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異世界の道連れは地獄王  作者: 荒文 仁志
第一章:ドナルレヴェン
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9:神殿



 城塞都市ゾシウの中央に建つ神殿は、かなり立派なものだった。

 広大な敷地の中央に建つ、三階建ての館。尖った屋根をしており、大きな正面の扉には、鳥や動物の精緻な彫刻が施されている。壁や屋根、窓枠は様々な色で塗られ、各部にふんだんに金箔が貼られ、目も眩むほどに、派手に飾り立てていた。

 神殿前には手入れされた芝生が広がり、正門から神殿まで真っ直ぐに道が伸びている。道の途中、庭の中央に、十メートルはある女神ルル・エブレクニトの像があり、その像の周囲を四体の天使像が囲み、立っていた。


「ちょっとイメージと違うかな」


 公一が呟く。貧しい人に慈悲を施す神の家と聞いて、彼がイメージしていたのは修道院のような質実剛健とした佇まいであり、目の前のきらびやかな建物ではなかった。これは神殿や教会というより、王侯貴族の館と言われた方が納得できる。


「え、ええと、まあ町によって違いますから」


 ナピレテプもその神殿を見て、少し疑問に思っていたらしく、困った顔をしていた。


(けど、外国の教会にはもっと凄いものがあるのを、テレビで見たことあるし……。ちょっと贅沢に見えるけど、見た目も立派な方が、頼りがいもあっていい、よね?)


 ケルンやノートルダム、カンタベリーなどの、壮大に立派な大聖堂を思い浮かべ、公一は違和感を飲み込む。

 そこに、


「これはこれは、可愛らしいお嬢さん。我が神殿に、ご用ですかな?」


 話しかけてきたのは、でっぷりと太った、髪の薄い男であった。たるんだ頬は薄っすらと赤みが差し、酒の臭いが漂っている。目はナピレテプを隅々まで舐めるように見つめ、口元はだらしなく緩み、今にも涎を垂らしそうなほどだ。


「あ、あの、貴方は……」

「これは申し訳ない。私はこの神殿を取り仕切る、ギモージア神殿長と申します」


 ギモージアと名乗った男は、三人の中でナピレテプのみを見つめ、話しかける。胸を張る様子は、自分にとても自信がある様子であった。自分が名乗るだけで、誰もが恐れ入ると信じ込んでいるようだった。

 ただ、残念ながらその場の誰も、ギモージアの望む反応はしなかった。神殿の重要性や、地位の高低など知らぬ公一とエレはもちろん、ナピも特に感心した様子は見せない。


「そ、そうですか」


 そう言うだけのナピレテプに、ギモージアは少し気分を害したように顔をしかめたが、すぐに笑顔を浮かべ、再び口を開く。


「で、何用ですかな? どんな用であれ、まあゆっくりとしてください。すぐに食事を用意させますので」

「い、いえ、申し訳ありませんが、宿泊をお願いしたいと……」

「ああそういうことでしたか! ではすぐにベッドを用意させましょう! 是非是非ゆっくりと休んで、それと自慢の薔薇風呂にも是非お入りを」


 話そうとするナピレテプを遮り、ギモージアは涎を垂らしそうに締まりのない笑みを浮かべ、奇妙に張り切る。困った様子のナピを助けようと、今度は公一が話しかける。


「あの、ギモージアさん。神殿では、お金がない人でも泊めてくれると聞いて来たのですが」

「ん? なんだ貴様は。男と貧乏人に用はない。私の神殿を汚す前に出ていけ」


 その表情の切り替えの速さは、いっそ褒めてもいいくらいだった。公一とエレに、初めて気づいたように見て、野良犬を追い払うように睨みながら言う。


「ええ? あ、あの、行くあてのない人に手を差し伸べるのは、し、神殿の義務では」

「おっと貴女は別ですともお嬢さん! いくらでもお泊りください。今夜は私と食事もご一緒しましょう、さあ」


 もはや公一とエレのことは終わったこととして脳裏から消え失せ、ナピの手を勝手に掴み、引っ張って歩き出そうとする。体質なのか、汗で濡れた感触に、手を握られたナピはちょっと嫌な顔をする。


