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第二十七話 「投錨」

「次はこっちですわ! 今日はとことん付き合ってもらいますわよ!」

「ちょっ! そんなに急がなくても……」


 亜紀乃に手を掴まれ、されるがまま引っ張られていく春也。

 夏休みが始まった頃、雅人の誘いを断って遊べなかった事があった。それの穴埋めとして、亜紀乃、春也、宇宙の三人は大きなショッピングモールに来ていた。

 そして、現在進行形で亜紀乃に振り回されているのであった。


「安納芋とセロリ、どちらも捨てがたいですわ〜」


 とある雑貨屋の一角で、亜紀乃は安納芋とセロリの形をした置き物のどちらを購入するかで悩んでいた。


「どういう組み合わせで悩んでるんだ……」


 そんな色々な意味で珍しい光景の隣で宇宙もまた、二つの置き物を手に取って葛藤していた。


「ねえ春也。これとこれ、どっちがいいかな?」


 宇宙が手の上で見比べているのは、キャベツとそら豆の置き物だった。


「俺的にはどっちでもいいんだけど……。これ、俺がおかしいのか? それとも、この店が変なのか?」


 不思議な商品の羅列に頭を悩ませる春也。できれば後者であってほしいと思うのであった。

 それから、亜紀乃はレタスの置き物を、宇宙はキャベツの置き物をそれぞれ購入した。中々に珍しいものであったためか、二人には満足そうな笑みで溢れていた。


「次、どこか行きたい場所はあるか?」

「うーん……あっ、そうですわ!」


 少し考えてから思い出したように前方を指さした。


「本屋さんに行きたかったのですわ!」

「じゃあ行こうか」


 亜紀乃の指さした方向には決して大きくはないどこにでもある普通の本屋があった。

 入店して早々にとあるコーナーに向かった。


「これですわ! これが欲しかったのですわ!」


 亜紀乃の手元には文庫本の海外小説の姿があった。特に珍しくもない有名な著者の作品だった。


「それが欲しかったのか? 亜紀乃なら読んだことありそうなタイトルだと思うけど」

「ええ、もちろん読んだことはありますわ。でもここ、ここを見てください」

「うーん………翻訳者?」

「そう。訳、ですわ」


 答えを教えられても依然、疑問が晴れない二人。


「その人がどうかしたの?」と、宇宙が訊いた。

「おっほん。えー、こういった海外小説には翻訳した人の名前が書いてあるのですが、同じ作品でも出版社が違うと翻訳者も変わるのです」

「ほうほう、それで?」

「翻訳者が違うと文章のニュアンスも変わったりするのです。つまり、訳によっては異なる解釈にもなったりするわけです!」

「な、なるほど……」


 力説する亜紀乃の勢いに少し驚く春也。今までにこんなにも元気な亜紀乃は見たことがなかった。いつかの日の約束を反故にしたこと申し訳なく思っていたために今日、本当に来て良かったとしみじみと感じていた。


