39:足を止めることなかれ
斬撃が降り注ぐ。その絶え間ない連撃を、フックは腕で剣の腹を叩いて弾く。刃の部分を受ければ、エルヴィムでも耐えられない。
フックの動きは非常に精密であり、公一は力押しで食いついているに過ぎない。だが、公一の剣は、神の造り出したもの。一撃でフックに致命傷を与える。
フックは公一の猛攻に押し込まれ、後方に下がる。
しかし、人類の仇敵は、そのままでは終わらなかった。
「……『幻星』」
周囲の空間に、おぞましい蛇や蟲や海月のような、奇怪な生き物が浮かび上がった。それぞれが、毒々しい牙や、粘液を滴らせた触手を振りかざし、公一に襲い掛かる。
幻であると既にわかってはいても、傷つく恐怖や、生理的な嫌悪感には意図せずに反応してしまうものだ。少しでも、幻に対して無駄な動きをすれば、そこがフックのつけいる隙となる。
しかし、公一はただフックのみに目を向け、虚像の魔物たちには震えもしなかった。
ジャァァァァァァッ!
棘の生えた蛇のような怪物が、耳障りな叫びをあげて、公一の喉に食らいつく。生臭い吐息が、公一の鼻先に漂った。
ブシュルルルブシュゥゥゥゥ‼
幾つもの目玉を体に張り付かせた、イソギンチャクのような異形が、触手を振りかざし、汚らしい液体を噴き出しながら、公一の下半身にまとわりつく。
しかし、
(……わかる。これは幻だ)
公一は触れられても、何も反応はしなかった。実際、怪物たちは公一の体にぶつかることなく素通りし、ただの姿だけの幻影であることは明白であった。だが、視覚だけではなく、聴覚や嗅覚にも作用する、恐ろしくリアルな幻だ。
公一より遥かに実戦経験豊富な、戦闘の達人であっても惑わされてしまっていたはずである。しかし、公一は奇妙なことに、まったく動じることもなく、『確信』していた。
五感をどれだけ惑わされても、何か別の理由により、幻であることをはっきりと感じ取っていたのだ。
公一は、幻の百鬼夜行を無視して、フックに迫る。その剣刃が、幻を生む上位エルヴィムに振り下ろされた時、
「『幻星』」
公一とフックの間に、人の姿が出現した。
「コ、コーイチさん!」
涙目の、ナピレテプの姿であった。
衣服のたなびき。柔らかそうな金髪の輝き。白い肌の質感。潤み、訴えるような目。
すべてがリアルな天使の美少女そのものであった。
「っ!」
公一は一瞬止まりそうになる。だが、剣は止まることなくナピレテプの身を切り裂いた。
「痛っ、あっ、あああああああっ‼」
痛ましい悲鳴をあげ、ナピレテプは鮮血を撒き散らし、その場に崩れ落ちる。赤い血が公一の肌に降りかかった。
「ぐっ……!」
公一の肌は濡れていない。幻である。それは最初からわかっていた。
だが、鉄臭い血の臭い。ナピレテプの耳に残る叫び。それらが、公一の動きをかすかに鈍らせる。さすがに、これは無視しきれなかった。
そこに、フックが手をかざす。
「このっ!」
幻とわかっていても、囚われてしまう罪悪感を、フックへの怒りで感情を染めて、塗り潰す。公一は地面が陥没するほどに強く踏み込み、今までで最速の剣を振るう。
目にも止まらない刃が、大気を切り裂いて、フックに届くより前に、
「う⁉ くっ!」
フックの姿が、別のものに変わる。
赤い美髪を揺らす、凛々しく気高い、少し年上の美女の姿。
(ジェインっ!)
公一の心が怯む。逃げたい。止めたい。幻とわかっていても、もう斬りたくない。
「うわあああああああっ‼」
けれど、公一は速度を緩めなかった。
ザグンッと断裂音が夜空の下に響いた。
「カッ! クゥゥゥゥッ!」
痛みを堪える、苦悶の声があがった。
女領主の幻が消え、上位エルヴィムの、包帯を巻きつけたような体に、大きな傷が生まれていた。
「今はっ、逃げていられないんだっ!」
公一は叫ぶ。
今は、自分の心が傷つくからと言って、逃げてはいけないのだと。
そして、剣撃を重ねていく。
「……ち」
もう幻影は効かないと、フックは悟った。傷の痛みに耐えながら、フックは一歩間合いを広げ、剣の届く範囲の外に出る。
「待てっ‼」
怒りを燃やし、勢い込んだ公一は、逃げるフックを追う。間合いを詰めるのは、容易かった。しかし、公一が正面から、複眼を備えた頭部に向けて、斬りつけた時、
(ここだ)
フックは踊るように脚を動かし、巧みに公一の左側に回り込んだ。そして両手をかざし、掌中に光を生み出す。片手で放つものより、倍の大きさのある光弾だ。
公一の表情が恐怖で引きつった。
(まずい!)
