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異世界の道連れは地獄王  作者: 荒文 仁志
第一章:ドナルレヴェン
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3:星座物語


 ここがどこかと問いかけられても、公一は何も答えを返せなかった。


「い、いいえ……僕も何がなんだか……ただ、僕は死んでいて、異世界を救えば生き返らせてやると……」

「……異世界?」


 銀髪の男は視線を鋭くした。首を左右に動かすが、荒野以外のものを、ここから見ることはできなかった。次に銀髪の男は、顔を上げて空を見る。公一も共に空を見上げたが、やはり星と月以外のものはなかった。しかし、その星々を見た瞬間、銀髪の男は何かを察したらしく、眉をしかめて唸った。


「なるほど……確かに異世界のようだな。そこの娘」

「は、はいぃっ!」


 金髪の少女は、弾かれたように背筋をピンと伸ばし、大きく返事をした。


「先ほど、お前はここを『ドナルレヴェン』だと言っていた。この地のことを知っているのか?」

「は、はいっ! ここは、私たちの世界『ドナルレヴェン』っ! 貴方たちから見れば、異世界にあたる世界ですっ!」


 異世界――ドナルレヴェン。その名を聞いても、公一は実感が湧かなかった。足から伝わる地面の感触も、肌に触れる夜の空気も、特別変わったものとは思えない。雷の竜巻という、あまりに激しく衝撃的な現象を見た後で、感覚が麻痺しているのかもしれないが。


「一億年はゆうに生きてきたが……こんなことは初めてだ。まさかこのようなことがあるとはな。あの馬鹿者め……身内ながら、なんてことを」


 銀髪の男はわずかに眉を寄せ、不機嫌さを示した。徹底した鉄面皮であった男の表情の変化に、感情の大きさの度合を察した公一は戦々恐々とする。

 馬鹿者と呼んだのは、あの金髪の男――ゼウスのことだろうと予想はつく。

『神』を名乗り、それを信じさせる存在であった彼に悪態をつくような存在。つまりは、少なくともゼウスと、同格の存在。

 公一は、銀髪の男に恐る恐る質問した。


「その……貴方も、神様……なんですか?」


 公一は、決意して問いかけた。非常に馬鹿げたことを聞いているような気がしたが、真面目な話である。


「うむ。確かに、人間からすれば、そのような存在だ」


 予想された答えであったが、何とも言えない気分になる。公一は目上の人間に対する礼儀はまだしも、人類すべてより目上になる存在へ向ける礼儀など、知りはしない。


「……硬くなることはない。元の世界であればともかく、この異世界では私の力も大幅に弱まる。『雷霆(ケラウノス)』の欠片を封じるのにも、大分、力を使ってしまった。『隠れ兜(アイドス・キュエネ)』も向こうに置いてきてしまったし、今の私は、人間に毛の生えた程度の存在だ。本来、司る権能もろくに振るえぬ」


 硬くなるなと言われて、はいそうですかと柔らかくなるのは難しい。公一は返事もできず、黙っていた。しかし、気遣いをしてくれる相手なのは確かなようだ。思っていたより、銀髪の男が優しい性格であることを知り、公一は内心で少し、ほっとする。

 銀髪の男が、公一の沈黙をどう受け取ったかはわからないが、自身のことをもう少し話し出した。


「本来の私の力は、冥府と地底に関わる事象を司っている。死者の魂の裁きと、死後の世界の管理を担当する神だ」

「死後の世界……ですか。それって、天国とか」


 死後の世界で思いつく、二つの世界のうち、イメージの良い方を選んで言葉にした。しかし、銀髪の男は首を振り、


「いや、確かに天国も私の管理下だが、そちらは概ね部下に任せている。私の領分は主に地獄の方だ。古代ギリシャの地においては、『地獄王』とも呼ばれていた」


『地獄王』。なんと恐ろしい呼び名だろう。しかしその名とは裏腹に、彼の行動や態度に、他者に苦痛を与えるようなものはなかった。彼の放つ声は冷徹にも聞こえるが、凶暴や残忍といった、好んで周囲を傷つける荒々しさとは無縁であった。