「い、いえ、食事までは。それより、三人で寝泊まりする場所を貸していただきたいと」

「そんな男たちなど、貴女のようなお美しいお嬢さんには相応しくありませんよ。私が貴女に相応しい生活を与えて差し上げましょう! ああ、ご遠慮なさりますな。これも神の御導きというものです。この私が手取り足取り……ぐふふ……選ばれた者の生き方というものを、お教えしますので!」


 ナピの意思も都合も、全く意に介さず、ギモージアは彼女を引きずり、神殿の方へ連れて行こうとする。ナピの可愛らしい顔と、ハーフパンツから伸びるサンダル履きの足、そしてゆるやかな起伏のある、均整のとれた美しい体つきを、熱く見つめていた。その眼は、飢えた鼠のように濁っており、口からは抑えきれぬ気持ちの悪い声が漏れる。


「ちょっと、待ってください!」


 公一はギモージアの進路に回り込み、立ち塞がる。対するギモージアは、目の前の道に落ちている生ごみを見るような視線で、公一を見た。そして、ため息をついて首を振り、さも公一の方が悪いかのような態度で、劣等生に根気強く言い聞かせる教師のように話す。


「貴様……私が誰だかわかっとらんようだな? 神殿長である私の一言で、貴様のようなガキなどどうにでもできるのだぞ? それにこの娘は、貴様のような住む家もない貧乏人などより、私のような頼れる大人といた方が幸せになれるのだ。身も……」


 ギモージア神殿長は、ナピレテプの小ぶりな胸や、鹿のようにほっそりとした綺麗な脚を、ねっとりと見つめ、


「心も、なぁ」


 もはや色欲を隠そうともせず、言い切った。そして、ポケットに手を突っ込むと、ジャラジャラと音をたてて、金貨を十数枚取り出す。そしてそれを公一の前の地面にばら撒き、


「拾って持っていけ。そしてこの娘のことは忘れるがいい」


 にんまりと笑うギモージアは、公一が異を唱えるとは、全く思ってもいないようだった。今まで、ずっと似たようなことをしてきたのであろう。

 ギモージアの考えでは、公一は内心はどうであれ、金貨を拾い、ナピを見捨てるしかないはずだった。もし断るのなら、私兵に命じて半殺しにでもして放り出すだけ。

 自分には、金も権力もある。たとえ領主であっても、『神殿長』の自分を罰することはできないと、ギモージアは自信を持っていた。


「さあ、さっさとしろ」


 得意気に言うギモージアに、公一の方はいっそ感心しそうであった。

 まさか、こんな絵に描いたような悪人が実在するなど。自分は異世界ではなく、時代劇の中に入ってしまったのではないかと思うほどだった。

 そして、衝撃が数秒で過ぎ去った後に、沸々と湧いて来たのは、強い怒りであった。

 ナピレテプを自分勝手に扱おうとする傲慢さと、自分が金銭と権力に屈する程度の人間と見なされている侮辱に対して、込み上がる憤激。


「おい、いい加減に消えないと本当に……」


 もう、ギモージアの声など聞いてはいなかった。気がついた時には、公一はすぐ足元に投げられた金貨を、力強く蹴りつけていた。蹴りの衝撃で、抉れた土が、金貨と共に飛び、ギモージアの顔面に見事叩き付けられた。


「ボハッ⁉」


 強化された公一の脚力で蹴り飛ばされた金貨は、ギモージアの額を弾丸のように打つ。肥満した、運動不足の鈍い体は、衝撃を受け止めきれずに背中から倒れる。


「ウギャアアアアアッ‼ 痛い痛いぃぃぃっ! 目がっ、土がっ、ああっ! 痛いぃぃぃっ‼ 誰かぁぁぁっ!!」


 公一が驚くほど、大げさに痛がり、倒れたまま地面を転がって悶える、太った男。率直に言って、見るに堪えない様だった。


「何だどうしたっ!」

「神殿長の声じゃないか?」


 ギモージアの醜い悲鳴が聞こえたらしく、人が集まってくる物音がしはじめた。


「ま、まずいですっ! 逃げましょう!」

「うん! 逃げよう!」


 公一とナピは、慌てて逃げ出し、相変わらずつまらなそうな無表情のエレが、それに続く。


「し、神殿長っ! どうなされたのですか!」

「おいそこのっ、怪しいぞ! もしや貴様らが!」


 最初にやって来た神官たちが、悶えているギモージアを見つけ、次に逃げ出す公一たちへと目を向ける。怒りの形相で追いかけてくる神官たちの声に、エレは振り向くこともなく、ボソリと呟く。


