12:針山の魔物
ドナルレヴェンには、『混沌』という概念がある。かつてはウラヌギアにも多く存在したが、ほとんど使い切って無くなってしまっている。とはいえ、完全に無くなることはない概念だ。
無から有を産む概念。力ではない。力があるのなら、それは無ではない。真なる無から有が引き出される奇跡。あるいは可能性。それが『混沌』という、人間の言葉では説明しきれない『何か』だ。神か、神と同等の存在にしか真に理解できず、扱えない『何か』。
しかし、理解できなくても多少は扱う術を、人間は持った。『混沌』を人間が理解できる形に変え、様々な効果を作り出す術。
何もないところから炎を生み出し、手も触れずに物体を動かす術。
天地自然の法則では起こり得ぬ現象。物理に反した事象。それは統括して『魔』と呼ばれ、その『魔』を引き起こす術として『魔術』と呼ばれる。
ドナルレヴェンにおいては人間が、神々から許されて教わったもの。神々が創り上げた世界を、一時的なれど歪めることを許される、五種類の術。それが『魔術』なのだ。
そして、『魔術』が『混沌』を、理性でどのように使うか考える技術であるのに対し、何も知らずとも本能で『混沌』を使う生物が存在する。
神に許されずに『混沌』を使うもの。エルヴィムがもたらしたと、伝説で伝えられる生物。本能的に『混沌』を利用することで、異常な生態を可能にした生物――『魔物』である。
◆
公一は、針だらけの怪物を見つめる。怪物の方も、飛び出した目でこちらを見つめていた。
「暴れろ化け物!」
レダは、魔物の入っていた球――『ランプ玉』を入れていた麻袋から、今度は金色の薄い円盤に、八角形の穴を開けた物を取り出した。様々な字や紋様が彫り込まれており、何かのお守りのようだと、公一は察した。
その通り。それはお守り――護符であった。下位の魔物を寄せ付けぬ『簡易退魔結界』。神殿の高位神官だけがつくることができ、大量のお布施と引き換えに手に入る。魔物を追い払う力の強さや、効力が持続する時間の長さによって、価値には差がつき、効力の低い物は金貨1枚で手に入る。レダが持っているのは、金貨三十枚ほどのものだ。
キュルルルルルルル!!
魔物は鳴いて、公一の方に向かう。別にレダの言うことを聞いたわけではない。
『ランプ玉』は魔物を『封印』する道具であり、魔物を支配することはできない。
単に『封印』をレダが解き放ったために、魔物が解放されただけのこと。『結界』に守られているレダは攻撃されないが、それだけだ。そして、魔物は『封印』された怒りと、飢えに満ちている。起こす行動は一つ――捕食である。
キュルルルルルルルッ‼
魔物が跳ね、公一に飛びかかる。棘だらけの体に圧し掛かられたら、それだけで少年の体に穴が開くだろう。
公一はこれをかわし、手の剣で魔物の脚の一本に斬りかかる。草を刈り取るように、魔物の脚は断ち切られた。蒼い血が噴き出し、魔物は残った脚で後退する。
距離を取った魔物は、動きを止めた。公一のことをただの獲物ではなく、危険な敵と見なしたのか、様子を伺っているようだった。
公一は視界の片隅に、レダが逃げていくのが見えたが、見逃すしかない。悔しく思うが、魔物に背を向けていては喰われるだけだ。
「くそ……」
公一が思わず悪態をついたと同時に、魔物が動いた。地を跳ね、右にある建物――三階建ての宿屋に飛びついた。そのまま建物に張り付き、落ちることなく壁と垂直に立っている。
そして、
キュルルルルルッ!
