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可愛い君




 聖司はあまり親しい友人を作らない人だった。人当たりはいいのでクラスで浮いているということはなく、むしろクラス委員などをよく務めていたこともあり、彼の周りにはいつも誰かがいた。世間話はもちろんのこと、冗談を言い合って笑っている姿も見かけるが、聖司はいつも他人に対して一定の距離を保っている。


 そんな聖司に、親しいと言える友人が出来たのは、彼が高校に入学してからのことだった。あるとき顔面に殴られた跡をこさえていたのには驚いたものである。ヤンデレである事以外、品行方正である聖司には当然初めてのことだった。


「よう、水島」


 二限目にあった体育の際、体育館にタオルを忘れてしまった。昼休みに聖司が迎えに来るよりも早く教室に戻らなければ、と急いで回収し、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下を歩いているところで声を掛けられた。外は梅雨らしいどんよりと暗い雨空が広がり、朝からずっと雨が降り続いている。そんな中、屋根の下から出て雨空の下に立つその人は、全身がずぶ濡れになっていた。


「何してるんですか?」

「何か赤いものが見えたから気になって」

「…………………いいものありました?」

「いんや。ドロドロのキーホルダーがあっただけ」


 上靴のまま外に出ていたようで、彼はそのまま渡り廊下に立つ私の元まできた。廊下が汚れそうだなあ、と思う。校舎に入る手前にマットがあるので、せめてそこで拭けば少しは廊下が汚れるのも防げるだろうか。どっちにしろ、他の生徒からすればいい迷惑である。


「………………タオル使います?」


 しばし自分の手の中のタオルを見つめて、そう問いかけた。自業自得とはいえ、暑くなってきた今の時期でも濡れたままでは風邪を引いてしまうかもしれない。彼にタオルを貸すのは吝かではないが、何しろ使用済みである。貸されるとむしろ迷惑ではないか、と少し躊躇って尋ねた。


「では、お言葉に甘えて。あ、夏目には言うなよ。あいつ怒ると怖いからなあ」

「言いませんよ。私だって怒られたくありません」


 とは言いつつも、別に聖司に知られたところで私はさして怒られないだろう、と思っている。私に近づく全ての男を嫌う聖司の唯一の例外が、聖司の友人である彼、仁見清春ひとみきよはる先輩だった。私と聖司の父親に対するように、快くとは許してくれないが、一応私と仁見先輩が会話をすることに関しては、聖司も嫌そうにはするものの断固反対という様子でもなかった。

 仁見先輩が怒られるかどうかは分からない。聖司は仁見先輩に関しては異様に短気で、実はさして怒っていないだろうということでもとりあえず怒っておこう、みたいな雰囲気を感じさせるときがあった。


「あいつの短気はどうにかならないものか」

「聖司からすれば、仁見先輩のめちゃくちゃこそどうにかならないか、って思ってるみたいですよ」

「む。僕はめちゃくちゃなんてしてないが」


 この本降りの雨の中、傘も差さずに上靴で外に飛び出した人が何を言っているのだろうか。まるで小学生のような人である。そして、仁見先輩はその見た目もまるで小学生か、そこまでいかないにしても中学生のようだった。


 身長は百六十センチ弱で私とほぼ同じ目線をしており、手足はびっくりするほど細く、身体全体は妙に薄い。成長期を迎える前の少年のような体格をしていた。また、成長を見込んで購入された制服は今の仁見先輩にも少し大きく、華奢な印象を際立たせている。

 目はくりっと丸く、溜息を付きたくなるほど長い睫毛はしっかりと上を向いていた。癖のある色素の薄い髪は柔らかそうで、白い肌との相性が良い。簡単に言って、ものすごい美少女顔をしていた。体型が分かりにくい服を着れば、完全に可愛い女の子にしか見えない。


「ていうか、その格好で教室戻る気ですか?」

「まあ、仕方ないだろう。タオルで水気だけでも抑えていくさ」

「着替えあるんですか?」

「生憎ないな!」


 保健室でジャージでも借りるかなあ、なんて仁見先輩は暢気に呟く。彼は突拍子もない行動をよく起こし、それで今日のように例えばずぶ濡れになってしまったとしても、いつも陽気に笑っている。底抜けに明るいタイプの人だった。


「さて、水島よ。僭越ながら僕が教室まで送ってあげよう」

「結構ですよ。早く着替えないと風邪引きますよ」

「なんのなんの。水島を一人で歩かせたと知れれば、僕が夏目に怒られてしまう」


 私の背後に回り込んだ仁見先輩は、さあさあと言いながら私の背を押す。さして身長が変わらないこともあり、にこにこと笑われるとついつい可愛いなあなんて思ってしまった。


「聖司、仁見先輩といることは怒んないんですよね。やっぱり友達だから信頼してるんですね」

「うん?ああいや、それもあると嬉しいが、一番の理由は別だろう」


 仁見先輩は私のタオルを頭から被って、がしがしと乱暴に頭を拭く。せっかく綺麗な髪をしているのに、なんて雑なことをするのだと私のほうがハラハラした。もったいない。綺麗なものに綺麗なままであって欲しいと願うのは、人の性だと思う。


