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異世界の道連れは地獄王  作者: 荒文 仁志
第一章:ドナルレヴェン
30/63

29:地獄王は人の生死を語り、少年は自ら道を選ぶ



 領主軍の中で、最も戦果をあげているのは、領主、ジェイン・ダーリングその人であった。

 白い軍馬に跨る彼女は、戦場となった神殿前の広場を駆け巡りながら、既に三十人の傭兵を打倒している。『前線領主』の名に恥じぬ、恐れを知らぬ戦いぶりであった。

 しかし、周囲にいた兵はほぼ力尽きて倒れ、敵にとって最高の手柄であるジェインは一人になってしまっていた。守ってくれる者のいない彼女に、四方から傭兵たちがかかってくる。ギモージアが用意したのか、傭兵には不釣り合いな立派な鋼の盾を構え、戦斧を振りかざしていた。


「『ビュービート』!」


 ジェインは慌てることなく、風魔術の言葉を口にする。ギュオォォォンッと、聞くだけで耳を引きちぎりそうな強い音が唸り、手にした槍が風を纏う。そして彼女は、傭兵の一人に狙いをつけ、突いた。

 槍を芯として空気の渦が生まれ、渦は槍の推進力と破壊力を高める。竜巻を纏うが如き槍の一撃は、鋼の盾を紙のように貫き、傭兵の左肩を砕いて吹き飛ばした。死にはしていないものの、もう左腕は使い物にならず、戦えはしない。

 結界をものともせず貫く、風魔術で強化した槍。『(ねじ)()き』と呼ばれる、ジェインが得意とする技だ。威力は見ての通り、十枚重ねた鋼の盾でも容易く貫き通す。エルヴィム相手でも恐れることは無いと、オギトの領民にも評判である。


「次っ!」


 次いでやってきた傭兵の戦斧の攻撃に、ジェインは戦斧を粉々に突き砕き、持ち手の兜を引き裂いた。掠めただけで、頭が吹き飛ぶことはなかったものの、脳震盪を起こしたらしくそのまま気絶した。


「次ぃっ!」


 二人の傭兵が背後からかかってきたのを、素早く馬を動かして対応する。振り向きざまに槍を突き出して薙ぎ払い、盾を砕く。盾を持った手は粉砕され、指がちぎれて使い物にならなくなった。一撃で二人の傭兵が戦場から脱落した。

 多くの悲鳴が上がるが、傭兵たちはひるまず向かってくる。ジェインはギモージアから命令された殺害対象であり、その首を獲れば、大金が約束されているからだ。

 ジェインの方も楽ではない。魔術の連続使用は体力気力を消耗させる。息を荒げる彼女が、疲労から一瞬、注意が散漫になった瞬間、一本の矢が彼女の馬の首を射抜いた。


「あっ!」


 馬が断末魔のいななきをあげ、もんどりうって倒れ込んだ。当然、ジェインも投げ出される。


「くぅっ!」


 可愛がっていた馬の死を悲しみながらも、急いで立ち上がる。既に手柄をあげるチャンスと見た傭兵たちが、ジェインへと殺到していた。


   ◆


 青空の下、アスファルトで固められた地面の上に、公一は立っていた。

 コンクリートを使った建物が生え、ブロック塀や電信柱が並び、脇を時折、自動車が通り過ぎる。


「…………?」


 見慣れた、当然の光景なのに、違和感がある。


「どうしたのよ? コー」


 名前を略されたあだ名で呼ばれ、公一は声のした方を見る。

 聞き慣れた声から、誰が名を呼んだのかは見る前にわかっていたが、案の定、幼馴染がいる。贔屓目を抜いても、可愛らしい少女だと思う。性格は中々気難しいところもあるが。


「いや、何かその……」

「煮え切らないわねぇ、まったく」


 幼馴染はため息をつき、


「また、繰り返すつもり?」


 その一言で、見慣れた世界が搔き消えた。


   ◆


「…………?」


 目を開いた公一は、見上げた先が、青空でも天井でもなく、暗い空であることを訝しむ。そして記憶を辿り、状況を思い出してハッと起き上がった。


「む? 目を覚ましたか」


 エレが気づいて言う。周囲を見ると、公一は荷車に乗せられており、その車をエレが引っ張っていた。絶世と言ってもいい黒肌銀髪の美青年が荷車を引く姿は少々シュールであったが、それを笑っている余裕は公一にはなかった。

 荷車には剣も一緒に乗せられていたので、公一はそれを掴んで地面に跳び下りる。そしてその道がこの町を訪れた時に通った大通りであることを確認し、神殿のある方向を見据える。耳をすませば戦いの騒音が聞こえ、居ても立っても居られず、駈け出そうとした。


