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短編

三途の川の男

作者: 八木九巳

珍しく男しか出ません。ホモじゃないです

 目が覚めて起き上がると、目の前には乳白色の世界が広がっていた。

 ここはどこだ?

 空を見上げても真っ白。火事ではないだろうが、鼻をひくつかせてみる。無臭だ。足元を見れば、真新しいゴザがある。どうやらこの上で寝ていたらしい。一畳ほどのゴザ以外は、辺り一面に大小様々な石が敷き詰められていた。

 耳を澄ませば、川の流れる音が聴こえる。かなり穏やかな感じだ。とりあえず、慎重に近づいていく。足元に川の水が現れ、極めて緩く波打ち際の石を洗っていた。

 対岸に目を凝らせど何も見えない。多分、突風ほどの風でなければこのモヤは晴れないだろう。

 いっそのこと向こう岸に渡ってしまおうかと思ったそのとき。人の気配を背後に感じ、振り向く。

 ちょんまげ頭の中年の男が立っていた。靴じゃなくてわらじを履いている。赤いふんどしを締め、腰にはなぜか同色のウェストポーチ。腹がやや出た体型だが、肩周りはガッシリとしている。

「あんただな」

 警戒心から言葉が出てこない。そりゃ、いきなりこんな格好をした男に話しかけられれば、口もきけなくなるわ。

「まあ、知らんわな。俺について来い」

 男が俺の前を横切り、波打ち際をさっさと歩き出していく。

 どうする?

 このままここで独りでいるくらいなら、あの男と雑談でもしてたほうがマシだ。

 置いていかれまいと、俺も急いでついていくことにした。


 * * *


 何百メートル、いや、何キロ歩いたのだろう。

 男の歩みはとんでもなく速く、途中から走りに切り替えて、俺は息切れしかけていた。

 一瞬でも気を抜けば、乳白色のモヤに包まれる。そして、東西南北もわからない見知らぬ場所にまたひとりぼっちである。

 それでも必死についていく。心臓が張り裂けそうだ。そんなことを思っていると、男の歩みがピタリと止まった。

「あそこに待合所がある。ここから十歩歩けば着くだろう。そこで待っていてくれ」

 川とは反対の方向に指差す。

 少し霧が晴れてきて、柱と屋根らしきものがうっすら見えた。

 俺はずっと気になっていた疑問をぶつける。

「ここは一体どこなんですか?」

「この世とあの世の境目だ」

「は?」

「三途の川を知ってるか」

「はあ……死者が船で渡ると言われる川ですよね」

「それがここだ」

「はは、何言ってんですか。冗談はよしてくださいよ」

「俺は冗談が嫌いだ」

 にべもないひと言に、俺の余裕が一気に消え去った。

「冗談に決まってる! 歩いてて心臓が痛かったし、足も痛いし、息も切れかけましたよ!」

「まだここがこの世だからだ。川を渡ってしまえば、あの世。痛みや苦しみは感じなくなる」

 顔が大真面目。ウソを言ってるわけではなさそうだ。

「……本当ですか?」

「ウソなんか言うもんか。それより」

 手を差し出してくる男。

「なんですか? 握手ですか?」

「バカ野郎。自分のポケットを探ってみろ」

 穴の空いた硬貨が二枚入っていた。色は五円玉近く、四角い穴が空いている。

 四角い穴の硬貨なんてあったか?

「それをこっちに渡せ。川の渡し賃になる」

「はあ……」

「二文だけか。違うポケットには入ってないのか?」

 まさぐってみるが、ないものはない。

「ないです」

「そうか……カタクマだな」

「カタクマ?」


 * * *


「い、いきますよ」

「はい……」

 俺を肩車する男は全身を震わせ、苦しげなうめきを口から漏らしている。

 ちなみに、カタクマとは肩車の略称であり、肩車で向こう岸まで渡すというものだ。

 この世の先人たちは命がけでやっていたそうだ。そのことは尊敬できる。でも、実際に乗りたくなんかない。現代人の俺からすれば、ハッキリ言って無謀以外の何物でもないのだから。


 時間を少し巻き戻す。

 俺はてっきり、ガタイのいい男がカタクマで運んでくれると思っていた。しかし、それは大きな間違いだった。

 待合所で独りぽつんと待っていると、ガタイのいい男がもやしかゴボウのようなヒョロくて若い男を連れてきた。

「こいつは康一こういち

「……どうも康一です」

 手をモジつかせて頭をぎこちなく下げる。緊張が痛いほど伝わってきた。

「この人が何か?」

「こいつがおまえを運ぶことになったから、よろしく頼むな」

「大丈夫なんですか……?」

「大丈夫です。任せてくださひゃいッ」

 噛んだ、噛みやがった。しかも声がありえないぐらい上ずってる。ヤバイぞ、こいつ。

「おまえが功徳くどくを積んでこなかったからな」

「功徳ってなんです?」

「簡単に言えば善い行いのことだ。困ってる人を助けたり、人に優しくしたり……。おまえはまったくしてこなかった。自己中の塊が、楽にあの世に行けると思ったら、大間違いだ」

