23:それぞれの仕事
ゾシウの町、第四通りにひっそりと建つ古着屋『年寄り羊』。名前とは違って二年前にできたばかりの店で、店員は主人であるしかめ面の中年ただ一人。品ぞろえは大したものではなく、客も少ない。店を知る人の多くは、趣味でやっているだけで、儲けはあまり考えていないのだろうと思っている。
その店に一人、フードを被り、口をマスクで隠した旅装束の女が訪れたのは、午後三時のことだった。女は『年寄り羊』の中を見て回り、やがて緑色の靴下を二足、手に取る。次に薄紫のハンカチを掴むと、カウンターに持っていく。店主が差し出されたそれらを見て、女に視線を向けると、女は店主に対して言った。
「……金糸で刺繍したコートはある?」
店主は眉をピクリと動かして答える。
「銀糸で刺繍したものならあるぜ。蝶々の柄と華の柄、どちらがいい?」
「星の柄はないの?」
店主は立ち上がり、
「……店には出していないが、奥にある。ついてきな」
カウンターの奥にあるドアを開け、女を促す。女は頷いて、後を追った。ドアの奥には古着の詰まれた棚が幾つもある。店主はそのうち、扉開きになっている箪笥を開ける。中にはコートが幾つもかけられており、中には銀糸で星型の刺繍を施したものもあったが、店主はそのコートを取り出すことなく、箪笥の内側の板をまさぐった。
するとガチリと音がし、板が引き戸になって開き、奥への通路が現れる。
「行くぞ」
店主と女が通路に入ると、そこは下に続く階段になっており二人は地下へと降りていく。夜光百合に照らされる階段を降り切ると、石造りの通路があった。その通路を真っ直ぐ進んで一分後、大きな空間に辿り着く。
「ようこそ、我らの市場へ」
出迎えたのは、縁無し眼鏡をかけた優男を中心とした、三人の男たち。狐に似た細い顔と細い目、どこか嫌味な微笑みをしていた。
「初めてでいらっしゃいますかお客様? 要件は買う方ですか? それとも売る方? いずれにせよ、ここは盗品売買においては中央にも勝ると自負する場所。期待は裏切らないと約束いたしましょう」
実は女は男の顔を知っていた。賞金首として手配されている顔だ。一年前に強盗団の首領として金貨八十枚の値がついたが、それから姿をくらませた『人食い狐』サンチャゴ・ドロマエオだ。こんなところで盗品売買を営んでいたとは。
手慣れたセールストークを聞くに、楽しくやっているらしい。けれど、それもこれまで。
ガチャガチャという音が幾つも、あちこちから聞こえて来た。
「……? なんですか?」
サンチャゴと、ここまで案内してきた古着屋の店主はそろって首を傾げる。その戸惑いの瞬間、フードの女は鋭い拳打をまずサンチャゴに見舞う。顎を打ち抜かれたサンチャゴはその一発で意識を失い、倒れた。
「は?」
わけのわからない様子の店主と、出迎えの男たち。
「『シラノス』」
女は一言、口にする。
途端に周囲の空気が白く輝き、霜が降りる。急速に温度が下がり、男たちの肌が冷たさを感じる前に、彼らの足が氷で囚われた。足が床に張り付いて動けなくなった彼らにも、女は容赦なく拳を放つ。
「ぐほっ!」
「ブフッ⁉」
女は男たちをしたたかに殴り倒し、気絶させた。鮮やかに四人の男を無力化した女はフードを払い、顔を露わにする。
「顔を知られたくない客が多いとはいえ、やはり顔のチェックはするべきだったわね」
ナナ・ルフ・ファウンドは呟いて後ろを振り向き、自分がやってきた通路を通って駆け付けた、二十人の兵士たちに命令する。
「他の通路からも兵が降りてきている。総員協力し、一網打尽にせよ」
二十人の兵士たちは一斉に『ハッ』と返事をし、行動を開始する。
(それにしても……我らの膝下に、こんな地下空間があったとは)
レダ・マッカを捕えていた地下牢最下層と同じくらいの深さ。そこに大規模な空間が存在し、棚や壁で区切られて整理されていた。
レダの死の記憶から伝えられた通りの、『盗品倉庫』である。
「さて、ジェイン様の方は……」
独り言を呟いたナナの耳に、ちょうど『ドガァッ』という棚か壁かが砕けて倒れる音が、響いてきた。
「我らが『前線領主』は派手にやっているようですね。鬱憤晴らしは構いませんが、地下が崩れて生き埋めになる前に終わらせなくては」
四十分後、町に残った兵力の半数以上である、百人の兵士たちを投入した結果、盗品倉庫は完全に制圧され、そこにいた従業員や客たちは全員捕縛されたのだった。
◆
「コ、コーイチさん、こちらは終わりましたよ」
「こっちも終わったところ。次の部屋に行こうか」
