32:怨敵襲来
「ヒィィィィィ!」
恥も外聞もなく、ギモージアは逃げていた。
「う、馬は、馬は何処だ!」
戦闘のために馬を全て使ってしまったため、逃走のための馬は残っていない。負けた時のことなど考えたくなかったため、敗戦時の準備を怠っていたのだ。無論、準備していたところで最終的に逃げ切ることなどできなかったであろうが。
「……もう諦めよ。ギモージア!」
右往左往するギモージアに、夜光百合の光が放射され、彼の姿を闇の中からさらけ出させた。光の眩さに、思わず目を手で隠す彼の前に、振って来た槍がグサリと突き立つ。次に、
「あひぃっ!」
「見苦しいぞ。潔く負けを認めろ」
カツンカツンと足音を立て、高出力の光を放つ質の良い、懐中型夜光百合を手に構えて、ジェインが声を放つ。
その背後に公一が立ち、趨勢は決したと見た執事やメイド姉妹も走ってきている。二階のバルコニーからはギモージアを追ってナナが跳び下り、見事に着地を決める。
ギモージアに逃げ場は無かった。
「おぉぉぉぉ……おのれ小娘ぇ! 貴様さえ、貴様さえいなければぁ……!」
振り向いたギモージアの顔は涙と鼻水に汚れ、見るに堪えないものだった。
「私がいなくても誰かがこうしていただろう。貴方は私腹を肥やすことに関して、中々に有能であった。悪事がバレた時、後始末をすることも下手ではなかった。けれど結局、後始末が上手くいかなければ、脆く崩れるものだった」
三年の間、ギモージアは旺盛に悪事を働いた。盗賊と繋がり、盗品売買に手を染め、神殿の権威を利用し、金を集め、欲を満たし、邪魔しようとする者は排除した。
しかしその程度だ。結局は暴力による解決策しか持ち得なかった。
「貴方は、自分で思っていたより悪事の才能が無かったのだ。諦めるんだ……叔父上」
ジェインがした呼びかけに、公一は驚愕した。
「黙れっ! あの女そっくりの貴様を、儂はずっとずっと嫌いだった! 女のくせに儂を見下すその態度……母親そっくりだ! 我が姉そっくりだ!」
ギモージア神殿長。神官となり姓を外す前の名は、ギモージア・ダーリング・ブラキオ。ジェインの母の弟であった。
「どいつもこいつもこの儂をなぜ認めん! 儂がダーリングの長男だぞ! 本来なら儂がオギトの領主なのだ! なのになぜ領主の座を、姉の夫の入り婿などに奪われねばならん!」
このジェインとは似ても似つかない男が、ジェインと近しい親族であることに驚きながらも公一は思う。昔からこの言動であるとすれば、領主になれないのも仕方ないだろうと。
「……貴方は私が生まれる前から、オギトを嫌っていたと聞いていましたが」
「嫌いだとも! 大嫌いだ! 先祖の罪などでずっと後ろ指をさされてきた! オギトの、ダーリングの生まれだというだけでなぁ! ダーリング家にさえ生まれなければ儂はもっと、力を示し、満ち足りた人生を過ごせたのだ! それが生まれのせいで……ダーリング家など無ければよかったのだ!」
だから神殿に入った。神官となると、俗世との決別の意を示すために、姓を無くすことを要求される。姓を捨て、ダーリングと決別した。そして神殿の中で、ギモージアは己が才覚を見せつけようとした。
実際に見せつけるほどの才覚があったかは疑問だが、そもそも才覚の有無が評価されるよりも前に、彼は目をつけられた。オギトを危険視する、国の中央の政治家に。
あの手この手でオギト領とダーリング家の弱体化を狙う彼らにとって、ギモージアは最適な駒となった。ギモージアと結託し、彼をゾシウの神殿長の座に着かせることに成功した。そして、ギモージアは神殿長の権威を存分に振るい、自身の欲望を満たした。ギモージアが好き勝手をするだけで、黒幕たる中央政治家の目的は達成された。ダーリングの血筋の者が、オギトを踏み躙る。ダーリングの名を汚し、ダーリング家を信頼する領民の離反を促し、オギト領を弱体化させることができるのだ。
