22:レダ・マッカの望み
ゾシウの町において、犯罪者を捕えておくのは兵士の詰め所近くに建てられた監獄であった。地下五階という深さまで掘ったうえで、壁や床をレンガで崩れぬよう補強し、鉄格子までついた立派な地下牢だ。
最下層に入れられるような重罪人に配られる食事は、口触りの悪いボソボソのパンに、薄味のスープ、あとは酢漬けの野菜。腐りかけていることもままある。無論、味ははっきりと不味いし量も少ないが、重罪人は収監される前に首を撥ねられてもおかしくないため、食事を出してもらえるだけありがたい話である。大小便は備え付けられた壺に行い、それが取り換えられるのは看守の気が向いた時だけである。
この牢獄の中の一室に、レダ・マッカはいた。重罪人として手枷を嵌められており、食事やトイレも一苦労である。しかし、レダは絶望してはいなかった。
昨日、尋問を行った兵士に司法取引を持ち掛けてみた。その兵士は取引に応じる権限はないと答えたが、領主に話を持っていくことは約束してくれた。
結果、明日には領主が直接会って、レダの話を聞くという運びになった。
(あとは、どこまで減刑してもらえるか、交渉だな)
死刑は免れるだろうが、無罪放免までは無理だろう。それでも少しでも刑期を短くしてもらえるよう、全力で交渉しなければいけない。明日は舌先を使った戦闘を行わなくてはならないと、流石のレダも緊張して中々寝付けなかった。
他者の秘密をばらすことに罪悪感はない。もちろん悪党の間でも、他者の秘密を、しかも立場が上の相手の悪事を明かすなど、報復を覚悟すべき裏切りとなる。だが自分の命がかかっている以上、なりふり構ってはいられない。
(まあ地下牢の最下層は、安全と言えばすこぶる安全だな。ここまで来れる奴はいねえ。だが、せめて飯をもうちょっといいものにしてもらいてぇ)
酒とは言わないまでも、肉や魚くらいつけてもらいたい。そんな贅沢を考えていたレダであったが、
「ああ……?」
盗賊として修羅場をくぐってきたことで身に着けた鋭敏な感覚が、何かの気配を感じ取った。
中々寝付けなかったことはレダにとって、おそらくは不幸だったのだろう。もしもぐっすり眠っていたなら、そのまま恐怖を感じず、眠り続けていられたはずだ。永遠に。
けれどレダは気づいてしまった。見つめてしまった。いつの間にか地下牢にまで降りてきた人影に。
「っ‼ おっ……お前っ、かっ」
レダが驚き、看守を呼ぼうとする直前、細い小刀が彼の喉に突き刺さる。鮮血が飛び散り、牢屋の床や壁に赤い模様をつける。声をあげることもできなくなったレダ・マッカは、ゴボゴボとあぶく混じりの血を吐きながら、自分はもう助からないと悟っていた。
苦痛と悔しさ、恐怖と恨み、幾つもの感情が混ぜこぜになった複雑な目つきで、レダは最後に自分を殺した相手を睨み付ける。
相手は目の部分以外、まったく肌をさらさず、布で全身を包んでいた。長袖のコートとズボン、皮手袋にブーツ。頭には布を巻き付けて髪の毛一本外に出さず、顔には矢じり型の黒仮面を被り、顔つきはわからない。
相手は、先ほどまで小刀を掴んでいた右手の手首を、ゴキゴキと捻って回した。そして、レダの目を見つめ返す。
「何だその眼は? クズごときが……!」
相手の目は、レダの向けた負の感情など及びもつかないような、煮えたぎるような怒気と殺意に満ちていた。小声でありながらも良く通る声がレダの耳を貫く。右は赤、左は黒という不思議な目から、物理的圧力さえ感じられる強烈な視線を送っていた。
(赤い右目と、黒い左目っ! コイツっ、コイツは、まさかあの……ジェイムズ……ジェイムズ・ディノニクスかっ⁉)
ジェイムズ・ディノニクス。
辺境で最も腕が立つと噂される殺し屋。その経歴は全くの不明だが、左右色違いの、赤と黒の眼から『血と闇』のジェイムズとあだ名されている。他に『殺戮の日』、『死の天使』、『恐怖の爪』、『屠殺者』、『生者の敵』――多くの名を持つ男だ。
あらゆる殺し方に通じており、ナイフ、弓矢、剣、槍、あらゆる武器を使い、素手でも人を殺す武術の達人。それほどの達人が、表舞台に立たずに暗殺者などという汚れ仕事をしている理由は、誰も知らない。
今は仮面をしているが、雇い主には顔を見せるため、顔を隠しているわけではない。けれど彼は、仕事の時には仮面を被ると言うルールを自分に課している。その理由を知る者はいない。
顔も名前も知れ渡りながら、謎に包まれた暗殺者。一つ確かなことは、彼に狙われ、生き残った者はいないということだ。
(や、やめろぉっ! 見るなっ、見ないでくれっ!)