「夏目は僕みたいになりたかったはずだからなあ」


 くっくっく、と声を漏らすようにして、仁見先輩は笑った。その笑い方は、いつも晴れやかに笑う仁見先輩にしては、少し意地悪そうな感じがした。


「まあ、その分喧嘩になることも多いんだがな」


 仁見先輩は、そう冗談めかして口にしながら私にすっかり濡れきったタオルを返す。彼はいつものように楽しそうで、落ち着きなく歩く度、仁見先輩の服からは雨の雫が滴った。









 仁見先輩と並んで校舎内を歩けば、彼の歩いた後には水滴が足跡のように続いていた。誰かが滑って転んだりしないかな、と少し頭に過ったが、さして深く考えもせずに歩みを進め、階段を上る。


「千穂?」


 すると、上の階からちょうど聖司が降りてきた。いつも昼休みは聖司が私の教室まで迎えに来るので、智美にでも私がいない理由を聞いて迎えに来てくれてのだろう。せっかく早めに授業が終わったので、聖司に見つかる前にタオルを回収して戻ろうと思っていたのに、仁見先輩と話していて案外時間がかかってしまった。


「どうして仁見が一緒なんだ」

「あ、ちょうどいい。夏目、今日体育あっただろ?ジャージ貸してジャージ」

「は?絶対嫌だ。おまえに貸したら汚すだろ」


 私が勝手に一人で校内を歩いていたからだろう。元々不機嫌そうだった聖司の眉間に、更に深い皺が刻まれた。相変わらず、仁見先輩に対する聖司の粗雑な態度に少し戸惑う。最早普段の聖司とは別人なのでは、と疑いたくなってしまう勢いだった。


「えー、じゃあ、水島貸してくれ」

「いいですけど、午前中に体育があって汗も掻きましたし、汚いですよ」


 別に貸してもいいが、あまりおすすめはしない。私と仁見先輩は背格好があまり変わらないので、聖司のものを借りるよりも余程体格には合うだろう。しかし、汗臭いだろうし、先程呟いていたように大人しく保健室で借りた方がいいと思う。借りに行くのが面倒なのかもしれない。

 そんなことを考えているとただでさえ聖司の方が背が高いのに、階段の上段に立つことで更に高い位置から彼の手が伸び、仁見先輩の胸倉を掴んだ。


「仁見………?」

「わあ、おっかない!見ろ、水島。これが普段品行方正なふりをしてる男の本性だぞ。こーんな可愛い僕を暴力で脅すような男だぞ」


 自分で可愛いとか言うな、と思ったが残念ながら口さえ開かなければ、あとじっと座っていることができるなら、確かに仁見先輩は見た目だけならばとても可愛い部類に入る。反論できないのが悔しい限りである。


「………………貸してやるから、さっさと着替えに行け」

「さすがは僕の親友だ、なんと心優しい。恩に着る!」


 あまりにも早い変わり身でそれだけ言い切ると、仁見先輩はひらりと軽やかに聖司の手から逃れ、勢い良く階段を駆け上がる。踊り場まで上ったところで私達を振り返り、ひらひらと手を振ると再び階段を駆け上がっていった。二年である聖司たちの教室は四階にある。一階と二階の間にある踊り場から、あのペースで駆け上がっていくのだろうか。見た目通り身軽で、いつ見ても元気いっぱいな人だった。


「千穂、あいつに変なことされなかった?」


 ひどく心配そうな顔をして、聖司が私の顔にぺたぺたと触れてくる。ただでさえずぶ濡れの仁見先輩が目立って廊下を行く人々の注目を集めていたので、周囲の視線が気になった。大丈夫だから行こう、と聖司を教室に戻るように促して、階段を上がり始める。


「仲いいよね」

「え?」

「聖司と仁見先輩」


 そう言うと、聖司は分かりやすく顔を顰めた。彼は所謂優等生タイプの人間である。そんな聖司が、そうも素直に感情を表現する事こそが、仲の良さの証左に思えた。


「別によくないよ」

「そうかなあ」


 否定する聖司の言葉を、それ以上掘り下げようとはしなかった。仁見先輩に対して妙に頑なな聖司はけして認めようとはしないだろうから。気ままな仁見先輩を邪険にしつつも友達を続けているのだから、答えは分かりきっているようにも思うけど。聖司の刺のあるあの態度は、ある種の仁見先輩への甘えでもあるのだろう。



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