ギモージアも自分が利用されていることは理解していたが、自分の欲望を満たせるのなら問題ないことだ。そもそも彼にとって、実際には才覚を認めさせるなど二の次、才覚によって手に入れられると本人は考えていた贅沢な暮らしの方が重要だった。『力を示す』ことではなく、『満ち足りた人生』こそが主眼。彼は自分が良ければそれでいいのだから。
ただ、ギモージアの怒りには、ジェインから見て矛盾があった。
「ではなぜ、その大嫌いなダーリングを継げなかったことを憤るのですか?」
「決まっている! 儂のものだからだ! 儂は儂のものをかっさらわれるのが大嫌いだ! たとえ紙切れ一枚であろうと儂のものを奪わせはせん! たとえ忌まわしいダーリング家であろうと、儂のものである以上、儂から奪うことなど許せるものかぁ!!」
「……そうですか」
ジェインは深くため息をつく。捻じ曲がりきった親族に、もはやかける言葉も思いつかなかった。
ギモージアにはギモージアなりの理由があるのかもしれない。過去に差別され、侮辱されたことで、心を歪めてしまったのかもしれない。しかしそれを理由に周囲を傷つけることが、許されると言うことはないのだ。ましてやギモージアの言葉が本当ならば、同じく侮辱される被害者であるオギトの民を。
どこまでも自分のことしか考えず、誰かが悪いとしか思っていない。たとえ自分の言動に矛盾があろうとそんなこと関係なく、周囲は自分を満足させるべきだという。子供以下の我儘を口にするギモージアに、ジェインは哀れみさえ覚えた。
「いずれにせよ、これで終わりにしましょう、叔父上。貴方の負けだ」
もはや語ることは無し。ただ罪を裁かんと、ジェインが進み出る。ギモージアの横暴が許されていたのには、ギモージアを神殿長にした中央の政治家や、高位の神官の思惑がある。その辺りの人間関係を、ギモージアから聞き出さなくてはならない。
「うう……おのれ、おのれぇ……」
ギモージアは怯えて身を引くが、もう逃れる術はなかった。
(これでようやく終わりですね)
ナナはその有り様を見て、一息つけることを表情には出さずに喜ぶ。
三日前の夜、荒野に『光の柱』が出現してから、急に色々なことが起こり、ここまで事態が進んだ。
(一応、少ない人数を割いてまで『光の柱』の現場を調査しましたが、何もわかりませんでしたね。わかったのは、あの『光の柱』のことは、オギト以外の領も注目していると言うくらいですか)
近隣の領も、あの『光の柱』の調査に人を放っていたと、報告に上がっていた。気配を察したときは、戦闘になるのを恐れて引いたということだが、仕方あるまい。
勝手に調査することは、領土の無断侵入で、スパイとしてひっ捕らえても文句を言えない所業だが、いかんせん、今のオギトには捕縛を行うほどの人手が無い。それがわかっているからこそ、他の領主も人員を送り込んだのだろうが。
(今頃は撤退しているでしょうね。向こうも何かわかったとは思えませんが)
木々が焼け焦げて倒れ、川の一部の地形が崩れていたのがわかったが、『光の柱』とどう関係しているのかはわからずに終わった。
(気にはなりますが、『光の柱』の調査も、このギモージアに関わる諸々を解決してから、ですね。どれだけかかるかわかりませんが)
一つ問題が片付いても、更に無数の問題が積み重なる。ナナは喜びと共に、虚しさを感じた。それでもジェインのため、仕事をするしかないのはわかっていた。
そのように、ナナをはじめ、その場の誰もが、それぞれの思いと共に、この因縁の決着を見守っていると、
「…………っ‼」
公一の背筋に、痺れるような感触が走った。
咄嗟に前に跳んだ公一の背後で、鋭く空気を切り裂く音が通り過ぎた。公一が更に間合いを広げた後で背後を振り向くと、公一の立っていたすぐ後ろに、人影が立ち、腕を振り下ろしていた。
「ジェイムズっ‼」
暗殺に失敗してから姿を消していた黒仮面の男が、そこにいた。ナナたちが顔を険しくして武器を構える。
