第二十五話 「死んだ死神Ⅰ」
太陽は煌き、のどかな風邪が吹く。遥か上空を漂う白い雲は時折光を遮る。
そんな快晴の空のもと、僕は病院に向かっていた。
「ほんと、いい天気だな……」
気温は差して高くはないが、ビルの窓に陽の光が反射して眩しいことこの上ない。
「そろそろ、あの娘が着いた頃だろうか」
腕時計を確認すると、十五時半を差していた。
そうしてまた目を前に戻すと、ビル群の一角から甘い良い香りを漂わせたお店に目が止まった。その甘い香りに誘われて、ショーケースに並ぶお菓子を見定めていた。
「おやおや、こんな時間にスーツのお客さんなんて誰かと思いきやシュウさんじゃあないですか」
突然、歳老いた女性が声をかけてきた。どうやら店員のようだ。
「どうもこんにちは。僕を知って頂けて光栄です」
「なにをおっしゃるんですか! 皆、あんたのファンなんですから」
「いやあ、嬉しい限りですよ」
僕は何だか照れ臭くて頭を掻いた。こうやって直接言われるのはなかなか慣れないものである。
「ところでシュウさん、今日はもうお仕事の方は?」
「ええ、珍しく早く上がらせてもらいました」
「それは良かったですねえ。じゃあ、これなんてどうです? 甘さも控えてで食べやすくて良いですよ」
そう言って店員はショーケースに並んでいる焼き菓子の一つを指差した。
「美味しそうですね」
「これならきっと奥さんも娘さんも気に入りますよ」
「……よくご存知で」
「ええ、ファンですから」
「それじゃ、これの六個入りを一つお願いします」
「お買い上げありがとうございます」
僕は代金を渡し、焼き菓子の入った紙袋を受け取った。
「ありがとうございました」
「またの御来店をお待ちしております。それと次の選挙、応援してますよ」
僕は最後に一礼してその菓子屋を後にした。
それから、紙袋を下げて再び病院へ向かう。妻が入院している病院へ。
「二人とも、喜んでくれるだろうか」
妻も娘もお菓子が好きで、妻がまだ元気な頃はよく休日に二人してお菓子作りに熱中していた。
二人は僕の美味しいの一言を聞くと満面の笑みを浮かべていたものだ。あの娘は妻に似てよく出来た良い子だ。家族三人が揃うのはいつぶりだろうか。妻が体調を崩してからは会って話す機会も中々取れないでいる。僕にとって今日は非常に楽しみなのだ。
すると、スーツのポケットに入れておいたケータイから小刻みの振動が伝わった。誰かからの着信である。相手の名は表示されていない。知らないアドレスからの電話だ。
まあ、大方予想はつくが。
「もしもし、シュウです」
『あっ! シュウさーん? ボクですよ、ボク!』
スピーカーから予想通りの声が聞こえて安心したのか呆れたのか、息がひとつ溢れる。
「元気そう何よりだよ、ユウ」
『いやぁ〜、ボクはいつも通り元気の塊ですよ! それよりシュウさんの方が心配ですよ。そろそろ選挙活動が本格化してきますよね? 体調でも崩したら大変ですから』
守り神のユウ。年齢は僕より百年近く下だが、昔からなにかと縁があり種族の垣根を越えてまるで兄弟のように仲が良いと思っている。
この世界に存在する者は全て死神と守り神の二つに大別される。僕は死神、ユウは守り神に当たる種族である。二つの種族はそれぞれ政府機関とそれを統率する一人の代表者によって統治されている。
「今の時期、絶対に休めないのは確かだからな」
『あれれ〜? その割には平日の夕方前に電話に出てるのはどうしてですか〜?』
「そんな時間に電話を掛けてきたのはどこの守り神なんですかね」
『いやぁ〜、なんとなく今日は電話に出る気がしたんですよねぇ』
「はいはい、そうですか」
『反応が冷たい!』
なんとなくで電話を掛けてきたユウに適当な返事で受け流す。
「それよりユウ、お前自分のケータイはどうした? てか何処から掛けてるんだ?」
『お恥ずかしながら、ボクのケータイ故障してしまいまして、仕事場の固定電話から掛けてるんですよ』
「お前仕事中かよ……」
『いいじゃないですか! 小休止だって必要不可欠ですよ!』
さらに呆れて電話を切ってやろうかと考える自分がいる。
「いつも言ってるが、別に電話で話す必要があるのか? 僕らの魔力量ならどこにいても魔法で脳内に話しかけることが出来るだろ」
自分で言うのも恥ずかしいが、僕ら二人は両種族の中でも特に魔力量と魔法のセンスに長けている。大抵の魔法は駆使でき、それも高クオリティかつ長時間の維持が可能である。
『やだなぁ〜、シュウさん。風情ですよ風情。この電子機器を通した声が良いんですよ!』
「その感性にはついていけないよ……」
『だって偉い人たちと連絡を取る時って大体、念波使うんですよ? たまにはこうやって科学を感じていたんですよ」
「そういうものかね」
『そういうもんです。てか、仕事仲間が魔力量に関してもエリート過ぎるんですよ!』
「仕方ないだろ、政府に属する守り神なんて魔力もエリートなのは当たり前でしょ。それが国民の上に立つ者としての仕事ですよ、守り神代表のユウさん」
ユウは守り神の長である。国民から多くの支持を受けて頂点の座に君臨する守り神界最強の男である。
『まあ、確かそうですけど……でも、他人に聞かれても問題ない会話くらいは魔法じゃなくて電話使っても良いと思うんですよねぇ』
