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ヨル・レーカ  作者: 来ヶ谷
第一章 走馬灯
4/7

終焉

本当の意味で一人になってから、どれくらいの時間が経っただろう。

僕は花町家から着の身着のままで出てきたため、正確な時刻は分からなかったが、体感では相当経っているように感じた。


それなのに、雨は治まるどころか、どんどん激しさを増していく。

雨が目に入って前は見づらく、ぬかるみや水たまりで足元は悪い。

正絹性の着物は雨水をどんどん吸い、もはや体に重りをつけているようだ。


「優雅ちゃんから今すぐ離れなさい! 言うことを聞かないなら、殺してやる!」


数時間前、宮緒様に言われた言葉が未だ耳から離れない。

まるで耳元でずっと囁かれ続けているよう。

僕はそれに追い立てられるように走り続けていた。

宮緒様は僕に死んでほしいと思っているんだ。


ただ、走っている理由はそれだけではない。

僕は、時々後ろを振り返った。

気のせいかもしれないが、さきほどから誰かにつけられているような感じがする。

邪魔されるのはいやだ。


「はぁ……はぁ……」


どちらにせよ、こんなに長く走ったのは生まれて初めてであった。

全身筋肉痛で、疲労がひどく、足の親指と人差し指の間が下駄の鼻緒で擦れて痛い。

呼吸が苦しく、心臓の音がやけに大きく聞こえる。

走ることがこんなに辛いことだなんて知らなかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


それでも、僕は足を止めなかった。

意識は朦朧としてきたが関係ない。

むしろ、その方が都合が良かった。

決意が揺らがずに済むし、辛いこと、悲しいことでこれ以上悩みたくない。


それに、これは自分への罰だと思っていた。

宮緒様の気持ちを察せられなかった罰。

だったら、苦しくて当たり前だ。

だって、罰なのだから。


「はぁ……はぁ……はっ!」


僕は自分を叱咤するために太ももをはたいた。

そして、自分を奮い立たせると、僕は加速した。

周りの建物がさっきより早く過ぎ去っていく。

まだ余力が残っていたみたい。

限界だと決めつけていたが、それは間違っていたようだ。


でも、良かった。

これで、まだ僕は走れることが分かった。

今はただ走り続けられさえすれば、他はどうでもいい。

人の目だって、今は気にならない。

なぜなら、もうすぐ全てが終わるのだから。

僕は人がいない方、建物がより古い方へ前進した。

最期は人目につかない場所で、ひっそりと……。

それまで、僕は負けるわけにはいかな……。


「はぁ……は、はうっ!」


突然、つま先から体が前にグラッと傾く。

そう思った時には遅かった。

僕は体を強く打ち、コンクリートに転がった。


「いったいぃぃぃー!」


右肘と膝に激痛が走った。

僕は近くの街路樹に背中を預けると、すぐさま怪我の状態を見る。

擦り傷ができているが、それ以上に皮膚の下が痛い。

曲げようとしたら、痛みで曲げられなかった。

伸ばすことも同じで、難しい。

なんで!?

僕は転ぶ時に変な感覚がした右足を見ると、下駄の鼻緒が切れていた。

そんなのってないよ!

こんな時に限って、何で切れるかなぁ。

僕は泣きそうになったが、首を振ってその気持ちを振り払う。

そして、痛くない、痛くないと何度も念じた。

そうしないと痛みに飲まれそうだったから。


しかし、なかなか痛みは引かない。

ちらっと患部を見た。

すると、内出血を起こし腫れてきていた。

見たら、余計に痛くなってきた。

痛い、痛い、痛い、痛い!

これじゃあ、走れないよぉ……。

そう思ったら、目がじわっと潤んできた。

視界がぼやけていく。

こんなはずじゃなかったのに。


すると、頭の中でまた声が聞こえてきた。

体の痛みは心の痛みを呼び覚ます。

今まで抑えつけていた感情が、この瞬間にどっと溢れ出してきた。


「偽物の分際で、どこまで私を苦しめるつもり!? まさか、最初からそのつもりだったってこと? 答えなさい!」


宮緒様は怒りをあらわにして、怒鳴っていた。


そんなつもりじゃ……。

僕は、ただ宮緒様に愛してもらいたくて……。


「女子だったら! せめて女子だったら良かったのに! 何で女子じゃないの!?」


僕も、宮緒様が望むなら女子が良かった。

何で、僕は女子に生まれなかったんだろう。


宮緒様の前では言えなかったが、心の中では思っていた。

その気持ちが湧き上がってきたのと同時に、悲しみで目に涙がたまっていく。


泣くな! 泣くなよ!

そんなだから、だめなんだ。


僕は着物の袖で目を拭うと、泣くまいと歯を食いしばった。

だが、口周りの筋肉は震え、言うことを聞かない。


そこへ、宮緒様に言われた最後の言葉を思い出す。


「消えなさい! そして、もう2度と姿を見せないで!」


それが引き金となる。

いよいよ涙が止まらない。


もう、泣くなって言ってるのに!

もういやぁ!

考えるな! 何も考えるなぁ!


僕は胸を抱いて、必死に感情を押し殺そうとした。

しかし、効果はない。


僕は自分に嫌気が差した。


「泣くなって……、泣くなって言ってるだろぉー!」


突如、僕は寄りかかっていた木から体を離すと、行き場のない怒りを発散させるように頭突きをした。

もうどんな方法でもいいから、胸苦しさから解放されたかった。

それを消すためなら、今なら僕は何でもできた。

頭頂部に固いもの独特の感触がした後、割けたかと思う程の痛みが来た。

頭もクラクラした。


だが、それだけだった。

胸のつかえは取れない。

むしろ、頭痛みが加わり三重苦となった。


僕の存在を早くなかったことにしたい……。


涙を止める気にはもうならなかった。


土砂降りの中、僕は涙や血や汗にまみれた。


なんで生まれてきたんだろう。

なんで僕なんだろう。


力なく木に寄りかかると目を閉じた。

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