ついさっき、死を感じたものと同じ攻撃が来る。公一が身をよじった直後、特大の『力弾』が放たれた。
大威力の光弾は、公一の上着を引きちぎって通り過ぎていく。掠めていくだけで、公一は内臓に響く衝撃を受け、胃の中身を吐き戻しそうになった。
(けどっ、何とか耐えられる! 反撃を)
光弾をかわしたところで、剣を振り上げてフックへ踏み出そうとする。
「ぐッ⁉」
けれど、背後で爆音が起き、瓦礫が吹き飛んで公一を襲った。『力弾』によって、背後の神殿の壁が吹き飛ばされたのだ。
公一は、広い神殿前の庭の中央から、神殿本堂のすぐ近くまで来ていたことに、気づいていなかった。敵のフックにばかり目をやっていたからだ。戦闘経験が無いゆえの、視野狭窄。それを利用された。
フックは身を退いているだけのように見えたが、実際はこの場所まで公一を誘い込んでいたのだ。
(やはり、予知能力ではない!)
フックが心の中で笑う。フックの、公一の能力が予知ではないという判断は正解だった。未来がわかるのならば、この結果もわかったのだろう。しかし公一の能力ではわからなかった。
「しまっ!」
爆発と瓦礫が公一を打ちのめす。背中を打ち付けられ、つぶてが体に突き刺さり、一抱えもある瓦礫が後頭部を直撃する。吹き飛びそうになるが、公一は足を大地に突き刺すように、その場に踏みとどまった。体勢を崩したまま前に吹き飛ばされたら、待ち構えているフックに殴り殺される。
「こ、のっ!」
何とか耐えきった公一だが、かなりのダメージを受けてしまった。頭から血が流れ、傷がガンガンと響く。公一でなければ、爆風と瓦礫によって、骨も内蔵も潰れて原型を保ってはいられなかっただろう。
「死ね」
対するフックは好機と見て、冷酷に右腕を振りかざす。人間を、濡れた薄紙のように引きちぎる怪力が、公一へと向かう。
「来るなら……」
来いと強がろうとした公一であったが、剣を振り上げようとした時、手の力が緩んだ。
(っ‼ まずっ‼)
少年の手の中から剣が滑り落ちた。剣は重力に従い、落下する。
(拾えないっ!)
体を丸めて剣を取ったところで、フックを迎撃するのは間に合わない。剣を受け止めたと同時に、エルヴィムの拳が公一の心臓を貫いているだろう。
フックが勝利を確信したことが、感じ取れてしまう。
(駄目だっ! やられるっ! 僕は所詮……)
『数多の英傑を迎え入れてきた死の国の主として断言する。お前は、英雄でも勇者でもない』
エレの言うとおり、自分は所詮、
(英雄では……)
『カルキノス、ケイ卿、石秀、ウィーグラフ、ラーヴァナ……弱者であれ、敗者であれ、彼らは英雄に相応しい勇気を持っていた。それが、お前には無い』
英雄。英雄。英雄。
(戦い方も教わってはいない……)
『我が姪は、多くの地で人間に武術を授けた。アイルランドでは『女神スカサハ』を名乗り、ク・ホリンという男にゲイ・ボルグの投げ方を教えた。インドでは『パラシュラーマ』の名を用い、ドローナやカルナといった英雄にブラフマーストラを与えた』
(アテナ。ク・ホリン。ゲイボルグ)
『……ゲイ・ボルグは槍だ。投げると三十に分裂して敵を殺す魔槍。手ではなく足を使って投げる特殊なもので、大英雄ク・ホリンだけがその投げ方を姪より教わったのだ』
(……足で投げる)
『そうかそうか! 金貨蹴っ飛ばしたか! 土ぶっかけたか!』
(蹴っ飛ばした……)
(足で……!)
死の間際に思い出される、記憶の断片。そこに活路を見出す。
公一は左足を踏みしめ、右足を浮かす。落ちる剣の柄に狙いを定める。
エルヴィムが間近に迫っているというのに、妙に冷静でいられた。怖がる暇もないせいか。
(投げる!)
