35:幻星
公一はとにかく走った。止まれば『力弾』の的になる。まさに目にも止まらぬ速さでフックの背後に回り込み、渾身の拳を放つ。少年の細い腕には、大地を割る怪力が宿り、分厚い鉄板も貫く威力を持っていた。
だが、フックはその拳撃を、右腕一本で防御する。激しい音が起こり、フックの足元の大地が陥没するが、フック自身は小揺るぎもせず、
「……これは、まともにくらえば辛いな」
そう評価すると、反対の腕を振り上げ、公一の顔面を殴りつける。
「ごふっ‼」
頭が吹き飛ぶかと思った。
公一は十メートル近く殴り飛ばされ、地面を転がる。
「ぶふっ! ぷはっ! ぺっ!」
口の中が切れたらしく、鉄臭い味が口内に広がる。血混じりの唾を吐き出し、立ち上がる。既に、フックはこちらに走ってきていた。今度は蹴りが放たれる。公一は両腕を上げ、これを防御したが、防御ごと薙ぎ払われ、その身は更に吹っ飛んだ。
「くそっ!」
今度は地面を転がる前に、手を地について跳ね起きることに成功する。
(けどっ、まずいぞ……。エレさんに言われた通り、どう戦えばいいのかわからない……!)
公一の武器は、単純に強力な身体能力。それしか無い。しかも使いこなせていない、限界もわかっていない身体能力だ。それを活用する知識も経験もない。
そして、このフックは出鱈目に力を振り回しているだけでは勝てない。力が決定打にならない相手だ。しかも、自身の力は公一と同等で、公一より力の使い方や戦い方をわかっている。そのうえ、どうも油断はしてくれないようでさえある。
このままでは、負ける。
「しぶといな。だが、これなら」
フックは静かに手をかざす。総毛立つ感触が公一の体を走る。
(まずっ)
「終わりにするとしよう」
下位エルヴィムのものより強力な『力弾』が放たれた。公一が必死に避けたため、光球は大地に着弾し、大きなクレーターとなる。九死に一生を得たのもつかの間、フックは『力弾』を連続で撃ち込んできた。
「くううううううっ‼」
公一が全力で走る後を追うように、背後で『力弾』が着弾しているのが聞こえる。爆音と爆風が公一の背中を押している。追いつかれたら、今の公一の肉体でも耐えられるかわからない。いや、おそらく耐えられない。そう判断したからこそ、フックは『力弾』を放っているのだ。戦闘経験のない自分の見識より、多くの死を自ら生み出してきたであろうフックの判断の方が正確であろう。
「持って十数秒というところか」
冷酷に、公一の余命を測り、フックは光球を放ち続ける。彼の眼には、厄介な敵の確実な死が見えていた。だがそれゆえに、敵にすらならないと見下した者の行動を、見逃してしまっていた。
先ほど公一が投げた女神像。その残骸の影から、フックの油断を貫く者が飛びかかった。
「『ビュービート』ォォォッ!」
「ナニィッ⁉」
横合いから『前線領主』の全力の槍が捻じ込まれた。渦巻く風を推進力とし、回転力は破壊力へと転じる。その速度は、今日繰り出した中でも最速であり、音をも置き去りにするほどであった。その穂先がフックの右腕に突き刺さり、そして爆散させる。
「がぁぁぁぁっ⁉」
思いもよらぬ奇襲に、上位エルヴィムの右腕がちぎれとび、公一への攻撃がやむ。『ジェイン・ダーリングの槍はエルヴィムさえ貫く』と言う噂が、現実の物になった瞬間であった。
「…………ッ! 貴様ァァァァッ‼」
フックは憤激する。エルヴィムにとって、このドナルレヴェンに存在するものは、ことごとく憎悪と怨恨の対象である。そんな、何があっても決して許せない相手に、片腕を破壊されたとあっては、抱く怒りは想像を絶するものとなる。
ジェインが更に繰り出した『捩突き』を今度はかわすと、残った左腕を振り上げる。
「死ィィィィィッ!」