「あ、こっちも! こっちにも私が欲しかったものですわ〜! 今日はついてますわね!」


 次々に小説を手に取る亜紀乃。数多の物語が彼女を誘惑する。

 幸せそうに物色する様子を見ていたその瞬間。

 亜紀乃の足取りが覚束なくなり体制を崩した。


「おっと」


 春也は倒れないように亜紀乃の肩を支えた。


「大丈夫か?」

「え、ええ。少しふらついただけですから」

「今日はもう帰ろうか?」

「いいえ! 私は大丈夫です! 困りすぎるくらいに元気ですから!」

「そ、そうか」

「さてさて、気を取り直して――」


 陳列された書物を手に取り見比べ、また別の物を手に取る…………この一連の流れを繰り返している様はとても体調不良の娘には見えない。


「本当に大丈夫なのかなー? いつもより元気過ぎてちょっと心配なんだけど」

「……………………」

「いやまあ、なんでもない時にああなることはあるけどさ」

「……………………」

「本人が平気って言ってるし、あんまり俺が気にし過ぎなだけかも――って宇宙、聞いてる?」

「んえぇっ!? あ、あぁっと……聞いてる聞いてる…………何の話だっけ?」

「ったく、お前までボーっとしないでくれよ。亜紀乃が元気過ぎて空回りしてないかって話だよ」

「そ、そうだね……。まあ、元気ないよりはいいんじゃない?」

「それもそうだな」


 そう言って春也は小説のコーナーから離れたあるコーナーの場所へと向かう。


「ちょっと春也、どこに行くの?」

「ん、ここ」

「えーっと、これって絵本?」

「そう、絵本」


 春也が示した場所は絵本などが置いてある児童書コーナーであった。


「なにか欲しい絵本があるの?」

「うーん、まあ……、ちょっとね」


 言葉を濁しながら何かを探す春也。

 そうして、棚の隅から一冊の絵本を取り出した。


「あったあった。これを探してたんだ」

「『魔法使いと時計塔』、これってあの時の……」

「そそ、実際に売られているのか気になってな。確認しに来たってワケ」


 そのまま手に取った絵本をパラパラとめくり、二人は内容を確認した。


「なるほど、確かにあの学校で読んだものと同じだね。でも何でこれを?」

「いや、この絵本の中にロドルフたちが言う協力して欲しいことのヒントくらいは載ってるかなって」

「うーん、まあちゃんと読んでみる価値はありそうだけど……どうだろう?」

「ん〜…………、よし」


 そうして絵本を閉じて、元あった場所に戻した。


「買わなくていいの?」と、宇宙が訊いた。

「いいよ、別に。読んだところで全部はわからないだろうし。それに、実際に会って話してみたいからな。この絵本の主人公と神様の女の子とやらに」

「………………」


 春也が隣から発せられる針を刺すような視線に気づき、そちらに目をやる。その視線の主はもちろん、守り神の宇宙であった。


「な、なんですか、宇宙さん?」

「ふーん……会ってみたいんだ、絵本に出てくる女の子に」

「そりゃまあ、どんな子なのか気になるし、どういう経緯でこっちに――」

「えっち」

「なんでだよ! 別に下心はねぇッつうの!」

「ほんとかなぁ?」

「本当に本当! マジ中のマジ!」

「……ま、そういうことにしてあげる」


 そっぽを向く宇宙。どうやら不満があるようだ。

 結局、春也と宇宙は何も買うことはなかった。

 不意に、レジの方を見ると亜紀乃が何冊か本を抱えて並んでいるところだった。


「亜紀乃は買うみたいだし、外で待ってようぜ」

「……」


 返事はない。まだ顔を合わせようとしない。


「……ったく、しゃーねーなあ」

「あっ……ちょっ」


 痺れを切らした春也は宇宙の手を取って店の外へと連れ出した。

