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第二十四話 「緋色の想い」

 マリーに会ってから二週間が経ったある日、春也のケータイに一通のメールが届いた。

 その件の主は、二週間前に出会ったとある野球少年であった。


「ねえ、もう試合始まってるんじゃない?」

「十三時からって言ってたから、一回の表は間に合わないかも」


 雲ひとつない快晴の元、宇宙と春也は河の土手道を急いでいた。

 春也が腕時計を確認すると、針は十三時を示していた。


「えぇ〜、後攻だったら損しちゃうじゃん!」

「いやー、今日に限って朝からお腹下すとは思わないじゃん? トイレットペーパー足りなくなるとは思わないじゃん? どうしようもないじゃん……」

「これは普段の行いが良くないですっていう神様からの有難いお達しだよ」

「はいはい、守り神様ありがとうございましたー」


 春也は感情がこもっていないような声でテキトーに返事をした。


「そういう態度だからバチが当たるんだよ!」


 無駄に駄弁りながら急ぎ足で向かっていると、ようやく目的の野球場が見えて来た。

 土手に隣接したグラウンドからは少年たちの活気に溢れた声が響き渡る。

 宇宙と春也は鉄柵越しに選手達を眺めることにした。


「お、やってるやってる!」

「健太くんはどこ?」

「ほら、あそこ。ちょうど投げるみたい」


 春也の目線の先には、凛々しくピッチャーマウンドに立つ少年が投球の機をうかがっていた。突き刺す様な眼力は真剣そのもの。

 健太はキャッチャーのサインに頷き、大きく振りかぶった。


 スパァン!