 ナピの方は、説明を聞いている中で、一度ビクンと肩を跳ね上げ、震えた。しかし、悲鳴などをあげることはなく、すぐに落ち着きを取り戻す。


「その、僕は、南郷公一といいます。貴方の名前を、聞かせていただきたいのですが……」


 聞きながらも、公一には彼の名前は予想がついていた。

 ギリシャの最高神と伝えられるゼウスと対等に会話できる存在。ギリシャにおける、死の国の支配者。そんな神は、一柱しかいない。


「む……確かに名乗っていなかった。私はハデ――」


 男が名乗ろうとした瞬間、周囲の空間が『軋んだ』。


「⁉」

「え! ええ⁉」


 公一がビクリと左右を見回し、ナピが震えて悲鳴をあげる。見た目に変化が現れたわけではないが、世界そのものに重要な『無理』が科せられたことが、肌で感じられた。耳ではない、魂が世界の悲鳴を確かに聞いた。一瞬、温度が急激に下がったような、大地が激しく揺れたような、そんな感覚に囚われた。


「……神名を自ら口にすることは、この世界が受け入れられないか。異世界の神の介入を

拒絶している。無理に通せないことはないが……そうするとおそらく、私はこの世界の神の一柱であると、この世界に記録される。そうなると本来のこの世界の縄張りを侵したことになり、争い事になりかねん」


 男は公一たちに今の『異様』を説明しながら、自身の考えをまとめる。自分の名を口にする――それだけのことが、世界に致命的な影響を与えるような規格外の存在なのだ。この男は。


「他人が『ゼウス』と口にするのなら問題ないが、自ら口にすると不味いわけか。奴が直接この世界で力を振るって、女の前でいい格好をしないのは奇妙に思っていたが、わざわざ人間を送り込むのものそのためか……? ともあれこうなると、仮の名前を用意せねばならないな」


 男は下顎に握った手を当てて、考え込む。


「そうだな……異名は幾つもあるが……そうだな、『隠れし者』を意味するとされた、我が真の名以外につけられた名は、『富める者』、『名高き者』……。別の地では、ブラフマンやミクトランテクトリ、チェルノボーグなどとも呼称されたな。いずれにせよ、今やおとぎ話の本に書かれる名前となってしまったが、さて……」


