段、自分の望みをあまり口にしないナピレテプでさえ、ここぞとばかりに賛同する始末。
「……あの、エレ殿は」
藁をもつかむような表情で、黒肌の鉄面皮に向かって言う。
しかし、
「領分はまっとうすべきだ」
当然のごとく、ナナに味方した。
ジェインは領主であり、領主たる者、他の領からの客人をもてなすことが義務である。もてなしのために、見目麗しく着飾ることも、また義務である。
義務を果たすことが、領主としての領分であれば、それから逃げようとするジェインに、エレが協力する道理はない。
わかってはいたが、はっきりきっぱり言われると、やはりガックリする。項垂れながら諦めたジェインは、ナナに担がれて広間から運び出されていったのだった。




