26:夜明け前
暗殺失敗。そして領主軍はギモージアを捕縛するための準備を整えている。
屋敷を見張っていた私兵からその報が入った途端、ギモージアは近くにあった酒瓶を使者に投げつけた。
「くそぉっ! ジェイムズめ肝心な時に役立たずめっ! くそくそくそっ! こうなれば是非も無し。決戦だ! 戦争だ! 直接あの小娘をねじ伏せてやるわっ!」
ギモージアは自分の抱えている私兵に集合をかける。元々雇っている兵と、昨日の捕り物で怯えて神殿に逃げ込んできた裏社会関係の連中。合わせれば五百人にのぼり、現状の領主軍の兵の数は上回る。
とはいえ、練度、連携は正規兵に及ぶべくもない。正面からのぶつかり合いでは不利であることは神殿長も理解していた。ゆえに、目標は領主軍を壊滅させることではない。
「あの小娘だ。ジェインめの首を獲れ! そうすれば儂の勝ちだ!」
はっきりと言えば、ギモージアはもはや錯乱していた。たとえこのまま領主軍を打破し、ジェインを捕らえるなり殺すなりできたとしても、それは立派な叛乱である。中央が黙っているはずもなく、制圧軍を差し向けられて叩き潰されるだけだ。命を少しばかり伸ばすだけに過ぎない。愚行としか言いようがない。
しかし、愚行というものは、それを行っている間はとても良い行動をとっていると思い込んでしまっているものである。特に、冷静に考えても、もはや破滅しかないという状況においては。
「兵は拙速を尊ぶ! 急ぎ進軍せよ! 奴らより前に攻撃を仕掛けるのだ!」
ギモージアは自ら武器を手に取り、指示を飛ばす。彼は現実から懸命に目を逸らしながら、最後の戦いを行おうとしていた。誰にも得をもたらさない戦いを。
それを恐れたのは、彼の取り巻きの神官であった。傍から見ていて、まだ少しは冷静に物事を見れた彼らは、戦いが無意味であることがわかっていた。別に神殿長がどうなろうと知ったことではないが、このままでは自分たちも処罰される。下手をしなくても叛乱罪で斬首だ。
「お、お待ちください! 神殿長! もう無理です! 降伏か、逃亡か、いずれにせよ戦うことは」
なりませんと続けようとした神官の一人は、ギモージアの振るった剣で首を切り落とされた。ギモージアの剣は意外にも鋭いもので、一般兵士の平均程度の腕には達していた。
「敗北主義者が! 皆殺しに……している時間はないか。おい、神官と女たちは、適当な部屋に押し込んでおけ。もしもの時、あの善人気取りの領主相手なら人質に使える」
血走った目で傭兵に命じ、ギモージアは、神殿長の証の一つとして与えられた特製の衣で、剣の血を拭うのだった。
◆
開戦の準備が慌ただしく進んでいた。もはや一刻の猶予も無いと、神殿に攻め入ることを決定したジェインが、直接指揮をとっている。
暗殺者がダーリング邸を去ってから早くも一時間。主君の命令により兵舎からたたき起こされ、装備を準備し、屋敷の前に集められて隊列を組んだ兵士たち。二千を越す熟練の兵士たちは魔物退治のために町を出ており、現在残っているのは多くが新参の兵、二百余名。不安が残る。
しかし領主の暗殺までするほどの事態になった以上、魔物討伐に出撃している兵士たちが戻ってくるのを待っているのは危うい。ギモージアはそれほど追い詰められ、焦っているのだ。どんな酷い暴発をするかわからない。下手なことをする前に叩くべきだと、ジェインは決断した。
兵士たちが自分の装備を整えている間に、荷物運びなどの雑用を手伝っていた公一は、ため息をつきつつ呟く。
「昨日には、もう片付いたと思っていたのに」
「いやぁ、追い詰められた相手は何をしでかすかわからないねー。はいお茶」
全く、世の中単純に物事は運ばないものだと嘆く公一の隣に、いつの間にかミシェルがおり、湯気の立つミルクティーをくれた。
「あ、ありがとうございます」
「いやぁ、それはこっちの台詞だよー。ジェイン様の命の恩人だからねー。私にできることなら何でもするよー。この騒ぎが無事終わったらだけど」
ギモージアは職権乱用で儲けた財力により、多くの傭兵を集めているらしい。自分が恨みを買っているのは承知ということだ。臆病な性質から、少々多すぎるくらいの兵を神殿に飼っていた。数で言えば、こちらの二倍以上だという。
公一は心の中の不安を飲み込むように、紅茶を口にする。持ってくる間にやや温くなったミルクティーの甘さを味わい、暗殺者との戦いで思いの他乾いていた喉を潤す。
飲み干す頃に、ジェインの声があがった。
「よし! 準備はできたな!」
鎧を着込み、各種の武器を揃えた百五十余名の歩兵と、五十名の騎兵が並ぶ。