レダはその格が違うとしか言いようのない、自分を殺す者が持つ狂気に怯えた。しかしその恐怖もすぐに終わることが理解できてしまった。もう視界は暗くなって見ることもできなくなり、やがて意識も消えていく。
(ちくしょう……こんなところで。せめてあのギモージアに……)
自分を殺害したこの男は、十中八九、神殿長の送った口封じの刺客である。もう自分は助からない。だが、せめてあの堕落した髪の薄い肥満体も、いずれ地獄に堕ちることを願い、地獄での対面の日が早いことを祈った。
(クソッ……俺の知っていることを、誰かに、誰かに伝えられていれば)
自分の知る、ギモージアを破滅に追いやる知識が闇に埋没していく。それが悔しく、恨めしく、しかし、そんな感情も速やかに霧散していき――
◆
「ハッ!」
突如、本来の自分の視界を取り戻した公一は、いまだに感じられる自分が死んでいく感触に身震いする。酷くリアルな夢を見たような感覚であった。
「なんだ……なんだったんだ今のは」
隣でジェインが驚愕に打ち震えていた。ナナでさえ、呆然としている。
「い、今のは、レダさんの亡骸に残った、さ、最後の思考……エレさんが汲み取った、レダさんが伝えたかったことを、わ、私が皆さんに伝えたのです」
それは二つの権能の合わせ技。
一つはエレの権能。地獄王の権能。
一つはナピレテプの権能。天使の権能。
死者の魂の管理者。生前の罪の裁き手。異世界においてはその権能は大幅に制限されるが、死者の思考の残り香、訴えたかった最後の執着。いわゆる残留思念を読み取ることくらいは、容易く行える。
エレが知った死人の記憶。それをナピレテプが天の使い、神の使いとしての『伝令』の力により、公一たちの思考に直接送り届けたのだ。
「そんなこと、できるはず……一体、貴方は、貴方たちは……」
「それは後にしよう、ナナ。彼らは私たちに味方してくれているんだ」
困惑しきったナナであったが、ジェインが彼女の疑問を止めさせる。ジェインも貴族として、腹の読みあいの経験はそれなりに有している。その経験から、エレとナピレテプの力が、聞かない方がいい部類のものであるということを感じ取ったのだ。
確かにとても気になるし、なぁなぁで済ませるには少々異常すぎる力である。彼らの正体は、ジェインとて聞きたい。けれど、少なくとも彼らはジェインに利する行動をしてくれている。ならば急いで無理に聞き出すことはないと、若き女領主は判断した。
「ジェイン……! 甘っちょろすぎます!」
ジェインの判断に異を唱えるナナ。公一たちの前で、ジェインの名を親しく呼び捨てにしてしまっているところに、ナナの動揺が見て取れた。
このドナルレヴェンにおいて、人間は『魔術』や『結界』といった、異能を用いることができる。それは、神々から人間に与えられた物理法則を超えることを許された力だ。しかし、エレたちのしたことは、それとは違っていた。
あんなことができる者がいるとしたら、それはこの世界の人間でない者だけ。その人間でない者には、人類の大敵たるエルヴィムも含まれる。ナナの心配も当然であった。
「わかっている。ことが落ち着いたらちゃんと聞く。けれど、今はそれとは別に、差し迫った案件がある。お前にも伝わっているんだろ?」
「……それは、確かに」
説得を受け、ナナが押し黙った。先ほど伝えられたレダの最期の思考。
その中に存在していた。レダ・マッカが最後に伝えたかった情報。ギモージアの悪事の証拠についての知識が。
「すぐに証拠を押さえるぞ。兵に連絡だ!」
ジェインは公一たちを引き連れ、地下牢を飛び出していった。




