少女A
「すいません。かえって集中できないかもしれませんね・・・」
そのカフェには先客のオバチャン達のグループが、姦しく世間話をしていた。
金を払えば何でも許されると思っているような声の大きさだ。
連れ出した者としての責任を感じ、俺は先輩にそう謝罪した。
テーブルを挟んで俺の向かい側に座る先輩は、制服を着込んだ胸の前で軽く掌を掲げるだけだった。
「構わない」と言うことだろうか。
俺は僅かばかりの安堵と同時に、胸の内を見透かせれているような感覚に苛まれる。
申し訳なく思ったことは確かだ。
だが、俺は先ほどの言葉に先輩との間を持つ意味を含めていた。
俺は先輩のことがよく分からない。
俺と先輩を繋いでいるのは、文芸部の部長と部員という関係でしかない。
先輩をカフェに誘うことが出来たのも、文化祭の出し物の案を放課後の学校から離れて落ち着いた雰囲気の中で考えようというもっともらしい理由があってこそだ。
もちろんそれに下心は付いている。
率直に言うと、俺は先輩のことが好きだ。
具体的に何処が、と聞かれたら何処とは言えない。
だが好きになるとはそんなことじゃないと、俺は先輩に出会ってから学んだ。
よく相手の好きになる理由としては、顔や稼ぎの多さや性格が上位に来るが、先輩はそれらを超越し尚且つ無意味なものだと教えてくれるほどの魅力を持っている。
もちろん、先ほど掲げた手の向こう側、制服の奥でも存在感を発するふたつの膨らみも魅力的だ。
そんなことはともかく、先輩は「難攻不落の要塞」として学校の男子には有名だ。
何度か先輩が誰かと付き合い始めたという噂を耳にしたが、それが2週間以上続いた例がない。
文芸部の中でも先輩は特に変わり者だ。
いきなり本格的なハードボイルド探偵小説を書き上げたと思ったら、次の週には部室にキャンバスを広げて現代美術ような絵画に向き合っている。
ただのSF小説好きの俺が入り込めるような隙がない。
これに付け加えるとするなら、先輩はまさに「孤高」と言うべき人だ。
先輩がスマホを弄っている姿なんて見たことがない。
比較的仲がいい部活の女子先輩にも聞いたが、やはり先輩のアドレスを知っている人間はいなかった。
部室で会えるとはいえ、一般的な接点を持たない先輩とどうのようにコミュニケーションをとればいいか検討も付かない。
だが折角巡ってきたこのチャンス。
先輩に好意を持ってもらわなくても、せめて一人の後輩からは脱却したい。
「・・・」
俺はテ-ブルの上に添えられたメニュー表を取りながら、横目で先輩の顔色を窺う。
とは言っても先輩には顔が無い。
いや、顔だけじゃない。
頭そのものがない。
なんていたって先輩は、うちの学校に在籍する唯一のデュラハン族なのだから。
俺は先輩の方に向けながら、テーブルの上にメニュー表を広げた。
先輩は微動だにしない。
こんな俺といるのは苦痛だろうか。
確かに俺にはなんの取り柄も無い。
だが、俺にだって女性を退屈させたくない矜持というものがある。
俺はメニュー表を眺めながら先輩に話しかけた。
「先輩は何します?これはアイスコーヒーかな。先輩は何か好きなものとかあるんですか?・・・あっ・・・!」
話をタネを作ろうと先輩に疑問を投げかけたことが手落ちとなった。
俺はデュラハン族が一般的な生物と同様に食べ物を食べるのか知らない。
そもそも俺は先輩に会って、初めてデュラハン族と言うものを目の当たりにした。
そのくらい先輩と同じような人は少ない。
部活の顧問の話によると、県内でも比較的亜人種が多いこの学校でも、デュラハン族が在校生として存在しているのは数十年ぶりのことらしい。
もしかしたら先輩は何も食べたり飲んだり出来ない身体なのでは。
「す、すいません!俺、浮かれてて・・・!」
俺は大慌てで先輩に頭を下げる。
そんな俺に対して、先輩は先程と同じく「構わない」のポーズを取る。
だが、本心では先輩がどんなことを感じてるのかと考えると恐ろしい。
嫌われたくはない。
それだけは、なんとしても避けたい。
「いらっしゃいませー。ご注文はお決まりですかー?」
そんなやり取りをする俺たちの間に、女性店員が水の入ったコップをテーブルに置きながら微笑みかけてくる。
まさに渡りに舟だ。
これで空気を変えることができる。
「俺はアイスコーヒーで・・・」
先輩はメニュー表を手にとって店員に向けると、その中の一つを指差した。
紅茶とケーキのセットだ。
「アイスコーヒーとBセットですねー。以上でよろしいでしょうかー?」
「あ、はい・・・」
「かしこまりましたー。少々お待ちくださいませー」
そう言うと店員は厨房に戻っていく。
俺は顔を先輩に向き直す。
「先輩・・・。大丈夫なんですか・・・?」
先輩は首を小さく縦に振った。
「んー。無難なところですけどそれが良いですよね」
俺の言葉に先輩は首を縦に振る。
俺と先輩が提案し合った文化祭の出し物の案は、「部員の創作物を見る事が出来る喫茶店としての体裁を整えたもの」に軟着陸した。
