第三十八話 「沖縄決戦! 魔女の血」
ここは海に浮かぶ孤島。三平方キロメートルほどの小さい島。中央には小さな火山があり、火山活動によってできた島であることが確認できる。足元に植物の中には、くるぶしまで伸びるものはない。周囲に明かりはなく、動物の気配はまるでない。とある二人を除いては――
「一本、取られましたね。まさか手を触れずに転移魔法の対象にできるとは……我々が想定していた以上の使い手だったというわけですか」
「こういう駆け引きは僕の本分じゃないけど、その反応を見る限りでは上手くやれたみたいだね」
ひとまずは自身の作戦がはまり、ほんの少し安堵する雅人。
ビダと雅人の二人は転移魔法により浜辺からは離れた小さな島へと転移していた。
「つまり、件の事故の時から我々を欺くために画策していたというわけですね。見かけによらぬその狡猾さ……少々考えを改めねばなりません」
例のショッピングモール事件の最中、雅人が敢えて見せた動作が死神のアイを欺いたのである。わざと手を握らせることで深く印象付けたのだ。極限状態だからこそ、疑問を持つという発想に至らない。遥かに格上であるアイとビダの二人を騙せたというだけでも雅人の功績は大きいと言える。
「しかしまあ、この島がどこにあり、先の浜辺からどれほどの距離があるかは分かりません。……ですが、それほど離れてはいないでしょう」
雅人の心臓がどくんと跳ね上がる。
「まずは時間ですが、あまり変わっているような気配もないので経度の差は大きくないのでしょう。加えて気温ですが、多少涼しくなっているものの目立つ変化はない。少なくとも日本の海域から大きくは逸脱していないと言えます」
雅人はごくりと唾を飲み込む。
「周囲は……さすがに暗くて何も見えませんね。この島に転移してから数十秒経ちましたが、私を置いて帰る様子も見せない。ふむ、それなりの覚悟があるようで」
「覚悟ならとっくに出来てる。生半可な気持ちで立っているわけじゃない」
「いいでしょう、遊び相手くらいにはなってあげます」
雅人は挑発に揺さぶられることなく大地を蹴った。瞬く間に距離を詰めてビダの視界の下へと潜り込む。
「――ッ!」
想定外の速度に一瞬、ビダは驚嘆のあまり固まる。しかし、雅人が低い姿勢から左脚で蹴り上げる動作に入った時には既に左手に持つ杖を右手に持ち替えていた。
雅人がその姿勢に気付く頃には左脚が杖に接触する間際であった。
「……まあ、そう簡単には蹴らせてはくれないよね」
雅人渾身の上段蹴りを涼しげな顔でいなした。
「なるほど、ただの人間と思っていましたがほんの少し、認識を改める必要がありそうですねぇ」
雅人は左脚を引き、その勢いを利用して身体を反転させ脇腹を目掛けて右拳を叩き込む。流れるような攻撃をビダはまたもや杖で受け止めた。それでも雅人は連撃を止めない。息つく暇もない速度で顎を狙って左拳を突き上げた。それもまた、当然の様に杖の柄で静止させる。怯まず雅人は左腕を戻す反動で空中を一回転、そのままかかと落としをビダの頭に入れようとするが案の定、杖で防がれてしまう。
その後も流れる様なしなやかさで攻撃の手を止めることなく猛追を続けた。相手に反撃の隙を与えぬ猛攻であった。
右肩、左脇腹、右脚と繰り出される攻撃をいとも簡単にピタリと受け止める。
時間にして数秒から十秒程度経っただろうか。その全てを防がれた所で雅人は大きく飛び退いた。最初の位置まで距離を取ったところで一息ついた。
それでも、雅人に気を休めるいとまはない。雅人もまた、相応の覚悟を持って臨んでいるのだから。
岩礁に打ち付ける波の音だけが耳を抜けていった。
「寺下流小太刀術……」
ビダに聞こえるかどうかほどの音量で静かに呟く。すると、雅人は右手を身体の後ろにやり、正面からの死角に隠した。
次の瞬間には既に駆け出していた。先程と同じ姿勢で距離を詰めていく。また同じ攻撃かと、ビダは内心呆れていた。効かぬと分かっていて何度も繰り返すのは愚か以外に形容し難い。しかし、それが目前にまで迫ってから自身の判断が浅慮だったと考えを改める。
「――ぬぅ!?」
