2-8:南郷公一の加護
五月九日の朝が来た。
公一は早くに目覚め、朝食をとる。
今朝のメニューはいつものパンに、目玉焼きと厚切りのベーコン。そこに、昨夜の残り物を足したものだ。
「あ、この煮物、き、昨日より美味しいですね」
ナピレテプが、味の染みた野菜の煮物を口にして、顔をほころばせる。
野菜自体はピーマンの食感と、トマトのような酸味を持つ、公一が食べたことのないものであったが、味は良かった。味付けは甘辛い味噌のような風味で、パンよりも白ご飯のおかずにしたかった。
(こっちにお米が無いのは残念だな……)
穀物は麦が主流であるらしい。図書室の本を借りたところ、植物図鑑に米らしきものが載っていたので、存在はしているようだが、この辺りでは育てていないようだ。
「しっかり食べておいてくださいね。今日はきっと大変でしょうから。はい」
「いやぁ、久々のお客さんだねぇ。けどまあ、気負うことはないよ。コーイチたちがやることはいつもの雑用と変わらない。洗濯や食器拭きや掃除だよ。ただし量が増えることだけは、覚悟しといてね」
ジョーン姉妹が後輩たちにアドバイスをしてくれる。
「あ、そういえば、あれどうしたの?」
「あれ?」
「ほら、ええと『カミナリ』の」
公一はミシェルの問いかけに、ああと頷き、手にしていた銀製のフォークを掲げる。
「んんっ!」
眉根を寄せ、フォークに向けて『力』を籠める。
すると、フォークの先端から、バチバチと紫色の火花が散った。
「おお~~!」
「凄いですねぇ、はい!」
メイドの姉妹は『雷』の発生を、感心して見つめる。
このドナルレヴェンにおいて、魔術は火、氷、風、水、土の五種類。
雷、すなわち電気は、魔術では生み出せないのだ。
「でも、遠くに雷を飛ばしたりはできないし、力もそんなに強くないんですよね。このくらいでは、また何かあったときに役に立つとは……」
遠くへ電撃を放つことはできず、あくまで肉体の接触箇所から、電流を流し込むことしかできない。そして、その威力もせいぜい強めのスタンガン程度。
触れれば、普通の人間を気絶させるくらいはできようが、魔物や、ましてやエルヴィムとの戦いには役に立たない。
「ル、ルル・エブレクニト様の『加護』は、本来もっと強いもののはずです。あの時は、わ、私が『加護』を説明も無しに降りかけてしまったせいで……」
ナピが申し訳なさそうに、ションボリして言う。
『雷を操る能力』
それがどうやら公一が得られた『加護』であるらしい。
異世界に来てからは、どうやら無意識に使っていたらしいが、ゼウスの武器である『雷霆』の暴走をどうにか抑えた後、自分の意思でもわずかにコントロールできるようになっていた。
もっとも、ナピレテプによると、もっと簡単に、強力な力を使えるようになるのが普通らしく、公一がいまだに力を使いこなせていない方が異常であるらしい。
「そんな落ち込まなくても大丈夫だって! これのおかげで、あのフックとも戦えたんだし!」
「確かに……幻覚に惑わされずに戦えたのは、おそらく無意識に電磁波を放ち、周囲の物体に当てることで、レーダーのように周囲の物体を認識できたためだろう。視覚に頼らずに、五感とは別の、電気という感覚器官を持ったということだ。デンキウナギやデンキナマズのようにな」
落ち込むナピに、公一が励ますために言葉をかけ、その公一の言葉を補足するため、エレが自分の分析を口にする。
しかし、最後の一言を聞いた公一は、自分はアマゾンの珍魚と同じようなものなのかと微妙な気分になった。
「充分に使える力だというのは、私も同意見だ。訓練すれば、力も上がるだろう」
公一の内心はともかく、エレにしてみても、公一が手にした能力は高評価できる水準のものであるようだった。
公一は気を取り直し、よい機会だと持ってエレに尋ねる。
「訓練と言っても、こういった能力というのはどうやって訓練すればいいんでしょう?」
超能力の訓練方法など、当然ながら公一は知らなかった。
「……地道に、何度も繰り返して雷を発し続けるしかなかろう。訓練とは、そういうものだ。王道はない」
楽に力を得られるほど甘くはない。近道もない。速く走るようになることや、綺麗な字が書けるようになることと、基本は変わらず、全て同じだ。時間と労力を重ねて、上達していく他ない。
