音が織る籠
スタジオにやって来たJINの彼女は、どこかやつれた感じがした。元々、JINとはかなり身長差のある小柄な子だったが、一回りしぼんだように見えた。
とりあえず事情説明、と、RYOがミーティングスペースに連れて行った。
オレたちは、引き続き作業をしていたが、
「アカン、気になってしゃあない」
YUKIがキレて、ミーティングスペースに乱入した。それにオレとMASAも便乗した。RYOは、少し咎めるような視線を眼鏡の向こうから投げたけど、そのままオレたちの同席を許した。
「JINから、連絡あったん?」
ざっくり問いかけるYUKIに彼女は緩く頭を振った。
「何にも無いです。私には。書き置きすら無くって」
「アイツ、何をやってんだ。同棲している彼女に書き置きもしないって」
オレのつぶやきに、彼女が小さく身じろぎをした。オレはRYOに睨まれた。
「何もって、本当に何も?」
オレを睨んでおいて、それは追い討ちだろうがよ。
黙らされたオレは、心の中でRYOに文句を言う。
「はい。Hush-a-byeのCDが一枚なくなっていただけで、何一つ部屋は変わってなくって」
彼女は表情も変えずにそう言った。ように見えた。RYOの顔を見るまでは。
RYOは、痛々しげに彼女を見ていた。
彼女はJINの指輪をはめた左手を右手で握り締めるようにしていた。それだけが彼女とJINとを繋ぐ心もとない糸のように、指が白くなるほど力をこめていた。
これ以上は酷と思ったのか、RYOが話を切るようにMASAに進捗状況を尋ねた。
その切り替わった話題に、彼女がほっと息をついたのがオレにも判った。そして彼女は『お邪魔しました』の言葉を残して帰っていった。
「両片思いってやつかね」
彼女が出て行って、ドアが閉まるのを見送ったRYOは眼鏡を外して、両手で顔を覆いながら言った。そのまま、目頭をもんでいる。
「同棲までして、片思いはないやろ」
「俺はJINの”同棲”に、そもそも違和感があるんだよ。アイツらしくねぇし、彼女にもそぐわない、気がする。片思い同士の”同居”だろうよ。以前から、二人ともが”同棲相手”って表現に、微妙な顔をしていたし。大体、JINが仮初めにも情を交わした相手に黙っていなくなるような奴かよ」
はぁ? コラ待て、RYO。何を言い出す。
「”Hush-a-bye”から、何年たつねん」
同じことを考えたらしいYUKIが頭を抱える。
「四年、だな」
アルバムと同じ年に、長女が生まれたMASAが冷静に言う。
「四年片思い? そのうち三年は一緒に住んで?」
ありえねぇ。同じ男として、ありえねぇだろうが。JINよ。
「彼女は唯一、アイツにまっすぐ『JINの声が好き』って、言った子だったんだとよ。いつだったか、JINがそう言っていた。だから、大事に大事にしてた。そしてJINの片思いだから、彼女の好きな声が出なくなったことを言えずに、黙っていなくなったんだろう」
RYOはどこか疲れた顔で言った。
オレたちはJINの声に惹かれて、ここまで来た。
なのに誰一人、最初にJINの”声”を見つけたRYOでさえ、あいつに『声が好き』と言ったことはなかった。
「と、なるとな。アイツ、彼女のところに戻るつもりはあるのかな」
そういったのはMASAだった。
「俺自身、”Hush-a-bye”と娘とが重なるからからそう思うのかもしれないが、アイツにとってあのアルバムは彼女自身じゃないのか」
「それを持ってった、ってことは思い切るつもりやろか」
MASAの言葉に、YUKIが言葉を繋ぐ。
JIN。お前、どんな思考回路をしているんだよ。
目の前に居ない奴に、一発お見舞いしたくなる。だが、待て。
「彼女の方も、片思いか? アクションも起こさず?」
「多分、だけどな。完全に、オレの推測だけどよ。彼女は、”JINの声”を愛するあまりに、アイツ自身に惹かれていることを隠したんじゃねぇかな。女として求めないJINに、妹扱いでもいいから一番そばに居たいってな」
「妹、か。いくつ年下やった?」
「七歳だったかな。確か」
YUKIの疑問に、答える。
俺の彼女の二つ下だから、今年三十歳になるはず。
「RYOの説が本当なら、なんていうか……。むごいな」
俺の言葉に、全員が黙り込んでしまった。
二十代後半の四年間を妹扱いに甘んじて、JINと過ごした彼女。あの小柄な体のどこに、それだけの気力を秘めていたのだろう。
「RYOはなんで、そう思うん?」
YUKIの問いに、RYOは左手を広げて自分の目の前にかざしながら言った。
「彼女な、今日は能面みたいだったんだよ。それに、話している間ずっと指輪を握り締めていた。あの指輪は、”虫除け”以上の意味は無いと俺は思う。約束を伴う指輪だったら、それなりに互いの好みが入るもんだろ。お前たちも、そうじゃなかったか?」
