2-1:ノック革工場
磨き抜かれたナイフを使い、剝ぎ取られた暗緑色の皮。
馬車から降ろされた、その『うねり大蛇』の皮は、まず水に漬け込まれた。汚れを洗い落とし、更に道具を使って血液や脂肪をこそぎ取るのだ。
別の大部屋には、石造りの水槽が数多く並べられていた。水槽には茶色のエキスがはられており、綺麗になった皮が漬けてある。そのエキスは、数種類の草や木の葉から絞った汁などを、調合してつくったもので、皮を柔らかくするための鞣し剤である。
皮を板に打ち付けて、乾燥させている場所や、着色料や仕上げ剤を塗る部屋など、工程ごとに作業場が作られており、公一はその規模の大きさに驚いていた。
「革の処理なんて初めて見るけど、大変なものなんだなぁ」
我ながら平凡でありきたりだと公一は思ったが、正直な感想であった。
そこはノック川の畔につくられた革鞣しの工場だ。
名はそのまま、『ノック革工場』。
オギト領最大の特産品――それは魔物の革である。むしろ、魔物の革を取り扱う場所など、オギトくらいしかない。
魔物の多いこの地方ならではの産業と言えるが、そもそもはあまりに魔物が多く、退治しているだけでは出費がかさむだけなので、どうにか元を取れないか、試行錯誤したうえに生み出されたものだ。現在では、オギト領の破産をギリギリで食い止めている、命綱となっている。
公一たちが退治した魔物、『うねり大蛇』も、そこに運ばれて革製品となる。
「凄いものだ」
並みの村より大きなくらいの大工場。此処こそが、オギトで最初に作られた『鞣し工場』であり、魔物の革を製品化する技術が生まれてから、約六百年の間、大量の革を世に送り出してきた。
五百年前の『エルヴィム災厄』を経てなお健在。オギトの生命線として、増改築を続けながら、稼働し続けているのである。
「凄いけど……」
公一としては、その想いには嘘はないのだが、
「臭いも凄い……ウップ」
皮を鞣して『革』にする工場に、血肉の臭いや薬品の臭いが充満しているのは、致し方ないことである。しかし、慣れない濃密な臭いに、公一は鼻と口を抑えずにはいられなかった。
「ここでは吐くな。迷惑であるし、何より失礼だ」
「わかってるけど……ウクッ」
「わわわ! だ、大丈夫ですかっ、公一さん!」
左右から、銀髪黒肌の青年と、金髪の美少女が対照的な声をかける。心配する方の声をかけたナピレテプは、慌てながら案を述べた。
「か、川の方に行きましょうっ! 浄化樹や清涼草を植えてあるので、空気も綺麗なはずですっ」
浄化樹や清涼草とは、名前の通り、水や空気の汚れを吸収する効果に優れた植物の総称である。工場地帯では、廃棄物によって環境が汚染されることを防ぐため、人為的に植えられていることが多い。井戸水を正常に保ったり、汚水の処理に使ったりと、町でも需要が多い、大変便利な植物だ。
「う、うん……そうしよう」
やや悪い足取りで、公一は作業場の出入り口に向かう。出入り口の目印は、壁に並べられた、たくさんの動物の首の剥製である。初代工場長が始めたことで、革を剥いだ動物を、一種類につき一つずつ、記念として剥製にし、飾っているのだという。その数、ゆうに百はあるだろう。
その剥製の群れを通り過ぎながら、剥製の一つ一つに熱心な目を向けているのは、先ほど公一に、厳しい方の声をかけた男、エレだ。
「興味あるんですか?」
動物に興味があるんだろうかと、少し意外な気がして、公一は聞いてみた。
「……いい機会だからな。こちらの世界に住む生き物について知るのには」
その真面目な返事に、公一はエレらしいと感じた。
「知らない生き物ばかり。やはり、生態系が違うんでしょうね……」
カバに犀の角を生やしたような獣や、鮫のような牙を生やした巨鳥など、公一が見たことも聞いたことも無いような動物の首が数多くあった。
「確かに半数は、ウラヌギアにはいない生き物だ。だが、ウラヌギアにも生息しているものもある。見ろ」
言って、エレが剥製の首を指差していく。
「ライオン、ジャガー、グリズリー、虎、アナコンダ……」
公一の世界では、生息地の全く違う動物だが、どれもオギト近隣に生息しているらしい。
町や村の中は結界で守られているため、安心して暮らせるが、一歩外に踏み出せば、公一の知る日本のように静かで平和な森ではない。野獣や魔物が跋扈する、アマゾンのジャングルさながらの、弱肉強食の世界なのだ。
