彼の秘密
聖司は極力私に触らない。恋人らしくキスをすることもなければ、十代の男の子なのにそれ以上を匂わせる様子も全くない。昔は繋いでいた手すら、気付けば繋がなくなってしまった。
私が無理矢理繋げば振り払われる事こそないものの、不自然にならない程度にやんわりと避けられる。
普段、引くほど私を束縛しようとする割に、私達の関係はいつまで経っても清いままだ。手を出したくならないほど、私に魅力がないということだろうか。い、いや、あまり卑屈になるのはやめておこう。
もしかしたら、聖司は人一倍そういった欲求が薄いのかもしれない。一度勝手知ったる彼の部屋をこっそり漁ったことがあるが、所謂エロ本の類は一切見つからなかった。巧妙に隠しているのかもしれないが、正直ここまで性に関することを徹底的に排除されていると、むしろ心配になってくる。十代の男の子なんて性欲にまみれている方が健康的ではないのか。
「すみません。チャンネル変えますね」
私と私の両親と食卓を囲む聖司は、そう言ってリモコンを手に取り、両親の返事を得るよりも早くチャンネルを変えた。先程つけていた番組では、芸人がちょっと際どい下ネタを語ろうとしているところだった。両親はそれに異を唱えることはなく、まるで何事もなかったかのように世間話を続けている。
聖司は今のように、バラエティ番組の少し下ネタの混ざった話題すらも嫌い、早々にチャンネルを替えてしまうのが常だった。最早皆慣れてしまっているので、私はもちろん、両親も気にする素振りすら見せることはない。
昔から聖司の両親は仕事が忙しく不在がちで、聖司は我が家で食事を摂るのがほとんどだ。最早彼のその行動も当たり前の日常と化していた。
「なあ、聖司くん。千穂はもう高校に慣れたかな」
「ちょっとお父さん。なんでそれを本人じゃなくて聖司に聞くの」
「いいじゃない。ね、千穂。お父さんも客観的な意見を聞きたいのよ」
父に文句を言いかけたが、母にやんわりと宥められる。私は知っているのだ。両親はいまいちしっかりしていない私より、元来しっかり者の聖司の方を信用していると。
聖司の周到さは私の両親にも遺憾なく発揮され、彼と付き合う、となったときも全く反対されなかったし、むしろこれで千穂の将来は安泰だなあ、と心から喜ばれたほどである。男親って例え幼馴染とはいえ、普通彼氏とか嫌がるものなのではないか、と思った。
「そうですね。時々まだ校内で迷っていますけど、毎日元気に頑張っていますよ」
「ちょっと待って、聖司。なんで迷ってたこと知ってるの?」
聖司といるときは彼が先導してくれるので、彼の前では迷ったことなどないはずである。彼氏兼ストーカー怖い。
そして何より怖いのは、私の両親すら、最早慣れてしまってそれにツッコミを入れることはない、ということだ。もっとも、文句を言うものの私も慣れているのでさして気にしてはいないのだが。
「もう、千穂はそうやってすぐに聖司くんに突っかかって」
「そうだぞ、千穂。聖司くんを困らせないようにな」
そして両親は、私の両親なのに基本的に聖司の味方である。逆に聖司の両親は私の味方をしてくれることが多いので、両家族とも娘息子には厳しく、というのが教育の方針なのかもしれない。
「聖司くん、おかわりはいかが?」
「あ、じゃあ、少しだけ」
母に促されて、聖司は空になったお茶碗を差し出す。それを横目に見て、口に出すことこそないものの、少しだけほっとした。
聖司は中学二年生になった頃、一時期極端に食事を摂らなかった。中学生なのにあまり背が伸びることもなくて、見る見るうちにやせ細っていったときは、何かとんでもない病気にでもなってしまったのかと怖かった。だから、普通によく食べるようになってしばらく経った今でも、時々その頃のことを思い出しては現状に安堵するのだ。
「変?」
そう問いかければ微妙な顔をされた。なんだ、その顔はどういう意味だ。即答できないほど残念な仕上がりなのか。
自分で切ったばかりの私の前髪を、聖司がちょいと摘んで悩ましげに口を開く。
「たぶん、ここだけ切れてなくない?」
「え、嘘。あ、ほんとだ」
指摘されたところを確認すれば、小さな束だが少しだけ長いままの部分があった。そこを切り揃えて、改めて聖司を振り返る。
「どう?ちょっと切りすぎた?」
「短めだけど、可愛いよ」
「そう?うーん、でも聖司ってなんでも可愛いって言うしなあ」
聞いといて何だが、いまいち納得出来ずに自室のスタンドミラーを覗きこむ。一々前髪だけの為に美容院に行くのももったいない、と思って自分で切ることも珍しくはないのだが、どうにも中々納得のいく出来栄えとはならない。やはり本来はプロに任せるべきなのだろう、と思う。
「まあいいや。切っちゃったものは仕方ない」
あんまり気になり過ぎたら、智美に相談しよう。彼女は器用な上にヘアアレンジが結構好きなタイプなので、何かしらの解決策を考えてくれるだろう。
ベッドサイドに背中を預けて、隣に座る聖司にもたれかかれば、彼は私の肩甲骨が隠れるくらいの後ろ髪を手櫛で梳いた。
こういう小さい頃の延長みたいな触り方は普通にする割に、こと男女の仲に相応しいようなことに関しては、聖司はその空気さえも滲ませることはなかった。
「聖司は、」
「うん?」
一瞬躊躇って、けれどやはり気になる気持ちを抑えきれずに問いかけた。
「私と手を繋ぎたいとか、キスしたいとか、ないの?」
聖司はすぐに答えなかった。私の目をじっと見つめて、ゆっくりと言葉を選んでいるのかもしれない。動揺しているというよりは、最適な言葉を探して即答出来ないのだろう、と長い付き合いの為に察することができる。
「俺は、こうして千穂といられるだけで幸せだよ」
そういう風に言われて、悪い気はしない。聖司に好かれていることを分かっていても、言葉にされるとやっぱり嬉しい。けれど、それだけで納得できない理由が、私にはあった。
聖司には、きっと秘密がある。そしてそれは、私の両親も知っていることで、もしかしたら聖司の両親も知っていることだ。知らないのは、私だけなのかもしれない。
以前、私の両親と話しているのをこっそりと立ち聞きしたのだ。
『あの子のことは気にしなくていい。君は君の為に生きればいいんだよ』
そう言ったのは父だった。母は、父の言葉に頷いている様子だった。
それに答える聖司の声もすぐに聞こえた。聖司の声は穏やかだった。彼らしい、穏やかな調子で、けれど迷いはない声だった。
『俺は、俺のしたいようにしているだけですよ』
聖司には、秘密がある。そしてそれは、きっと私に関することだった。