 健太の投げた球はど真ん中を切り裂いてミットに吸い込まれていった。


「これで三振、1アウトだな」

「すごい! 完璧だったね!」


 春也たちが到着したのは一回の裏、健太の所属するチームが守備にまわっていた。現在、健太のチームが一点のリード。このまま守り切れば試合が有利に進む。

 そして、次に出てきたバッターも同じく三振で二つ目のアウトを奪った。


「あの時は自分よりちょっと上手く投げれる子が現れて自信がなくなってたんだと思う。でも、それももう克服したみたいだな」

「その上手な子って誰?」

「うーん、名前は聞いたんだけど、顔はわわからないなあ。水原秀一って言うらしいんだけど」

「それじゃあ誰かわかんないね」


 春也はベンチの方へを見てみるも、ユニフォームに名前が書いてあるわけでもないため、見ただけでは個人を特定することはできない。

 その後、健太の投球により三者凡退になり、健太たちに攻撃権が移動した。

 攻守交代後、一人目のバッターが位置に着くためにバッターボックスへと向かう。

 その時ベンチから、「秀一、いっけー!」「かっ飛ばせー!」などの声援が聞こえる。その中には健太の姿もあった。


「どうやらあの子が水原秀一くんみたいだな」

「そう、みたいだね」

「どうかした?」

「うん、なんかあの子だけ特に真剣な顔つきだから凄みがあるなぁって」

「確かに」


 バットを構える姿は鬼神のごとく静かな圧力を身にまとっていた。その眼差しは鋭く、けれど希薄で冷静に投手を見据えていた。

 そして、投手から球が放たれた。球種はストレート。健太と比べても勝るとも劣らない、良い球だ。

 次の瞬間、その球がキャッチャーミットに収まることなく、大空へと飛んでいった。

 金網がなければ場外まで飛んでいたかもしれない。その球を守備が拾った時にはもう二塁にまで進んでいた。

 ベンチは歓喜に包まれ、選手たちの士気が上がっていくのが感じ取れた。

 その後も健太たちのチームがリードを続け、最終的には4対0で試合は終了した。

 試合も終わり、片付けに入り始めた。その中で一人、春也たちに気付き近寄ってくる少年がいた。


「二人とも、見に来てくれてありがとな!」

「無失点なんて凄い活躍だったじゃないか!」

「わたしは野球を観るの初めてだったけど、真剣さは凄い伝わったよ! おめでとう!」

「へへっ、ありがとな。でも次はもっと活躍するぜ! その次も、もっとその次も大活躍してやるんだ!」


 少し照れ臭そうに笑い、やる気に満ち溢れて未来を見据える。もう二度と腐ることはないだろう。


「––っと、片付けしないと怒られるや。じゃーなー!」


 大きく手を振りながらチームメイトのもとへと駆け寄った。

 春也は大きく息を吸い込んだ。


「さて、買い物でも行きながら帰るか」

「うん」




 春也たちは夕飯の買い出しのために近くのスーパーに寄った。

 野菜やら肉やらがいっぱいに詰まっている袋を両手で持つ春也。

 宇宙は隣でのんきに棒アイスを食べていた。


「なあ、宇宙。それ何本めだよ?」

「うーんと、三本目かな」

「食べ過ぎじゃない? 太っても知らないぞ」

「心配ご無用でーす。わたし太らない体質なんでー」

「さいですか」


 重い荷物を運び、春也の額には薄く汗が浮かんでいた。疲れた春也とは対照的に、アイスを嬉しそうに舐める姿からは自然と笑みが溢れる。


「だーッ! 疲れた、休憩する!」


 暑さと荷物の重さに嫌気が差したのか、春也は近くの公園に入っていった。特別広くもない、滑り台とブランコと砂場があるだけの小さな公園だ。


「アイス食べる?」

「一本だけもらうわ」

「それならねー、このみかん味のやつがオススメだよ」


 二人は公園のベンチに腰掛け、冷えたアイスを食べる。買い物袋にはドライアイスが入っているため大量に買ったアイスはどれ一つとして溶けていない。

 周辺の木々と生垣により影ができ、アイスを食べているのも相まってより涼しく過ごしやすい場所となっていた。


「あー、アイスが美味しい……」


 春也は背もたれに体重をかけて青い空を仰ぎ見る。夏の海に白い雲が泳いでいた。遠くでは大きな入道雲が山のようにそびえる。セミの鳴き声が耳にこだました。


「ねえ、春也! あの雲、クレープみたいじゃない?」


 宇宙が指差す方向にはクレープに似た扇状の雲が浮かんでいた。


「たしかになー、今の時期ならアイスクリームが入ったやつとか美味しいだろうなぁ……」

「それいいね! 食べたい!」

「本当に食いしん坊だなぁ。太るぞー?」

「絶対太らないから大丈夫ですー」


 仲夏の炎天下、会話の一つひとつに気怠さを残すばかり。

 春也はアイスを食べ終え、大空に大きく吐息した。

 汗も引いてきた頃、二人に近づいて来る人影がひとつ。


「ちょっと、いいかい?」


 それは小学生位の少年だった。どこか見覚えのある少年でもあった。


「えーっと、キミはたしか……」

「あっ! 水原秀一くん、だよね? こんな所でどうしたの?」


 宇宙に名前を言われ、少年は少し微笑んだ。


「そうだね、僕は君たち二人に用があって来たんだ」

「俺たちに……?」


 少年は優しい目をしていた。試合の時とはまるで別人のように柔らかな表情だった。

 そしてその口からは溜めに溜めた想いが少しずつ紡がれていく。


「大きくなったな、春也。ソラちゃんも今まで頑張ってくれて本当に感謝している。ありがとう」


 春也には意味がわからなかった。目の前の少年は確かに今日、初めて会った。最初は見た目にそぐわぬ口調に違和感を覚えたが今はそれよりも驚くべき事ばかりである。

 そんな怪訝そうな顔の隣では、今にも泣き出しそうに瞳を潤している守り神がいた。


「もしかして、……シュウさん?」

「そうだよ。二人とも元気そうで何よりだ」


 その言葉に春也は驚きを隠せない。


「と、父さん……?」


 唖然として言葉も出なかった男が短いながらも捻り出した台詞。それは、いくつもの想いが込められた一言。


「ただいま、春也」


 それは、最高の愛が込められた至上の一言。

 そのたった数文字を聴いただけで身体の奥底から無限に湧き出て来る様々な感情が混ざり合う。行き場を見失い出口を求めて彷徨っているが一向に開く兆しは見えない。


「お、お久しぶりです……シュウさんこそ、お元気そうで何より、です」

「おいおい、泣かないでくれよ。こうしてまた会えたんだからさ」

「だっで、ずっと心配で心配で……!」

「そっかそっか……ほら、これで鼻をおかみ」


 宇宙は手渡されたティッシュでズビーっと勢いよく鼻をかんだ。


「でも、本当に頑張ってくれたよ。よくここまで春也を守ってくれた。感謝しきれないよ」


 その一言で宇宙はまた涙を浮かべた。


「本当に、父さんなんだよな?」


 未だ理解が追いつかない春也は恐る恐る確かめる。


「確かに、こんな姿じゃ混乱するのも無理はないな。何より、僕は八年前に死んだわけだし」

「そうだよ、死んだと思ってた父親がいきなり子供になってるとか訳がわからないよ!」

「まあ、その辺りの話はしないといけないよな」


 そう言ってシュウはベンチに腰掛けた。


「さて、ゆっくりと語ろうか。僕がまだ死神だった頃の話。そして、なぜこんな子供になってしまったのか、その全てを……」


 その小さな身体から少しずつ、春也の存在そのものの根幹に関わる話が紡ぎ始めた。


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