叫びをあげて、鎧程度はグシャグシャに変形させる腕の一振りを、ジェインへと叩き付ける。だが、冷静さを失ったフックは、今度はジェイン以外のものから、目を逸らしてしまっていた。
これは、エルヴィムたちにとって共通の弱点である。すなわち、限りない憎悪の対象であるドナルレヴェンの者に傷つけられると、とても冷静ではいられなくなるのだ。
「『マチルガ』ッ!」
そしてフックは再び、新たな手勢の攻撃を受けてしまう。
「ッ…………誰だッ!」
振り上げた左腕を『火の玉』で撃たれ、ジェインへの攻撃を止められたフックは、犯人へと怒声をあげる。
その相手は、金色の髪をした小柄な少女――ナピレテプ。先に逃げた傭兵の一団と遭遇した混乱の中で、遅れてしまったものの、何とか辿り着いた。
「ぶ、無事ですかっ! ジェインさん!」
「天使かっ!」
神に直接使える天使は、エルヴィムにとって人間以上の憎悪の対象である。煮えくり返った声を吐き出し、フックは更に感情を昂ぶらせる。しかし、
「はぁっ!」
「ちぃぃぃっ!」
公一が走り込み、拳を叩き付けていた。フックは身をかわし、ちぎれて落ちた右手を拾い上げると、いったん距離をとる。分断された右腕の断面を重ね合わせると、溶け合うようにして断面がくっつき、元通りに繋がった。フックは右手の指を動かして、きちんと治ったことを確かめる。
「人間にしてはやるが……再生できないほどの深手ではなかったようだな」
再生力も優れていると言う敵の長所を見せつけられ、公一たちの表情が険しさを増す。そんな公一とジェインに、ナピレテプが駆け寄って来た。
「わ、私、間に合いましたかっ? な、なんだか、とんでもないことになっているようですがっ!」
「ありがとうナピ! 凄く間に合ったよ!」
「かなりいいタイミングで間に合った! 感謝する!」
二人から大変な感謝を受け取り、ナピは顔を赤くしてあわあわする。
「ふぇぇぇ……わ、私はただ公一さんをほってはおけず、あ、いや、そ、それより、あ、あれ上位エルヴィムですよねっ! またっ!」
「うん……前に戦ったエルヴィムの仲間らしい」
「え、えっと、記憶、見せてもらっていいです?」
「え? ああ、どうぞ」
「ちょ、ちょっと失礼します。『伝令開始』」
ナピレテプが公一の顔を見つめ、意識を集中させる。公一の記憶を『伝令』の権能によって読み取り、彼がここについてからの記憶を共有する。
「うむむむ……な、なるほど、これは厄介な……」
ナピは顔を蒼褪めさせる。
人間に変装するエルヴィムは、エルヴィムの中でも特に危険で悪質な脅威である。
幾度も人間に化け、社会に入り込み、時には勇者や要人に化けて、混乱を引き起こした。戦闘力は低いことが多いが、それでももたらす被害は甚大なものになる。幸い、『影の形だけは幻で変化させられず、元の形のままか、あるいは完全に消している状態にするしかない』ということがわかり、それを次世代に伝えるようになってから見破りやすくはなったが。
そして、戦闘力が低いと言ってもそれはエルヴィムという怪物たちの基準においての話であり、人間相手であれば一体で一万人規模の軍隊であっても全滅させられる。エルヴィムに通常攻撃は通用しない。神々から賜った、魔術によってでしかダメージは与えられない。異界の勇者であれば通常の打撃でもダメージは与えられるというが、今のところ防がれてしまい、決定的なものにはなっていない。
「つまり……ダ、ダメージらしいダメージは、ジェイン様の魔術だけですか」
ナピレテプの魔術はさほど強くない。本来ならもっと強い魔術を使えるが、地上に堕ちた天使では、魔術師としては初級程度の力でしかない。
「天使……逃げたと思ったがな」
「私たち天使も、人間も、神々の創造物……なら、人間は私たちにとって兄弟です。ま、まして親切にしてくれた人を、見捨てることはできませんので!」