ビダが寸前のところで杖で受け止めたそれは雅人の拳でもなく、蹴り上げた脚でもなかった。
「くっ、自信はあったんだけどね」
鍔迫り合いをしているのは紛れもなく刃物。刃渡が三十センチメートルもない短刀が、雅人の右手に握られていた。
それからニ、三撃ほど切り付けてまた同じ様に飛び退いた。
「傷ひとつ無しか、ちょっとショック」
「得物を隠し持っていたとは……。気付けなかったのは少し堪えますね。なるほど、これは用心した方が良いのかもしれませんな」
「なに、まだまだこれから。僕の本領はこの先にある……! 寺下流小太刀術《飛燕七翔》!!」
駆ける。
ビダも目を見張る速さで。
「鋭さが増している。どうやら口だけではないようですね……!」
敏捷な切先は袈裟にかけて大腿部、首へ一文字と矢継ぎ早に急所をなぞる。めまぐるしい速度で捻転し、ありとあらゆる方向から切り付けた。
しかし、そのことごとくをビダは捌き切った。ついぞ薄皮一枚も切ることが出来なかった。
「…………想像はしていたけど、ここまでとはね。僕の中で一番速い技なんだけど、服にすら当たってないのは悲しいかな」
「ふむ、人の域にしては中々に良い動きをする。誇りなさい」
「その上から目線、僕じゃなきゃキレてるよ」
「当然でしょう? 事実、上の存在なのだから……」
「ぐうの音もでない……ねッ!」
再度、ビダに向かって大地を蹴った。
「またそれですか……同じ技を繰り返しても意味はありませんよ」
呆れたビダがため息を付いたのも束の間、一瞬にして雅人の姿が消えた。急な加速だとかそういった類のものではなかった。初めからいなかったかのように視界から消失したのだ。
ビダが驚きのあまり心臓が一拍、高鳴った時には既に刃が首筋に肉薄していた。
「……ッ!!」
不可視の一撃。人の眼から脳へと情報を伝達するよりも速く、その刃は届く。
届く、はずだった。
「なッ――!?」
寸前の所まで迫った刃が硬い何かに触れたのか、弾き返された。
「いやはや、念の為にと講じていた策が役に立つとは」
目を凝らして見ると、そこには巨大な蛸の触腕のような物が二本、不気味にうねっていた。人の身長ほどの触手は、地面から生えているようにも見えた。
「これから私自身、直接攻撃はしません。その代わりにこの召喚魔法『悪魔の柱』で対応します。この魔法はある程度自律で動きます。私に危害を加えようとしても自動的に守り、反撃を与えます。私が知覚しているかどうかは関係ありません。因みにヒントを差し上げますと、この触手を切断すればその存在を維持できなくなります。この魔法を打ち破れば、あなたの勝利と言っても良いでしょう。実力差を鑑みればこれでようやく公正になりましょう」
一度冷静になり、自身の置かれている状況を整理する。
雅人にとってこれ以上にない程に悪質な状況であった。口では譲歩しているかの様に聞こえるが、そう単純な話ではない。まず第一に、あくまで魔法と戦うという点。仮に死力を尽くして切り倒したとして、肝心な情報は何も得られない。
雅人は初めからビダ本人を打ち倒そうなどとは考えていないのである。春也が活路を見出すための時間稼ぎでしかない。その僅かな時間で敵の情報を引き出そうと謀っていたが、中々に叶いそうのない状況を作り出されてしまった。
第二に、果たして本当に切ることができるのかという点。先ほどは雅人も予想していなかったとはいえ、手を抜いていたわけではない。刃が届けば首を切り落とす算段であった。一見、触手の見た目は容易く切り落とせそうなほどに柔軟な印象を与える。しかし、実際に雅人の刀は弾かれた。得体の知れない物体を切り落とす方法をまずは考えないといけなかった。
(ここまで、奴は本当の所を全て喋っているわけではない。この触手の存在自体がまさにそうだ。奴は僕が触手を切り裂けるかどうか、という点で勝負を提案してきた。言葉通りに受け止めちゃいけない、必ず裏があるんだ。切り落とされる事で発動するカウンターか何かがあるのか、それとも僕の力量では切断が出来ないか、だ。どっちのパターンでもかなりきつい……でも、やるしかないんだ!)