公一たちは監獄から戻された後、ナンシーに指示されて窓拭きにいそしんでいた。割れやすい窓は魔術では掃除が難しい。良く使う部屋の窓以外はほとんど放置されていたのを、公一たちという労働力が増えた機会に綺麗にしようということだ。
一つの部屋の窓を拭き終え、公一たち三人は、バケツと雑巾を手にして次の部屋に向かう。
「けど……僕ら、こんなことしていていいのかなぁ」
部屋のドアを開けながら、公一は声を漏らした。公一たちは兵士ではないとして、屋敷に返されたが、ジェインとナナは速攻で片をつけると、町に残って盗品売買組織を潰しているのだ。そういう力仕事の方が、今持っている力を活用できるのではと、公一は思った。
しかし、エレがそれに反論する。
「自惚れるな。お前は捕縛術を知っているのか? 逮捕術を知っているのか? 犯人を逃がさぬよう、退路を防ぐ基本を知っているか? 仲間の兵士との連携ができるか? 仲間が人質にとられた時の対処法は?」
エレは矢継ぎ早に、公一がジェインたちを手伝ううえで、必要とされるだろう知識を口にする。公一は一つも答えられなかった。
「それは……」
「猫の手でも借りなければいけない状況ならともかく、動かせる兵がいる。ならば腕っぷしだけでは役に立たない。それはお前の領分ではない。一昨日にも言ったばかりだが……余計な手出しはするな。それが私の忠告だ」
「……じゃあ、窓拭きが僕の領分だと?」
頭ごなしに止められた気がして、公一は少し棘を含んだ口調で言う。
「不満か? それでも領分があるということは幸福だ。その領分を逸脱すれば不幸になる。イカロスやパエトン、イアソンにテセウス、ウラヌスにクロノス……英雄と呼ばれた者も、神々さえも、それは例外ではない。ましてやお前ではな」
「でも……エレさんだって、レダの死の真相を明かしたじゃないですか」
公一は、自分を止めようとするエレの方こそ、この世界には無い力を使ってまで、ジェインの助けになったじゃないかと指摘する。
しかし、地獄王は心外だと言わんばかりに――表情はまるで変わらないので、公一が勝手に抱いた感想であるが――首を左右に振った。
「ジェインたちの為ではない。死者の為だ。死者の声に耳を傾けるのは、冥府の神の領分。当然のことだ」
「……貴方は、死んだレダの魂を救ったんですか?」
何でもないことのように言うエレに、公一が問う。レダの死に直接触れたことを思い出した公一の声は重く、表情は神妙で、腫物に触れようとするような、及び腰な姿勢であった。
それは本能的な恐怖もあるのだろう。公一は間違いなく、『死』を実感したのだ。幾度感じようと、決して慣れることはないと確信できる、命の終わりを。
「いや……誤解はするな。あれは死者の記憶に過ぎない。魂そのものは、もうあそこにはなかった。大本の魂は、こちらの世界でいうあの世に行ったのだろう。ルル・エブレクニトの天国か、エルヴィムの地獄かはわからぬが」
魂は既にこの世にはなく、地上での行動が影響を与えることもない。ただ死者の心残りを、死を司る神として解消しただけに過ぎないとエレは言った。
「でっ、ですけど、やっぱり、あまり死者の意識を見るとか言うのは、まずいですよ?」
しかし、こちらの世界を良く知るナピは、エレの行動に忠告を与える。
「こ、こちらでは『死』はそれこそ、エルヴィムの、りょ、領分なのですから」
この世界において、エルヴィムは悪い魂を手に入れて、地獄に送る悪魔のような存在である。ウラヌギアの方で、ゴーストやゾンビと呼称されるような、アンデッドを操ることもあると言う。そんなドナルレヴェンにおいて、エレのしたことはエルヴィムと契約でも交わしたかと疑われてもおかしくない行為らしい。
「に、人間全てを殺すことを、存在理由としているエルヴィムと人間が、契約するというのは、まずあり得ませんが、例がないわけではありません。正確な知識がない人は、け、契約が実際より気軽にできるものと思い込んでいることも、多いのです。千年前ごろは、ぎ、疑心暗鬼にかられた人々が、エルヴィムと契約をかわしたと疑われた人を……多く、こ、殺したのです」
ナピが暗く沈んだ、悲し気な表情で説明する。ウラヌギアにおける魔女狩りのようなものだろう。この世界では悪魔に類するものが目に見える形であるので、より疑心暗鬼は深い物であったはずだ。
「エ、エルヴィムには、まだ説明していなかった二つの力があります。ひ、一つは『自分が殺した人間の記憶や知識を奪うこと』、です」
殺された時、人は当然、殺した相手に恨みを向ける。復讐心を向ける。つまり、怨嗟の化身であるエルヴィムと、極めて近くなる。その時を狙い、エルヴィムは殺した人間の魂と同化し、吸収するのだ。
