第三十七話 銷魂の舞踏会
修学旅行で沖縄に来ていた春也、宇宙、雅人は偶然にも家族で旅行に来ていた水原修一に遭遇した。時間を取るために深夜の浜辺へと落ち合った四人だったが、奇遇を装った死神二人に出くわしてしまった。
熱の引かない深夜の空気。春也の額から流れる一筋の汗は簡単には蒸発しない。自然と力の籠る足を踏み直せば地面の砂に少し沈む。
「初めから、ここを戦場にする算段だったろ?」
シュウがビダに問いかける。ビダは左手に持つ杖をふらふらと遊ばせながら嘲笑うように答えた。
「はてさて? 何の事やら見当もつきませんねえ。たまたま、皆さんがお集まりになった。それだけの事でしょう?」
春也はギリギリと奥歯を噛み締める。
「まさか、この姿になってからまた会うことになるとは思ってもいなかった。今日、この日に至るまでの全てがお前たちの筋書きだったと言うのか?」
春也が気付けばシュウもまた、眼前の死神を睨み据えていた。
「あなたの言う全ての意味がわかり兼ねますが、あなたの身に起こった事は全て御自身の行いがもたらした必然の結果なのです。当然の報い、と言うやつですな」
「そうよ、大量殺害をしただけでなく、こっちの世界に逃げて身を隠し、子供の姿に転生してまで生き延びようとするなんて……どこまで性格が腐れば気が済むのよ?」
ビダに続いてアイが捲し立てる。
「な、何を言っているんだ、アイ? 僕はそこの男に霊魂流しを――」
「黙れ!!」
瞬間、アイの怒号とともに濃縮された魔力の波動が全身に伝わり、春也は思わず顔をしかめた。
「お前がッ! 全部お前のせいなんだ! あの事件の日、お母さんは最期まで信じていた。お父さんが絶対助けに来るからって! あたしはその気持ちを踏み躙ったことが許せない」
「アイちゃん……」
「おやおや、いけませんよアイさん。激情に流されてはいけません。相手が誰であろうとも驕っては足元を掬われますよ。たとえ相手が魔法も使えぬ子供であったとしても」
息を巻くアイをビダが諌める。
「……わかりました。以後気をつけます」
アイは自身の感情を押し殺すように目を閉じて長い息を吐いた。ゆっくりと目を開けるとその視線に揺らぎはなく、平静を取り戻していた。
一連のやり取りを見ていた雅人は気付かれぬよう細心の注意を払いながら春也に一歩近づいた。だが――
「そこ、動かない」
アイが頭上の虚空に手を伸ばすと、先ほどまではなかった戦斧が右手におさまり、軽々と振り下ろせばその衝撃波が春也と雅人の間を通過する。雅人がもう一歩踏み込んでいたら半身は易々と消し飛んでいたであろう一撃であった。
「今、転移魔法で逃げようとしたでしょ。二度も同じ手で逃げられる訳にはいかないわ。そこから動けると思わないで」
雅人は固唾を飲んだ。相手の力量を再認識するとともに、自身の覚悟を思い出していた。
「なるほど、貴殿が話に聞いていた転移魔法の使い手ですか。この世界では珍しい、魔法に愛される素質……。その才能は我々と同等と見ても良いのかも知れません。その眼で何を見て、何を見たくて、何を見ようとしているのか好奇心のそそられる所ではありますが――あまり寄り道ばかりしてはいられませんねえ」
「……あんたらの目的はなんだ? 関係のない人達まで巻き込んで何がしたい?」
春也が単刀直入に切り込む。
「目的、ですか。そうですねえ、全てを話すつもりもありませんが強いて言うならば危険因子の排除、ですかねえ」
「……危険因子?」
「そう、危険因子。貴殿のことですよ、鈴村春也さん。もうご存知かと思いますが、この世界は極めて魔力に乏しく、且つ人々が魔法に精通していなさすぎる。そんな世界で死神の血を持つ人間がいては困るのですよ」
「詭弁だな……。本当は自分たちの邪魔になる可能性を摘んでおきたいんじゃないか? だから始めに僕を追放した。違うか?」
シュウの返しにビダはくすっと笑った。
「いやはや、これだから貴殿との会話は面白い。賢いというか、妙に聡いというか……ふむ、犯罪者だからずる賢いのでしょうか? 咎人のくせによく喋る」
「ぐッ! こいつ……ッ!」
「ダメだよ、春也。挑発に乗っちゃ」