そう答えて、エレは公一に淹れてもらったミントティーを飲む。
公一にしてみれば、エレが自分で淹れたミントティーの方が、香りがいいと思うのだが、神であるエレは、自分で作ったものを食べても美味とは感じられないのだ。
神の食べ物は、人間に信仰を込めて捧げられた供物である。ゆえに、誰かに用意してもらったものでなければ、食べられない。口にして、飲み込むことはできるが、活力にはならないし、味も感じられないのだ。
別に飲まず食わずでも、エレは神だ。一月や二月で飢え死にするようなことはないが、エレだけを食事の仲間外れにするようなことは、公一もナピも、いい気分にはなれなかった。
ゆえに食事の時は、エレの分をエレ以外の手で用意することで、『供物を捧げる』かたちにし、エレも料理を味わえるようにしている。
「……とはいえ、言うだけでは神として不甲斐ないというもの。食事を捧げられているからには、恵みを返すべきであろう」
エレは長い銀髪を一本引き抜き、
「『成れ』」
力を込めて、言葉を唱えた。
すると髪の毛が膨れ上がり、姿を変えて、一対の手袋となる。エレの髪の毛と同じく銀色で、ほのかに輝いている。
「つけてみよ」
差し出されて、公一はそれに手を通す。その手袋は、それこそ髪の毛一本ほどの重さしかないかのように軽く、そして紙や絹よりも薄かった。嵌めても、肌に触れている感触さえしないほどである。手袋を嵌めたままの手作業は、素手より若干やりづらいものだが、この手袋であれば違和感なく仕事できそうだった。
「その手袋には、『雷霆』を封じている力と同じものが働いている。封印の強さは遥かに弱いが、現状においてお前が放てる電気程度なら、完璧に封じられる。人に触れても感電させることはない。それをつけていれば、日常で作業をしながらでも、好きな時に電気を放つ訓練ができる」
公一は雑用仕事が忙しく、『加護』の力の訓練をする時間が無い。そこで、仕事をしながらでも、周囲に影響を及ぼさずに訓練を行える道具をくれたわけだ。
「その手袋が焦げて破れるまで訓練すれば、力もそれなりのものになっているだろう」
「なるほど! ありがとうございます!」
公一は喜び、頭を下げて礼を言う。
(とは言え、雷を放つだけでも体力と精神力を必要とするはず。他の作業をしながらとなれば、尚更疲労する。一日に三、四時間が限界か。長い時間をとって訓練に集中した方が効率はいいのだが、その時間がとれない以上……やらないよりマシだろう)
体力に関しては、異世界に来た恩恵で強化されているため、長時間の訓練にも耐えられるだろう。しかし、精神の方は持たない。こういった、本来は人間が使うべきでない能力と言うのは、自然と人間の在り方に無理を強いることになる。
精神の負担はストレスとなり、それが積み重なれば、心が壊れる。
(精神的な限界がくれば、自然に能力はそれ以上使えなくなる。廃人になる心配は無用だろうが、時間がかかるだろう)
毎日限界まで訓練しても、手袋が破れるまで一ヶ月はかかるだろうというのが、エレの予測であった。
(『雷を操る』など、ウラヌギアでもほとんど前例がない。私が知る限りでは、日本の菅原道真だけ……それも死後に霊になった後の話だ)
雷とは『神鳴り』。
神々の中でも、ゼウスのみが使うことを許される特別な力である。エレの知識を持ってしても、力の成長を促す方法はわからない。
したがって、普遍的な方法を取るしかない。知恵を司り、教育を得意とする女神アテナがいれば話は違っただろうが、残念ながら指導はエレの専門分野ではない。
「時間はかかるだろうが、何事も一朝一夕というわけにはない。私も、ミントティーを上手く淹れられるようになるまで、何度も繰り返した」
「あははは、いやぁ、確かにエレさんは料理が苦手な割に、お茶は上手く淹れられると思っていたよ」
ジェインが笑うのも致し方ない。
エレは、林檎を剥けば芯だけにしてしまい、野菜を刻めばペースト化させ、焼けば焦がしてしまう。
いくら忙しくても、エレには料理させないというのが、ジェイン邸使用人の共通認識である。だが、そんなエレもミントティーをはじめとした、茶を淹れるのは誰より上手いのだ。
「元々不器用であるから、淹れ方を教えてくれたメンテーには迷惑をかけてしまったものだ」
メンテーとは、ギリシャ神話に伝わる妖精の名前である。