 入り口の隣まで来ても二人の手は堅く、そして優しく繋がれたままであった。


「…………ずるいよ」


 宇宙が小声で洩らす。


「何が?」


 不安定な幸せの小さな不満の一端を聞き逃さない。


「そこは聞こえなかったフリをするものじゃない?」

「あいにく、耳はそれなりに良いからな」


 それを聞いてさらに下を向いた。


「春也はどうなりたい?」

「急だな」

「突然でごめん。でも気になるんだ、何かやりたいこととかなりたい目標とかある?」

「うーん、将来の夢もかそんな大層なものは考えたことないなあ。進学とか就職とかちゃんと考えたことなかったし。そういう宇宙はどうなの?」

「わたし? わたしは……」


 聞き返されることを想定していなかったのか、あからさまに動揺して深く考え込んだ。


「わたしはもっと、ちゃんと、春也を守れるようになりたい」


 真っ直ぐに春也の眼を見つめる。


「今までだって何度も守ってくれてたじゃん。改めて決意しなくても十分に助けてもらってるんだけど」

「春也がどう思ってるとか関係ないよ。これは私の自己満足、私が考える私の目標だから」

「確かに、おっしゃる通りですな。俺が口出しするようなことじゃないか」

「でも、そう思ってくれてるのは嬉しいよ。ありがとう」

「感謝してるのはこっちなんだけど……」


 そして、互いに気恥ずかしくなり目を合わせようとしない。互いの頬が紅潮していることさえ気づかなかった。

 しばらく無言の時間が続いた。

 気まずさや緊張感がある訳ではない、言葉がないだけの空間。それは深夜のように静寂で、快晴の草原のように穏やかであった。

 そうしている内に少女が二人に声をかけた。


「お待たせしましたわ!」


 買い物を終えた亜紀乃は満面の笑みであった。


「欲しいものは買えたか?」

「ええ! この通り、充分すぎるくらいですわ!」


 亜紀乃が二人に紙袋を見せる。その袋には何冊も本が入ってるのか、見ただけでその重量感が伝わってくる。


「あ、春くん。申し訳ないのですが、少し持っていてもらえませんか? 私は少々、お花を摘みに……」

「了解、ここで待ってるよ」

「ありがとうございます」


 ぺこりと、一礼して赤と青の看板がある方へと小走りで去って行った。

 春也が受け取った紙袋は見た目通りかなりの重量であった。


「いやー、いっぱい入ってるね、本」


 宇宙が春也の持っている紙袋に視線を落とす。


「ああ。今日はかなり買ったみたいだな。今までで一番重いかも」

「え、前にもこういうことあったの?」

「まあな。あいつとは小学生の頃からの仲だし、昔からしょっちゅう買い物に付き合わされたよ」

「ふうん……そうなんだ……」


 視線は落としたまま、どこか悲しいような寂しいような何とも言い難い暗い表情をしていた。


「どうかしたか?」

「ううん、何でもない」


 首を大きく振って否定した。


「そ、そうか」


 春也がそれ以上言及することはなかった。

 それでよかったのか、間違っていたのか。春也にはわからない。

 二人の間に再び沈黙が生まれてすぐのことだった。

 突然、覚えのある声が聞こえてきた。


「よう、春也。ソラちゃんも元気だったか?」


 そこには野球少年の水原秀一、もとい死神のシュウがいた。


「父さん⁉︎」

「シュウさん⁉︎」


 思わぬ再会に目を丸くして驚く二人。

 そんな二人を周囲は冷ややかに横目をやる。

 傍から見れば小学生を父さんと呼ぶ高校生がいるのだから怪しまれてしまうのは自然の流れである。


「こんなところで会うなんて事もあるもんだな」

「父さんこそどうしてここに?」

「ああ、今日は健太と一緒に来てるんだ。まあ、その健太は絶賛迷子中なのだがな」