「わかってるよ! わかってるけど……」
固めた拳が出そうになる春也を宥める宇宙。
「そうあまり怒らないでください。今日はあなた達に見せたい物があってわざわざこちらの世界まで出向いたのですよ? さっそくですが、お見せいたしましょう。我々の希望を」
ビダが指をパチンと鳴らすと、どこからか風切り音が響いてくる。
その絶望は空から降りてきた。急降下していたそれは、頭上数メートル付近からゆっくり、ゆっくりと砂煙を上げないよう丁寧に着地した。その人型をした何かは、俯いていた視線を春也達に合わせる。
「――――ッ!?」
春也は大きく目を見開いた。それは他の三人も同様であった。その人物の顔は春也も、宇宙も、雅人も、シュウでさえ見覚えのある――見覚えしかない顔だった。
絶句。
戦うための覚悟を決めていた春也を酷く動揺させるには十分過ぎるほどの現実が、目の前に現れたのだ。
「あ、あぁ…………あ、亜紀乃?」
細く、弱い、微かな呼び声が春也の乾いた口から漏れ出た。
春也は理解に苦しんだ。漆黒のローブを身に纏ってはいるが、どう見ても春也たちと共に学園で過ごし、笑い合った旧知人以外に見えそうもないのである。春也は一瞬、他人の空似なのだと自信を納得させようとした。その生涯の幕が降り切るところを一番近くで感じていたからこそ、頭の中では目の前の人物を否定し続ける。しかし、全身を脈動する魂がそれをさらに否定するのだ。
「そんな……うそ……」
宇宙も状況を把握しきれずに言葉を失っていた。
「クックックックックッ……皆さんの驚いた顔が見れて何よりですよ」
固まる四人を見て不敵に笑うビダ。
「亜紀乃! なあ、亜紀乃ッ!」
春也の呼び掛けにも一切応じることなく、眉ひとつ動かさない。
その顔は春也たちのよく知る、神奈月亜紀乃に瓜二つであった。
「これ、顔を再現するのに苦労しましたよ。なにせ、人間を復元するための技術ではありませんから」
「亜紀乃……? 亜紀乃……」
春也の耳にはビダの声は届いておらず、ただひたすらに目の前の現実に近づくための一歩を踏み出した。
「おっと、それ以上近づくのはお勧めしませんよ?」
ビダは目に見えない何かで春也の足元を切りつけた。砂浜には切創痕が残り、春也の腰あたりまで砂が舞い上がる。
未だ状況を飲み込めきれない春也の代わりにシュウがその正体について問い掛ける。
「まさか、完成していたとは……いや、まだその研究をしていたとは驚きだな。――自立歩行型魔導兵器。通称、エメス。所有者の命令のみを遂行する自動兵器。それの完成版だな?」
「クフフ、御名答。その通りでございます。ですが、これはただ姿形を模しているロボットではありません。魔力に秀でた者の魂を核にすることによる魔法の強化は絶大! 最初から蓄えたれた分の魔法しか使えないただの機械とは比べ物にならない程強力な上、エネルギー不足による稼働停止がない!」
「と……父さん、一体これは何なんだよ」
「……魔力と魂は密接な関係にある。個人の魔法の素質は魂と魔力の親和性によって決定すると言われている。そう、あくまでそういった仮説があるというだけの話だった。死神はもちろん、人間の魂も研究材料にするのは禁じられているからな。……だが、使っているのだろう? 亜紀乃ちゃんの魂を……!」
「なッ……!?」
春也の胸のざわめきがより強くなり、呼吸が浅くなる。
「一度は貴殿に潰されたこの計画……ようやく実用に耐えうるサンプルを見つけることが出来ました。今日はその記念すべき初陣なわけです。もう少し喜んだらどうです? 愛しき御学友が生きて目の前にいるというのに」
言われて春也は、拳に込める力が強まり、溢れそうになる感情を寸前のところで堰き止める。
「落ち着け、春也。あれに使われているのはあくまで魂だけだ。人間だった頃の記憶はない。見た目に惑わされるなよ、あれは亜紀乃ちゃんじゃない!」
「わかってる! 頭ではわかってるんだ……! でも……!」
「クフフ……大変喜んでもらえたようで嬉しい限りです。……心惜しいですが、そろそろ幕引きと致しましょうか。いつまでもお喋りしているほど暇ではありませんので。……エメス、仕事ですよ。あの少年を殺すのです」
