38:地獄王エレ
エレは戦場を見渡す。
神殿前の広場には多くの物が散乱していた。砕けた石像の破片、武器の残骸、かつて人間だった肉塊。その中で、彼はまだ残骸になっていない武器を手に取る。正規軍のものではなく、傭兵が逃げる時に捨てていったものだろう。
その武器の名は『二股の矛』。エレの得意な得物だ。普段から愛用しているものに比べるとやや短いが、贅沢は言うまい。そしてエレは自らの指先を刃先にあて、
「……『許す』」
傷つくことを許容した。本来、神を斬ることなどできない鉄の刃は、エレの肌を切り裂く。
傷口から流れ出たのは、赤い粘りのある液体ではない。輝く液体のように見えるが、実体のない『光』そのもの――『神血』である。
「……『纏え』」
エレは『神血』を媒介として、矛に己の内にある力を流し込む。『神血』は姿を変え、武器の内に入り込んでいく。それは黒い気体の形をしていて、人の眼からすれば一見、『闇』か『影』とでも思っただろう。
しかしそれは本質ではない。エレならば『闇はエレボスかニュクス、あるいはヘカテーの領分だ』と訂正するだろう。
ともあれ、白く磨かれた刃は、夜よりも黒い闇色に染まった。
「エルヴィムは、ただ金属を操っただけでは傷つけられないからな……。さて」
エレはまず、ザライとナナが戦っている方の下位エルヴィムに目を向け、
「『開け』」
呟いて、足でトンと地を叩く。直後、大地が口を開けて彼を飲み込み、その姿を地下へと運び去る。
次にエレが顔を出したのは、下位エルヴィムの背後であった。
「む?」
「え?」
下位エルヴィムと向き合っていたザライとナナが、突如地下から現れた銀髪の男に驚く。
「余計な事だとはわかっている。このままでも勝てるとは思う。しかし」
エレは人類の災厄と称される魔性の傍らに立ち、まるで恐怖することもなく淡々と言う。
「コレの相手をして欲しいと、祈られた。ゆえに諸君の領分に干渉することを、許してもらいたい」
どこまでも『領分』にこだわり、戦闘に介入することへの許可を求めるエレに、秘書官と執事はやや戸惑いつつも、
「……手助けしてもらえるなら、否はありませんが」
「ええ、その、よろしくお願い申し上げます」
許可を出した。
エレが結構と頷いたと同時に、ゴートはこの奇妙な乱入者に腕を振り下ろす。鎧を纏っていようが、まとめて人体を粉砕する魔物の一撃。しかし、
「無駄だ」
闇色に染まった二股の矛をかざし、その攻撃を受け止める。
メェェェェェェェッ⁉
次の瞬間、矛から炎が噴き出し、下位エルヴィムを焼いた。山羊の口から悲鳴があがり、肌が爛れる。
「……『灼熱地獄』」
片腕が傷ついた下位エルヴィムであったが、怯むことはなく焼けた腕を振り上げ、叩き付ける。エレはその腕を今度はかわし、矛先を敵に向ける。
「……『針山地獄』」
突如、無数の針が矛先から飛び出し、エルヴィムの体に突き刺さる。黒い針は怪物にさえ激痛を与え、脚を貫いた針は地面にも深く突き刺さり、怪物を大地に縫い止めた。
それが、地獄王の力。地獄そのもの。その矛に纏わせたのは、闇ではない。ウラヌギアにおいて、神々が生み出した、罪人への刑罰として『彼ら』が人類に試してきた、あらゆる『地獄』の概念である。
ギリシアを始め、インドのナラカ、北欧のニヴルヘイム、キリスト教のゲヘナ、日本の黄泉比良坂、メソポタミアの不帰の国、中国の泰山――全ての『死後の世界』がエレの中にあり、それを少しだけ解放し、攻撃としているのだ。
だが、
メエェェェッェェエッ‼
下位エルヴィムは、痛みに苦しみながらも、怖気はせずにエルへと吠える。
「まだ戦意は失わぬか」
エレは少し呆れたように呟く。怒りと憎しみにかられた下位エルヴィムは恐れも逃げもせず、敵対者を睨む。そして、エルヴィムの基本攻撃手段である『力弾』を生み出す。しかも、それは今までこの下位エルヴィムが撃ち出していたものより二回りは大きいものだった。