 少し考え込み、長い長い年月の中で、人間たちに呼ばれた多くの名を思い返す。そして、


「では、『エウブレウス』と名乗らせてもらうとしよう。『良き忠告者』という意味だ」


 かつて呼ばれた数ある名の中でも、良い印象を与える名前を選びとった。


「で、では、エウ、ブレス……エブウレ……エウレウ……あ、あの、エレさんと呼んでも、よろしいでしょうか?」


 ナピレテプが何度か銀髪の男性が教えた名前を呼ぼうとしたが、呼びにくかったらしく、略称を提案した。銀髪の男は、略したことを怒るでもなく、


「エレ……エレか。悪くない。よいだろう。エレと呼ぶといい」


 むしろ、妙に楽し気に、縮められた名前を舌先で転がし、承認した。


「それでは、エレさん。改めまして、南郷公一です。よろしくお願いします」

「わ、私の名前はナピレテプです! お、お二人とも、どうぞナピとお呼びください!」


 こうして、三人はようやく自己紹介をすることができたのだった。


   ◆


 ドナルレヴェンの月が輝く夜。

 ランプの明かりの下、ナイフを研ぐ。

 使い込まれ、細かい傷が無数に刻まれた刃。しかし切れ味はいまだに健在。紙一枚を刃の上に落とせば、振るうまでもなく触れただけで切り裂かれる。

 頻繁に行う、手入れのおかげだ。


「…………ん」


 ナイフを見つめるその眼は、左右で瞳の色が違っていた。

 右は赤。左は黒。

 右は血の色。左は闇の色。

 その二色の眼が、鏡のように映り込むほど磨き込まれたナイフを、彼は目にも止まらぬ速さで投げ放つ。

 天井から吊り下がった仔羊の死体に、根元まで突き刺さる。時間の経った死体は既に血が固まり、傷口から赤い液体が流れ落ちることはない。


「……良し」


 死体からナイフを抜き取り、もう一度研いで完了。

 ナイフを研ぐのは、深い夜、ランプの小さな明かりの下で。

 その切れ味を確かめるのは、仔羊の死体で。

 特に深い意味があるわけではないが、一種のジンクスだ。

 初めに行った仕事の前の日、同じことをした。仕事は完璧に遂行できた。


「……次」


 男は二振り目のナイフを手に取る。ナイフはまだ八本残っている。

 男は静かに磨き続けた。


   ◆


 三人は、輪になり、地面に直接座る。木や石など、椅子になりそうなものが無かったためだ。輪の中央には、先ほどエレが雷を封印したと言う『短槍』を、黒い柄を下にして、地面に突き立ててある。強力な懐中電灯くらいの光が常時放たれているため、明かりには充分だ。


(でも……何から聞いたものか)


 異世界と連呼するナピレテプであったが、公一にはどうも実感がわかない。この夜の荒野では、ろくにものも見えず、異世界らしい風景も期待できない。

 しかし、エレの方は、すぐにここが異世界であると納得していたことを思い出し、公一は聞いてみた。


「そういえば、ここが異世界だって、どうしてわかったんですか?」

「空を見ればわかる。星の位置が違う。星座がまるで繋がらない。このような空、地球のどこからも見られない」


 そう言われて、公一は空を見る。しかし、公一はさほど星に詳しいわけではない。パッと見てわかるのは、オリオン座の三つ星くらいだ。見直したところで、星の位置の違和感などわかなかった。


「星に詳しいんですね」

「それは、まあな。星座をつくったのは『我々』だからな」


 あっさりと言われたので、ふーんと返すだけで流しそうになった。


「……え? 星座をつく……ええっと、それは、星の並びを、天秤座とか乙女座とかに見立てたという……」

「いいや、そうではない。お前のいた世界の星々は、『我々』が星座として並べるために、『我々』が生み出したのだ」


 星座をつくると言えば、空に見える星々の並びが偶然つくる形に、動物や人物、道具などを連想して、当てはめる行為となるだろう。

 普通に考えて、『初めから星があって、それから星座をつくる』。それ以外にはない。

 けれど、この銀髪の男は、『星座をつくるために、後から星をつくった』のだと言ってのけた。


「ギリシャ神話は知っているか? あれが、『我々』の物語としては一番古く、正しい部類だ。遠い昔、あの地に『我々』は初めて降り立ち、今の人類の祖先を創造した」


 ギリシャ神話は公一も知っている。公一は故あって神話には詳しい方だが、詳しくなくても、少しくらいは誰もが知っているだろう。神話の中では日本でも有名だ。ヘラクレスの冒険や、見た者を石に変える怪女メデューサ、トロイの木馬やスフィンクスの謎かけ――神話の全てを知らなくても、断片的になら、誰もがどれかしら、聞き覚えがあるだろう。

 しかし、あくまで神話は神話。実際にそんなことがあったなど、今時子供でも思うまい。だがそれらが、現実に起こった出来事であり、自分がその当事者であると、この銀髪の男は言うのだ。


「その中に、動物や英雄を、星座に変化させる逸話がある。それは真実だ。あの頃は、星座づくりが流行っていた。皆がこぞって星を生み出し、星座を残していたものだ」

「……流行りで、星をつくっていたんですか?」

「まあな。私はさほどつくらなかったが……あれは中々難しい」

「難しい、ですか」


 星をつくるなど、易しいとか難しいとかいう問題ではないはずだが。

 ギリシャ神話において、偉大な功績を称える褒美とするためや、悲劇的な死を迎えたものの慰めのため、神は人間や動物を空に昇らせ、星座に変えたとはされている。

 だがそれが真実だったなどと、世の天文学者がふて寝してしまう。


「星座の形に結ぶための星をつくればよいというものではない。重力や軌道を考えると、一つ星座をつくるごとに、他の位置にも星や銀河を大量につくり、釣り合いをとる必要がある。でなければ軌道がずれて、星がぶつかりあったり、潰れてブラックホールになったりする」