「ええっ! 大丈夫なのか?」

「何とかなるだろ。それよりも、今日は二人でデートかい?」

「はあ? 別にそんなんじゃ––––」

「でででで、デートォ⁉︎ ちち、違いますよォ!」


 頬を赤らめた宇宙は首を大きく横に振っている。

 不思議そうに見る春也と何が嬉しいのか微笑むシュウ。


「それで、結局他に誰がいるんだい?」

「小学校の頃一緒に遊んでた亜紀乃だけど、父さん覚えてる?」


 シュウは両手を組み、記憶を探り始めた。

 思考はものの数秒で終わった。


「思い出したぞ。確か良いところのお嬢様だったよな? 今でも仲良くしてるのか、結構なことじゃないか」

「俺もまさか高校まで一緒だとは思わなかったよ。クラスも同じだし、何かと縁があるのかも」


 その時だった。話題の人物の声が聞こえた。


「お待たせしましわ、二人とも……あっ」

「ッ!」


 亜紀乃がつまずき、倒れそうになる。

 すかさず、春也が抱き留めた。


「大丈夫か?」

「え、ええ。大丈夫です、ありがとうございます……」


 明らかに様子がおかしかった。

 額ににじむ汗、どこか焦点が合わない視線。誰がどう見ても健康体とは思えない。

 見兼ねた宇宙が、


「全然大丈夫じゃないよ。今日はもう帰ろう?」

「そ、そうですわね……申し訳ございません……」

「その方が良いだろうな。春也、しっかり送ってやれよ?」

「わかってるって」


 近くで会話してるはずのシュウの存在を気にも留めないほどだった。


「歩けそう?」

「は、はい……」


 春也が肩を組んで歩き出そうとすると、


「うッ…………!」


 亜紀乃がえずいた様な声を洩すと、その場でうずくまってしまった。

 春也の生涯に渡って禍根を残す出来事がその瞬間に始まった。


「亜紀乃ッ⁉︎ だいじょ――」

「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 突如、奇声を上げた。

 それと同時に三人はある波動を感じ取った。

 宇宙とシュウにとってはよく知った、春也は最近になって自覚始めたものであった。


「これはッ、魔力の波動⁉︎ なんで亜紀乃ちゃんが⁉︎」

「徐々に強くなっている! 二人とも一旦離れるんだ!」


 シュウの一言で二、三歩ほど離れたその時、


「あァああああああああアアアアアアアアアアアア亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜!!!!!!」

「ぐあッ⁉︎」


 瞬間、発生した強い魔力波により立っていられなくなり、三人とも吹き飛ばされてしまった。

 春也たちは壁に叩きつけられ、その場に倒れ込んだ。

 強大な魔力に圧倒されて身動きが取れない。

 春也の脳裏ではつい最近の、あの学校での事がフラッシュバックした。しかし、あの時とは比べ物にならないほどに強い魔力に晒されていた。体が一ミリも動かないのである。

 周囲の壁には無数のひびが入り、今にも倒壊しそうになっている。柵のガラスは粉々に砕け、割れる音が次々に聞こえて来る。本屋の向かいのカフェでは店の奥で爆発が起き、その爆風を春也は肌で感じた。その爆発で飛来した火種によってが積まれた本が燃え上がった。炎は瞬く間に燃え広がり、至る所で火災警報器が鳴り響いている。


「また……なのか……ッ!」


 春也にとって嫌な記憶が蘇る。あの時の様に抗えないほどに強い魔力。マリーが行使していた重力魔法にも似た圧力。

 しかし、彼女の魔法とは比にならない程恐ろしいものであった。あの重力魔法は単純に身体にかかる負荷が増大した様なものに対して、亜紀乃から発せられているモノはまるで空間ごと押し潰しているかの様な破壊力を持っていた。