 そんなことを今更言われてもな。どうにもならないってのに。

「功徳を積めば、もんに換算することができる。一番いいコースはワープだ。目をつぶって、三秒で向こう岸にワープしてるやつだ。どうだ、すごいだろう」

「はは、すごいッスね」

 だから遅いってのに。


 よっぽど俺が重いのか。筋肉が足りないのか。自信がないのか。

 全部だな。

 視線を落とす。見れば見るほど、肩も腰も足も何もかもが一層細く見える。実に頼りないもんだ。

 視線が徐々に高くなっていく。全身を使えば安定感が出て、震えも収まると思っていた。だが、目の前の景色の震えは収まらず、なおも不安を掻き立てる。

 水位はひょろい男の腰ぐらいだから七、八十センチくらいか。落ちたら痛いし、溺れたら苦しいんだろうなと思っていると、後ろから声が飛んできた。

「いいか、絶対落とすんじゃないぞ」

「は、はい……」

 声の震えも相当なものだ。というか、俺が落ちてもいいようにさ、もう少し近くで見守ってくれてりゃいいのに。

 俺の心とは逆に、モヤが霧になっていた。さっきより少しは視界がマシになり、五メートル先まではなんとか見えた。足元も川底の石がハッキリと見える。といっても、三途の川である。何が起こるかわからない。

 ひょろい男が一歩一歩慎重に進んでいく。そのたびに俺の体は振り子のように揺れる。

「す、すいません」

「気にしなくていいから、歩くのに集中して」

「すいません」

 しまったな……。つい、刺々しいもの言いになってしまった。

 揺れるのは仕方ない。筋力がないんだから。

 でも、一丁前に片耳にインカムなんかつけてるのがどうしても気に食わない。

 直属の上司が背後にいるんだから、必要ねえだろ。髪の毛全部むしり取るぞ。

 心の中で悪態あくたいをついていると、背後から励ましの声がした。

「あと半分ぐらいだ。気張っていけ」  

 返事をする余裕もなく、ひょろい男は荒い息を吐き出すだけだ。俺が両手を置いてる綺麗に剃られた天頂部は、じんわり汗が浮かび、手のひらに否が応でも伝わってくる。

 やっと半分か。いや、よく半分まで保ったと言うべきか。運んでもらってるんだし、俺も言っておこうか。

「了解しました」

 何が? 俺、なんも言ってないけど? ……ああ、インカムに指示が飛んできたのね。

「ごめんなさい」

 ひょろい男が言うや、俺を肩車したまま水中に横倒しになる。

「いきなり何しやがる!」

 と、言う暇もなかった。容赦なく鼻から水が入ってきて頭が痛いし、息が苦しい。このままだと溺れちまう。

 幸い川の流れが無いに等しいから、すぐに立つことはできそうだ。……男の手が足から離れればの話だが。

 なんで離さねえんだ、コイツは。

 足を動かして男から逃れようと試みたそのとき。

 パッと手が離れたと同時に、ビデオで早送りを押したときのように、穏やかな川の流れが激流に変わった。

 物凄い勢いで、なぜか俺だけが流されていく。水面に顔を出そうものなら、水位がリモコン操作してるかのごとく、一瞬にして上昇する。

 息がつはずがない。散々水中でもがいたが、どうにもならない。やがて、俺の意識はぷっつり途絶えた。


 * * *


 暑い。全身が焼かれるほどに。

 マジで暑いし、まぶしい。

 恐る恐る目を開けてみる。

「公園……?」

 晴れ渡る青空の下。子どもがあちらこちら遊具で遊んだり、走り回っていて賑やかというよりうるさい。隣のベンチにはサラリーマンが横になり、いびきを掻いて寝ている。

 どうやら俺は公園のベンチで昼寝をしていたようだ。汗のせいで全身ベチョベチョ。

 それにしてもリアルな夢だった。三途の川にあんなシステムがあったとはな……よし。

「今日から一日一善だ」

 周囲を眺めてみる。すると、木の前で小さい男の子が泣いていた。行ってみるか。

「どうしたんだい?」

「木に風船が引っかかっちゃったの」

 男の子が指さすほうを見上げる。赤い風船が枝に引っかかっていた。

「わかった。カタクマしてあげるよ」

「カタクマ?」

「ああ、ごめん。肩車ね」

 男の子が肩に乗って腕を精一杯伸ばすと、風船はすぐに取れた。

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 風船片手に元気よく駆け出していく。

 確かにいいことをすると、気分がいいな。小さいことからコツコツやっていくとしよう。

 それに……もう、カタクマはこりごりだからな。


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