「待て」


 追おうとした公一であったが、駈け出そうとする公一の腕をエレが掴み、動きを止めた。


「なっ、離してくださいエレさん!」

「離したらどうする? 彼女たちを追うのか? 追ってどうする?」


 エレは地獄王の名に相応しい冷酷な光を目に宿し、公一に問いかける。


「それは……ジェインの助けに」

「ほう」


 公一が答えた次の瞬間、彼の体は宙を舞っていた。上下が逆になり、少年の目は逆さまになったエレの無表情を呆然と見つめていた。


「ぐはッ!」


 背中から大地に落下し、痛みに声をあげる公一を、エレは冷たく見下ろす。


「今のはアレスが、別に聞いてもいないのに教えにきた武術だ。実際に使う時が来るとは、思わなかったが」


 別に教えなくてもいいと言っているのに、得意気に何度も投げられたと、エレは(アレス)への恨み言混じりに言う。


「さて、そのざまで助けに行くと言うのか? 自惚れるな人の子よ。お前は一体、自分が何者であると思っているのだ?」


 公一は痛みのために脂汗を流し、自分がどうやら投げ飛ばされたらしいことを悟る。エレが公一にかけたのは魔術などではなく、ただの武術であったということだ。


「なるほど。多少は感覚が冴えているかもしれん。今までにない力を手に入れたかもしれん。魔物を討つことはできたかもしれん。だが……だからと言って、お前は何者かになれたとでも思っているのか? 武術も戦術も知らず、経験のないお前が?」


 全身を駆け巡った衝撃は、この世界の恩恵か、すぐに引いた。立ち上がった公一に、エレは容赦なく言い放つ。


「何者にもなれてはいない。例の『ファウスト』における、かのメフィストフェレスの言葉を借りるならば……『(かつら)を被ろうが、下駄を履こうが、所詮お前はお前でしかない』のだ。多少力をその身に宿そうと、南郷公一は、南郷公一でしかありえない。ウラヌギアにおいて幾千年も人の生と死を見続け、数多の英傑を迎え入れてきた死の国の主として断言する。お前は、英雄でも勇者でもない」


 公一が叩き付けられて手放してしまった剣を、床から拾い上げながら、エレは凍てついたような言葉を続ける。


「ヘラクレスのように天を担ぎ、巨人を投げ飛ばすほどに怪力ではない。アキレウスのように剣も矢も通じぬ、不死身の体でもない。オデュッセウスのように口先一つで、戦士も怪物も手玉にとるほど知恵者とも言えぬ。足の速さも数多の武功者に、先に走らせたうえで追い抜くアタランテの健脚には、到底及ばない。何より……」


 ギリシャ神話に語られる綺羅星のごとき英雄たちの名を並べ、比較し、公一では力及ばないと断じた。それは事実なのだろう。実際に英雄を見てきた者が言うのだから。

 だがそれ以上に、


「お前には『勇気』がない」

「…………」


 公一はゴクリと唾を飲み込んだ。

 彼の胸中を占めていた言葉は一つ。『ああ、知られていたのか』だった。


「英雄の条件には多数の意見があるだろうが、私は『勇気』が、英雄の条件であると考えている。カルキノス、ケイ卿(サー・ケイ)石秀(せきしゅう)、ウィーグラフ、ラーヴァナ……弱者であれ、敗者であれ、彼らは英雄に相応しい勇気を持っていた。それが、お前には無い」

「ま、待ってくださいエレさん。コーイチさんは、いつも危険な敵と戦って……」

「それは勇気ではない」


 ナピレテプが公一の弁護をしようとするが、エレは彼女の言葉を遮り、


「余計な手出しをし、命の危険のある戦いに足を踏み入れる。死を恐れないかのように……だが違う。逆だ。それは、弱く臆病な犬が、遮二無二吠え掛かって、弱い自分を誤魔化しているのと同じだ。南郷公一よ、お前は、人を助けるために戦うのではない」


 裁きを降すように、エレは答えを返す。


「人を助けないことで……誰かから非難されるのが怖いから、戦っているのだな?」


 公一が、ゴキュリと唾を飲み込んだ。その顔は青ざめていた。


「お前は勇気があるのではない。逆に……自分が卑怯者と後ろ指をさされることが、怖くてたまらないのだ。その恐怖から逃げるために、戦場に飛び込む。お前がどうして、そこまで評価を気にするようになったかは知らないが、そのような不覚悟な精神で戦うなど、甘えもいいところだ」


 公一は、どれほど力を得ようと、その心は戦士ではないと、エレは断じる。


「今までは、勢いで無理矢理押し込んで、勝ちを拾っていたに過ぎない。だが幸運はそういつまでも続かぬ。やめろ。私は地獄王。魂を管理する神。全ての死者の魂は我が支配下。お前の魂も私のものだ。この異世界でお前が死ねば、お前の魂は我が手を離れよう。それは避けたい……行くな」