「おおっ! ジェイムズ! いいところに来た! こやつらを殺せっ! 報酬ははずむぞ!」
九死に一生とばかりに喜び、声を張り上げる神殿長。ここで公一やジェインを殺しても彼に未来はなく、ジェイムズに払える報酬も無いのだが、今は降ってわいた幸運にすがりつこうとする。
しかし、ジェイムズはその声を無視して左右違う色の目で公一を見据えていた。
「……やはり貴様は普通ではない。そういうことなのだな」
呟くジェイムズの背後に、二頭の馬がいななきながら走ってくる。ジェイムズがこの町にやってくるのに使った馬だ。乗る者もいないのに、すべきことを理解できているように兵士たちを蹴散らしながら、神殿前の広間を突っ切ってくる。それを見て、ギモージアの顔が更に輝く。
「ジェイムズ! その馬に儂を乗せるのだ! 儂が逃げるまで時間を稼げ!」
「黙っていろ糞豚」
酷く悪意に満ちた声が、神殿長に返された。
「ジェ、ジェイムズ?」
ギモージアは戸惑い、自身が雇っていたはずの暗殺者の名を呼ぶ。しかし、
「黙れと言ったぞカスめ。演技とはいえ、貴様に従っているのはとてつもない屈辱であった」
返答は沸騰したコールタールより熱くドス黒い、憎悪に満ちた声。
「…………あ」
ジェインが口を開いた。何かに気づいたように。
「馬鹿な……そ、そんなはずは」
光に照らし出された暗殺者に、ジェインは震える声を出す。その視線の先は、ジェイムズの立ち姿ではない。彼の『影』にあった。
「え……?」
公一も気づく。ジェイムズの影は、ジェイムズ自身の形とは似ても似つかなかった。
体のラインがわかりやすい、動きやすそうな長袖の服を着込んだジェイムズに対し、地に落ちる影は、『帽子とマントを着込んだような形』をしていた。だが何より違うのは、その影は、『頭に角を生やしている』ということだ。
「私をジェイムズと呼ぶな。私は……」
男がパチリと指を鳴らす。すると、彼の背後にいた二頭の馬が、急速に姿を変えた。
茶色い毛は見る見るうちに白くなり、顔や腹などは、毛が鱗に変わる。前足は蹄ではなく五指を備えた手となった。顎髭が生え、目は赤く輝き、三日月のような曲線を描く一対の角が伸びる。そして、後ろ脚だけで立ち上がり、二足で歩行できるようになった。背中からは、赤い蝙蝠のような翼が生える。
例えるなら擬人化した山羊。狼男の山羊版といったところだが、それだけでは済まない殺気が、こちらに向けられていた。
それをジェインは知っていた。
「『ゴート』……下位エルヴィム」
人類の、否、この世界全てにおいての災厄。エルヴィムの、最下層に位置づけられる怪物。言葉を話さず、知性的な行動をとらずに、暴走した獣のように荒れ狂う。それは人から『鱗ある山羊』、通称『山羊』と呼ばれている。しかし、最下級とはいえその力は、並みの人間ではどうにもならない暴力の化身だ。
けれど本当の悪夢はここからであった。
「貴様、一体……」
ジェインの問いかけに答えるがごとく、再びパチリと指が鳴る。すると暗殺者の姿がグニャリと歪み、そして霧が晴れるようにかすれて消えていく。後に残された姿は、全く異質の存在であった。
「うあ……あ……」
ギモージアが慄然とし、声を漏らす。
細い手足や体つきはさほど変わらなかったが、身にまとうものは衣服ではなく、白い帯。公一は、エジプトのミイラを思い出す。その上に灰色のマントを羽織り、幅広の帽子を被っている。マントや帽子は実際の服ではなく、彼らにとっては毛髪や爪のような肉体の一部であった。左右の色が赤と黒で違っていた特徴的な目は、昆虫のような複眼状のものに変貌する。そして、頭の両脇――人間であれば耳のある位置に、一対の湾曲した角が生え、『影』と同じ姿になった。
「馬鹿な……上位エルヴィムだと……⁉」
若き女領主が掠れた声をあげる。この世界において、それは絶望そのもの。
それは人類と世界にとっての、災いの『影』。全てに対する怨敵。
「我が名はフック。『虚幻』のフックだ」