少なくとも、俺は”山岸 亮”として渡したぞ。そう言いながら、自分の結婚指輪を指し示すRYOに、YUKIとMASAがそれぞれ自分の左手を見つめる。
独身のオレでも、そう思う。彼女の好みを聞くし、SAKUとして渡したりもしない。
「あの指輪は”織音籠のJIN”の存在だけを主張している。それでも彼女にとっては、あれは”今田 仁”自身なのだろうな。それに縋らずに居られないほど」
それに、と、RYOは言葉を続けた。
「JINの居場所を彼女、聞かなかったんだ。帰ってこねぇかもしれないJINを、それでも待つしかできねぇんだろうな」
なんて、不器用な二人だ。なんて、罪作りな声だ。
依頼された曲の締め切りが迫る中、RYOは入院前までにレコーディングしてあったJINの歌で一応の完成とすることに決めた。オレたちにはわからない理由で自分の歌に納得のいかないJINが、リテイクを繰り返していた状態だったので、出来としては悪くないものになったと思う。JINにはRYOが手紙で了承をとったらしい。
そして六月に入ったある夜、RYOが電話してきた。
〔JINの声が出るようになった〕
と。
RYOの声は、泣いているようだった
〔おい、大丈夫か、RYO?〕
〔あの声じゃねぇんだよ。嗄れているんだ〕
心のどこかで予想はしていた。それでも現実になると、言葉にならないほどショックだった。
〔歌え、そうか?〕
やっとの思いで訊いた声は、咽喉に張り付くようだった。
〔本人は『歌う』って言っている。彼女が待っているからって〕
〔彼女のところに、帰る気になってるのか?〕
〔『許してくれたから戻る』らしい〕
〔そうか。で、お前はどう思う?〕
〔モノになるかどうかはともかく、機能的に問題がなければ歌わせないと、アイツが壊れる〕
心中覚悟で、俺は付き合うよ。SAKUも、どうするか考えておいてくれ。そう言って電話が切れた。
七月に入って、JINが退院してきた。
声は、いわゆるハスキーボイスになっていた。
「ごめん、みんな。こんな声になったけど、もう一度歌わせてもらっていいか?」
帰ってきたJINはそう言って頭を下げた。
「それ以前に。黙っていなくなるな」
MASAは、そっちを咎めた。JINは、でかい体を縮めるように更に頭を下げた。
「で、歌えそうなん?」
「いまはまだ、少しずつ。ボイストレーニングをきちんと受けて、再発させないように気をつけないといけないけど」
「じゃぁ、しばらくは休止?」
それだけどな、と、RYOが話を引き取った。
「あの、ブライダルCMの曲な。JINが納得いっていないだろ? その声で録り直す気、あるか」
「いいのか?」
「まだ、かろうじて間に合う、といえば間に合う。ただ、ムリはするんじゃねぇぞ」
JINはボイストレーナーや主治医と相談しながら、録り直しを選んだ。
「この曲な、プロポーズのつもりで作っててな」
珍しくJINがそんな話をしたのは、改めてレコーディングに入る直前。セッティングをしながら、だった。
「お前ね、プロポーズは付き合うてから。片思いのやつが何言うとん」
「あ、ばれてた?」
「RYOの目はごまかせへんって」
JINとじゃれあうYUKIに、見ているオレやMASAがほっとする。YUKIは、自分がしんどかった時にJINに救われた意識が強くって、『オレはJINに、なんにもしてやれへん』と、JINが居ない間の落ち込みがひどかった。
「で、プロポーズにはもっていけそうか?」
眼鏡の奥の瞳を和ませて、RNAが問う。コイツも、一時に比べて少し落ち着いたか。YUKIとRYOの二人してグダグダに落ち込んでいる間の、オレとMASAのしんどかったこと。あの時は精神的に、かなりきつかった。
「今日の出来次第、かな」
そんなことを知らずに、JINが笑う。
大丈夫。どんな声になっても、オレたちはお前の声が好きだから。
お前の彼女だってそうだろ?
「じゃ、そろそろ始めるか」
RYOの声で、いつものようにJINがスタンバイする。
イントロが入る。
流れてきた歌声に。
オレたちは、魂を奪われた。
JINのハスキーになった声は、儚いながらも今までに無かった”色”をまとい、別人のように響いた。
改めて、JINの声の魔力に魅入られた。
この声から、オレたちは一生離れられない。
そして、歌に魅入られてしまったJIN自身も、歌をなくすと屍になるのだろう。
かつて、”ジン”が書いた文字が脳裏に浮かぶ。
”織音の籠”
音で織る籠。籠を織る音。
その音に囚われるのは
聴衆?
おれ達?
それとも
JIN自身?
END