後はこれを週明けに、部活にて部員の賛成を得れば決定だ。
「まー、たぶん皆もこれでいいと言ってくれますね」
先輩はもう一度首を振る。
案が決まったところで、俺と先輩はテーブルに広げたノートなどを鞄に仕舞い始める。
「・・・」
それを行いながら、俺はテーブルに置かれた飲食物に目が留まる。
俺のアイスコーヒーはほとんど氷だけになっていのに、先輩は自分の紅茶とケーキに口一つ付けていない。
食べることができないのに、俺に合わせたのでは。
そんな考えが頭を巡ったと同時に、不意に先輩が自分のノートに文字を書き込み、俺に向ける。
そこには「申し訳ないんだけど、ちょっと席を外してくれる?」と、俺の書くそれより数倍綺麗な文字があった。
女性らしさを醸し出しながらも、気品を持ち合わせたそれ。
どういうことだろうか。
だが、先輩の頼みを断るわけにもいかない。
「分かりました。・・・じゃあ、ちょっとトイレに行ってきます」
先輩は頷いたのを確認した俺は椅子から立ち上がってトイレに向かった。
それからトイレの中で特に何をするわけでもなく時間を潰して、スマホの時計で5分ほど経ったことを知った後、先輩が待つテーブルに戻る。
「先輩、これくらいでいいですか?・・・っ!?」
テーブルに戻った俺が見たものは、先程まで手付かずだった紅茶とケーキが跡形も無く消え去っている光景だった。
「先輩・・・食べたんですか・・・?」
俺の疑問に、先輩は首を縦に振った。
その仕草は顔が無いのに、「それがどうかしたか?」と言いたそうな表情を、幻覚に近い妄想として掻き立てた。
「やっぱ、もう夜は冷えますね」
カフェから出た俺と先輩は10月の夜空の下に佇んでいる。
もうすっかり、夏の面影が無くなって久しい。
俺は尻のポケットに入った財布の重さを感じる。
入店前よりは幾分か軽くなっている。
何とか先輩が伝票を手に取る前に、自分でそれを掴む事が出来た。
これは最低限の男のプライドは守る事は叶った重さだ。
「先輩は・・・これからどうします・・・?」
先輩は答えない。
当たり前だ、口が無いんだから。
先輩が踵を帰路に向ける前に言い出さなければ。
「あの・・・先輩・・・」
先輩は透明な目で俺を見ている。
怖い、言うのが。
いやな男だとは思われなくはない。
先輩にとって今以下の存在にはなりたくない。
「あの・・・」
だけど。
現状に満足してないのも確かだ。
先輩を俺のものにしたいわけじゃない。
どちらかと言えば、俺が先輩のものになりたい。
受け入れられたい。
それだけだ。
「あの・・・これからどっかに寄っていきませんか・・・?明日は土曜だし・・・。映画とかどうです・・・?・・・あっ!!」
思わず俺は大声を上げてしまった。
焦りが失態を生んだ。
ものを食べれるからと言って、映画を楽しめるとは決まっていない。
そもそも先輩は映画館に足を運ぶような人間なのかも定かではない。
先輩は首を振る事も無く、立ち止まっている。
「すいません!俺・・・俺・・・!」
俺は頭を深々と下げる。
先輩のことを何も知らないのに、映画に誘おうなんて考えたのが馬鹿だったんだ。
どうか、どうか嫌わないでほしい。
体感では絶望的に長い時間の末、頭を下げたままの俺は肩を軽く叩かれた。
上半身を起こすと、そこにはスマホを片手で操作している先輩がいた。
先輩でもそれくらいは持っているんだ。
先ほどの謝罪とは打って変わって、そんな暢気なことを考えていた俺に先輩は自身のケータイの画面を見せる。
編集中のメールに打ち込まれた文字。
そこに書かれていた文章は、「いいけど、何か面白いものやってるの?」。
俺はスマホから先輩に視線を向ける。
先輩は頷く。
「は、はい!なんか面白そうなのが今やってるんですよ!じゃあ、行きましょう!」
俺は映画館に向かって歩き始める。
いつもより速度を落として。
横には、密かに想いを寄せている先輩。
「あの・・・先輩・・・。後でメアド交換してくれませんか・・・?」
俺の願いに、先輩は小さく首を縦に振った。
「男の考えていることなんて手に取るように分かる」なんて言うつもりはないけど、彼が私に好意を抱いていることは感じていていた。
何と言うか、もうじれったい。
言い出さないならこっちから何か提案しようとも思っていたら、自分で言い出すほどの男らしさはあったみたい。
偉そうに言ってるけど、それがとても嬉しかった。
今まで映画に誘われたことは無い。
デュラハン族に生まれたことが他人に気を使われてることは認めるけど、私だって人並みにものくらいは見えているからもっと積極的になって欲しい。
面倒な女と思われるかもしれないけれど、私だってまだ17歳。
ちょっと好みは人とは違うかも知れないけど、感じ方や考え方だって、普通の何処でもいる高校生のつもり。
彼にお願いがあるとしたらたった一つ。
私を特別にしないで。
少女Aでいさせて。
了