 ただの人間となったシュウはもちろん、守り神の宇宙でさえ身動きが取れない。

 圧倒的な力。絶対的な格差。

 普通の人間とは到底思えない存在感。

 神域へと至る解答の暴走は、収まる気配がまるでない。


「あぁああああぁぁ……は、春くん……逃げて……」

「馬鹿野郎! 絶対助けるからそこでおとなしく待ってろ!」


 そうは言ったものの、身体を自由に動かせるわけではない。


「くそッ! なんでこんな大事な時に限って魔法が使えないんだ!」


 自在に能力を使えない自分に怒りを覚える。

 以前の覚醒が偶然だったのか、春也もまた自身の力を御しきれていない。


「ッ! よし、手足が動くぞ……!」


 その空間に慣れてきたのか、徐々に手足を動かせる程度にはなってきた。

 ゆっくりと体を起こし、立膝になった頃、宇宙の叫ぶ声が春也の耳に反響した。


「春也、危ないッ!」


 それを聞いた春也が声の主とは反対側を見上げた。

 コンクリートの壁が崩れかかっていたのだ。

 大きくひびが入り、小さなかけらは散乱している。

 今にも崩れそうな不安定な状態であった。


「春也……ッ! 早く壁から離れるんだ!」

「わかってるよ! 動け! 動いてくれッ!」

「僕の魔力がなくなっていなければ……ッ!」


 状況は絶望的だった。


「春也、早くこっちに……!」


 そう言って宇宙は手を伸ばすが当然、届かない。

 二人の間は三メートル程開いていたのだ。届くはずがなかった。

 そうして春也も宇宙へと手を伸ばし始めた時、誰もが予期していた事が起こった。

 斜めに入った大きなひびにより、その重量を支えきれなくなって壁は崩壊した。

 大きな瓦礫となって襲って来るそれを春也は、ただ眺めるしか出来なかった。

 そこにいた誰しもが傍観者だった。

 …………ただ一人を除いて。


「春也ァアアアアアアア!」


 宇宙の嘆きと同時に躍動する影一つ。

 瞬間、何かに押し出され、瓦礫の下敷きになることはなかった。

 状況を飲み込めず、周囲を見渡す春也。

 宇宙、シュウと共にすこしたりとも移動していない。

 では何が、誰が春也を助けたのか、その答えは瓦礫の下にあった。


「亜紀乃ッ⁉︎ なんで、どうして⁉︎」


 瓦礫の下に亜紀乃がいるのだ。

 春也の突き飛ばし、自分が代わりに埋もれてしまった。

 かろうじて首から上が隙間から出ている状態だった。


「お怪我はありませんか? 春くん……」

「俺のことはどうだっていい! それより、早くこいつをどかさないと……!」


 亜紀乃に被さる瓦礫を動かそうとしても人間の力ではどうにもならない。


「春也、どいて!」


 身体の自由を取り戻した宇宙が駆け寄り、瓦礫を退かす、退かす、退かす。

 そうして、総重量数十キロもしくは百キロはあったか、瓦礫に埋もれていたその姿を見せた。

 その姿を見て、一同は絶句する。

 両足は複雑に折れ曲がり、脇腹が抉られ溢れた内臓に大量出血。誰がどう見ても助からないと判断するであろう状態。

 あと数分数秒の命。宇宙にはかける言葉が見つからなかった。

 しかし、春也だけは懸命に声をかけ続けた。内心では助からないと考えつつも決して諦めることはなかった。


「大丈夫だ亜紀乃! 俺が絶対に助ける! 気を確かに持つんだ!」

「ごめん、なさい……春くんを危険な目に合わせてしまって……」

「亜紀乃のせいじゃない! それに謝るのは俺の方だ! 俺なんかを庇ったせいでこんな……!」


 止まらない出血。焦点の合わない視線。肩で息を切っていた。

 そんな亜紀乃がそっと春也の頬に手を伸ばした。


「ありがとうございました……あなたのおかげで、とても……楽しかったですわ……」

「そんな、やめてくれ! まだ……まだ早い!」

「最期に春くんと居れて……わたくしは幸せ者ですわ……あまり、宇宙さんを困らせていはダメですよ……?」

「もうわかったから、お願いだからもう喋らないでくれ……」


 息は浅くなり、体のどこにも力が入っていない。

 そうしてゆっくり、ゆっくりと彼女は目蓋を閉じた。


「さようなら……わた……の……きな人……」

「あ……亜紀乃ォオオオオオオオ!」


 享年十七。あまりにも早すぎる幕切れだった。


「くそがッ! 俺がちゃんと力を使いこなせてればこんなことには……ッ!」


 何度も床を殴り、弱さを嘆く。


「ごめんねぇ……私が力不足で……うぅううう……」


 宇宙はその場で泣き崩れていた。

 虚ろな空気の中、三人に近づく人物がいた。


「レンッ⁉︎」


 いち早く気づいた春也が驚いてその名を呼んだ。

 喫茶店を営む大男の死神だった。死神の礼装なのか、その体躯を覆う黒衣を纏っていた。


「春也くんにソラさん、お久しぶりですね。あまりいい再会とは言えない状況ですけど」


 レンは二人に対して憐れむような悲しむような表情であった。そのあと、シュウに向き直って、


「あなたこそ、本当にお久しぶりです。シュウさん、随分とまあ小さくなりましたがお元気そうでなによりです」

「レン? あぁレンか! 君とまたこうやって会話する機会なんてないものだとばかり考えていたから驚きだよ。……でもどうやって僕が元死神のシュウだってわかったんだい?」