「じゃあ……彼女たちが死んだらどうするんです?」

「ジェインたちはドナルレヴェンの者だ。私の領分ではない」


 関係ないと言い切るエレに、公一はその眼差しに怒気を宿した。なるほど、公一に勇気や正義感など無いかもしれないが、見知った人間を心配する気持ちは、嘘ではない。魔物ピンクッションが現れた時は、まだ親しい人がいなかったが、今はもう違う。

 公一は胸の内に沸き上がった感情のまま、口を開いた。


「そんな……関係ないから、人が死んでもいいって言うんですか!」

「勘違いをするな」


 エレは公一の言葉を否定する。冷たい眼差しを向けて。


「ウラヌギアであっても同様だ。私に関係があろうとも、いずれは誰もが死ぬ。そして私の下に来る。生きる者がいかに生きようと、いかに死のうと、元より私の領分ではないのだよ。私の領分は死んだ後だ。死せる魂を裁き、管理する。それが私の役目なのだ」


 関係があろうと、死にゆく人間を助ける気はないと。少年の激昂を前に、あくまで冷徹に銀髪の神は答えた。


「人が死んでもいいのかだと? 逆に聞こう。なぜ人が死ぬのが悪いことなのだ?」


 公一は絶句する。当たり前のことだと言いたかったが、彼相手にはそうはいかない。何せ、相手は死の神。死を司る者。死とは彼にとって、手に慣れた仕事道具に過ぎない。


「これもメフィストフェレスの言葉だが……『一切の生じるものは、滅して良いものなのだ』。ジェインたちが死のうと、それは悪しきことではない」


 ギリシャの地獄王。ウラヌギアの冥府神。彼は多くの名前で呼ばれている。


 例えば、『富める者(プルートー)』。

 例えば、『名高き者(クリュメノス)』。

 例えば、『良き忠告者(エウブレウス)』。

 例えば、『門を閉ざす者(ピュラルテス)』。

 例えば、『憎むべき者(スティゲロス)』。

 例えば、『地下世界の主神ゼウス・カタクトニオス』。


 そして、『多くの客を迎える者(ポリュデグモン)』。


「生きとし生ける者、いつかは死ぬ。それは世界の規則が正しくまっとうされた結果だ。それはここでも変わらぬ。人が死ぬのは……良いことなのだ」


 エレにとって、死は悲しむようなことではないのだ。誰かが死ぬということは、死の神にとって、客人が増えるというだけのことなのだ。


(死の恐怖は、死んだらどうなってしまうか、わからないから。恐怖とは、無知ゆえに。けれど、彼は死を誰よりも知っている)


 人が死んだらどうなるか、公一は既に聞かされていた。

『アスポデロスの野』、『エリュシオンの野』、『タルタロス』、そこで死者がどうなるのか、地獄の王の口より、教えられた。

 そもそも人間とは、立場が違いすぎる。視点も力も、思考も次元も。人と神との断絶を、公一は感じた。

 公一は深呼吸を一度行い、様々な感情を胸の奥に抑え込み、一つだけエレに問う。


「貴方にとって……人とはなんです?」


 地獄王は人間をどう思っているのか。人間の生を領分ではないという冥府の神は、何を思って死者の魂を受け入れているのか。それだけ聞きたかった。


「『愚か者』……だな」


 エレは端的に答える。


「愚か……ですか」

「数千年……裁き続けてきた。人の罪を見て、罰を与えてきた。我々、神は肯定されることにより力を得る存在、ゆえに信仰を欲した。そのために、幾つもの宗教をつくった。より効率よく、信仰を得るために試行錯誤してな」


 それは、農業や牧畜の、効率の良い育成や収穫の研究と同じであろう。人間を家畜扱いしているも同然のことを、地獄王は淡々と口にする。


「その信仰を得るために、冥府も役割を果たした。悪行をなせば、死後に苦しむ。生きている間報われずとも、善行を積めば死後は幸せになれる。悪行の抑制、善行の推奨。その方が、人間社会は発展し、人類は繁栄する。信仰する人口が増えた方が、神々にとっても良いからな。多くの神話に語られるように、横暴な真似も多かったが、基本的に、我らは人類を良くする方向に手を貸した」


 理不尽も無論あった。神話に語られる神々は、皆、自分勝手で享楽的で、人間を玩具のように扱うことも珍しくない。面白半分で戦争を起こさせ、国を滅ぼしたことや、天災を送り込んだことも数多い。

 だが人類全体は繁栄できるようにしていた。人類が残らず滅ぶような事態に対しては、神々は身を張って人類を守った。たとえ、神の利益のためであったとしても。それもまた確かなことだ。