「任務、遂行します――」
聞き馴染んだ声を認識したのも束の間、エメスは右手の人差し指を春也たちに向ける。
「まずい! 魔法が来るぞ!」
いち早く反応したシュウの声で春也は全身に意識を集中させる。
「みんな、こっちに寄るんだ!」
春也の呼び声の通りに三人は、それぞれ二歩程度身を寄せた。
そんな中、亜紀乃の顔をしたエメスは小さく呟く。
「――《ソルド・ライゲン》」
雷電、一閃。
エメスが呪文のような何を唱えた瞬間、指先を中心に稲妻が宙を裂きながら幾つにも枝分かれし四人向かい突き進む。
閃光を認識すると同時に着弾。逸らされた雷撃が砂浜を抉り、宙に舞い上がった。
「クフフ……、これは一撃で決まってしまいましたかな? ……おやおや? 意外と、そうでもなさそうですね」
「ぐっ……みんな大丈夫か!?」
春也が体に伝わる衝撃に驚嘆しながらも、先に他の三人の安否を確認した。
「おかげで僕らは大丈夫だよ。それよりも、君の方こそ大丈夫かい? 完全にダメージを防げているわけじゃなさそうだけど」
「問題ない。思ったより余韻が強かっただけだ」
「ほう……魔壁、ですか。本当に父親に似ていますね。理論ではなく、感覚で魔法を使っているのでしょう。魔力に目覚めたばかりの若造が無詠唱で発現できるような魔法ではありませんから。その顔も、溢れんばかりの素質も、若い頃を思い出します。ですが、そう長くは持たないでしょう? 魔素の衝突による衝撃は消しきれない。いつまで耐えられますか?」
春也は四人を囲うようにドーム状の魔壁を展開し続けている。
ビダの指摘の通り、相手の攻撃を完全に封殺できる魔法ではない。半球体の魔壁に接触した魔法を受け流しているだけに過ぎないのである。その上、二つの魔法が衝突した際に分散する魔素が衝撃となって術者本人に伝わるのである。この伝搬は魔力コントロールがより精密になれば軽減することも出来る。しかし、今の春也にはまだ早い。
「続けなさい、エメス」
「承知。――《ソルド・ライゲン》」
無数の雷撃が春也たちに襲いかかる。鳴り止まぬ轟音と相殺し切れない衝撃が身体中を駆け巡る。
春也が耐え続けているのを他二人はただ見つめるしかできなかった。魔壁は外からだけでなく、内側から発せられる魔法も効果が出てしまうからである。宇宙も雅人も、内側にいる時点で魔法が使えないのだ。
「うーむ、意外と粘られてしまっていますね……。魔法の威力は申し分ないと思っていましたが、詠唱が必要なせいかボディの構造が魂の存在能力を生かし切れていないようです。ここは一つ、やり方を変えてみますか」
その言葉にいち早く反応したのは宇宙だった。
「春也! 攻撃方法を変えるみたい! 隙があるならここしかない!」
もちろん激しい雷鳴の中、ビダの声が直接届いたわけではない。宇宙が読唇術でその台詞の端々を推察したのだ。
「わかったッ! 雅人、奴を頼む!」
微かな宇宙の声を聞き取った春也は瞬時に合図を送った。
「了解! 出来るだけ時間は稼ぐ!」
雅人は春也の意図を瞬時に理解し、意識を切り替えた。隙を逃さぬよう意識を集中させる。
「埒が開きませんね……エメス、直接叩きなさい。その方が壊しやすい」
ビダの命令を聞き入れ、それまで撃ち続けていた魔法をピタリと止めて春也の元へと駆け出した。雷よりは遅いとは言え、刹那の速度で迫るエメス。
体勢を切り替えた一瞬の隙を春也は逃さなかった。
「今だッ!!」
合図と同時に春也は魔法を解いた。ビダも、エメスもその出来事に驚く間も無く、雅人は次の一手を打つ。
パッと、雅人の姿が消えた。
ことの異常性に気付き、エメスは足を止める。だがそれは目の前の人物が消失したことに対してではなく、より重大な異変に気付いたからである。エメスは後ろを向いた。
「……驚いたわね」
アイが驚嘆の声を漏らし、エメスと同じ方向に目をやる。
そこにいるはずのビダの姿がなかったのだ。
「まさか騙されていたなんて……案外やるじゃない」
砂浜から一瞬にして二人の姿が消えた。紛う事なき雅人の転移魔法によるものだった。