魔物の体に生えていた棘が、一部撃ち出された。十発ほどの棘が飛び、公一に降りかかる。
「うわっ!」
身をかがめて、ギリギリでかわす。しかしすぐに次が飛んでくる。それを左右に動き、あるいは下がり、しかし背を向ける事は決してせずに、かわしていく。ドッジボールで投げられた球を避けるような感覚だったが、必死さが違う。
(まずいな……)
周囲の地面には、あっという間に百本近くの棘が突き立てられている。これらは避ける時の邪魔になり、次第にかわしにくくなっていく。しかも放たれた棘はすぐに新たに生え変わり、きりがない。だが、こちらには剣だけで、建物の三階に位置する敵まで届く攻撃はできない。
昨夜のイライツに比べればずっと弱いとはいえ、あの時のように剣の届く位置にまで接近する作戦は無い。
公一は内心、焦りと恐れを抱いていた。
◆
「駄目だな。これは私の力では届かない」
公一が攻めあぐねているのを見て、エレは呟く。
エレの所有する『地下資源の支配』――『財宝』の権能は、地下にある物質を集め、動かすことができるが、地面から遠く離れた敵に対しては扱いづらい。イライツに使ったように、金属を固め、長く伸ばして攻撃することはできるが、今の魔物の機敏さを見るに、この距離ではおそらくかわされてしまう。小回りの利く相手は苦手だ。
「そ、それなら私がっ」
エレの隣のナピが走り出す。
臆病な割に、非常時に怯えて動けなくなるということにならないのが、ナピの性質であった。身を縮めて固まるのではなく、白ネズミのように突っ走る。冷静な判断ができているわけではないので、下手に動いて余計悪くしてしまう可能性もあるのだが、今回はそう悪くなかった。
「『マチルガ』っ!」
ナピの唱えた『マチルガ』とは、あらゆる火の魔術を使う時に唱えられる共通の呪文である。威力の大小、効果の差異に関わらず、火の魔術はすべて『マチルガ』と唱えられる。
そして放たれたのは、火魔術の中でも初歩の攻撃魔術。球形の炎を放つ術で、見た目通り『火の玉』と呼ばれるものだ。『火の玉』は放たれた棘とぶつかり合い、空中で棘を焼き崩す。それを見て、あの棘は火に弱いようだと見たエレは、この場ではナピが一番役に立つと判断した。
それと同時に、こちらに近づいてくる馬の足音を聞き取っていた。
「……兵士の増援か?」
そのエレの予想は、ほぼ当たっていたが、完璧に正確ではなかった。
馬に乗ってやって来たのは、長い髪を、馬の尾の形に縛ってまとめた女性。
この都市、この地方の領主――ジェインであった。
◆
ジェインは、逃げる人々の群れを掻き分け、現場に急行して、まず叫んだ。
「あれは『吸血サボテン』! なぜ!」
棘だらけの緑の蜘蛛のような、あるいは、脚の生えたサボテンのような怪物。
それは正式には『ピンクッション』と名付けられている魔物であった。
通称を『吸血サボテン』、または『毒トゲ蜘蛛』。しかし、ピンクッションはサボテンでも蜘蛛でもない。魔物は自然の生態系とは逸脱した生物であるため、通常の分類法では、種類の組み分けが難しいが、学者の分析によると、タコやイカに近い生き物であるらしい。
その武器は『針山』の名のとおりに、全身に生えた鋭い棘。棘には毒が含まれ、刺されてすぐに死ぬような強力な毒ではないが、体が痺れて動けなくなる。そして動けなくなった生き物に圧し掛かり、棘の一つに見える口を突き刺し、蚊のように血を吸うのだ。
オギト荒野の奥の方に、時々見かける魔物であるが、結界に守られた町に入り込むことはあり得ない。故に、それは誰かが持ち込んだものであると、ジェインはすぐに見当をつけられた。
(いかん。ナナを連れてくるんだった)
ナナには逃げる人たちの誘導を任せ、別れてきてしまった。
(こいつ相手だと、兵士がもっと……万全を期すなら、十人は欲しい……うん?)
そこでようやく、ジェインはピンクッションが誰かと戦っていることに気づいた。
剣を手にした、黒髪の少年だ。何者かはわからないが、周囲に突き刺さった棘を見ると、ピンクッションの攻撃を凌ぐことができているようだ。
領主としては、自分の部下以外の者に頼ると面子に関わるのだが、ジェインは町の安全のために、魔物を速やかに倒すことを優先させることを決断する。
「そこの君! 私は」
魔物退治の協力を求めようとしたジェインの声に反応し、ピンクッションは飛び出た目をジェインの方に向けた。
「っ‼」
ジェインは軽率なことをした自分を、内心で罵りながら、腕で顔をかばう。
しかし、飛び来る毒の棘を、その身に受ける覚悟を決めたジェインに向かい、飛んでくるものがもう一つあった。
「危なぁぁぁいっ!」
地を蹴って、まさに矢のような勢いで跳躍した公一であった。ピンクッションが毒棘を、ジェインに向けて発射したのは、公一の跳躍のすぐ後だった。
一瞬後、ドスドスという、針が物体に突き刺さる鈍い音が起こった。
「くうっ! うぅぅぅっ‼」
とは言っても、ジェインと、彼女の跨る馬には、一本の毒棘も刺さらなかった。
「お、おいっ!」
しかしジェインは、自分が毒針を浴びたとしても、見せないだろう焦りを、表情に浮かべた。見知らぬ少年が自分を庇い、毒針をその背中に受けたのを見たためだ。
「いっつぅぅぅ……」
公一は棘を背に刺した後で着地したが、転ぶことはなかった。しかし、その場に膝をつき、痛みに顔を歪める。
「大丈夫か!」
ジェインが馬から降り、公一の傷の具合を見ようとする。背中や肩に、計五本の棘が刺さっていた。服に血が滲んでいるが、その量はジェインが思ったよりは少ない。だが、棘より問題なのは毒だ。乱暴だが、早く棘を抜いた方がいい。
(だが、その余裕があるか?)