「……『起きよ』」


 すると、エレの足の裏から光が生まれ、大地に波紋となって広がる。すると、神官たちが足を延ばした先の地面から、鋭い棘が生え、神官たちの足裏を突き刺した。


「ぎゃあっ⁉」

「痛ぁっ‼ なんだっ!」


 道が急に棘だらけになり、靴をも貫いて足を傷つける有り様になったため、神官たちは追いかけるどころではない。刺された痛みに飛び跳ねて、追跡を断念することになった。


(ヘルメスは『撒菱(まきびし)』と言っていたか)


 エレがかつて、ヘルメスの忍者談義から聞きかじった知識。その名の通り、植物のヒシの身を乾燥させて硬くしたもの、あるいはヒシの実の形を模してつくったものを、追手の進行方向に撒いて使う。三角錐に近い形状をした撒菱は、どう置かれても尖った部分が上を向くため、追手はそれを踏みつけて、足に傷を負うことになる。

 本来は、そこまで大量に持ち歩けなかったり、追手の見ている中で撒いても、撒いた位置を迂回されてしまって意味が無かったりと、咄嗟に使うことはできない物だ。実際に使う場合は、使う予定の逃げ道に先に撒いておき、自分は踏まぬように注意してその道を通り、その後に気づかずに追ってくる敵に踏ませるといった使い方をする。

 しかし、エレの『地下資源』を司る権能を持ってすれば、地中の金属分を集めて固め、棘を生やすことは容易い。準備の必要もなく、追手を足止めできる。


(応用してみたが、上手くいったようだ)


 聞き苦しい複数の悲鳴を聞き流し、エレも公一たちの後について駆けていく。

 悶え続けるギモージア神殿長と、悲鳴をあげる神官たち。その騒ぎに、人はますます集まり、騒ぎは大きくなっていく。その間に公一たちは、無事に神殿から逃げおおせることができた。


 しかしながら、公一たちのプランは、最初の一歩目で早くも崩れた。寝泊まりする場所のあては消え、一から出直しとなったのだった。


   ◆


 オギト領主の館。

 その執務室で、ウーウーという唸り声がしていた。獣ではなく、人の出しているものだ。


「……ジェイン様。その声を出すのだけはやめていただきたい」


 隣の席につき、羽ペンで字を綴りながら、ナナは主人に向けて諫言を行う。当然ながら今のナナは、昨夜の戦闘服姿ではなく、長袖のワイシャツと赤いベスト、白い長ズボンを着た、秘書官としての姿だ。


「そうは言うけど……唸りたくもなるぞ? 見ろ、この金額」


 唸り声の主として、家中の者から『執務室のライオン』と親しまれているジェインは、ナナに一枚の文書を見せつける。

 それは『神殿』からの経費要求の書状であった。


「……いつもと同じ程度の額ではないですか」

「これがいつもの額だから問題なんだろうが。同じ規模の都市の二倍近い金額だぞ?」


 神殿の言い分としては、不便な辺境のうえ、他の地域よりも魔物の多いオギト地方では、神殿の負担が大きいため、金額も増えるのだという。しかし、それらの面を考慮しても、せいぜい三割高になる程度のはずなのだ。

 実際にジェインが計算して確かめたのである。意外に彼女は計算が得意なのだ。計算ができぬ者に、辺境の貧乏領を治めることなどできはしない。少ない資産をやりくりし、切り詰め、節約し、どうにか少しの赤字で済ませているのは、彼女の手腕によるものだ。

 その確かな計算結果を神殿に提出し、値下げを要求したのだが、神殿の回答は、ごく単純なものだった。


『嫌なら神殿を破棄する』――それだけ。


 それは、最後通牒であった。

 このドナルレヴェンにおいて、都市の存続に神殿は欠かせない。なぜなら、神殿は『結界』を張る施設であるからだ。


 魔物の跋扈するこの世界において、町を護るためには、絶対に結界を張らなくてはいけない。そして、結界は神殿でなくては張ることができない。

 結界とは、『魔術』とは真逆の術。魔術とは、世界を一時的に歪めることを神に許された術。正常な世界の力では倒せないエルヴィムを討つため、世界を術師の意思で変質させる術。人類全体に神が与えた、誰もが使うことのできる術。

