プロローグ:創世神話
この書を開く者は、天使イドネウに感謝を捧げましょう。
彼の者こそが、人類が生まれる以前の世界のことと、世界が生まれる以前のことを、人類に教えてくれたのです。
『この世界の名は、ドナルレヴェンである』
天使イドネウが地上に降り立ち、まず世界の名前が伝えられました。
ドナルレヴェン。そう呼ばれるようになる世界は、四柱の神によって生み出されました。
まず初めに、世界は今にも消えそうに曖昧に揺蕩う、夢や幻のようなものでした。
そこに、主神である創造神マシュバが生み落とされました。神とは世界の化身であり、世界の光にして影。世界が生まれると共に神は生まれ、神が生まれると共に世界は生まれるのです。
マシュバは男神であったため、妻とするための女神をつくり、ムリグと名付けられました。ムリグは時間と空間を生み出し、時空神ムリグとなりました。同時に、世界は広さと大きさがはっきりし、今にも消えそうな不安定な世界ではなくなったのです。
二柱の神は、交わりて二柱の神を生みました。
マシュバは、我が子の一方に、知恵深きセルデア、一方に、猛々しきイッポスという名を与えました。
セルデアは生命神となり、一匹の山羊をつくりました。
偉大なるマシュバと、美しきムリグは、この山羊に『ドナルレヴェン』と名前を付け、育てることにしたのです。
山羊はすくすくと育ち、程よい大きさになったと見たマシュバは、イッポスに一振りの剣を与え、ドナルレヴェンの首を落とさせました。この時から、イッポスは武器を司る神、戦神イッポスとなりました。
創造神マシュバ。
時空神ムリグ。
生命神セルデア。
戦神イッポス。
『始まりの四神』と呼ばれる神々はこうして誕生したのです。
その後、四神は巨大な皿をつくり、その上にドナルレヴェンの体を乗せました。そしてドナルレヴェンの体を材料として、神の世界の他に、新たな世界をつくりあげたのです。
皿の縁までを血で満たし、海と名付けました。
海の中に肉を固め、大地と名付けました。
角を皿の両端に置き、空が落ちてこないように柱としました。
息を風にして吹き渡らせ、脂を燃やして炎をつくりました。
右目を太陽に。左目を月に。天に浮かべて、順番に巡らせることにしました。
体毛を木々や草花に変え、肉の中で特に良い部分を、動物にしました。
残った骨は、今後に何かを作りたくなったときのために、とっておかれました。
そうして出来上がった世界は、材料にされた山羊の名をとって『ドナルレヴェン』と名をつけられたのです。
しかし、新世界をつくるために殺された山羊は、それを恨みに思い、自分自身でつくられた世界を壊す者をつくったのです。
自分の体は全て神々に奪われたために、自分の体の『影』を材料に、自分の遺志を継ぐ、復讐者をつくりあげました。
復讐者の名は『エルヴィム』。
新世界の始まりは、いまだに終わらない戦いの始まりであったのです。
神々の創り上げた幸せな世界を破壊するために、エルヴィムは群れを成して攻め込みました。エルヴィムは世界に呪いをかけ、死と苦痛をもたらし、生命がいずれは死に、物質がいつかは壊れるようにしてしまいました。
怒った神々は、エルヴィムを討伐しようとしました。しかし、死んだ生物の魂を喰らって、増え、強くなっていくエルヴィムに、次第に押され始めました。
そこで四柱の神々は、もしもの時のためにとっておかれた『ドナルレヴェンの骨』を使い、新しい神々をつくりあげました。
ここに『更なる八神』が生まれたのです。
新たな神の助けで、一度目のエルヴィムとの戦いには勝利することはできました。しかし、エルヴィムは彼らが創り出した、死の世界――地獄とも呼ばれる『影の世界』に逃げ込んでしまい、神々にも手を出せなくなってしまいました。
いずれは勢力を盛り返し、逆襲をしにやってくるでしょう。神々も、その時の為に備えなくてはなりませんでした。
その中で、『更なる八神』の一柱、ルル・エブレクニトが提案しました。
『世界を、世界を者の手で護らせるようにしよう』
その提案は賛同を受け、ルル・エブレクニトは、僅かに残ったドナルレヴェンの骨の欠片と、土を混ぜ合わせて形を整え、新たな生物を生み出しました。
神の材料となった骨を使った、他の種よりも少しだけ神に近い、特別に力を持った生物。
知恵と力を持った、世界の守護者として生み出された生物。
その生物の名は、『人間』と名付けられました。
◆
コツコツとドアを叩かれる音がし、パタリと本が閉じられた。
上質の紙でつくられた書物の題名は、『イドネウによる伝令の書』。
神殿が発行している、この世界の成り立ちについて書き記された本だ。ページはくたびれ、手垢がついており、何度も何度も読み返されたことが見て取れた。
部屋の主は、黒檀の机から身を離し、革張りの豪華な椅子から立ち上がりながら、口を開く。
「……入れ」
「失礼いたします」
ドアが開かれ、白い口髭を生やした執事が顔をのぞかせた。執事は一礼して部屋に入ると、部屋の主が手にしていた本を見る。
「おやそれは……相変わらず、お好きですな。古い神話や伝説が」
「男たる者、勇壮なる神々の戦いや、英雄の伝説に心湧きたつのは当然であろう? この本を読むとな、子供の頃の熱く新鮮な気持ちが蘇ってくるのよ」
絨毯が敷き詰められた部屋を闊歩し、読みふけっていた本を書棚に戻しながら、部屋の主である男が答える。
四十歳ほどの、威厳ある男であった。茶色い髪を無造作に伸ばし、顎髭と口髭を生やしており、荒々しい野性味を醸し出している。しかし、青い眼の光は意外と優しく、男が決して粗暴な男ではないことを示していた。
「それは結構ですが、今は勇者様と、この後の予定について話しませんと」
「うむ、そうだな。いやはや、『エルヴィム襲来』の時期に生まれるというのは、忙しいものだ。しかし儂が思うに……いや不謹慎だと思わぬでもないが……正直言って、この時代に生まれたことは幸運だ」
金糸をあしらった、赤いマントをひるがえらせ、その男――リチャード・スライトリー・プテリクス・カシゥムは笑いを隠し切れずにいた。
「勇者。英雄。エルヴィム。世界を救う戦い。フハハハ……! いやはや、血沸き肉躍るわい!」
勇壮なること比類なしという評判を持つ、カシゥム領の主はウキウキと図書室を出る。その背中を、執事は少し呆れた様子で追うのだった。




