第三十四話 「新たな死神」
九月上旬、未だ衰えぬ日差しは無条件で身体の水分を奪っていく。猛暑に晒された者達は、一息つく度に汗を足元の砂に染み込ませていた。
「あっつー…………」
緋色の眼を持つ少年、鈴村春也も例に漏れず暑さにやられていた。校庭の隅のベンチで休憩しているにも関わらず、熱気は体力を奪い続けた。特に意味のない視線の先で陽炎が踊っていた。
そんな項垂れている中、春也の隣に一人の少年が腰を下ろした。
「そんなにボケ〜っとしていると余計に暑さを感じるよ?」
「おー、雅人〜。なんかこう丁度よく涼しくなる魔法はないか〜?」
「そんな都合の良い魔法なんてないよ。それに、いざという時のために無闇には魔法を使わないって言ったのは春也でしょー?」
まるで介護をするかのように春也を諭す。
「それはそうだけど……いかんせん、この暑さは流石に堪えるよ……」
「飲み物はどうしたの?」
春也は隣に置いていた空のペットボトルを雅人に見せた。
「もう飲んじゃったの⁉︎ さっき買ったばっかりじゃん!」
「瞬殺だったな」
「もう……、僕ので良かったら飲む?」
「いや、いいよ。後で買いに行くから」
夏の暑さに辟易していると、短髪の青年が二人に話しかけてきた。
「よっ! 二人ともしっかり水分は取ってる? 残り二戦、勝てば全勝優勝なんだからしっかりしてれよな! 優勝は二人に掛かってるんだからよ!」
やって来たのはサッカー部で春也のクラスメイトでもある、高山だった。
「そんな大袈裟な……たかが球技大会、俺がいてもいなくても結果は変わらんでしょ」
「そんなことないぞ! さっきだって鈴村が一本決めたから勝てたんじゃないか!」
「た、たまたまだよ……ていうか、しれっと高山がゴールすればいいんじゃない?」
「いやいや、サッカー部がシュート決めても点数にはならないってルールだから。バレずにってのは無理があるわ! てか、寺下はいいとして、鈴村がこんなに運動できたってのは初知りだったな!」
「そ、そうか? 今までと同じだと思うけど……」
春也は、高山から目を逸らす。
「ま、勝てるならなんでもいいけどな! せっかくの球技大会なんだから、優勝目指そうぜ!」
「わかった。まあ、最低限の努力はするよ」
「おう! 頼むぜ!」
高山は元気よく白い歯を見せると、沈黙の時が流れた。
じばらくすると、高山が何かを言いたそうな顔で春也の顔をチラチラと目配せし始めた。
「ん? どうかしたか?」
春也が不審な様子を尋ねると、歯切れが悪そうに応えた。
「まあ、その、なんだ……。あー、たまには気分転換もいいいけどさ、んー、程々にな?」
慎重に言葉を選んだ高山ははっきりとその眼を見ていた。
「……うっせ、余計なお世話だ」
「ははは……、言わなくても気持ちはみんな一緒だからさ。……絶対勝とうな」
それだけ言い残し、高山はその場を後にした。
またしばらくの間沈黙が流れ、春也は天を仰ぎながらポツリと呟いた。
「ガキだな……俺……。よし、決めた」
春也は立ち上がり、右手で拳を握る。
「なにを?」
「残りの試合全部勝って優勝する。それと……」
「それと?」
「今日の夜、雅人に付き合って欲しい場所があるんだが、いいか?」
その後の試合は全勝。圧倒的な優勝だった。
最終試合の終了後、クラス全員がそれぞれの内に秘めた憂いを晴らすように、勝利を噛み締めていた。
球技大会が終わり、放課後になって高山らが中心となって打ち上げに行こうと計画していたらしく、主な得点源となった春也と雅人も当然誘われた。しかし春也たちは、用事があるからと言い、参加を断った。どこかで埋め合わせをするという約束だけして、三人は放課後の教室を足早に立ち去った。
春也たちは長いこと電車に揺らされ、目的の駅に着いた頃にはすっかり陽は落ちていた。
駅を出て数分歩いたところで一行は足を止めた。
「電車に乗ってて気付いていたけど、ここに来たかったとはね」
春也、宇宙、雅人の眼前には立ち入り禁止の明示と、焼けて廃墟となったショッピングモールが今も尚、その形を保っていた。
建物全体に焼け跡が広がっており、悲しみの空気だけが漂っていた。
「どうしてここに?」と、雅人が短く尋ねた。
「明確な目的はうまく説明できないけど、一度ここに来るべきだとは思っていたんだ。前に進むために必要な気がする」