 対して、『結界』は正常を保つ術。そして、正常とは神の定めた基準のことである。エルヴィムや魔物は、神の基準に照らし合わせれば、正常ならざる者。ゆえに、彼らは『結界』に弾かれる。また、『結界』に守られた人間や物体は、正常であることが維持されるため、例えば剣で斬りつけられても、肉体は正常なまま傷つくことは無い。指定された人物以外は通り抜けられないことが正常であると設定して『結界』を張れば、侵入者を阻む壁にもなる。物理的な防護壁ともなるのだ。

 そしてこの力は、神に仕えることに人生を捧げた者にしか、使うことはできない。神の力を行使することを許可された――『権能』の代行者である、神殿の『神官』にしか、結界は張れないのだ。

 遠い昔、神は人類最初の神官となった者に、『結界』を張る権利を与え、その者が認めた者に、『結界』を張る能力を、分け与えることを許可した。人類最初の神官、後に『教祖』と呼ばれるその者は、自分に付き従う者たちも『神官』とし、『結界』を張る力を分け与え、人々を護らせた。『教祖』が亡くなった後も、『結界』を張る能力は残り、神殿は唯一、結界を張ることのできる組織として、存続しているのだ。

 人類を文字通り『魔の手』から護る、守護者として。


「銭ゲバ神官どもめっ!」


 だが、その人類の護り手を、ジェインは声高く罵る。

 哀しいかな、その罵声の中身は間違ったものではない。いくら神から人を護る使命を授かった崇高なる組織と、謳いあげてはいても、所詮は人の運営する組織である。人であれば悪いことも考えるし、欲望に溺れもする。金や美食や女を求めもする。腐敗も汚職も存在するのだ。『結界』を張る能力を、正義も信仰心もない欲望の亡者に与えることもある。

 ただ、このオギトにおける神殿の横暴は、他の神殿の汚職と比べ、特殊であった。


「普通の汚職なら、我々の懐も温まるのですけどね」


 ナナが冷たい口調で言ったとおり、普通、神殿が汚職をする場合は、領主や町長がグルになっていることが多い。

 領主には、結界を張るための経費と報酬を、お布施という形で支払う規則がある。汚職する場合、神殿はそのお布施を、何らかの理由をでっちあげて、規定より多く要求する。領主はそれを払わなくてはいけないという名目で、本来より多く税金を取り立てる。

 通常、国が定めているよりも多く税金を取ると、罰則を受ける。下手をすれば領地を没収される。だが、神殿に払うための特別税という名目なら、言い訳になる。魔物が例年より多く発生したため、結界の強化改善のために予算を必要とするというのは、実際にありうることだからだ。

 無論、取り立てられた税金は、結界の強化になど使われず。領主と神官の贅沢に費やされる。泣くのは領民ばかりなり、というわけだ。

 そうしたわけで、神殿が罰当たりなことを企む場合は、町の権力者も共犯になる。そうでなければ、不当に金銭を取ろうとする地方神殿の神官を、清廉潔白で真面目な領主が、神殿上層部に訴えれば、それで神官たちは罰せられることになる。だが、オギト領ではそうではない。


「神殿が、私たちと共犯になるなど、それこそありえぬさ」


 オギトでは、清廉潔白で真面目な領主が、神殿上層部に訴えても、訴えは握り潰される。神殿の汚職を無視するどころか、神殿全体で、オギトから金を搾り取ることに協力する。

 本来なら、神殿破棄などよほどのことがなければ、在り得ない。本当に神殿が破棄され、結界がなくなれば、魔物によって都市の人間が全滅してしまう。そんな大量の死を招くような非人道的な真似は、神殿にだって許されることではない。ただの脅しだと、普通なら気にかけるようなことではない。


 オギトでなければ。

 オギトであれば、在り得てしまうのだ。


 なぜなら、


「オギトは……人類の敵だからな」


 ジェインは自嘲し、哀しくため息をついた。




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