「野牛、クロコダイル、栗鼠、兎、猪、カピバラ、グリフォン、マンティコア、ワイバーン……」
「……あの、途中から僕の知識では、伝説上にしか存在しないはずの生き物の名前が、あがったんですが」
エレは、公一の本来の世界でも、生息しているものだと言っていた。ならば、空想上の動物であると思われたものたちも、本来は実在しているのだろうか。
「……まあいいや。それで、似通った生き物がいることに、何か意味でも?」
「特に意味があるというわけではない。ただ……」
エレは、表情を変えることは無かったが、その眼差しが、ここではない、いつかのどこかを見つめるようなものになる。
「生物というのは、神や、それに準ずる者がつくったものだ。ドナルレヴェンでも、ウラヌギアでも、それは同じだ」
生物を創り出した者がおり、進化さえも、神の意思に操作された結果に過ぎない。ダーウィンが聞いたら、泣いて酒に溺れかねない真実である。
「そしてだ。この世界と、我らの世界の生物が似通っているのなら、きっと創り手の性格も似通っているのだろうと、そう思っただけだ」
ウラヌギアにおいて、生物を生み出した者。ほとんどの生物をデザインし、公一たち人類にも命を吹き込んだのは、二柱の神であった。
「プロメテウスとエピメテウス。あの正反対の兄弟のような者たちだったのだろう」
遥か昔、公一たちの世界はティターン神族が治めていた。ティターン神族の王クロノスは、予言によって自分の子供たちに、世界の支配者たる地位を追われることを知っていたため、生まれた赤子は全て、己の腹の中に呑み込んでしまっていた。
しかし、夫に自らの子供たちを喰われることに耐え兼ねた、クロノスの妻レアは、最後に生まれた子供を隠して育てることにした。やがて成長したその子供は、クロノスに呑み込まれた兄弟たちを救い出して、クロノスたちと戦争を行い、ティターン神族を倒して、世界の王となった。
そのクロノスを倒した子供が、主神ゼウスであり、助けられた兄弟たちが、エレ――ハデスを含めた、オリュンポス神族である。
しかしティターン神族の中にも、クロノスに反旗を翻し、オリュンポス神族に味方した者もいた。その内の二神が、プロメテウスとエピメテウスの兄弟である。
先に考える者と後から考える者の名のとおり、兄は思慮深く、前もって計画を立てる賢者であり、弟は感情のままに行動し、失敗して後悔する愚者であったと、ギリシャ神話では語られている。
「賢しく、プライドが高く、捻くれ者の兄。愚直で、涙もろく、お人好しな弟。性格は違えど、とても仲が良く、共に創作物を愛し、そして、創作物を苛める奴のことが大嫌いだった」
とくにプロメテウスは、牙も毛皮も持たない人間が、他の動物に苦しめられ、寒さに凍えているのを見て、神々が隠していた『火』を盗み出し、人間に与えるほどだった。先に考える者、すなわち、前知の力により、予言を行うことのできた彼が、後々に罰せられることを考えていなかったはずはない。
プロメテウスは、自らを犠牲にして、人類を助けたのだ。我が子を助ける親のように。
「そのことを思い出すとな……この世界の神は、我ら異世界の神の領分を侵し、異世界の人間を誘拐してはいるが、この世界と人類を守る意志は、本物なのかもしれないと、そう思うのだよ」
許すわけではないがなと続けながらも、地獄王は敬意の籠った口ぶりで、ルル・エブレクニトをそう評するのだった。
(それにしても……)
エレは口に出さずに思考する。気づかれぬ程度の視線を、公一に向けながら。
(我々のことが嫌いなプロメテウスがつくったというのに……なぜ人間ときたら、神々に似ているのだろうな)
人間たちは、ギリシャ神話を読んで『人間らしい神』『人に良く似た神』などと言うが、エレからしてみれば、人間の方がギリシャの神々に、嫌になるくらい似ているのだ。
それでいて、プロメテウスが神を嫌い、人間は愛したと言うのは、親の贔屓目というものか。
(自分自身に似せてつくれば、人間ももっと賢い生き物につくれたものを。それとも、神に対する嫌がらせのつもりか?)
神に似た生物をつくり、神の短所や欠点を、人間の姿を通して見せつけるつもりだったのではないか。鏡のように。
そう勘ぐってしまうほどには、プロメテウスは性格が悪かった。
(できれば、こちらの神はエピメテウスの方に似ていてほしいものだな)