ナピレテプはフックの殺気に怯えそうになりながらも、なけなしの気迫を見せて、言い返す。
「え? 天使?」
「それは後で! とにかく、助けが来てくれたから、これからどうするか……」
彼我の戦力差を考慮し、公一は即席の作戦を立てた。
「ジェインの魔術を命中させる。それが一番確実な勝ち目だと思う。だから、僕があいつの動きを抑える。ナピは少し離れた場所から援護と、注意することがあれば『伝令』で連絡をお願い。そして、動きを止めたら、ジェインが攻撃を繰り出す……どう?」
「……単純だが、即席の連携であまり複雑な作戦を立てても実行できまい。それで行こう」
「き、気をつけてくださいね?」
「ああ!」
公一が走り出したのと、右手が問題ないと判断したフックが走り出したのは、偶然にも同時であった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ‼」
「フンッ!」
公一の拳と、フックの拳がぶつかり合う。フックの方が、少し押され、弾かれた。
(力だけなら、勝っている)
ほんの少し希望ができる。フックのもう一方の手が、公一の腹に向け殴りかかる。
公一が左にずれてそれをかわす。そのまま左に回り、フックの複眼目がけて拳を振るう。
フックの右の手のひらが公一に向けられ、光球が生み出される。公一は振るった拳を、敵の顔面ではなく、『力弾』を叩き潰すのに使う。
光球は粉砕できたが、拳が擦り切れて出血する。
フックの蹴りが放たれる。
公一は自分から後方に跳び、それをかわす。
フックが『力弾』を放つ。
公一が避ける。
公一が殴りかかる。
そのような攻防をどれほどしたか。実際は三分とかかっていなかっただろうが、公一には何時間にも感じられた。泣きたくなるくらい濃密な時間。
そして、フックの拳が来たとき、公一はチャンスととらえた。
「はっ‼」
公一は拳をかわさず、胸部で受ける。若干身を反らして衝撃を殺いだものの、心臓が止まるかと思った。だが負けずに、自分の胸の前で伸びきった、包帯を巻いたようなその腕を、両腕でつかみ取る。
「ぬ!」
今までの攻防ではしなかった行動に、何か感じたのかフックが呻く。自由な左手から『力弾』を放とうとしたが、
「『マチルガ』っ!」
十メートルほど離れた位置から、ナピが飛ばした『火の玉』がその手を打ち、『力弾』を防ぐ。
「『ビュービート』!」
そして、ジェインが呪文を唱えて突進する。槍に纏う風は、今までで最大の風力で回転していた。
「……ちっ」
動きを止められた上位エルヴィムに、『前線領主』の槍が迫る。魔性は苛立たし気に舌打ちを漏らし、
「嫌悪を連ね……虚ろを象る……」
あと数歩まで近づいたところで、
「『幻星』」
姿を消した。
「っ‼ しまった!」
幻を纏い、姿を消す術。影一つ残さず、公一ごと姿を消した敵に、ジェインは狙いをつけられずに動きが一瞬鈍る。
(だが、これ以上の好機はない!)
それでも、意を決し『捻突き』を繰り出した。先ほどまで確かに姿が見えていた、エルヴィムの心臓部に向けて。
そして、
「うあああああぁぁっ‼」
悲鳴があがった。公一の。
「っ! しまっ! コーイチィィィッ!」
絶望と後悔にかられ、ジェインが槍を引き戻す。だが、
『駄目です! 罠です!』
ナピの声が、直接ジェインの脳内に響く。
「えっ」
虚空としか見えない空間から、光球が放たれた。ジェインは咄嗟に槍で弾く。弱まってはいたが、風魔術を纏った槍はそれを持ち主にまでは届かせなかった。しかし、槍自体は耐え切れず、圧し折れてしまった。穂先の部分が回転して地面に突き刺さる。
「惜しかったな」
そして、幻が消えて姿が現れる。上位エルヴィムが右手をかざして、武器を失ったジェインを見据えていた。その複眼から感情を読み取ることはできなかったが、放たれる怒気と殺気は明らかであった。