(確か……冥王ハデスの愛人であったメンテーは、嫉妬したハデスの妻ペルセポネの呪いによって、野草に変えられてしまったという伝説だけど)
その女性が変えられた野草こそがハーブの一種である『ミント』であり、その名もメンテーに由来するという。
しかし、伝説通りにメンテーと、目の前のエレが愛人という間柄であったかのかは、彼の鉄面皮を見つめても、到底うかがい知れないことであった。
気にはなったが、少々プライベートに突っ込む話になるので、詳しくは聞き出さないことにした公一は、
「はい、地道に努力します」
手袋と助言に対する感謝を言うにとどめた。
「オホンッ……話は終わったようですので、そろそろ仕事にかかるよう、お願い申し上げます」
咳払いの後に、少し冷たげな声がして、エレ以外の全員が、肩をビクリと跳ね上げる。そして恐る恐る、声のした方に顔を向けると、案の定やや怖い眼をしたザライ執事が、使用人たちの食卓を見ていた。
「今日は忙しくなります。早く朝食を片付けて、仕事にかかっていただきたい!」
強い口調で言われた公一たちは、急いで皿の上のものを腹の中にしまい、食器を片付けて、今朝に仕事へ向かう。
派手過ぎない落ち着いた輝きを持つ、銀色の手袋を嵌めて、公一の今日が始まった。
◆
イルテ大正道。またの名を王国大道。
イルテ統一王国を貫く、ドナルレヴェンにおける最大の道。その道は、首都フエリアを
中心として、西端はワドウ領の大ヴァラガンナ砦。そして、東はオギト領ゾシウにまで伸びている。
頑丈な石を組み上げてつくった道は、何十頭もの馬が一度に通ることができた。
いまだに太陽が低い位置にある頃、その道を通る一行があった。
勇壮の誉れも高き、カシゥム領主軍。その中でも特に強いとされる、一、二、三番隊の兵士を選りすぐった混成部隊。何年も前から、勇者を補佐するために準備され、組織されたものである。
領主リチャードが自ら名前をつけて曰く、『三重騎士団』。
兵士は無論、それぞれが一騎当千のつわもの揃いであるが、装備や騎馬も並みのものではない。
装備は、鍛冶の腕において並ぶ者なしと、評判を響かせるアーケオンの職人たちが、丹精を込めたしろものである。
例えば剣は、並みの鍛冶師がつくった鎧など、兜から股下にかけて両断する切れ味を誇る。
また、盾は城を崩すために使われる攻城兵器の一撃を、正面から受けても壊れることはない。
そして騎馬。こちらも普通の馬ではない。
馬の名は『緋之枝馬』。
頭に、木の枝のように枝分かれした、緋色の角を生やしているため、その名がついた。
枝分かれした角と言うと鹿のようだが、生やしているのは二本ではなく、額に一本のみ。それに蹄の形や、箒のような尻尾などの身体的特徴も、馬のものだ。
彼らは魔獣ではないが、強い力と脚力は魔獣に匹敵するとさえ言われる、ドナルレヴェン最高の馬である。
その先頭に立って走るのは、肩にかかる長さの金髪と白磁の肌。美しさと高貴さ、力強さと鋭さを併せ持つ女騎士。
彼女の名は、ルシア・ゼラ・ランフォリンクス。
騎士の一族として名高い、ゼラ家の直系。女だてらに戦斧槍をはじめ、長柄の武器を使いこなす武術と魔術の達人。
カシゥム軍最強の一番隊隊長の地位につき、『金毛の山猫』とあだ名されるカシゥム軍最強の騎士。
そんな彼女の駆る緋之枝馬は、他のものより更に立派で、風のように王国大道を突き進んでいた。
しかし、そんな彼女の背に、制止の言葉をかける者がいた。
「ちょっと待ちなさいな! ルシア!」
腰にまで届くシルバー・ブロンドの髪をなびかせた女騎士が、ルシアを追いかけてくる。
ルシアの副官、『銀の右腕』ローザ・ソーディアン・アンハングエラ。
剣士の名を持つ一族の裔であり、剣の達人。剣に限って言えば、ルシアを超えて、カシゥム軍一の腕前を誇る。
しかし、その実力を鼻にかけることなく、隊長であるルシアを良く補佐し、人望も厚い。その淑やかな美貌と優しい人柄から、軍以外からも人気がある。
しかし、止めねばならないときは、隊長のルシアに対しても堂々と意見をする、芯の強さも持っていた。
「むっ、ローザ、なぜ止めます? 急がなくては、ゾシウにつく時間に遅れてしまう」
「急ぎすぎよ。後ろがついて来れないでしょ!」
