33:天使ナピレテプ
時は少し遡る。
公一がジェインたちを助けに、神殿へと走った後。夜の街道に、エレとナピレテプが残されていた。
「あ、あ……あの!」
おずおずとしながら、最後に意を決して口を開き、ナピレテプがエレに声をかける。
「……なんだ」
「あのっ、こ、コーイチさん行っちゃいましたけどっ!」
「そうだな」
その冷たい返答に、一瞬怯むが、
「こ、このままにしていいんですか? コーイチさん、危ないんじゃ」
「危ないとわかって行ったのは、あいつだ。忠告はした。そのうえでの判断ならば、仕方あるまい」
「そんなぁ……」
涙目になるナピは、公一の駆けていった方と、エレの無表情とに、交互に視線を送る。しかし、立ちすくむばかりで、行動を起こすことはできない。
「……お前にも忠告しよう。いや、この世界の天使の役割についての知識はないが、エルヴィムから世界を守ることを優先するのなら、人間同士の戦いに介入する意味はない」
公一に言ったことと同様、何もするなとナピレテプに言うエレ。
「け、けど……けど……」
エレを考え直させる理由を探そうとし、しかし焦るあまりに上手く考えることが出来ず、混乱に陥る少女天使。視線をオロオロと動かすあまり、そのグルグルと回ってしまっているような目を見ながら、エレは更に言った。
「いずれにせよ……公一に対しては、ウラヌギアの神として言葉をかけもするが、お前に対しては、命令をする領分があるわけではない。お前の行動を縛る気など、ない」
「へ……?」
エレが何を言いたいのか、よくわからずにナピはキョトンとした顔になる。
「私はいない者と考えろ。助けが元々ないと考えて……お前はどうする?」
「…………あ」
ナピは口を開き、それからエレに、ペコリと頭を下げた。
「……すみません。元々、私たちの世界の都合で巻き込んだエレさんに、頼ってしまっていました! そうですよね、この世界で何かするのは……私の領分ですよね」
エレの助力を得ようとするばかりで、自分だけの力で公一を助けようとしていなかった自分を恥じ、顔を赤くして謝る。そして顔を上げた時、その目に涙はなく、決意の光があった。
「私、行ってきます!」
どもることなく、ナピレテプはきっぱりと言い、エレに背を向けて、元来た道を引き返していった。早いとは言えない足を、懸命に動かし、公一を追って行く。
「…………まったく」
その小さな背中を見送り、エレはため息をついた。
「イカロスを例にあげるまでもなく、忠告を聞かぬ者は自滅する。正しく自業自得だな」
冷たい呟きが、夜の空気に流れる。
「この荷車も……もう、必要ない」
直後、街道から人の姿は消え、ただ荷車だけがポツリと、取り残されるだけとなった。
◆
その場にいた誰もが硬直する。
公一もジェインも、ナナもギモージアも、兵士も賊徒も、軍馬や軍用犬に至るまで、生きとし生けるものはすべて、突如湧き出た瘴気に恐れ戦いた。
「エルヴィムだと……嘘だ。そんな……」
ギモージアは自分が雇っていた相手が、人外の魔性であったことに慄いていた。盗みも裏切りも、人を殺すことも心を痛めずに行える悪党と言えど、エルヴィムに加担することなど正気ではできない。それは全人類を敵に回すことだ。それを誰よりも知っているダーリング家の人間なら尚更だ。
「ギモージア……」
「ひぃっ!」
呼びかけられ、ギモージアは腰が抜けて尻もちをつく。立ち上がることもできず、せめて手足をバタつかせて地面を滑り、逃げ出そうとする。その無様さを面白くも無さそうに見つめながら、エルヴィムは語り掛ける。
「お前には感謝してやろう。お前が許可をくれたおかげで、結界を通り抜けられた」
「ち、違うっ! 儂が呼び入れたのはお前ではない!」
神殿のつくる結界はエルヴィムの侵入を阻む。町を包むほどの大規模な結界を、力づくで破壊するのは、上位エルヴィムでも難しい。