ジェインは横目でピンクッションを見る。
(棘を飛ばして来たら、この少年を抱えて避けられるか?)
自分を護った少年をこのままにしてはおけない。だが、自分まで棘を受けたら、それこそ二人ともやられてしまう。
(兵士はまだか! 遅すぎるぞ! 鍛え直しだ!)
自分の部下たちに内心で叱責し、非常時の動きについて見直し、もっと早く対処できるようにしなければと、心に誓う。
そして、次に棘が放たれたら、今度は自分が少年を護り、借りを返すと覚悟する。けれど、
「『マチルガ』‼」
ピンクッションの身を焼く炎を見て、どうやら覚悟は無用で終わりそうだと、ジェインは思った。
キュルルルルルルルッ‼
ピンクッションは痛みに悲鳴をあげ、宿屋と道を挟んで、反対側の建物に飛び移って逃げる。
「だ、だ、大丈夫ですかコーイチさんっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! 遅れてしまって!」
走り寄って来た金髪の美少女は、ボロボロ涙をこぼしていた。戦闘経験のない彼女は、手際よく攻撃することができなかった。自分の魔術がもっと早く放たれていたら、公一が傷つくことはなかったと、後悔していた。
「と、咄嗟に反応できなくてっ、ううっ、ごめんなさいぃぃ」
「だ、大丈夫だよナピ。そんなに痛くないから」
言いながら立ち上がる少年に、ジェインは目を丸くする。大の大人であっても、五本も毒針を受けたら、痺れて動けなくなるはずだった。しかし公一は、ナピを安心させるために、笑顔さえ浮かべていた。
「それより、あの怪物、どうもナピの魔術が有効みたいだ」
攻撃をやめ、壁に立って身悶えしているピンクッションを見て、公一は言う。
「う、うむ。ピンクッションは、炎に弱い。あの棘も火に燃える」
ピンクッションは、魔物の中では弱い部類である。もちろん、個人で戦うと余程の達人でなければ敵わないが、訓練された兵士が部隊を揃えて戦えば、勝てる相手だ。その理由は、炎という明確な弱点ゆえ。多くの魔物は頑丈で、生半可な炎でも焼けはしないが、ピンクッションは松明の火でも傷つけることができる。
全身が棘だらけで容易に近づけないので、火矢を放って攻撃し、飛ばしてくる棘は別の兵士が盾を構えて防ぐ。火によって棘をあらかた焼いた後、槍で突き刺して仕留めるのが、ピンクッション退治の定跡であった。勿論、熟練の部隊であることが前提だが。
「よし、それじゃナピ、行こう」
「は、はい……で、でも、私の魔術は一発放つと、次に放つまで、ちょっと時間がかかるんです……」
ナピレテプがしょんぼりと言う。地に墜ちたナピは、並みの魔術師程度にしか、魔術を扱えない。一度魔術を使うと、次の魔術を放つまで、幾ばくかの時間を要し、その間は無防備になってしまう。
「ちょっとって、どれくらい?」
「え、ええと……五秒くらい」
「……うん、わかった」
頷くと、公一は剣を鞘に納める。そして、申し訳なさそうに眉を下げ、しかし他に手を思いつかず、行動する。
「その、ごめんっ!」
ナピレテプの小柄な身体に手を回し、横抱きにした。
「え? ええっ⁉」
「ごめんっ、我慢してっ!」
公一はその場で地を蹴って跳んだ。直後、公一のいた場所に、飛来した棘が突き刺さる。
「僕がナピを抱えて逃げ回るから、ナピは魔術で攻撃してっ!」
「そ、そういうことならっ!」
ナピは顔を真っ赤にしていたが、作戦とわかると気を引き締め、魔術を使うために意識を集中する。そして、
「『マチルガ』ッ‼」
ピンクッションの背中に、見事に『火の玉』を命中させた。
キュールルルルルルッ‼
ピンクッションは飛びのきながら、続けざまに毒棘を飛ばす。しかし、走り回る公一を捉えることはできなかった。
「『マチルガ』!」
そしてナピの炎は次々と着弾する。肌と棘が焼け、放つ棘も少なくなっていく。
六発の『火の玉』がピンクッションを焼いたところで、壁に張り付いていた蜘蛛に似た体は、壁から剥がれて落下し、仰向けに倒れた。そして、足を動かしてもがき、何とかひっくり返った体を正しく直す。けれど、もう棘はほとんど失われていた。
「も、もうよさそうです!」
「うん、降ろすよナピ」
公一は、建物の傍にナピレテプをそっと降ろすと、剣を再び抜いて、ピンクッションに向かっていった。もう放つ棘が無いピンクッションは、足を振り回して公一を近づけまいとしたが、その攻撃をかわした公一は、魔物の胴体に飛び乗る。
「……せやっ!」
気合を込めて、公一はピンクッションの背中を剣で貫き、切り払った。
キュルルルルルルルルルッ‼ キュルル……ル……ル・ル・ル……!