「趣味ではないのですが、とある事情で少々盗み聞きをしてまして、会話の内容から判断しました」


 そう言うレンはまだ温もりを残した亜紀乃の遺体に近寄る。


「その事情って……?」


 春也が疑問に思い、ふいに小さく口から溢れる。そして、今までにしたレンとの会話を思い出す。会話といえども以前、喫茶店に来訪した際にした時が唯一であり、その時のことを思い浮かべるのみである。

 クレープを食べた宇宙の顔、コクの深いコーヒー、そして死神の仕事。

 そこまで記憶が蘇ったところで、あるひとつの結論へと至った。


「回収、しに来たのか? 亜紀乃の魂を」


 すると、レンは真顔で、真面目に答える。


「ご明察。その通りでございます」


 言われて春也は、はっとする。


「ち、ちょっと待ってくれよ! いきなりそんな、え、でもどうして……」

「お気持ちはわかりますが、これは仕事ですので」


 自らの推察が合っていたが、動揺は隠しきれない。

 困惑する春也とは裏腹に淡々と準備を進めていく。

 まずレンは、掌を上へ向け、次第に光り始めると、その光が収束してひとつの形を成していく。

 それは、かなり短めの小杖の様なものだった。小杖といっても、お伽噺に出てくる魔女が持っている様なものでもなく、魔法を使う少女が持っていそうなステッキでもない。飾り気のない黒い棒の先端には、鳥籠のような格子状の箱が付いている、何とも歪な杖だった。

 その杖を両手に持つと、一言一句、はっきりとした口調で呪文を唱え出した。


「《荘厳なる魂よ・古の贖罪を以て・無垢なる海の元・円環の理へと回帰せよ》」


 レンが唱え終えると、一瞬の静寂の後、亜紀乃の体から一つの光の玉が浮かび上がってきた。

 それは淡い、淡い光だった。風が吹けば消えてしまいそうな、しかし芯のある輝き。

 その不思議な事象に春也はただ、大きく口を開け、呆然と眺めるしか出来なかった。

 亜紀乃から離れた魂はやがて、空中を漂うように動きながら、レンの持つ杖の先端に収まった。


「あ、亜紀乃を連れて行かないでくれ!」


 ようやく出た春也の一声にレンは、申し訳なさそうに応える。


「……春也くん、これが彼女の運命だったのですよ。君のせいでも、彼女のせいでもありません。この世に生を受けてから決まっていた必然なのです。人間には運命を変えることはおろか、抗うことすらできません。それがこの世界の仕組みなのです」

「わからねぇよ! だからってこんなこと……宇宙だって、何とも思わねぇのかよ⁉︎」

「わたしだって悲しいよ? でも、これが亜紀乃ちゃんの運命だったのなら、どうしようもないんだよ……」

「……ッ!」


 目を紅く腫らした宇宙がそう答える。その表情を見ると、春也は何も言えなくなってしまった。


「シュウさんも、こんな形でなければ会話に花を咲かせることもあったのでしょうが、残念です」

「今は間が悪いな。早く帰った方がいいだろう」


 そういったシュウは春也の方を見やる。春也はまだ気持ちの整理がついておらず、俯いて黙っていた。


「そのようですね。ではこれにて――」


「勝手に帰ってもらっちゃ困っちゃうよ」


 その声は唐突で、誰もが予想だにしていない響きに誰もが仰天する。その事実は衝撃となって全員の脳天に直撃した。

 そして、またしても第一声を発したのは春也だった。


「愛衣⁉︎ どうしてここに⁉︎」


 その少女は、意味深な笑みで四人を見下ろしていた。春也の知る笹宮愛衣は空を飛ぶ魔法を使わないし、黒衣は纏わない。人を見下す様な表情などしたことがなかった。

 そして極め付けは––––


「久しぶりだね。いや、はじめましてかな? "春也"」


 そこには春也の知る、可憐で、愛らしく、天真爛漫ないとこの笹宮愛衣の影はなかった。


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