それにより、エルヴィムは己の力を強化し、相手の知識を自分のものにできる。他に、単純な憎悪や殺意のような、負の感情エネルギーも吸収できるという。つまり、エルヴィムへの憎しみは、エルヴィムの力になってしまうのだ。
「魂の同化吸収か……。おぞましい話だ。メデューサやエキドナのようだな」
「も、もう一つは、『悪意を感じ取ること』です」
対象とした人間が、誰かを害したいと思っている感情を読み取れる。本人でなくとも、悪意を抱いている人間が触ったものを手に入れるだけで、誰に何をしてやりたいと思っているのかわかるのだ。
「先ほど、け、契約の前例はあると言いましたが、この力により、エ、エルヴィムと契約してでも恨みを晴らしたい。そう考えている人間に近寄り、契約を行うのです」
なるほど。『死者の魂を喰らって自分のものにする力』、『他者の悪意を知る力』。
エレの『死者の残した声を聞く権能』も、知らない者が見たら、死者の魂を喰らって、死者の知識を手に入れたと思われるかもしれない。死者の悪意を感じ取り、死者が生前に恨んでいた相手を知ったのだと疑われるかもしれない。
「なるほどな。注意させてもらおう。こちらのあの世は、私の領分ではない」
エレが納得し、ナピの言葉を受け入れていると、それまで黙って話に耳を傾けていた公一が、口を開いた。
「あの世ですか……。あの世って……あるんですね。ドナルレヴェンにも、それにウラヌギアにも……」
どこか呆然と、公一は呟く。
死後の世界。死後の魂。生きている人間にとって、すぐ傍にありながら、宇宙の果てよりも遠い場所だ。あるかどうかさえわからず、生きている限り確かめようがない。
だが、ここにそれを簡単に確かめられる方法があった。
「ある」
冥府神は端的に、全人類が求めてやまなかった答えを教えてくれた。
「……ウラヌギアにおいては、概ねギリシャ神話の描写が正しい。死者の魂は私の下に集い、生前の功罪に従って裁きを受ける。よほど罪深ければ、地獄である『タルタロス』に落とされ、罰として苦しみ続けることになる。よほど善行を積んでいれば、天国である『エリュシオンの野』に入り、神の眷属となることを許される」
天と地が生まれた時、共に生まれたと神話に語られる、最も恐るべき地獄『タルタロス』。最も罪深い者たちや、神の反逆者が落とされる。オリュンポスの神々に敗北したティターン神族や巨人ギガス族も、そこに封印されている。
一方、『エリュシオンの野』は白ポプラの花が咲き誇る、平和な楽園だという。よほど優れた行いをした者しか行くことはできない。
「だが大概は、功罪半ばし、天国でも地獄でもない普通の冥府に留まる。『アスポデロスの野』だ。地獄のように拷問をされることはないが、生の歓びを味わうための肉体が無いゆえ、あまり気分の良い世界ではないようだがな」
ホメロスの著書『オデュッセイアー』において、トロイア戦争の英雄たちも『アスポデロスの野』を彷徨い、大英雄アキレウスでさえ、『死人全員の王になるより、地上で貧しい男の部下となって生きていたい』と嘆き苦しんでいた。
あのアキレウス。母である女神テティスに無敵の肉体を授かり、鍛冶神ヘパイストスの造りし武具をまとう、トロイア戦争最強の戦士。彼ほどの勇者であっても、天国にまでは至れぬことが、天国に行くことの特別性を示している。
「最初の内は死者同士触れ合い、交流し、話し合ったりしているが、時の果てにそれにも飽きて、静かに眠り続けることになる。また数百年も何も感じずにいると、発狂しないとはいえ、感情はかなり薄くなる」
五感が無いまま長時間経過すると、生きた人間は発狂すると聞くが、魂だけだと、そもそも異常をきたす脳が存在しないため、正気を失うことはない。苦しみにも耐え続けられる。光の無い世界だが、もう目に頼る必要もないため、不自由することはない。ただ暗闇の世界の中、することもなく存在し続けることになる。
「存在し続けることに飽きた魂は、多くの場合、転生を選択する。死の国を流れる川の一つ、レテ川の水を飲むと、生前の記憶が消え、新たな命として地上に生まれ変わる。感情が薄まり、忘却への恐怖も感じなくなった頃、そうするようだ」
天国、地獄、その狭間、転生。神の口から語られる死後の魂の流れ。それらを、エレは簡単に説明した。いかなる宗教家、宗教学者、生物学者――生きている以上、誰も説得力を持って語ることができなかった、死後の在り様。
それが、窓拭き掃除中の雑談の中で、あっさりと解明されてしまったのだ。