 星や銀河を、流行り感覚で生み出していたのだと言う。あまりにもスケールが違いすぎる。人智を超えると言う言葉さえ、追いつかない。

 だが、金髪の男の言葉や行為。そして、先ほど銀髪の男が為した、雷の嵐を消し去った術を見れば、信じないという選択を取ることも難しかった。


「……僕は天秤座ですが、それもなんですか?」


 公一の誕生星座である『天秤座』は、日本では初夏の頃、南の空に見える星座である。

 この星座にまつわる伝説は次のようなものだ。


 遥か昔、最初に生まれた人々は争いをすることなく、平和に暮らしていた。この、最も幸福であった時代を、『黄金の時代』という。

 しかし、『銀の時代』になると、人々は互いに争うようになった。人々が醜く争う様を見ていられず、神々はだんだんと地上から天界へと去っていった。しかし、正義の女神アストライアだけは、ただ一柱、地上に残って、人々を見守っていた。

 それから『青銅の時代』を迎えたが、この時代も良いものではなく、神々は大洪水を起こし、この時代を滅ぼした。それから『英雄の時代』になり、一度は良い時代になったものの、『鉄の時代』に至り、人間は武器を手に、互いに殺し合うようになった。この罪深く最悪の時代が訪れた時、アストライアもついに人間を見限り、地上を去った。全ての神々が、人間を見放したのである。

 そして天に昇ったアストライアの手にしていた、善悪を量る天秤が、『天秤座』となったのだという。

 それが、一般に知られている物語だ。


「ああ。あれは我らがギリシャの地を離れる際、すなわち、最後に生み出した星座だ。それまでギリシャに身を置いていた記念碑として。天秤座の完成をもって、我々が星座、及び天体を新たにつくる作業は完成した。その後、エジプトやインドなどにも訪れた。それぞれの地に、当時の出来事を語る神話が残った。だが、最初に降り立ったギリシャにて生まれた神話が、最も我々の在り様や名称を、正確に表している」


 聞いていて、頭がクラクラしてくる。今まで学校で習ってきた、宇宙の成り立ちや、世界の歴史はなんだったのかと言いたい。

 公一は、自分の持っていた知識、常識が滅茶苦茶になるのを感じて、頭を抱えた。


「あ、あの、星をつくったとおっしゃっていましたが……薄々感じておりましたが、エレさんは、その、かなり高位の神様なのでしょうか……?」


 今度はナピレテプが、今更になってエレの地位や立場を気にしだした。


「そうだな……序列では二位か三位にあたる。一位はお前とも面識のある、金色の髪をした馬鹿だ」

「ひぃっ⁉ そ、そんな最上位の方だったんですかぁ⁉ エ、エレさんだなんて失礼な呼び方してごめんなさいぃぃぃ‼」


 土下座しそうな勢いで頭を下げ、ナピレテプが謝り倒す。


「今更だろう。エレさんのままでよい。気にするな」

「あううぅぅぅ……きょ、恐縮ですっ!」

「……あれ、そういえば、ナピレテプさんは人間ですか? それとも神様?」


 公一がそう聞くと、ナピレテプは急に背後からくすぐられた猫のようにびくつき、顔を真っ赤にして大声をあげた。


「さ、さんはつけなくていいです、ナピでいいですっ! そ、それに敬語でなくていいですからっ!」

「で、でも……」

「いいのですっ! 慣れないのですっ! お、お願いします!」

「そっ、そこまで言うなら……ナピと呼ぶから」

「そ、それでいいのです……」


 そしてようやくナピレテプは落ち着く。

 ルル・エブレクニトという緑髪の女性は、自身を女神と名乗っていたが、彼女の部下であるらしいナピレテプは何者なのか。女神というには、威厳が皆無だ。人間だって、ここまで気弱な様子を見せる者を、公一は知らない。


「わ、私は、神族ではありません。私は『天使』の一人――ルル様の従僕にあたります……」

「見たところ、血肉はある。だがただの人間でもないな」

「は、はい、私たち『天使』は神界で、神様のお世話をするために存在する種族なのです」


 神ではないが、人でもない。神の従僕。『天使』。


「……天使だって?」


 公一は、背中に翼を生やし、光の輪を頭に乗せた、絵本に描かれるような天使の姿を思い浮かべる。けれど、気弱なナピレテプから、神の言葉を伝える荘厳なイメージは感じられない。


