来襲はチーズケーキと共に
午前十時、父親は会社に、母親はパートで近所のスーパーに出掛け、聖司と自宅のリビングで寛いでいると、インターフォンが鳴った。聖司が応対に玄関に向かったのだが、なかなか戻ってこない。もしかして訪問販売とかだろうか。いや、以前訪問販売の人がやってきたときは、適当にあしらってすぐに戻ってきていたはずだ。
少々悩んだものの、観ていたテレビ番組がちょうどCMに差し掛かったこともあり、それに合わせて玄関へ向かった。そこで聞こえてきたのは、深刻な様子はないものの言い争う声だった。
「ていうか何で、千穂の家の方に来るんだ」
「そりゃあ夏目の家のインターフォンを鳴らしても誰も出なかったからだな」
「そのまま帰ればいいだろ」
「友達のせっかくの来訪になんて冷たいことを言うんだ」
「………………いや、あの、何やってるの?」
玄関先では聖司と仁見先輩が言い争っていた。けして家にいれまいとする聖司と、どうにか玄関に侵入しようとする仁見先輩の攻防が繰り広げられている。
「あ!水島、ひどいんだ!夏目が僕を追い出そうとする!」
「えー、何やってるの。上がってもらいなよ」
呆れた調子で聖司にそう声を掛け、仁見先輩に来客用のスリッパを差し出す。聖司は忌々しそうな顔を向けていたが、顔ほど彼の来客を厭うている訳ではないだろう。そんな相手なら、そもそも友達にすらならないはずだ。
「せめてメールなりで連絡してからにしろ」
「連絡したら歓迎してくれるのか?」
「いや、来るなって言う」
「ほら見ろ!」
聖司の理不尽な発言に仁見先輩は声を上げて反論するが、その顔はいつも通りの笑顔であり、邪険にされても全く不快な様子がない。よく分からないが、彼らにとってはこのくらいがちょうどいい距離感なのかもしれない。
大きめのざっくりしたシャツに七分丈のカーゴパンツを履いた仁見先輩は、玄関で履き潰された様子のスニーカーを脱いで、私の用意したスリッパに足を突っ込む。汗で肌に貼り付いた前髪をかき上げて、ほとんど同じ目線から私に笑顔を向けた。
「水島、一緒にケーキ食おう。昨日の夜作ったのだから味は落ちてるかもだけど、食えるだろ」
「え、いいんですか?ありがとうございます」
「バイト先の余りで押し付けられたんだ。むしろ食べてくれると助かる」
そう言って仁見先輩からケーキの入った箱を押し付けられる。小腹も空いてくる時間だったので、すぐに食べよう、という話になった。微妙に納得いかないような顔をしている聖司に仁見先輩をリビングへ案内してもらって、私はキッチンへ向かった。箱を開ければチーズケーキと思われるものが三切れ入っており、聖司が自分の家にいないことを分かっていて最初から私とも一緒に遊んでくれるつもりだったんだろうな、と思った。
「仁見先輩、飲み物は麦茶でもいいですか?」
「苦くなければなんでもいい」
「苦いのだめなタイプです?」
「好き好んで飲む人間の神経が分からん」
ばっさりそう言い捨てて、仁見先輩はリビングのソファに勢い良く座った。その感触が気に入ったようで身体を上下に揺らして楽しんでいたが、聖司にスプリングが痛むだろ、と注意されてからはそわそわと落ち着かない様子こそ見られるが、じっと大人しく座っている。
三つのグラスにそれぞれ冷蔵庫から取り出した麦茶を注ぎ、仁見先輩の持ってきてくれたチーズケーキをお皿に移す。おぼんの上にそれらを乗せて、対面式キッチンからダイニングを抜けて、リビングまで運んだ。
「おお、ありがとう、水島」
「貸して、俺が並べるから。あ、こら、暴れるな」
上機嫌に再び身体を揺らす仁見先輩を諌める聖司におぼんを手渡して、L字に置かれたソファの聖司の隣に座る。ソファの間にあるテーブルに置かれていく食器を目で追う仁見先輩の顔は、実に楽しそうに輝いていた。
「何のお構いも出来ないですけど、ゆっくりして行って下さいね」
日々、緩やかな軟禁ライフを送る私としては、来訪者という刺激はとてもありがたい。家に引きこもって代わり映えのない毎日を過ごすのは、慣れていても気が滅入るのだ。仁見先輩の来訪は大歓迎だった。
「いや、すまん。はしゃぎ過ぎてるな。実は友達の家に遊びに行くのが初めてで、ちょっと舞い上がっている」