「そうなんですか……死ぬって、そういうことなんですか……」
それを聞いていた公一は、複雑な表情を浮かべた。笑い出す直前のような、泣き出す直前のような、どういう感情を表せばいいのか自分でもわからないという、酷く混沌とした顔であった。
その表情から、公一の心に渦巻く何かを感じ取ったのか、
「さっ、さあ、早く終わらせちゃいましょうっ、窓拭き! わ、私たちの領分なんですから。『綺麗になってるねー』ってミシェルさんも喜んでいましたし」
ナピが、精一杯の笑顔で言う。
「……うん、そうだね」
しまったな。公一は、気を使わせてしまったことに申し訳ない気分になり、笑顔を返す。大人げない態度であったことを反省し、少年は窓拭きを続ける。
しかし、返した笑みには微かに引きつり、心の内がいまだに揺れていることに、ナピは気づいていた。
それ以降、さほど会話を交わすこともなく、ジェインたちが屋敷に帰還するまで、三人は窓を拭き続けた。
◆
『盗品売買の地下倉庫に領主の兵が入り、現場にいた関係者は全員逮捕され、盗品は押収された』
夕日と共にやってきたその知らせは、ギモージアにとっては地獄からの連絡としか思えなかった。
「ぬぁんたることだぁっ‼」
部下から連絡を受けた俗物の長は、蒼白で絶叫した。
「なぜだっ!? もうレダの奴は喋っていたのかっ? いやだがそれなら昨日のうちに行動しているはず。なぜバレた? いや理由などどうでもいい! どうする? これからどうすればよいのだっ‼」
心に浮かぶことを端から口にしながら、ギモージアはおろおろと自室を歩き回り、うろたえる。
「なんで儂がこんなっ! あの小娘がいなければっ! む……?」
ふと、自分が考えなしに言葉にしたことを反芻し、考え込む。
「そうだっ、いなければよいのだ! 暗殺するっ! あのジェインめを今こそこの世から消してしまうのだ! 刈り取りの日だ!」
ギモージアは名案を思い付いたと喜色満面。昨日レダを始末したばかりのジェイムズを呼び、新たな任務を命令した。
「仕事だジェイムズ! ジェインの調査が完了し、儂への捕縛命令を出すより前にっ、あのアバズレを消せっ! 一刻も早く!」
ジェイムズは突然の命令に、不平を言うこともなく、勇ましい言葉で成功を約束し、雇い主を安心させるわけでもなく、
「わかった」
ただそうとだけ言って、踵を返してギモージアの部屋を出ていく。
愛想の無い、その背中を見送りながら、神殿長はニヤァと嫌な笑みを浮かべた。
「これでいい……クフフフフ、奴にかかれば、あの小娘も、『猟犬』も『軍犬』も『忠犬』も、ものの数ではないわっ!」
ギモージアはジェイムズの手際に、絶大な信頼をよせていた。
彼がジェイムズと出会ったのは一年と半年前のことだ。
当時、ギモージアはある傭兵団と報酬について揉めたあげく、命を狙われる羽目になってしまっていた。そこで、やられる前にやろうと、暗殺者の仲介屋に口利きを頼んだが、既に傭兵団側に雇われた後であった。焦ったギモージアは仲介屋に頼み込み、ようやく仲介してもらったのがジェイムズだった。
仲介屋の説明によると、仲介屋もたまたまジェイムズと知り合い、仲介する権利をもらっただけで、ジェイムズに命令する権利があるわけではないということだった。実際に仕事を受けるかどうかはジェイムズ次第であり、百回ほど依頼を申し込んだが、今までにジェイムズが仕事を引き受けたことは、両手の指の数を超えない程度しかないという。
それでも、後が無いギモージアはジェイムズと会い、死にもの狂いで懇願した。すると予想外なことに、ジェイムズはギモージアの依頼を受けたのだ。多くは言わず、ただ『わかった』と頷き、依頼を受けて傭兵団と雇われた暗殺者を皆殺しにした。
更にジェイムズは何が気に入ったのか、以降、ギモージアの依頼は仲介屋を通さず直接受けるようになった。
そして、ギモージアがジェイムズに仕事を断られたことは一度も無い。
そして、ジェイムズがギモージアの仕事に失敗したことも一度も無い。
『辺境最強の殺し屋』が、ギモージアを特別扱いしているという事実は、ギモージアにとって大変気分のいいものであり、そして強力無比な武器であった。
なぜジェイムズがギモージアを贔屓するのか、理由を尋ねても、答えは返ってこない。だが、ギモージアは元より、他人の都合など気にしない男だ。自分にとって都合が良ければ、それで十分なのである。
「絶滅してしまえっ‼ オギトもダーリングもっ、今までの恨みを思い知るがいいわっ! フハハハハハッ!」




