14:執事とメイドたち
貴族の屋敷はやはり広い。
ダーリング邸は二階建ての建物で、箇所によっては屋根裏部屋もある。
屋敷中央にある正門から入ると、まずは大きなホールがある。これはどの屋敷にも共通の特徴らしい。そのホールの奥には二階に続く中央階段があり、昇ると大広間に辿り着く。そこは家族の団欒のための部屋だ。
二階は主に館の主人と、その家族の生活空間となり、それぞれの私室となる部屋が造られている。執務室や蔵書室があるのも二階である。
一階はホールを中心に、西棟は客室、遊戯室、音楽鑑賞室などを備え、東棟はキッチンやダイニングルーム、浴室、使用人室などが配置されていた。屋敷から南東へ少し離れた場所に井戸があり、井戸の近くに洗濯用の小屋が建っていた。
それらを説明を受けながら案内され、終わった頃には午後七時になり、夕食の時間となっていた。
「ざっと案内はしました。早めに配置を憶えること。さて……そろそろ食事の時間ですね。ダーリング邸においては、主人も使用人も、一堂に会して食事をとることにしています」
一階東棟の正餐室に全員が集まって食事するのが、基本であるという。
「そうなんですか……主人と使用人は、食べる場所も、食べ物の種類も違うものだと思ってました」
公一のイメージとしては、主人が一人で豪華な食事をとっている中、何人もの執事やメイドが、周囲にじっと立ち、料理を運んだり、汚れた口をナプキンで拭いたりするものだと思っていた。
「……それは人それぞれですが、普通は使用人を同席させません。使用人は主人の食事に給仕としてつき、使用人の食事は主人の食事が終わった後。確かにそれが普通です。ジェイン様の方が例外なので、常識とは思わぬように」
ナナは少し困った様子であった。それまで鉄のように硬かったナナの雰囲気が、やんちゃ盛りの子供に手を焼く、ベビーシッターのようになる。
「とにかく行きますよ。みんな待っているでしょうから」
気持ちを切り替えたナナに促され、公一たちはダイニングルームへ向かった。
◆
正餐室には、既に執事が一人、メイドが二人待っており、大きなテーブルの席についていた。テーブルには料理が置かれ、いつでも食べることができる。料理には、保温や埃避けのために、ボウルを逆さにして取っ手をつけたような形の、銀の覆いを被せてあった。
「もう三人そろっていましたか。丁度良いので、紹介しましょう」
ナナは公一たちを指し示しながら、
「コウイチ・ナンゴウ、ナピレテプ、エレ。今日から一月、雑用係として雇われることになりました。こき使いなさい」
「よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします!」
「……よろしくお願いします」
公一たちが頭を下げるのを見ていた、メイドの一人が手を上げる。
「いやぁ、ナナ様。それだけじゃわからないですけど」
「詳しいことは本人に聞きなさい。正直、私も何も知らないのです。今は自己紹介を」
困った様子のメイドだったが、仕方ないと諦めて立ち上がり、公一たちの方に体を向ける。
「いやぁ、よろしくー。私はミシェル。ミシェル・ジョーン。主な仕事は洗濯とベッドメイキングです」
二人のメイドのうちの一人がそう名乗り、いたずら好きの少年のような笑みを浮かべる。明るい茶色の長い髪を三つ編みにしており、歳は二十代前半。細い眉に、睫毛の長い、明るい目をした朗らかな美人。起伏の激しい体つきをしているが、背丈は公一と同じくらいである。
「はじめまして、私はナンシー・ジョーン。ミシェルの一つ上の姉です。主な仕事は掃除と裁縫。どうぞよろしく、はい」
もう一人のメイドは、ミシェルと同様に豊満な体つきで、背は公一より頭一つほど高い。顔つきは姉妹と言うだけあってミシェルと似ているが、受ける印象は全く違う。縁無しの眼鏡をかけた、知的な美女で、静かな微笑みを浮かべている。カチューシャをつけた茶色の綺麗な髪は、腰の辺りまで真っ直ぐ伸ばされていた。
「私はザライ・カルマン。主な仕事は庭の管理、家畜の管理、その他力仕事。よろしくお願い申し上げます。言っておきますが、どういう理由があろうと、仕事手であるなら遠慮なく使い倒しますので、御覚悟を」
最後に名乗った執事は、背の高い初老の男性。髪は金色に白いものが混じり、背は硬い樫の木のようにしっかりと伸び、佇まいに隙がない。引き締まった細身の体格に、長い脚。厳しそうな顔立ちであるが、鼻は高く、輪郭も整っており、若い頃はさぞ女性にもてただろうと思われた。
「彼らがこの屋敷の執事とメイドです。彼らと私、そして主人であるジェイン様。この屋敷に普段から暮らしている人間は、これで全員になります」
そう聞いて、公一は少し驚く。貴族や領主の生活など知る由もないが、これだけ大きな屋敷なのだから、もっと多く住んでいるかと思ったのだ。
ナナは、そんな公一の内心を読み取ったように言う。
「正直、三人では手が足りません。毎日、必要最低限の仕事をこなすので手一杯の状況です。いい機会なので、最低限以上の仕事を片付けてもらいます」
ナナの目は、獲物を逃がさぬ猟犬のものだった。公一の背中に、冷や汗が流れる。
(貴族の御屋敷の仕事なんて、想像したこともないや。やっていけるかなぁ)
職に就いた経験もない少年は、今更になって少年は若干怖気づくが、もはややるしかない。
何はともあれ、こうして、公一たちは一時的なれども、仕事と食事と寝床を手にすることができたのだった。
「すまん皆! 待たせたな」
一番遅れて、若き女領主が入室した。赤い髪の彼女が上座につくことで、ようやく食事が始まる。