「諸君、聞いているだろうが、敵はギモージアだ。この三年間、ゾシウ神殿に奴が赴任してから今日にいたるまで、奴は神殿の権力を着て、この町を蝕んできた。諸君らの中にも、奴に泣かされてきた者はいるだろう。このオギトの領主として、奴の行動を止めることができなかった私の未熟を恥じ入るばかりだ」
即席に用意した壇上に立ち、高みから『前線領主』の演説が行われた。
「しかしようやく……ようやく、我々は神殿の力でも庇いきれないほどの、ギモージアがなした悪行の確かな証拠をつかみ取ることができた。諸君らの半数が参加した大捕り物によって、諸君らの働きによって、神殿長の醜い行為が明らかとなったのだ! だが、奴は全く諦めはしなかった。暗殺者を送り込み、自分が破滅する前に私を消してしまおうという、あまりにも愚かな悪あがきの手を打って来た!」
兵士たちは自分たちの敬愛する主人に凶刃が差し向けられたことに、憤りの声をあげる。剣や盾が打ち鳴らされる。ギモージアに対する怒気と殺気が、熱となって周囲の気温を上昇させた。
「これ以上は待てない。私は相手の馬鹿さ加減を甘く見ていた。放っておいたら、一体どのような暴走をするかわかったものではない! 我々は一刻も早く、ギモージアの首根っこをひっつかみ、奴には不似合いな『聖なる神の家』からその肥満体を引きずり出し、縛り上げて本来いるべき『鉄格子の部屋』に押し込めなくてはならない! 神殿には五百人からなるギモージア子飼いの傭兵たちがいる。我々が向かい、素直に降伏する潔さは望めまい。まず間違いなく戦いとなろう。数は向こうが上だが、何も恐ろしいことはない! この地で魔物と盗賊を相手に幾百年、戦い続けた我らに、新たな勝利の栄光が刻まれるだけだ! 諸君! 我々の町と、神殿を正すため、これより出陣する!」
一斉に二百余名の雄叫びのような声があがり、戦いの準備が完全に整った。
騎兵が合図と共に馬を進め、その後について歩兵が靴音を揃えて歩き出す。多くが新兵と聞いていたが、その姿は壮観であった。
「コーイチ」
聖剣を手に、自分は一番後ろについていけばいいのだろうかと考えていた公一に、壇上から降りて来たジェインが声をかける。
「あの、いいのかな? 僕と話していて……」
「何、命の恩人に礼を言う時間くらいはあるさ。改めて、ありがとうコーイチ。お前が助けに来てくれなければ、命は無かっただろう」
兵士たちを指揮する司令官が、自分に関わっていていいのかと思った公一であったが、そんな気遣いはつまらないことだとばかりに、ジェインは爽やかな笑顔で感謝を述べる。
「いやそんな……ただ僕は無我夢中で」
照れて頬を掻く公一に、ジェインは少し寂し気に微笑んだ。
「謙遜するな。素直に礼を受け入れてくれ。君と会えて本当に良かった」
年上の美少女の真摯な言葉に、公一は非常に照れくさくなり、視線を泳がせてしまう。そんな初心な様子を微笑まし気に見つめながら、けれどとジェインは言った。
「すまないコーイチ。今この時を持って君を、君たち三人を解雇する。すまない」
「……え?」
意味がわからず公一は呆けた声をあげる。
「この戦い。正直、勝てるかどうかわからない。いや、数の差で、多分こちらが少し不利かな。ギモージアはどのみち破滅するだろうが、私も無事で済む保証はない。窮鼠の暴れぶりは予測のつかないものだからな。けどどちらにせよ……これはこの町の問題だ。異邦人である君らが巻き込まれるいわれはない」
だから、ついてくるなと言うのだ。
「そんなっ! ここまで来て今更っ!」
「うん……ほんの少しの付き合いだったけど、コーイチはきっとついてくる気だと思ったよ。だから」
突如、公一の膝が揺れる。体全体が異様に動きづらくなり、瞼が酷く重くなる。視界が白くかすみ、意識が朦朧としてきて、耳からの音が頭に入ってこなくなっていく。
「こ、これ……は……」
「すまない。さっきミシェルから差し入れられたミルクティーを飲んだろ? あれには眠り薬を入れていたんだ」
既に呂律が回らない公一に、ジェインは公一の現状について説明した。公一は立っていられなくなり、前に向かい倒れ込む。そんな公一の体を、ジェインは柔らかく抱き留める。少年は、自分が温かな香りに包まれたのを感じた。
「短い間だったけど、君らのことは好きだった。もっと長く、屋敷で暮らしてほしかったが……残念だ。君たちのこれからが、幸運に恵まれることを祈っているよ。ルル・エブレクニト神のご加護を」
ジェインが、公一を感謝と親愛と、少し特別な感情を込めて、一度だけ強く抱きしめた瞬間、公一の意識は落ちたのだった。
◆