「おや、良い顔つきになりましたね。恐れ慄く表情が見たかったのですが、残念です。さあ、見せてみなさい! 人間の限界と覚悟を!」
怪しく胎動する二本の触手に向かって雅人は、大地を蹴った。ビダの言葉は半分以上、信じてはいない。戦いの中で自ら勝ち筋を拾っていくしかないのだ。
潮風を切り裂いて駆け抜けていく。暗闇の中、視覚は頼りにならない。相手から漂う魔力の揺らぎを元に行動を予測していた。
「くぅ……ッ!」
幾度となく切り付ける。転移魔法を併用し、一瞬の間を詰めながらフェイントも織り交ぜた。
しかし、その悉くは無傷に終わった。
「確かに硬い……けれど絶対に切れない程じゃないッ!」
何度も、何度も切り付ける。どの部分も一様に見える触手を、微妙に位置を変えながら探るように刃を突きつけた。
その表面の薄皮一枚も傷が付かない。
「いささか厳しいご様子…… 見込み違いでしたかな?」
「人の限界を、決めつけるなッ! 勝手に期待をしたいならすれば良い、落胆するのも自由だ。けれど、僕は足掻き続ける。春也が歩みを止めない限り、僕が諦めることは決してないッ!」
「ほお、なんと素晴らしき友情。老人の私にとっては胃がもたれそうなほど眩しくて仕方ありません。何故、そこまであの少年に尽くすのです? 所詮は神にも人にもなり切れない中途半端な小僧だというのに」
雅人はフッと笑い、
「そんなの決まってるさ――親友だから」
「……お見事」
もう一度、雅人は間合いを詰める。
「何度やっても同じこと。少しは学習を――」
雅人は瞬時に姿を消し、転移魔法を発動する。そして再度姿を現した時、強烈な違和感がビダを襲った。
遠いのだ。小太刀で攻撃するには余りにも遠い。誰が見ても明らかに間合いを外れていた。
「寺下流槍術……《天刃伐砕》ッ!」
ビダがその得物を認知した時、触手は既に二本とも切り落とされていた。
切り落ちた二本の触手は音もなく霧となって消え去った。
「……なるほど、これは一本取られましたな」
時機をずらして転移魔法を何度も駆使してきたのはこの瞬間の為でもあった。幾度となく刃を突き付ける中で触手の反応速度と行動を観察していた。ビダの言う、触手が知覚した際に反撃する、という性質を確認していたのである。
「転移魔法を駆使して柱が敵を知覚する距離を測っていた、ということですか」
「正解。けれど探っていたのは距離だけじゃない。もう一つは、どうして刀で切れないのかという点。見た目以上に皮膚が硬質化している謎を探るために色々な距離から攻撃を仕掛けた。その結果、僕を知覚した瞬間に皮膚を寄せて分厚くする事で刀を弾いていることが分かった」
「ふむ、素晴らしい観察眼ですな。ですが、私が本当に驚いているのはそこではない。武器の入れ替え…… 明らかにこの場に無かった物が今、その手中に収められているという事実。この事象から鑑みるに最初の小刀も持っていなかったというのが正しい解釈でしょうか。初めから隠し持ってなどいなかった、そういう事でしょう」
「それも正解。こうやって使うとすぐバレるから余り気が進まないんだけど、状況が状況だし仕方ないよね」
「予め用意しておいた別の場所から武器のみを手元に転移させているという事ですか。しかしそれだけの魔法、何も制約なしで無尽蔵に行使ほ出来ないと見るのが妥当でしょう。質量か、あるいは距離か。……いずれにせよ強力な魔法である事には変わりません。……流石は空の魔女の末裔、といった所でしょうか」
ビダの口から雅人が聞き慣れない単語がこぼれ落ちる。
「おや、気になりますかな? では、せっかくですから教えて差し上げましょう。あなたの祖先にあたる空の魔女に関するお話を」