春也は暗い建物を見上げて真っ直ぐ見つめた。
その横顔を見た宇宙は春也の方へそっと一歩寄り添った。
「わかったよ。人がいない間に入ろうか」
「そうだな。見られて良いものでもないからな」
そう言いつつ、春也は二度三度、辺りを執拗に見回した。
「……? どうしたの春也? 早く行くよ」
「あ、ああ」
入念に周辺を警戒した後、雅人に数歩遅れて暗闇の中に踏み入った。
建物内部は当然、灯りはない。足元も悪く、崩れた瓦礫が辺りに散乱していた。そこで、宇宙が魔法で青白い光を放つ球体を手のひらに作り出した。その球体は宇宙の腰あたりの位置で浮遊し、周辺を照らした。
「そんな便利な魔法もあるんだな。今度俺に教えてよ」
「いいけど、春也って魔法理論を勉強したわけじゃないんでしょ?」
「まあ、雅人の家でやったことと言えば身体を鍛えるのがほとんどだったけど……」
「でしょ? 春也はまだ魔法陣もよく知らないんだから初歩的な魔法だって無理よ」
「待て待て待て、魔法陣? 初耳なんだが?」
宇宙の発言に困惑した春也は進めていた足を止めた。
「だって言ってないもん」
宇宙に呆れて雅人の方へと目を向ける。
「まあ、余計なことは教えない方がいいと思って」
雅人の裏切りに当然、驚きを隠せないでいた。
ショックを受けた春也に雅人が続ける。
「そ、それに僕みたいな普通の人間は宇宙ちゃんみたいに色々な魔法を使えるわけじゃないんだよ! 得意なのは転移魔法と空を飛べるくらい……あとは全然だよ!」
「そ、そうなのか……やっぱり宇宙って凄いんだな……」
宇宙の方へと視線を送ると、得意げに鼻を鳴らした。
「ふふん! まあ、これでも一応神様ですから? 魔法のまの字くらいしか知らない誰かさんに比べれば立場が圧倒的に上だし? 春也がどうしてもって言うなら一から手取り足取り教えてあげてもいいけど?」
「なんかムカつくから教わりたくない」
「酷いッ⁉︎」
驚きのあまり目尻にじんわりと涙を浮かばせていた。
それからしばらく、十分程度経った頃だろうか、先頭を進んでいた春也が足を止めた。目的の場所にたどり着いたのだ。
「……………………」
先ほどの雰囲気とは変わって互いにかける言葉を見出せないでいた。
生温かい空気が頬を撫でる。気温・湿度ともに今までの道程と変わらぬはずだが、喉に絡み付くような特異的な空気で満ちていた。
雅人のこめかみに一筋の汗が流れ落ちた時、ようやく春也が口を開いた。
「……ここに来ても普段通りでいようと思っていたけど、やっぱりダメだったよ」
優しい口調で語りかけ、何かを憂う視線の先にはパイロンで囲われた残骸とも言える瓦礫が積み重なっていた。
件の事故から時間が経っていたため、その中には彼女がいた形跡は見受けられなかった。
「……ん? これは……」
ひとしきり辺りを見渡して、壁沿いの隅の方に春也が何かを見つけた。
手のひらに乗るサイズの何かを拾い上げた。
「春也、それは?」
気になった宇宙が春也のもとに駆け寄り、手に乗るそれを覗き込んだ。
「ああ、世界一美しい飾り物だよ」
「……うん、そうだね」
焼け焦げていて元の色は失われているが、それがレタスの形をしている事を二人が理解するには時間を要さなかった。
春也はそれを壊さぬよう、慎重にポケットの中にしまった。
思い出を噛み締めた後、春也は雅人の方へと振り返った。すると、雅人は目を閉じて手を合わせていた。
やがて、ゆっくりと目を開けて、
「今の僕にはこれくらいしか出来ないからね」
「そうだな、でも来てよかった。これで少しは前に進めそうだ」
温かい隙間風が心地よく感じるほどに、三人の心は穏やかだった。
「さて、もう帰ろ――――」
「おやおや? まさかこのような場所で会うことになるとは……。お友達の墓参りは済みましたかな?」
背筋に悪寒が走る。
異質な不気味さを感じ取った春也は瞬時に三メートルほど飛び退いた。
闇夜に紛れて現れた二人を警戒しつつ、宇宙は魔法の灯りを強くした。そうすることで、ぼんやりとしていたシルエットは徐々にその姿をはっきりさせていった。
声の主とは別の、もう一人の方は春也のよく知る顔だった。
「愛衣、どうしてここに……⁉︎」
「別に、なんでもいいじゃない」
ため息をついて、無気力な生返事をした。
――いや、それよりもッ!