「……怒りや憎しみを、力へ変えられるか。ウラヌギアの怨霊どもと、似たようなものか。つまり、傷つけば傷つくほど強くなる。消耗はしても、弱体化はしない。負えんな」
エレは放たれた光球をかわし、
「……どうした?」
「……はっ?」
下位エルヴィムを翻弄するエレの力を見せつけられていたナナが、急にエレから声をかけられ、彼女にしては間の抜けた声をあげてしまう。
エレは、針を抜くことができずにもがく魔性を指差し、
「とどめを刺せ。それはお前たちの領分だ」
全てを片付けはしない。後始末はしない。手助けはするが、これはナナがやらなくてはいけない仕事なのだからと。
「…………っ!『シラノス』!」
エレの圧倒的な権能を見せつけられ、無意識に甘えた自分を恥じ入る。ナナのしなやかな手に握られた剣に、白い輝きが生まれる。
冷気がショートソードを包み、氷結させる。剣を傷めず、ただ魔術による威力のみを斬撃に上乗せする。『魔術武装』の技である。
「はっ!」
ナナが駆け出す。しかしいくら動けない下位エルヴィムでも『力弾』がある以上、脅威は変わらない。むしろ、動けないことに憤るエルヴィムは、今までより強力な『力弾』を、今までより速く連射して、ナナを攻撃する。
(……動かないか)
けれど、エレはこちらを見ながら動く素振りは見せない。彼の仕事は終わったと言うことなのだろう。彼の言う『彼の領分』で収まる分の仕事は。ゆえに後は、見守るだけ。
(不思議な男だ。だが良かろう。これは私の仕事)
ナナは続けざまに発射され、飛来する五発の光球を真っ直ぐ見据え、小刻みに足を動かす。
「フッ……フッ……」
猟犬の吐息のように呼吸のリズムをつくり、左右に攻撃をかわしながら、止まらずに前進する。そして、エルヴィムの前に辿り着くと、
ギメェェェェェェッ‼
エルヴィムの牙が、ナナの喉笛を喰らい裂かんと迫る。しかし、それはナナにとってむしろ好都合だった。
「そっちから首を寄越してくれるとは!」
一閃。
ザライのナイフでも浅くしか傷つけられなかった下位エルヴィムの肌。それをナナが手にする氷の剣は、瞬時に凍結させ、脆く変質させて、砕き貫いた。
首が粉雪のように粉砕され、山羊の頭は地に落ちて転がり、そしてすぐに粉々に砕けて砂のように散らばり、やがて夜の空気に溶けるように消滅した。
「ふう……」
「まだだぞ」
「!」
一息ついた、ついてしまったナナへ、『力弾』が放たれていた。
それは、残ったもう一方、メイド姉妹が相手にしている方の下位エルヴィムが放ったもの。
数は三発。
「く!」
エレの助言に反応したナナは、最初に飛んできた一発をかろうじてかわす。だが残りは間に合わない。
「『レイラデン』!」
残りの二発に、ナイフが群れになって襲い掛かる。ザライが土魔術で『力弾』の迎撃を行ってくれたのだ。白い光球はナイフに切り刻まれて消滅した。
「助かりました」
「いえ。それより」
秘書官と執事が、メイドたちの加勢へと動く。
メェェェェッェェッ‼
仲間を殺された下位エルヴィムは、怒りに燃えて更にその恐ろしい憎悪の力を、上昇させていた。四対一となっても、その攻勢が鈍る様子はない。けれど、流石に分が悪かった。
「『シラノス』!」
ナナの放った『氷の棘』が下位エルヴィムの脚を凍らせて、動きを鈍らせる。
「『レイラデン』!」
ザライのナイフが鋭く、爛々と輝く目を貫き、
「『メイドーマ』!」
ミシェルの操る水塊が、魔性の両腕に手錠のように絡みつき、腕力を封印する。
そして、
「『ビュービート』!」
動きが悪くなった隙に、至近距離まで近寄ったナンシーは空気を操る。高速で動く空気は甲高い音を発生させた。そして超圧縮された空気が超高速で螺旋を描き、標的に叩き付けられる。空気が刃となって、目標を中心に輪を描き走る。
「断ち切れぃっ!」
ザクッと、野菜を包丁で切る程度の音があがり、下位エルヴィムの首が落ちる。
ナンシーが使える中で、最強の破壊力を持った風魔術『空斬り』。触れられるほどに近寄ってからでないと使えないが、威力は見ての通りである。
グメェェェェェェェッ!