甲高い悲鳴が小さくなっていき、ついに途絶えると同時に、魔物の脚から力が抜け、ドスンと腹が地面につく。
ピンクッションが息絶えたのは、明らかだった。
「……勝った」
公一はほっと息をつき、剣を魔物の体から抜く。勢いよく一振りして、ピンクッションの蒼い血を払い飛ばし、鞘に納めた。安心すると、急に背中に棘が刺さった痛みが、増したような気がした。
魔物の背中から降りると、二人の少女がこちらに駆けてくるのを、公一は見た。
「だ、大丈夫ですか?」
「早く傷の手当をしないと! 体は痺れていないのか!?」
二人は詰め寄り、公一の全身をよくよく見つめる。その剣幕に少し驚きながら、公一は二人を安心させるために口を開いた。
「僕は大丈夫だよ。ナピと……えっと」
「ん? あ、ああ、私はジェインだ。ジェイン・ダーリング・ユス・オギト。こう見えても、このオギト領を任されている領主だ」
胸に手を当てて自らを示す姿勢をとり、ジェインは名乗りを上げる。
「え……えっ? りょ、領主?」
自分より少し年上くらいの少女が、この都市に君臨する主人であると知り、公一は目を白黒させる。
「あーっと、慌てないでいい。それより、礼を言わせてくれ。君が魔物を早急に退治してくれたおかげで、町に被害が出ずに済んだ。領主として、感謝する……ありがとう」
優雅な態度で、ジェインはどこの馬の骨とも知れぬ公一に、頭を下げた。その仕草は洗練され、日本で一般的な庶民として生きていた公一にも、彼女が貴人であることが理解できた。そんな彼女が自分に感謝し、敬意を示していることに、公一は勿体なさと、誇らしさを抱くことができた。
「そんな、その、大したことじゃ……僕はただ……あっ⁉」
照れくさげに頬を掻きながら、公一は大事なことを思い出した。
そもそも魔物が現れたのは、強盗の仕業であったことを。
「そうだ! あいつを忘れてた! 魔物を町に連れ込んだ奴がいるんです! もう逃げてしまったかも……!」
「いや、逃げてはいない」
冷徹な声と共に、ドサリと地面に一人の男が投げ出された。黒い鉄線で縛り上げられたレダ・マッカだった。
「罪人を縛り上げるのには、自信がある」
強盗を捕らえたのは勿論、冷たい表情をした、黒肌銀髪の美青年だった。
「エレさん!」
「……余計な首を突っ込むのには賛成しないが、突っ込んでしまったからには、終いまでやりきるべきだ」
レダは気を失っているらしく、目を閉じて動かない。その悪党面を見て、ジェインはすぐに手配書を思い出した。
「こいつ、都市盗賊のレダじゃないか! 金貨百枚の賞金首だ。こいつは更にお手柄だぞ!」
若き領主が飛び跳ねんばかりに喜んでいると、大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。公一が音のする方向を見ると、二十人ほどの武装した兵士たちが向かってきていた。
「ご無事ですか! 領主さま!」
「魔物と聞いて、駆け付けたのですが……」
血相を変えた兵士たちに、ジェインはちょっと目を険しくし、
「遅いぞお前たち! もう魔物は片付けてしまったぞ!」
「なんとっ⁉ も、申し訳ありません!」
兵士たちが驚き、頭を下げて謝る中、ジェインはため息をつき、
「もういいから……そいつを連れていけ。レダ・マッカ、お尋ね者の盗賊だ。魔物を町に放ったのもそいつだ。くれぐれも用心しろ。他に何か仕込んでいるかもしれん」
「はっ! それではすぐに!」
兵士が二人選ばれ、レダを引きずって連れていく。他の兵士たちはジェインの指示を受け、魔物の死体の処理や、町の被害の検分などの作業を開始した。
「さて、待たせてしまったな。それでは……おっと、まずは傷の手当からだな」
ジェインは公一の背後に回り、刺さった棘に手を振れる。
「抜くぞ。痛いと思うけど我慢してくれ」
すまなそうに言い、長い棘を握ると、ゆっくり引き抜く。ピンクッションの棘は釣り針のような返しはなく、真っ直ぐなため、引き抜くのは難しくない。それでも痛まないわけはなく、公一の体が震える。