砂埃をたてて走る、ルシアの緋之枝馬の後ろからは、30メートルほど遅れて『三重騎士団』が追ってきている。だがルシアに追いつくどころか、その距離は徐々に広がっていた。
「あっ……す、すまない」
あまり丁寧ではない言葉遣いで謝罪する。しかし、それがルシアにとって心から素直に謝っている時の言葉であることを、ローザは知っていた。
これが『すみません』『申し訳ありません』などと言った時は、心の底では納得していないというサインである。
「焦り過ぎないで。確かに遅れるわけにはいかないけど、時間はたっぷりあるわ」
高貴な美貌をしょげさせたルシアに、微笑みを浮かべたローザが、気を落ち着かせるための言葉をかける。
「ええ、わかってます。わかっては……。しかし……つい、走らずにはいられなくて」
ルシアとローザは、年端もいかない頃からの友人であり、幼馴染の関係である。
ゆえにローザは、ルシアが馬を『かっ飛ばす』ときに、どういった感情をその胸の内に抱いているか、察することができた。
「……そんなに気に入らない? 勇者様が」
ローザが『勇者』と口にした途端、ルシアの顔が朱に染まる。怒りのために、血が急速に頭に昇って来たのだ。
「ええ、嫌ってます。あんな無礼で、あんな人を侮辱する女……あんな奴が勇者だなんて! あんな奴の手助けをしなくてはいけないなんてっ!」
それは、ルシアだけの言葉ではない。カシゥム領主軍の過半数を占める意見であった。
ルシアは振り返り、部隊の中央を走る馬車を睨む。勇者が乗っている馬車だ。
その馬車は通常のものより大きく、金銀宝石で飾り、彫刻を掘り込んだ特別製。馬車と言うよりは、動く王侯貴族の屋敷のようだ。派手ではあるが下品ではない、女性的優美さがあった。
領主リチャードの趣味ではないが、勇者の存在と領主の財力を、周囲に『見せつける』ことも必要である。五百年前の勇者を歓迎するためにつくられたという、歴史ある逸品を手に入れ、今回修繕して用意したものである。
「確かに彼女は、私たちより強い。遥かに……でも……! いくら勇者とはいえ、私たちの誇りを、侮辱していい道理はないっ!」
傷ついた誇り。侮辱された痛み。
先祖から受け継いできた、騎士としての義務を、貴族としての矜持を、訓練とはいえ、抗いようのない『強さ』で踏み躙られたのだ。
国を、民を、主を守り、敵対者に勝利するために鍛え続けて来た、それが、成す術もなく敗れたのだ。
勇者はルシアたちに敬意を表することも無く、ただ馬鹿にして嘲った。
「あのような小娘が……ただ、神から『武器』と『加護』を得ただけの素人のくせに……!」
自分たちを打ち負かした、借りものの力。
自分たちを辱めた、貰い物の武。
自分たちを凌駕した、偽りの強さ。
そんな許せない敗北を覆すことが、自分にはできない。
それが、死ぬほど辛く、悔しく、情けない。涙が出そうなほどに。
ルシアと並走するローザにも、その想いは痛いくらいに理解できた。
それでも、ローザは言うべきことを言わねばいけない。
「……勇者様を、好きになれなんて言わないわ。でも、勇者様が世界を救う希望であることは、納得してほしいの。彼女がいなければ……エルヴィムとは戦えない」
「そんなこと……わかってます。私たちには、エルヴィムと戦う力がないから。私に力さえあれば……」
ルシアは騎馬の手綱を握り締め、胸の内の悔しさのまま、言葉を吐き出す。
「さあ、気を取り直して。貴方は騎士として、カシゥムの軍兵として、オギトに行くのよ? 感情に任せた姿を、オギトの人間に見せていいの?」
「いいえ、いけません。カシゥムの軍人が、オギトに無様をさらすことは絶対に!」
ローザの言葉に、ルシアはやや俯きつつあった背筋をビンと伸ばし、張りのある声をあげる。
「私たちカシゥムは、常にオギトの上にいなくてはならない! それが私たちの役目! あいつらに嗤われるようなことは決して……‼」
「うん。わかればいいの。その調子でゾシウでもよろしくね?」
カシゥム中の男どもを魅了する、悪戯っぽい微笑みを浮かべるローザに、上手く挑発に乗せられたことをルシアは理解した。
どうにも幼馴染に敵わない自分に呆れながらも、自分たちがこれから向かう場所を想い、気持ちを引き締め、ローザに返事をする。
「ええ、わかってます。私たちは『宿敵』の領地に乗り込むのですから」