下位エルヴィムが首だけになって吠えた。その眼はいまだに憎悪に燃え、落下し地に落ちる前に、せめて一矢報いんと口元に『力弾』を生み出さんとする。
その一発が放たれていたら、一人くらいは殺されていたかもしれないが、
「……『墜ちよ』」
その可能性もエレの呟きにより、ゼロになる。
光球が幽かに生まれ出したと同時に、蠟燭の火が吹き消されるように揺らいで消滅した。
ギャメェェェェェェッェェェ‼
下位エルヴィム自身の肉体が怨嗟の雄叫びをあげた。下位エルヴィムを邪魔し、『力弾』を消し去ったのは、彼らが最も嫌うもの。それは、かつて彼らを生み出した『ドナルレヴェン』が最も恐れ、憎んだもの。
すなわち『死』である。
理解できたかどうかわからないが、下位エルヴィムの首は地に触れた瞬間、砂のごとくなり、崩れ去った。
死ぬ直前の下位エルヴィムの悪あがきを防いだ、地獄王の権能。生きていることの否定。自分の国の住人とすることの強制。肉体を傷つけるまでもなく、命だけを奪う権限。
死刑執行にあらず。
『死』の執行。
それは、命の無い現象においても有用である。
「……貴方がやったな?」
何があったかは理解できないにしても、エレが何かしたと察したナナが近づいてくる。
「感謝する。エレ殿」
「……少し、領分を踏み出した。むしろ余計な手出しだと思うがな」
「そんなことはない。貴方が手を出さなくては、私たちの誰かが死んでいた。気に食わないかもしれないが、どうか礼を受け入れてほしい」
真摯に頭を下げられ、エレは無表情を崩すことはなかったが、フウと息を吐いて答えた。
「……では、どういたしましてと言わせてもらおう」
エレとナナの硬い態度での会話が妙におかしく、メイドたちがクスクスと笑う。
(しかし……問題もある)
権能を使い、二体の下位エルヴィムの排除に手を貸し、公一からの願いを達成したエレであったが、
(……この程度でか)
誰にも気づかれぬよう、そっと自分の手を見る。
その手はうっすらと透けて、向こう側の景色が見えていた。
(下位を二体、相手にしただけでこれか。上位エルヴィムと戦うのは難しいな。やはり公一には頑張ってもらう必要があるようだ)
やがて手は実体を取り戻す。その間も、表情は終始変わりはしなかった。
◆
(ちぃっ、これはまずいな……)
フックは現状に焦りを覚えていた。
公一の手に渡った剣は、自分を殺すものだ。ジェインの魔術などより遥かに強力に、遥かに容易く。
この世界のものとは違えど、本質的に同じ『神』の力を秘めた、まさに神秘の武器。今までは、肉弾戦においては総合的に互角。耐久力と再生力では公一を上回り、『力弾』による遠距離攻撃の所持により、公一より有利に戦えていた。
しかしそれが崩れてしまった。
「はああああああっ‼」
そのことを公一も感じているのか、先ほどまでより果敢にフックに攻め込んでいる。流石にこの剣は防御できるものではない。フックは体全体でかわし、距離をとって『力弾』を撃ち込む作戦に出る。
「いやあああああっ‼」
だが連続で放たれた光球も、ことごとく聖剣によって薙ぎ払われ、斬り潰される。そして、凄まじい健脚によって走り込み、間合いを潰して切り込んでくる。
いつもであれば幻術で翻弄するのだが、公一にはそれが通用しない。
(奴の能力は、未来予知の類ではない。それにしては無駄な動きが多い)
フックは、ジェインの屋敷に忍び込んだときに気づかれたことからして、付近の目に見えないところに、物理的に存在する物を感知している。
蛇が、生き物の熱を感じ取って、獲物を探すように。蚊が、動物の吐く息に含まれる二酸化炭素の臭いを嗅いで、血を吸う相手を見つけるように。
何かを感じて、フックのつくる幻に惑わされることなく、フックの実体を見つけている。
だがそれは、幻を見抜くことができるだけだ。幻を使わなければ、普通の戦闘になるしかない。それだけなら、やり様はある。
(……よし)
一つ策を思いつき、フックは行動を開始した。