「それほどの使い手だったことを見抜けなかったのは、あたしの落ち度ね。エメス、続けなさい。任務は続行よ」
その一言でエメスは向き直る。重心を落とし、春也に飛び掛かった。
「――ッ!」
魔法の狙撃を繰り返していた先ほどと打って変わり、格闘戦を仕掛けていた。言うまでもなく、その拳や脚には凝縮された魔力が纏っていた。
春也は全員を囲う魔壁から自身のみを覆うものへと瞬時に展開し直していた。肉弾戦では流れ弾がないのと、魔壁の展開面積を縮小するためであった。表面積が大きければ大きいほど、消費する魔力も多くなる。一点にのみ集中することでその耐久性は格段に上がって行く。
しかし、五発ほどの攻撃を受けた段階で春也の想定は裏切られた。
雷撃魔法を遥かに上回る衝撃が春也に伝わっていたのだ。春也はこの時、ようやくエメスが攻撃方法を変更した理由を理解した。人ひとりを包む程度のサイズの魔壁であってもその威力の差は顕著に現れていた。
「春也ッ!!」と、宇宙が叫ぶ。
「どうせあなたはこの二人の間に入れないわ。邪魔になるだけよ、大人しくしていなさい」
アイに諭され歯を食いしばる宇宙。
実際、アイの指摘は正しかった。現状では春也が自身を覆う魔壁を展開しており、そこにエメスが拳を打ち込み続けている。無理に手助けに入ろうとすれば春也の魔壁が邪魔して行動に制限がつく。狙撃系統の魔法を行使したとしても、その衝撃が春也に伝わってしまう恐れがあった。下手に手を出して状況が悪化することだけは避けたいのである。
宇宙も、シュウも一方的な攻防戦を固唾を飲んで見守るしかできなかった。
一方で、春也は機を窺っていた。防戦を続けていても得られる物は何もない。何より雅人が命懸けで稼いでいる時間を一秒も無駄にはしたくなかった。
「ぐ……くッ……!」
春也はただひたすらに耐えた。いつ破れるかもわからない魔壁で必死に持ち堪えた。
「クソッ! 何か突破口はないのか!?」
「シュウさん、このままだと春也がっ!」
「わかってる! たが僕たちは事実上、縛られている。下手に動ける状況じゃない。今は春也を信じるしかない……」
「春也……」
不安と焦燥感に駆られた二人の声は、春也には届いていない。春也は目前の相手にだけ集中していた。
「ッくぅ……、どこかにチャンスがあるはず……! それまで耐え抜くんだ……!」
止まらぬ殴打の連続。腹の底に鳴り響く鈍い音がさざなみの音色を掻き消していた。
正確無比な一連の動きが、生物ではないという事実を思い出させる。それほどまでに、踏み込む際の荷重移動も、拳の振りかぶり方にしても、寸分違わず続けていた。
春也は自身の限界を経験から悟っていた。以前、アイに破られた際の感覚を想起させているのだ。経験と直感であと何発耐えられるか本能的に理解していた。
だが、それは相手も同じであった。拳から伝わる感触に変化はないが、体に内臓された精密なセンサーが春也の微弱な魔力のうねりを捉えていた。瞬時にエメスは魔壁の耐久力を逆算し、衝撃を与える回数を算出した。その間、わずかコンマ一秒である。
「……もう限界、か……」
遂に魔壁の限界を悟った春也。
その時を待っていたかのようにエメスは拳を深く引いた。それまでとは違い、少しではあるが大きく振りかぶったのだ。
その瞬間を春也は見逃さなかった。
「ここだッ!」
「……ッ!?」
春也はほんの少し、展開している魔壁を拡大した。するとエメスの拳が想定よりも早くに接触する。衝突した魔壁は瞬時に崩壊した。だがそれよりも、自身の勢いを殺しきれないエメスは体勢を崩した。転倒するまではいかないものの、隙を付くには十分過ぎる程の優位性を確保した。
すかさず春也は新たな魔壁を展開。しかしそれだけには留まらず、魔壁の領域を素早く広げ、エメスを体ごと押し返した。
「……意外にやるわね。少し、驚いたわ」
流石のアイも目を見張るものがあった。
魔壁の勢いで七、八メートルほど飛んでそのまま砂浜に倒れ込んだ。
「反撃開始だ……!」
春也の瞳は、より深い緋色に染まっていった。
自話は一週間後の同じ時間に掲載します。