春也はすぐにもう一人の男に視線を合わせた。見た目は白髪の初老の男性。得体の知れない存在が場の緊張感を高めた。
「そうか、ここに入る前から誰かに付けられている気がしていたが、あんたらだったのか」
「いやいや、ただの偶然ですよ。ここに来たら偶然居合わせた、それだけの事です」
「冗談が好きなようだな。それで、あんたは何者だ? 初めて見る顔の様だが」
春也は固唾を飲む。
「そうでした、まずは名乗るべきですね。私は死神の代表補佐官を務めております、ビダと申します。以後お見知り置きを、春也さん」
丁寧な口ぶりで一礼するビダ。当たり前の様に春也の
名を口にするが一向は気にも留めない。それよりも、二人の一挙一動に全神経を集中させていた。張り詰めた緊張感の中、一つまたひとつと鼓動の音が大きくなって聞こえた。
「そう構えないでください。別に今ここで殺すつもりはありませんから」
「その言葉を信用しろと?」
「……まあ、難しいでしょうね」
そう言うと、ビダは懐に手を入れ、何かを探り始めた。
目当ての物を手に握り、ゆっくりとそれを春也たちに見せた。
「……転移魔法の触媒か」
赤黒い結晶を見て春也が一番に反応した。
「ほう……、よくご存知で。……しかし、いや本当に帰る直前だったんですよ? 件の事故現場を一目見たく思いましてね。しがない老人の散歩とでも思っていて下さい」
「ふん……。散歩道にしてはセンスが無いな?」
「おやおや。流石、人間の血を引いているだけありますね。実に感性が乏しい」
「……何だと?」
春也は眉間にシワを寄せて一歩前へ出ようとする。
すると、雅人が後ろから肩を掴み引き止める。
「ダメだよ、春也。あんな挑発に乗せられてちゃ。ここは堪えるんだ」
「くッ……!」
歯を食い縛り、自然と拳に力が入る。
「おや? そちらの人間の方が賢明ですね。人間の血が関係ないとすると…………いやはや誰に似たのか」
「ぐッ! こいつ……ッ!!」
さらに拳に力が入り、刺す様な眼孔がビダを睨みつけた。
「落ち着いて。乱されちゃいけない。相手の思う壺だよ」
「そうだよ、春也。ここは我慢」
肩にかける手の力が強まった。
宇宙も春也に寄り添い一歩、距離を詰める。握りしめた左手をそっと両手で包み込み、強張る肩の震えを和らげた。
「そこまで敵意を剥き出しにされるのも良い気分はしませんねぇ。ここで一戦交えるのも良いですが……やめておきましょう。心配しなくてもまた直ぐに会えますよ、春也さん」
そう言うと、手に持っていた触媒が光り、幾度となく見た赤黒い穴を作り出した。
そして、その中に不敵な笑みを浮かべてビダは消えていった。その後に続く様に愛衣も片足を一歩入れ、一度だけ三人の方へと振り返り、何も言う事なく背中を追って行った。
ほどなくして転移魔法の穴は消えた。
春也の荒げた呼吸も段々と元に戻りつつあった。
「ここは息苦しい。悪い、雅人。入り口に飛んでくれないか?」
「いいけど、誰かに見られたらどうする?」
「心配ないさ。仮囲いで外からは見えない。おまけにこの暗さだ、問題無い」
「わかったよ。じゃあ……行くよッ!」
雅人の声に合わせて三人はその場から一瞬で姿を消した。静けさを取り戻した空間に、コンクリートの欠片が壁から落ちる小さな音が響き渡った。