「……なぜ死神が僕の先祖を知っている? 死神と何の関係が?」
この状況は雅人にとって好都合であった。
ビダの言う通り、切り倒した事で触手は消滅。それが条件になって発動する罠のような魔法も見受けられない。雅人の読み通り、知覚範囲外からの一撃によって触手を倒すことに成功した。ビダ自ら何かを語り、時間を使おうと言うのだからこれほど幸運な事は他にない。
「我々は人智を超越した比類なき魔法使いに対し、畏怖と尊敬の念を込めて『魔女』と呼びます。歴史上、魔女と呼ばれた者は二人おります。一人目は『原初の魔女』、そして二人目が『空の魔女』です。この空の魔女があなたの祖先ににあたる魔法使いなのです。
ある程度はご存知かとは思いますが、彼女は転移魔法の使い手でした。我々では到底再現できない、触媒なしでの転移が可能である稀有な存在です」
「触媒なしというだけで……?」
「ええ、如何にも。ただそれだけです。それだけですが、あなたの想像しているものとは規模がまるで違います。確かに、その血筋の者であれば何処へでも瞬時に転移が出来るかもしれません。ですが、それはあくまでこの地球上での話でしょう?」
雅人はごくりと、生唾を飲み込む。
「彼女は頭上の宇宙を飛び越え、異なる世界にもその身を移すことが出来るのです!」
また雅人にとって不可解な単語が飛び出した。
「異なる世界? それは死神の世界の話かな?」
「いいえ、違います。一から話すと長くなるので嫌ですが、そうですねえ……。あなたは我々の寿命を知っていますか?」
唐突な質問に一瞬驚きつつ、自身の記憶を辿った。
「何年か詳しくは知らないけど、僕たち人間より遥かに長いことは知っている」
「その通り、人間の寿命に比べれば十倍、いや数十倍の寿命を持っています。肝心なのはその理由なのですが、お分かりでしょうか?」
「……いや、検討もつかないな」
雅人は正直に答える。
「人間とは我々の模造品。この世界風に言うなればクローンと言うやつですな」
「……だから寿命が短い」
「そう、我々が長いのではない。人間の寿命が短いのです。我々のクローンである人間を創造したのが『原初の魔女』、我々を神たらしめる存在。彼女はクローンを作る前にまず箱庭を創造した。それがこの宇宙。しかも一つだけではなく、五つの宇宙を創り出し、我々のクローンをそこで生活させ始めた…… ここまで言えば流石に分かりますよね?」
雅人は恐る恐る口を開いた。
「つまり、僕の先祖である『空の魔女』は星間どころではなく、宇宙間を自在に移動できる才能の持ち主だったってわけか……」
「その通り、正解です。『空の魔女』はこの星の生まれではなく、別の宇宙の地球で生まれ、この世界の地球に転移してきた存在なのです」
雅人は一度、大きく深呼吸をした。
「ありがとうございます。おかげで自分のルーツを知ることができました」
「いえいえ、滅相もございません。酔狂な老ぼれの戯言だと思って下さい…… ですが、いささか喋らせ過ぎですね」
その言葉の直後、雅人はビダの足元の違和感に気付いた。
「まだ貴殿の挑戦は終わっていませんよ? いつから柱は二本だけだと錯覚していましたか? 残りを全て顕現させるのに多少時間が掛かってしまいましたが、正真正銘これで全てになります」
ビダの周囲から無数の触手が姿を現した。
「残り七十本、次からはこちらからも攻撃を仕掛けます。せいぜい足掻いてみなさい、魔女の末裔よ……!」
意を決した雅人は、気圧されそうな心を鼓舞するかの如く、強く大地を蹴り駆け出した。この世でたった一人の親友のために。
長い一週間で申し訳ない