若き女領主は公一の体を地面に寝かせる。そして、傍にいた二人――エレとナピレテプに目を向けた。
「……良かったのか?」
「ああ、これでいいのさ。これは、給料と退職金だ。受け取ってくれ」
エレの問いかけに、ジェインは少し名残惜し気ながらも微笑む。そして、ナナが準備しておいた革袋を持って、やって来た。
「商業取引に使われる大金貨が三十枚入っています。一枚が金貨十枚になります。レダ・マッカの賞金と合わせた、ジェイン様のお気持ちです」
金貨にすれば三百枚。ドナルレヴェンとウラヌギアでは価値観に差異があるが、無理に日本円に直せば、三百万円というところだ。
「ありがたく受け取ろう。世話になった」
「いいえ。今回に関しては、ジェイン様の甘っちょろさが良い方に転んだと安心しました。それではご壮健で」
「甘っちょろいとか言うなよ……。でもそうだな。君たちと会えて良かったよ。公一には、すまなかったと言っておいてくれ」
事前に話を聞いていたエレは公一を担ぎ、金貨の入った革袋をナピに持たせる。ナピは受け取りながらも複雑な表情で、
「そ、その、でも、本当にいいんですか? エレさん……」
「この先は我らの領分ではない」
春になっても溶けない氷のような表情で言い切られ、ナピはそれ以上言えなくなる。神に仕えることを絶対として受け入れていた天使にとって、自由意志で動くのは難しかった。従うことが彼女にとっては自然であるゆえに、良心が痛んでいたとしても、自分から動くのには抵抗があった。
「ええ、それでいい」
ナナはエレの言葉に安心する。このまま彼らは町を出て、中央にでも行くだろう。ジェインが勝とうと負けようと、繋がりはこれで終わりになる。それでいい。
(彼らにとって、オギトという人類の敵であった町に肩入れしても、ろくなことにならないですからね)
本当に、おかしな三人であった。
やたらに強い力を持っているくせに、中身は血の臭いのしない一般庶民としか思えない少年。
従者の空気を纏いながらも、実戦に使えるレベルの魔術を行使できる、気弱な少女。
やけにもの知らずであるが、人の上に立つ者の威圧感を持った、無表情な青年。
何も共通項が見当たらない。率直に言って怪しかった。
今でもナナは怪しんでいる。むしろ、それぞれの異能を知った今はより強く怪しんでいる。紛れもなく、人間の領域を外れた存在。領域を超えたではなく、そもそも外れた存在。
けれど、悪人であるかもしれないとは、もう思っていない。
だからこそ、これ以上、自分たちの問題に関わらせるわけにはいかない。
血で、汚したくはない。
領主と、その部下たる者、公一たちを利用してでも戦いに勝利するべきかもしれない。それがこのゾシウの為ならば、自分たちの良心など無視して、公一たちを犠牲にすべきかもしれない。だが、ジェインにはそれができず、ナナもそれに同意した。
(……私も大概、甘っちょろい)
内心で自嘲し、公一を担ぐエレの後ろ姿を見送った。
彼ら三人の中で、ナナは、エレは自分たちを見捨てろと言う説得に応じると感じた。エレは冷徹で、感情的にはならず、理屈による説得が通用すると思い、事実、通用した。
一方、公一へは説得は通用しない。危険だから、関係ないからという理由で、逃げろと言われても彼は決して納得しない。けれどエレは納得できない理不尽を呑み込むことができる。受け入れられる。
(エレ。彼は支配者だ。上に立つ者としての振る舞いが感じられた)
ジェインと共に、幾多の権力者と顔を合わせた彼女にはわかった。
(けれど、暴君ではない)
出会った初日、エレの口の利き方が悪いと、ナナが彼の頭を叩いた時、彼は受け入れた。小さなことであったが、それでナナは判断した。支配者としての立ち振る舞いを感じさせる彼が、何も知らぬ女に打たれて、その屈辱に怒る素振りを見せなかった。それは、彼が我慢できる者であるということだ。
相手のことを尊重し、自分の我儘を飲み込んでくれると、ナナは感じた。ゆえに、公一の前にエレと交渉し、エレは頷いてくれた。
(予定通り。とても上手くいった。だから、『見捨てる』と判断されたことが少し残念なのは……それこそ我儘ですね。けれど、ジェイン様に『貴方は悪くない』と言ってくれたことは、ええ、本当に嬉しかった)
夕食が終わった後、エレやナピレテプの見せた特殊な力について締め上げるつもりだったが、あれでもう何も言う気をなくしてしまった。
ナナは、自分の主人の重荷を軽くしてくれた三人の背に、深々と頭を下げる。
「行くぞ、ナナ」
「はい、ジェイン様」
三人を見送った彼女たちは、戦場へ向かう。数時間先の朝日が見られるかは、まだわからなかった。