「キリスト教的な天使と言うよりは、血肉を持つ霊。どちらかと言えば、ニンフなどに近いようだな」


 エレはナピレテプを見つめ、彼女がどのような存在かを解釈する。ニンフとはギリシャ神話において語られる、美女の姿をした自然の精霊、あるいは力の弱い下位の女神のことだ。

 不老長寿ではあるが、不死の神々ほど強くはない者たちである。


「と、とにかく神と間違うなどと、恐れ多いことはしないでほしいです。い、今のドナルレヴェンには、ルル・エブレクニト様以外に神はおりません。ルル様以外の高位神は皆、過去の戦争で滅びちゃったんですから……」

「神様が滅びた?」


『神は死んだ』と言った人物が、公一の世界にはいる。だが、それは概念的、宗教的な話であると思っていた。しかし、実際に神が存在する世界において、神が死ぬことなどあるのかと、公一は首を傾げた。


「……神とて死ぬ。己の存在を維持する力を失えば、永き眠りにつく。復活する可能性は皆無ではないが、死ぬ時は死ぬ。ウラヌスやクロノスのように」

「うう……生命神セルデア様も、戦神イッポス様も、既に。五千年前に起こった『双滅戦争(そうめつせんそう)』で、双方の陣営が、壊滅的な被害を受けました。敵も味方も、皆……ルル・エブレクニト様だけが生き残りました。で、でも、敵もまだ残っています」


 エレが、悪い過去を思い出しているような沈痛な眼差しを、ナピに向ける。


「コ、コーイチさん。あ、貴方には、この世界を滅ぼそうとする、悪意ある者を、た、倒していただきたいのです。神々と、人間と、い、生きとし生けるものの敵――『エルヴィム』を」


『エルヴィム』。それが敵となる者の名。何者かも知らず、直接的な恨みもなく、ただ、自分が生き返りたいと言う私欲のために、倒すべき者の名。

 自分で言葉にしてみると、まったくどこのテレビゲームの設定なのだという話だ。王道ではあるが、現実となると流石に陳腐に思える。


「君たちには、倒せないの?」

「ル、ルル・エブレクニト様は、た、戦いはあまり得意ではなく……ほ、他に戦力になる方も、いないので……」


 戦闘ができるものがいないから、他から連れてくるしかなかったということか。


「さ、幸いと言っていいのか……滅ぶ直前に、か、神々は、ルル・エブレクニト様に、自分の権能を譲渡しているのです。戦闘に長けた戦神イッポス様は、さ、最前線で戦っていたので、権能を渡す前に滅んでしまいましたが……。それでも、時間と空間の神ムリグ様より頂いた力を使って、ルル・エブレクニト様は、この『ドナルレヴェン』に『ウラヌギア』の者を呼び、助けてもらうことを思いついたのです」

「『ウラヌギア』?」

「お前の元々住んでいた世界。我らが司る世界。神の始祖たる、天の神ウラヌスと、地の神ガイアが創造した。ゆえに『ウラヌギア』」


 新しく出た単語を、エレが説明する。それは、古代ギリシャより伝わる創世神話。

 かつて、世界には混沌たるカオスのみがあった。

 そこから、天の父たる神ウラヌスと、地の母たる神ガイアが生まれ、二柱の神の間に、多くの神が産み落とされて、世界は始まった。その二神の名をとり、『ウラヌギア』と名付けられた世界が。


「わ、私の世界は、創造神マシュバ様と時空神ムリグ様が、お、お飼いになられていた山羊ドナルレヴェンを材料に、せ、世界を創ったので『ドナルレヴェン』と呼ばれるようになった、そ、そうです。肉は大地に、血は海に、ふ、二つの眼は月と太陽になったとか」


 死体を元に世界を創ったと聞くとおぞましいが、公一の世界にも似たような神話はある。巨人ユミルの死体を使った北欧神話や、女神ティアマトの死体を世界の材料としたバビロニアの神話がそれだ。エレの言うことが正しければ、ギリシャ神話以外の創世神話は、真実ではないということであるが。