「いえ、あの、半分聖司の家みたいなものですけど、一応こっちは私の家なんですよ」
そう訂正すれば、フォークを手にとっていた仁見先輩が、きょとんとした顔で私を見つめた。
「水島はもう僕の友達だと思っていたが、違ったのか?」
僕の自惚れだったか、と仁見先輩は目に見えて肩を落とした。眉が下がり、大きな目を震わせて、それでも口元は笑みを保っている。美しい容姿も相まって妙に儚げに見え、怒涛の勢いで私の中の罪悪感を刺激した。同時にちょっときゅんとする。そうかそうか、仁見先輩はそんな風に落ち込んでしまうくらい私のことを友達だと思ってくれていたのか。これまで男の先輩にこう思うのは失礼かもしれない、と薄々思いながらもその容姿の可愛さを楽しんでいたが、どうやら仁見先輩はその中身も可愛いらしい。卑怯な。
「と、友達ですよ!仁見先輩がそう思ってくださるならぜひ!」
大慌てでそう口にすれば、途端に仁見先輩の顔が華やいだ。
「いいのか!よし、なら水島、僕とアドレス交換しよう!」
「え、ちょっと。千穂、しなくていいからね」
「仁見先輩ならいいでしょ?」
聖司が素早く携帯電話を取り出した仁見先輩を制そうとしたが、それを宥めてリビングのテーブルの上に置いたままにしていた私のスマートフォンを手に取る。聖司は私と仁見先輩が関わることに文句は言うが、他の男性と接するときのように徹底的に排除しようとはしない。アドレスの交換も、本気で嫌がっている訳ではないのだろう。
「ていうか、ガラケーなんですね。久しぶりに見ました」
「ん?ああ、こっちの方が安いだろ。どうせ、連絡用にしか使わんからなあ」
二つ折り携帯をパカパカと開けたり閉じたりしながら仁見先輩が口にする。あまりアプリとかゲームを楽しむタイプではないらしい。私が携帯電話を持ち始めた頃は、確かガラケーしかなかったと思うが、今ではほとんど見かけなくなってしまっていた。
「人のスマホは奪ってすぐにゲームする癖に」
「それとこれとはまた話が別だな」
いいじゃないか、と仁見先輩が悪びれなく笑う。何度か聖司のスマートフォンに新しいゲームアプリが増えていて、面白いの?と聞く度に顔を顰められていた理由を知った。
仁見先輩の持ってきてくれたチーズケーキにフォークを差し込めば、するりと一口大にカットすることが出来た。口の中に放り込めば、すっきりとした甘みが広がる。こってりと濃厚で、チーズケーキらしい美味しさを堪能した。
「あ、美味しい」
「おお、それは良かった。店長に伝えておこう。喜ぶ」
「どこのケーキ屋ですか?」
「ケーキ屋じゃないんだ。ダイニングバー?って言うのか?そこでケーキも出してるんだ」
ダイニングバーとな。なんというかお洒落な響きである。横文字に対して無条件にそう感じているところは否めない。バーとつくからにはお酒が出るのだろう。高校生には縁がないので、少し憧れる。
「そうんなんですね。高校生もバーとかでバイトしていいんですね?」
お酒を出すのだからダメだと思っていた。けれど、自分が飲む訳でもないし、別にいいのか?よく考えてみればファミレスだってお酒を取り扱っているらしいし。
「ああ、二十二時までならいいみたいだな。基本的に居酒屋とかは時給もいいらしいし、おすすめだ。まあ、僕のとこは知り合いに雇ってもらってるだけで時給はそんなによくないけどな」
その代わり賄いはあるしこうして余ったケーキももらえる!と意気揚々と喜びを示す仁見先輩は、甘い物が大層好きらしい。珈琲も紅茶も台無しになるほど砂糖を入れたいタイプだそうだ。苦いのは嫌いだと言っていたし、元々甘党なのだろう。
「前、珈琲に砂糖とミルクを入れてるのをみたことあるけど、隣で見てて吐きそうだった」
甘い物が嫌いという訳ではないが、どちらかと言うと辛党でミルクは入れても砂糖を入れない聖司が、げんなりした顔でそう呟いた。一体どれほど入れるのだろうか、ちょっと気になる。
私が想像を巡らせていれば、仁見先輩は閃いた!と言わんばかりに目を輝かせた。
「夏目が怒りっぽいのは糖分が足りていないからだな!」
たぶん、そういうことを仁見先輩が言っちゃうからじゃないかなあ、と思った。