カバーが外されると、ポークソテーをメインにした夕食が、湯気を立てていた。
「では、今日の糧を得られたことを、女神ルル・エブレクニト様に感謝を」
「「「「女神ルル・エブレクニト様に感謝を」」」」
ジェインが音頭を取って、祈りの言葉を捧げる。そして、ナナたちが続いた。
これがこの世界における『いただきます』なのだろう。
「えっ、ああ、女神ルル・エブレクニト様に感謝を」
「は、はい、女神ルル・エブレクニト様に感謝をっ!」
「……感謝を」
一拍遅れて、公一たちも言葉を繰り返した。公一としては、つい先日会った女性が、こうして神として崇められている事実に混乱してしまう。彼にとっては突然選択を突き付けて来た、今一つ好印象を持てない相手であるが、やはりこの世界においては確かな崇拝対象なのだ。
戸惑いは傍から見てもわかるものだったが、初めて貴族の屋敷で食事をする緊張によるものと思ったジェインたちは、別に疑問にも思わなかった。
そして食事は始まる。その食事は、公一の暮らしていた豊かな日本の食事と比べても、遜色ないほど見事なものであった。
「美味しいですねぇ」
思わず、感想を口にしてしまう。文化の違いにより、この世界の食事が口に合わないことを心配していた公一であったが、大変安堵することができた。
「うむ。今週の食事当番はザライだからな。我が屋敷で一番料理上手なのだ」
ジェインが自慢げに言い、執事は誇らしそうに微笑みを浮かべていた。
互いの仲が良さそうな職場で良かったと、公一が思っていると、ナナが口を開いた。
「夕食が済んだら、風呂に入り、今日のところは休んで結構。部屋に案内するので、一人一室、使ってよろしい。どうせ余っていますから。ただし丁寧に使うこと。いいですね?」
◆
「それで……いいのですか?」
ザライがナナへと問い尋ねる。
時間は深夜〇時。ジェインも公一たちも、既に寝静まっている。
「ジェイン様に敵は多い。どこからどのような手で、近寄るかわかりません。はい」
「いやぁ、この前もジェイン様に一目惚れしたとか言って、口説いて来た奴がいたねー。結局、別の領のスパイだったけど」
ナンシーとミシェルも、ザライの危惧に頷く。
ナナに割り当てられた私室に集まった彼らは、突然雇われた公一を問題視していた。
「……身分も定かでなく、名前以外の何も知らない人間を雇うなど、民間の商家でもやらないこと。ましてや貴族がすることではないのですが、それをやってしまうのが我らの主人です。一人で食べても美味しくないと言って、使用人と食卓を共にする方です」
ジェインは重いため息をつき、ナンシーとミシェルも苦笑し、ザライも困ったように頬を掻く。
「けれど、その大馬鹿なまでの甘っちょろさが、領民の好感を呼んでいるのも事実」
家臣としては悩ましいところだ。もう少し、自分の立場を理解し、人に対して警戒してほしい。貴族や領主というものは、歓談している相手が笑顔のまま、刃物を振るってきてもおかしくない身分である。というか、暗殺騒ぎはもう何度も起きているのだ。
そのたびにもっと注意してくれと訴え、ジェインも反省して頷くのだが、行動が改まる様子は見られない。懲りないというより、もはや生まれつき心身に組み込まれた性分なのだろう。
「いやぁ、そこは私たちがしっかりすればいいところでしょ」
「ミシェルの言う通りです。はい」
かくして、ジェインに警戒させるより、自分たちが傍で支えた方が早いと、忠義の家臣たちは判断したのだった。
「それで……貴方の見立てでは、どうなのです?」
ザライがナナに、公一たちの印象を訊ねる。
「さて……流石に今回はわかりません。作為的なものは見受けられませんでした」
神殿での騒動。盗賊との遭遇。魔物の討伐。領主との邂逅。
偶然にしては出来過ぎているが、計画してやれることとも思えない。だからジェインに対して具体的な反論もできず、雇用を承諾することにしたのだ。
「状況的に、狙ってできることではないと思いますが……それ以前に怪しすぎます」
だが、計画してやれるとは思えないことを、計画して達成するのが間諜というものであることも確かだ。
ジェインが魔物退治の場に駆け付け、公一たちを雇おうと持ち掛けたのは幸運に過ぎなかった可能性もある。ジェインと反目している神殿と仲が悪く、魔物を退治する力を持ち、見ず知らずの人々と町を救おうとする正義感の持ち主。そんな触れ込みでこの町での評判を確立した後、ジェインの兵士として雇われて、近づこうとしていたのかもしれない。
いずれにせよ、公一たちのことは全くわかっていないのだ。まずは目を光らせ、公一たちの情報を探らなくてはいけない。
「我らの主人が甘っちょろい分、我らは辛く考えなくてはいけません。油断は禁物。明日から、頼みますよ? もし、彼らが刺客や間者であるとわかったら」
ナナの眼が、鋭く光る。
「わかっております」
ザライの白手袋に包まれた手が、ギリギリと音を立てて握りしめられる。
前に、ジェインに恋をしたと偽って、女領主に近づこうとした不逞の間者を『始末』したのは彼であった。幸い、このオギトは『肉』を跡形もなく平らげる獣や魔物には不自由しない土地である。
「いやぁ、その時は……溺れさせてあげるよ」
「飛ばすか、落とすかの二沢ですね。どちらにしても、首だけですが。はい」
メイドの姉妹は華のように微笑む。その花弁の隙間には、毒針を備えた蜂が隠れていた。
「では……全てはジェイン様と」
「ダーリング家と」
「オギト領と」
「そして、もう一度ジェイン様のために」
領主の屋敷を護る四人の番犬は、獰猛な牙を隠しながら、揃って吠えるのだった。