「た、ただ、その山羊を殺したとき、良くない者も生まれました。せ、世界が生み出されるための、ぎ、犠牲にされたことへの復讐心が、う、生み出した邪悪な死の使い……それが『エルヴィム』。あらゆる神と生物を、ほ、滅ぼすことを本能とした、ふ、負の生命です」


 世界をつくるため、山羊ドナルレヴェンは殺された。山羊と言っても、言葉通り動物ではなく、便宜上、山羊と呼んでいるだけで、山羊とは別の神獣の類なのだろうが、生き物ではあったのだろう。当然、殺されることへの恐怖も恨みもあったはずだ。ゆえに、飼い主である神を、そして神が自分の死体から創り出した世界を憎んだ。確かに、復讐する権利は正当と言えようが、だからと言って大人しく滅ぶわけにもいかない。

 神々はこの自分たちの手から生まれなかった存在を、敵と定めた。


「幾度か戦ったそうですが、わ、私は当時、まだ生まれていなかったので、よ、よくは知りません。ただ、さ、さきほどの『双滅戦争』によって、互いが全滅寸前になりました。と、特に神側は被害が酷く、つ、次にエルヴィムが力を盛り返して、し、仕掛けてきたら、対抗できないと、ルル・エブレクニト様は、お、おっしゃいまして」

「異世界から助けを呼ぶに至ると。それで、あの馬鹿者――ゼウスは?」


 金髪の男『ゼウス』。公一も知っている、よく聞く名前だ。

 漫画やアニメ、ゲーム、多くの娯楽によく登場する、ギリシャ神話の主神。天空と雷の神。


「あ、あの方は、ル、ルル・エブレクニト様の、は、話を聞いた後、きょ、協力を申し出て下さりましたそうですっ」

「協力?」

「は、はい『麗しい女性が困っているなら、助けなくては』と。良い方ですので、その、あまり怒らないでいただけると……」

「……ほう」


 ナピレテプは、ゼウスをかばったが、それはエレを、より一層怒らせた。


「つまり、いつもの浮気の虫が騒いだか。あの女好きめが」


 ゼウスが女好きの浮気者であるというのは有名だ。よく美女に手を出しては、妻である女神ヘラの怒りを買っているのは、公一もギリシャ神話を読んで知っている。

 低い声で発せられた言葉に籠った怒りは、物理的な圧迫感が伴っているような気さえした。公一は、突然エレの周囲が、暗くなったのに気づく。エレによって、闇が生み出されているように感じられた。空気から熱が奪われたかのように、背筋が寒くなる。耳には、おぞましい幻聴が響くようだった。


「ひ、ひいぃぃっ!」

「あのっ、エレさん。すみませんが、抑えて、抑えて……!」


 醸し出される暗い憤怒に、ナピレテプが泣いて身を引く。その怯えようを気の毒に思い、公一がエレに声をかけた。


「ああ、すまんな。お前に怒ったわけではない」

「い、いいえ、大丈夫、です……た、ただ、正直、エレさんが纏う、『死』の空気とでもいいますか……そ、そちらの世界では、『冥府』を司る権能が、悪しきものではないと、教わってはいるのですが……こ、こちら、『ドナルレヴェン』においては、『冥府』は『エルヴィム』の司る、邪悪の属性となっているので、その」

「恐ろしいか。なるほど、ルル・エブレクニトとやらが、話もせずに急に襲い掛かって来たのも、それが原因か」

「あううぅぅ……あ、あれはルル様がごめんなさい……。で、ですが、やはり、『冥府』に対する恐怖と敵対心は、中々ぬぐいがたく……わ、私よりも長く、『エルヴィム』を相手にしているルル・エブレクニト様なら尚更で……そのぉ、ごめんなさいぃ……」


 死と、死後の世界を司る存在。確かに良いイメージはわかない。公一にしても、死の神と言われれば、悪の側と考えてしまう。公一だって死ぬのは嫌だ。


(死は……怖いよ。そりゃ……怖いさ)