「くっ!」
「痛いか? だが抜かないと治療できないんだ。許せ」
「が、頑張ってください、コーイチさん」
ナピが、呻く公一の様子をハラハラした様子で見守る中、刺さった棘は全て引き抜かれた。
「終わったぞ。よく頑張った」
「……あ、ありがとうございます」
公一は痛みで脂汗を流しながらも、処置が終わったことに一息つき、礼を言う。
「ああ、だが本当に痺れてはいないようだな。なぜだ? 一本でも刺されたら牡牛だって動けなくなるのだが」
「さ、さあ? 僕もわかりません」
おそらく、身体機能の強化が、耐毒性も引き上げているのだろう。しかし、自分が異世界の勇者であるなどと、みだりに言うのは憚られたので、公一はそう答えた。彼は言ってから、いくらなんでも適当過ぎる答え方だったかと後悔したが、
「むう……まあ無事ならいいか。ともかく、傷の様子を見せてもらうぞ」
幸い、追究されることはなかった。
ジェインが公一の服を捲り上げ、背中を見る。綺麗な丸い穴が五つ開いていたが、出血はそう多くない。
一人、表情を変えることもなく、棘が抜かれるのを見ていたエレは、公一の肌の様子を眺める。
(傷は浅いな。筋肉で押しとどめられている。おそらく公一の体は、急所に当たらない限り、矢やナイフ程度なら致命傷にはなるまい。しかし……)
推し量ることのできる公一の身体能力で、昨夜のイライツを倒せたというのは不思議だ。
(この目で見た力や、公一から聞いた話、それに戦闘の跡を見るに……『迅雷』のイライツの破壊能力は、此度の魔物を遥かに上回るものだった)
確かにピンクッションは個人で戦うには強敵であろう。ウラヌギアの熊や獅子などより、遥かに危険な怪物に間違いない。そのピンクッションと競り合う公一の身体能力は、やはり相当なものだ。
(それでも、今、見た限りの公一の力では、まずイライツには勝てないと判断できてしまう)
大地を砕き、森を貫き、地形をも変える威力を持った稲妻を撒き散らし、その身を雷光に変身させて、瞬時に長距離を移動する。
仮にイライツがピンクッションと戦えば、雷を一度振るうだけで、魔物の体を灰になるまで焼き滅ぼすだろう。
拳でイライツを殴るなど、肉弾戦では互角以上に渡り合えていたのは認めるが、特殊な能力を併用しての戦いでは、公一では敵わない。
(確かに、私は策を授けた。敵は冷静でなかった。武器が優れていた。運が味方した。不意をつけた。だがそれだけで勝てる相手であったか? 公一は、奴の攻撃を一度くらったと言っていたが、雷撃に耐えきれるほどに、公一の体が頑丈とは思えない。公一には、まだ何かあるのではないか……?)
知られざる、未知の、力。
圧倒的な強さの敵に、勝ちを拾う、何か。
エレが、公一の持つ何かについて考えている一方、ジェインは公一の傷が浅いことがわかって、安堵していた。
「ピンクッションの針は鋭い分、傷は綺麗なものになる。薬を塗って包帯を巻けば、すぐに良くなるだろう。私の屋敷に来い。治療と、魔物を退治してくれた礼をさせてくれ」
「え、えーと、それは……」
好意に甘えたいところだったが、公一は頷くに頷けなかった。何せ、自分は神殿で問題を起こした身だ。早く出立する必要があった。
だが、そんな公一の思いも虚しく、ジェインは訝し気に首を捻り、公一、ナピ、エレを順番に見て、
「……おや?」
気づいてしまった。
「な、なんでしょうか?」
「お前たち……少し前に神殿で何かしなかったか?」
ナピがビクリと、身を震えさせてわかりやすく動揺する。公一も目を逸らし、曖昧な表情を顔に張り付けて、脳内では必死に何か誤魔化す言い訳ができないか、考えていた。そして、エレはとことん、無表情を貫いていた。
それらの反応に、ジェインはハァと息を吐き、
「どうやら、話してもらうことができたようだな。やはり、私の屋敷に来てもらうぞ」
文句無いな――と、ジェインは公一たちを睨み付けた。