「けれど人類は悪行をやめない。盗み、犯し、争い、(あや)め、(あやま)つ。教えを授けようと、天罰を降そうと、恵みをもたらそうと、それは変わらない。進んで破滅し、不幸に堕ちる。そして人に対し、神が何もしなけば、なぜ助けないのかと恨み、何かをすれば、干渉するなと、人は神の奴隷ではないと憤る。数千年、人が変わることはなかった。これからもなかろう。この世界においてもまた。故に結論するしかあるまい」


 公一は言った。人が死んでもいいのかと。

 だが人類史を見れば、人は人を死なせることを悪だと考えながら、人殺しが起こらない日はない。戦争の無い時代など無い。

 酷い矛盾を、数千年にわたって正せない生き物。


「人間は愚かだ。『理性と呼ぶものを、どんな獣よりも獣らしく振る舞うために使う』生き物だ」

「……そうですか」


 公一は何も言い返せはしなかった。エレの言うことを、一方的だと反論することはできる。神々が人間を、信仰心を得るための家畜扱いしていると捉えることはできる。宗教戦争や魔女狩りのような、教えそのものが原因となった罪業もあると、指摘する程度の知識は公一にもあった。

だが、宗教的影響を受けずとも、戦争は存在するし、人間の愚かさを否定することはできない。

 身勝手で傲慢で、罪深い生き物。仲間内で争い合い、自然を食い荒らし、自ら不幸になっていく。どれほど発展しながらも、心はまるで成長しない存在。そう言われても仕方がない。


(けど)


 公一は、エレに向かって手を伸ばす。


「……何だ?」

「愚かであろうと、矛盾していようと、やはり僕は……人が死ぬのはいいことだとは思えません。見過ごして……責められないこととも思えません」


 それはまさに、神に背く行為であろうとも。

 神にとって、死は魂が移動するだけのことなのかもしれないが、公一にとって、もう『会えなくなる』ことに変わりはないのだから。


「……剣を、返してください。僕は行きます」

「この剣が必要か?」


 それならばとエレは鞘に入ったままの剣の先端を口元につけ、そのまま剣を口の中に押し込んだ。


「⁉」


 剣はスルスルと手品のように、エレの口の中に入っていく。本来ならどう考えても、喉の奥を突き破るか、食道や胃袋を貫き通しているだろう。人間の体内に入れられるような大きさではないし、そもそも剣の幅からして口に入りはしない。にもかかわらず、公一の腕より長い剣は、全て残らずエレの腹に落ちていった。


「……これで、お前は剣の力に頼ることはできない。諦めて逃げよ」


 常識を外れた取り上げ方を見せつけられ、公一はエレが人ではないことを、更に思い知る。確かにこれでは、隙を見て剣を取り返すこともできない。

 公一はエレの本気を知る。他者の邪魔を好まない彼が、ここまで公一の行動を阻もうとするのだ。よほど、行くべきではないと考えているのだろう。

 けれど、


「……やっぱり、僕は行きます」


 公一の望みは変えられなかった。


「なぜだ人の子よ……それはお前の領分ではない」


 ジェインとは数日前に出会っただけの関係。公一とは深い付き合いの友人でも恋人でも、家族でもない。

 異世界から召喚された勇者の立場から見ても、これはジェインの人間関係の問題であり、勇者の使命となっているエルヴィムとの戦いではない。

 公一が命を失う危険を犯してまで戦う理由など、エレから見れば無いはずだった。


「先ほども言ったが、お前はこの世界の存在ではない。死んだら、元の世界に帰れなくなるどころではないかもしれない。この世界と法則を異にする魂だ。この世界のあの世に行くのかどうかさえ、定かではない。どうなってしまうか、わからないのだぞ? なのになぜ?」


 それは真摯な、公一への忠告だったのだろう。それでも、公一にとって、戦う理由は明白で、行かなくてはいけなかった。


「なぜかって、まあ愚か者だからかな? けどそれでも……知っているからだよ」


 別に正義や善意によるものではない。

 責任感や使命感も関係ない。

 ただ自己中心的な、ちっぽけな理由だ。

 賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶと言うが、愚者でも経験すれば思い知るのだ。


「このまま逃げたら……『僕』は『僕自身』に、死ぬほど非難されるってね」


 予測ではない。知識だ。必ずそうなることを、公一は知っている。

 エレの言う通り、公一は、他者を見捨てて、自分が責められることを極めて恐れている。そして、責められ続けて生きていくなど耐えられるほどの、勇気も強さも、持ち合わせてはいないのだ。


 そして南郷公一はその手に何も持たず、ただ一人――戦場に足を踏み入れた。


 たとえ『良き忠告者(エウブレウス)』の言葉を、退けようとも。



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