 公一は、自分が既に死んでいることを改めて思う。まだゼウスとルル・エブレクニトに返事はしていなかったが、生き返れるものなら生き返りたい。だが、このエレはそれを許すだろうか。

 エレの方は、畏怖や冷たさはあっても、悪という印象はない。だが、ゼウスたちの行動について、快く思っていないエレが、公一が蘇ることを許すかどうか。神話に語られている描写によると、『彼』は冷酷にして冷徹、掟に対して非常に厳格な存在だと言われているのだ。


「そ、それでですね、ゼウス様は、ウ、ウラヌギアで死んだ人の中で、見どころのある人を、み、見繕って交渉し、い、生き返らせることを、交換条件に、ち、力を与え、エルヴィムを倒して、ド、ドナルレヴェンを救ってもらうことに、しようと……」

「……生き返らせる、か。気安いものだ」

「ひいいいいぃぃっ‼」


 再び、暗黒が溢れ出したエレに、ナピがまた悲鳴をあげる。


「エ、エレさん! 落ち着いて!」

「……すまん。しかし、死者蘇生だと?」


 公一はビクリとした。やはり、死の神にとって、生き返るなどということはご法度なのか。だとすれば、エレは自分たちに力を貸してはくれないかもしれない。


「……確かに、魂の具合が普通でない。ここが異世界であるため、疑似蘇生は保っていられる。だがウラヌギアに帰れば、世界が本来ありえない存在であるお前を、死なせるだろう」


 公一を見つめ、エレは判断する。魂の状態を判断できるのは、流石に神というところだが、改めて自分が『死んでいる』ことを思い知らされ、公一の気は滅入る。


「だが、死者の蘇生も我が領分。私を通さず、そんな取り引きなどできぬ。どういうつもりだ?」

「そ、蘇生は、ルル・エブレクニト様が行う手はずでした。生命神セルデア様の権能を持っていらっしゃるルル・エブレクニト様なら、死者蘇生も可能です。そのうえで、ウラヌギアに戻すと」

「……そういうことか。異世界において異世界の神が死者を蘇生させる。確かに異世界は私の権利の外だ」


 頷きはするものの、エレの声からは不機嫌さを感じさせた。自分の職分を侵害されているも同じなのだから、当然か。しかし、それ以上文句を言うこともなかった。死者の魂を裁く神である彼は、最も法を遵守すべき存在であると、自分を戒めている。たとえ、法の抜け穴を突いたようなやり方であろうと、法を犯していないこと自体は、認めなくてはならない。そこに、自身の感情を考慮に入れることはない。それがエレの矜持であった。


「だが、それは死者蘇生についてのみの話。そもそも、死者の魂を冥府に送らず、異世界に送る時点で、私の領分を侵している。やはり、ゼウスとは話をつけねばならん。ここから『ウラヌギア』に帰るにはどうすればいい? 早くゼウスを問い詰めねば」


 ナピレテプと話をし、やはり自分の権利と義務を侵害されていると確信したエレは、ナピに、自分を元の世界に戻す方法を聞く。

 しかし、ナピは困った顔を更に困らせて、言いよどんだ。


「うう……それは」

「帰る必要など、ありませんヨ」


 突如、それまでいなかった何者かの声が、夜の闇の向こうから響いた。


「誰っ⁉」


 公一は思わず腰を上げて問いただす。対する声の主は、カツカツと足音をたてて、公一たちの方へ近づいてきた。


「これは失礼。私はイライツと申しまス」


 光に照らし出された声の主は、人間ではなかった。

 真っ白な顔には、鼻も耳も口もなく、毛の一本、黒子一つもありはしない。ただ中央に赤い眼が一つだけ、爛々と輝いていた。黒い紳士服の上下に、白手袋、そして赤い蝶ネクタイを身に着け、足には革靴を履いている。

 そして、山羊のような、螺旋に巻いた角が2本、鋭く天を衝いていた。

 ナピレテプが恐怖に引きつった声をあげる。


「エ……エルヴィムっ!」

「その通りでス。吐き気がするほど臭イ、あのアバズレの飼い犬。チンケな天使ヨ。初めましテ、そしテ、おやすみなさイ……永遠ニ!」


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