結界を通り抜けるには、結界の責任者である神殿長に『結界を通り抜ける許可』をもらう必要がある。そして、ギモージアは許可を出した。暗殺者をこの町に呼び入れてしまった。
人間技とは思えぬ牢獄への侵入を成し遂げたのは、人間ではなかったということだ。タネがわかればつまらない答えだが、そのタネを知らず知らずのうちにつくってしまったギモージアにしてみれば、つまらないどころではない。
「儂が呼び入れたのはジェイムズだ! や、奴はどうしたんだ!」
「……喰らった。このように」
フックと名乗ったエルヴィムは、答えながらギモージアに手を伸ばす。鎌首をもたげた蛇のように。
「やっ、やめろっ!」
ギモージアは今にも発狂しそうなほどの恐怖に囚われながら、腰が抜けて逃げることもできずにいた。
その様を複眼の目で見つめながら、フックは嘲る。この男がいなければ、この男が神殿長でなければ、ここまで上手くことは運ばなかった。口で言うほど感謝していたわけではないが、時間をかけて苦しめるのも面倒くさい。このまま魂を喰らってやろうと、ギモージアに触れようとした、その直前、
「ッ⁉」
ミイラ男じみた顔に蹴りが放たれる。エルヴィムはギモージアに触れようとした腕を戻し、蹴りを防いだ。しかしその衝撃で、上位エルヴィムは二メートルほど後方に押し出される。
「……貴様」
フックの複眼が蹴りを放った少年を見据える。南郷公一――フックがそもそも、人間の町に潜り込んでいた理由。
「そうだな貴様から滅さねばならない。そも貴様のために、わざわざこのような真似をしたのだ。イライツを殺したのは、貴様だな?」
フックにとっては仲間である、『迅雷』のイライツを倒した相手。
「コーイチ……! 異界の勇者……!」
その名を呼ぶ。怨嗟と憎悪を込めて。
◆
「な、なんなんですか一体!」
ナピレテプは困惑し、思わず叫んでいた。
走り出してから数分、目的地までもう少しであるが、人間並みとなったナピの脚で、全力で走り続けるのには無理があった。速度が緩み、足取りはヨロヨロとしたものになり、息は荒く、ついに一旦立ち止まり、呼吸を落ち着けていたところで、異変は起こった。
彼女が向かおうとする方角から、多くがむさ苦しい男たちで構成された集団が、走り寄せて来たのだ。更にその後を、綺麗な鎧を着た男たちが追ってきている。
「待てぇぇぇ‼」
「大人しく縛につけぇっ!」
折っている側が、オギトの正規兵であることはすぐにわかった。
ならば、このむさ苦しい男たちは敵兵であろう。
(ということは、ジェインさんたちが勝った?)
助けに駆け付けるのが間に合わなかったということは、大変情けないが、ジェインが勝利したということなら、喜ぶべきことである。公一も無事だろうと、安心しようとしたところで、更に物が壊れる音や、悲痛な悲鳴が響いて来た。
「っ‼」
まだ、終わったわけではないことを知り、ナピレテプは、疲れで痛む足を必死で動かした。逃げる傭兵と、追うゾシウ兵の隙間を縫い、神殿前へと急ぐ。
ナピレテプ。その生まれは天使。
天使と言うのは、神々に仕える従者として生まれつく。
赤ん坊の頃は無く、親も無く、気がつけばそこにいて、仕事を命じられている。そういうものだ。
生まれ落ちた時には既に、しっかりとした意識があり、体は成長していて、ある程度の知識も保有している。生まれてすぐに、ルル・エブレクニトに仕え、それ以外の生き方は存在しない。その生き方が魂に刻まれているのか、不満を抱くことはない。
だから今でも、女神に対しての反抗心などがあるわけではないが、公一がナピレテプにしてくれたことは、全て初めてで、あまりに新鮮で、笑ってしまうくらい嬉しかった。
自分を助けてくれた初めての人。
自分が助けたことに、お礼を返してくれた初めての人。
その人を、失いたくない。誰の指示でも命令でもない。理屈にも理由にも、難しいことはなく、ただそれだけのために。