「そういえばユウは昔から念波での会話、嫌いだったよな」
『そうなんですよ、嫌いなんですよね、あれ。なんか話しかけられている感覚がどうも好きになれなくて』
「嫌なこともやらなきゃいけないのが代表としての務めだろ? あんまり贅沢は言うなよ」
『そりゃボクだって仕事はちゃんとしてますよ。きちんとこなした上でこうして愚痴ってるんです。だいたい、ボクのことより今はシュウさんの番じゃないですか。次の選挙、是非勝ち取って下さいね』
「そうだな、今度は僕の番だ。絶対、死神の代表になってみせるさ」
『その意気ですよ、応援してます。まあボクは守り神なんで直接票を入れることは出来ないんですけどね」
今日はよく応援される日だな。
死神の世界で次に行われる選挙は種の代表を決める国民投票。シュウはそれに出馬する予定なのである。
「気持ちだけでも嬉しいよ。じゃあ、もう病院に着いたから」
長々と会話してる内に妻が入院している病院が見えてきた。
『あ、やっぱり病院に行く途中だったんですか? そうなんじゃないかなーって思ってましたよ。奥さんと娘さんにもよろしく言っておいて下さい。守り神最強の男、ユウが応援してるから安心して下さいーって』
「あほかお前は。そんなもんで当選できるなら苦労はない」
『アハハッ、それだけ言う余裕があるなら大丈夫そうですね。ボクら兄妹ともどもシュウさんが当選するのを願ってますよ』
こうして、身近に心から応援してくれるだけでやる気が湧き出るような気がする。家族、町の人々、そして守り神からも背中を押されているのはありがたいこと、幸せなことである。
「今日はありがとうな。じゃあ、もう電話切るぞ」
『それじゃまた会いましょう』
「ああ、またな––––」
ドゴーン!
急に聞こえた爆裂音。何かが盛大に爆発したのである。何か爆発したのか、それはシュウの両眼にしっかりと映し出されていた。
『な、なんですか、今の音は⁉︎』
電話越しにも音は正確に伝わった。伝わるからこそユウは不安に駆られる。
「そ、そんな嘘だ……ウソだ!」
爆発はシュウのすぐ近くで起こった。そう、すぐ近くの病院で起こったのだ。
『何が起きたんですか⁉︎ シュウさんは大丈夫ですか!』
「病院だ……病院が爆破した!」
『え⁉︎ 病院ってまさか!』
「くそっ!」
『ちょ、シュウさん–––』
僕は電話を切り、病院へ駆け出した。誰よりも速く、駆けつけた。そして、病院では悲惨な光景が眼下に広がっていた。
周囲には飛散した瓦礫、病室の備品とおぼしき物の破片が散らばっている。純白の壁はボロボロになり今にも崩れそうなほどの状態を保っている。
僕はその光景を見て血の気が引いた。記憶が正しければ、爆心地と思われる場所の近くに妻の病室があったはずだ。
居てもたってもいられなかった。無意識でその病室へ足が動き出す。
「あんたダメだよ! 危険すぎる!」
僕の行く手を警備の老人が阻む。
止まる気のないシュウを全力で引き留める。
「早く行かなきゃ! 妻と子供がいるんです! 早く助けないと!」
「何言ってんだ! 見てわからんのかい⁉︎ 今にも崩れそうなんだ、救助隊が来るまで我慢してくれ!」
「僕の魔法があれば瓦礫なんて全部吹き飛ばせる! だから行かせてくれ!」
「それほど魔法に自信があるなら、そんな精神状態じゃ正確に魔法を使えないことくらい分かるじゃろ!」
「離してくれ!」
「絶対に離さん!」
警備員と奮闘している内に特殊な車両が何台も到着した。救助隊だ。
救助隊は到着すると、一斉に病院へ突入していった。そしてそのうちの一人がシュウに近づいて来る。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「僕のことはいい! 病院いは妻と娘がッ!」
「奥さんと娘さんは私たちが救助します。ですのであなたは安全な場所に避難してください。私たちプロに任せてください。生存者は必ず助け出しますから」
「早く助けなきゃ!」
周囲の声はシュウに届いてはいなかった。どんなに説得されようと自分で行こうとして振り解こうとしている。
「……こうなったらやむを終えません。失礼しますよ! ––––はぁッ!」
「ぐぁッ!」
救助隊員が右手に力を込めて魔法を発動させた。相手に振動の衝撃を与える極めて単純な魔法だ。無防備なシュウに対して外れることはなく、気絶させるには十分な効力を持っていた。
「よかったんですか? こんな無理やりで」
「少し気絶してるだけなので大丈夫ですよ。むしろ崩落の可能性のある現場を荒らされる方がよっぽど困ります。まあ、手を出した罰はくだされるでしょうけどね」
僕の意識が遠のく中、二人のそんな話し声が薄らと聞こえた。
早く、助けに行かなきゃいけないのに、僕の身体は言うことを聞かない。思うように動かせない。
くそッ、僕は愛する家族を助けに行くことすらできないのか。
愛する二人を想うと悔しくて仕方がない。しかし、現実は無情にも三人を引き離す。
徐々に最愛の家族が霞んでいく。手も声も届かない暗い闇に飲み込まれていく。
そうして二人の笑顔を思い出したのを最後に、僕の意識は完全に閉ざされてしまった。