足の甲が柄に触れた瞬間、足を振った。切っ先はフックの方に向いている。剣は、腕の三倍はあるという脚の筋力によって飛び、
「……ッ‼」
『ゾブリ』と、フックの腹に突き刺さった。
「ッ…………ガアァァァァァァァッ‼」
口の無いフックから、魂消る絶叫が放たれる。剣は貫通し、背中から切っ先が出ていた。
「ウオォォォォォッ‼ このっ、痛みっ、これがっ! ガァッ‼」
公一を殺す寸前であった拳をたまらず引き戻し、後ずさりして剣の柄に手をかける。突き刺さっているだけで力を奪っていくらしく、傷口が砂のように崩れてきている。
「抜かね、ばっ! ぬ、抜かねばぁっ!」
『虚幻』のフックは、必死になって剣を引き抜こうと力を込める。が、この機を逃すわけにはいかない。公一はふらつく体で、霞む視界で、彼もまた必死で意識を保ちながら前に出る。
そして、フックの掴む柄を、フックの手の上から全力を込めて握りしめる。フックの手を握り潰すつもりで抑え込む。
「じゃ、邪魔するなぁっ!」
「いいや……邪魔するね」
「こ、こぉ、コーイチィィィィ‼」
最後にフックは、憎き勇者の名を叫ぶ。最後の力を振り絞り、正面の公一の腹に向かって蹴りを入れる。
「ぐっ、はぁっ!」
だが公一は手を離さない。フックは焦り、もう一度蹴り込んだ。今度は公一の手が離れ、少年の体は倒れて地面を転がる。
「ぉぉぉぉぉ…………!」
渾身の力で、聖剣を自分の体から抜き放ち、地面に強く投げ捨てた。だが、腹の傷を中心に体に亀裂が走り、傷口から血の代わりに砂のようなものが零れ落ちていく。
「ちぃ……やって、くれたな……」
倒れた公一を見下ろしながらも、フックは近寄ることも、『力弾』を放つこともなく、見つめるだけ。力がもう無いのだ。
公一はゆっくりと、よたよたとしながらも立ち上がる。荒い息をつきながら、フックを睨み付ける。肉体的には限界に近いが、拳はいまだに強く握られ、衰えぬ戦意を示していた。
「コーイチ!」
「コーイチさん!」
公一とフックの激しい攻防に、手を出すこともままならなかったジェインとナピレテプが駆け寄る。二人は公一の両脇を固め、手をかざした。いつでも魔術を放てるように。
「……コーイチ」
フックの方から、声をかけてくる。
「互いに、もはや限界。余力は無い。だが、自分の方には仲間がいる。だからこちらの勝ちだ……。そう、考えているだろう?」
「ああ。違うとでも?」
実際、フック自身の言う通りだ。公一もフックも限界であるが、今のフック相手ならジェインたちだけでも倒せるだろう。違うと言うなら、ジェインたちが駆け寄ってくる前に、公一を殺すべきであった。そうできなかったのが、フックがもう戦闘できる状態でないという証拠だ。
だが、
「……違うんだな、それが!」
フックは天を指差した。
公一たちは、反射的に空を見て――絶望した。
「え……」
「あ、あれは……」
「エルヴィム、だと……?」
公一、ナピ、ジェインは揃って顔から血の気が引く。
彼らは見てしまったのだ。真っ暗な空の上、百はくだらない数の白い魔性の群れを。
忌まわしい山羊頭の怪物が、赤い蝙蝠の翼を羽ばたかせ、舞い踊っていた。
「この町に入れる目途がついた時に、既に呼び寄せておいた。さほど飛ぶのが速くないから、こんな時間になってしまったが」
ジェイムズ・ディノニクスを殺害した後、配下の下位エルヴィムの二体を馬に見せかけて連れて行き、そして『もう一体』の下位エルヴィムを、伝令として送っていたのだ。増援を呼ぶために。
「さて、ジェイン・ダーリング・ユス・オギト……君は、神殿に潜入していながら、この町の結界に何もしていなかったと思うかな?」
「な……まさかっ!」
「勿論……壊したとも」
神殿は結界を張るために建てられる。神殿最奥には結界の基盤があり、一度張った結界を維持している。この基盤を破壊すれば、当然ながら結界は消滅する。エルヴィムや魔物から、都市内を護るための結界が。
「結界はもう無い。彼らを止める術も無い。上位エルヴィムは出せなかったが……百体の下位エルヴィムなら、領主軍の主力がいない今のゾシウを滅ぼすのには、充分過ぎるというもの」
張られた結界を維持する機能が壊されたなら、結界を張り直せばいい。町中から修理するための材料をかき集めれば、機能を修復することはできる。ギモージアの太鼓持ちをしていた欲ボケ神官どもの尻を蹴飛ばして働かせれば、結界を張り直すことは可能だ。しかし、どう急ごうと丸一日はかかる。
相手は、魔術無しでは傷一つつけられない化け物。ナナたち、優れた魔術兵が複数でかかって、ようやく一体倒せるほどの怪物。それが百体。
「かつて、オギト領主のグレゴリオ三世は、百のゴートを千人の兵で倒し、名を高めたという。やってみるか? その時とはそちらの兵力も比べものにならないがな」
もはや止められない。




