五人目のオリオン
学園祭が近づいてきた。
外大も、俺たちの大学もステージ規定がゆるくって、代表者が在学生であればメンバーは外部でもOKだった。なので、それぞれで、ステージを申し込んだ。
世の中は、バンドブームのはしりのころだった。コピーバンドが林立する中でオリジナルを演奏するオレたち、織音籠。出番を待つオレの気分は、アウェーでのステージだった。
「最初の、ジンとリョウのときに比べたら、まだ知名度あるし」
と言ったのがリョウ。
確かに、笠嶺出身の同級生も何人か同じ大学に居るし、柳原西に至っちゃ、場所によっては自宅通学できるとあって、知り合いはうちの大学に結構居るらしい。
リョウやマサと一緒に学内を歩いていると、先輩らしい人も含めていろんな人に『大学でもやるのか?』って聞かれていた。
「お祭りだしな。顔を知ってもらう、お披露目ステージだろ」
と、ジンは軽く笑う。外大にはさすがに以前からの知り合いは少ないが、ノリが海外仕様の友達がたくさんできたらしく、『ジンがやるなら、見に行くよ』って言ってもらっているらしい。
そうだな。お祭りだ。楽しくやろうか。
結果的にはどちらのステージも、気持ちよく演奏させてもらった。
それぞれの友達や知り合いが盛り上げてくれたのもあっただろうけど、終わってから知らないやつに『よかったよ』って言ってもらったり。外大では講師の先生にペラペラとまくし立てられて、ハグされた。英語じゃない気がすると思ってジンに助けを求める視線を送ったけど、笑ってごまかされた。
まあ喜んでくれてるみたいだし、きれいなお姉ちゃん先生だったからラッキーということで。
学園祭から、一ヶ月ほどがたった十一月。
ジンはレポートの追い込みだとかで、しばらく学校の図書館に篭るらしく顔を見ていなかった。
そんなある日、講義の後でバイトまでの時間つぶしにカフェテリアに行くと、リョウが居た。俺の知らないやつと一緒だったので、学科の友達だろう、と思い軽く合図をしただけで違う席に座った。
「サク、ちょっと」
立ち上がったリョウが手招きして呼ぶので、飲みかけのコーラを持って移動する。
「更なる、バージョンアップの申し出があってな」
リョウの向かいに座っていたやつが立ち上がった。コイツも俺くらいの身長か。
「なあ、ジンの声って身長で生け贄を選んでるのか?」
「はぁ?」
「こら、サク」
相手の視線が剣呑になり、リョウに叱られた。でもリョウ。視線が笑っている気がするぞ。
「うちの大学?」
いいや、と言ってソイツが出したのはご近所の経済大学。
「なんで、ってきいてもいい?」
「この前の学園祭、見に来とって。あの声に、な」
「やっぱ、ジンに魅入られたんじゃないか。楽器は何?」
「ドラム」
それはそれは。コーラを飲みながら、リョウを見る。どうするつもり?
「一度、一緒に練習してみるか」
「ええの?」
「聞いてもいないのに、拒絶したら惜しいだろ?」
NOでもYESでもない答えなのに相手がほっとした顔を見せた。
うん、わかるぜ。リョウたちに『笠嶺の文化祭に行く』って言われたときの自分の気持ちがよみがえる。
そんな相手を見ながら、リョウがにっこり笑った。
「名前、聞いておいていいか?」
こら。名前も聞かずに話をすすめるな。
「野島 和幸」
「俺は、山岸 亮。こっちは」
「原口 朔矢」
よろしく、と頭を下げる。
「あとの二人は、また顔を合わせたときに」
それから二週間ほどして、やっと全員と野島が顔をそろえることができた。場所はいつも練習に使っている貸しスタジオ。
「ドラムの野島 和幸」
「今田 仁と、中尾 正志だ」
リョウの紹介にそれぞれが頭を下げる。
「じゃ、軽くやってみるか」
この前、野島と出会った時に腕試しとしてリョウが提案していたのが、”ジンとリョウ”で最初にやった曲だった。
「マサとサクは聞いていてくれ」
「了~解」
野島のカウントで、イントロが始まる。
野島のリズムは正確だった。人間メトロノームかよ、コイツ。
思わず左手がコードを押さえる形で動く。あー、弾きてぇ。横でマサも、うずうずしているのが伝わってくる。
こっちを見ながら歌っていたジンには伝わったらしい。アーモンド形のジンの目が、笑っている。一番をうたい終わって間奏に入ると、ストップをかけた。
「どうした、ジン?」
「ん、サクとマサも寄りたいってさ」
マイクを離れて、ジンがこっちに来る。
「楽器だけで、一度あわせるか?」
「お前は?」
「休憩」
まだ、そんなに歌っていないだろうが。ま、いいや。演りたいのは本当だし。
ジンがパイプいすに座るのと入れ替わりで、俺たちは楽器を準備した。
「お前ら、楽譜入っているのか?」
リョウがこつこつと指先で頭をつつきながら確認してきた。軽音部をなめんな。レパートリーに高校のときから入れてるよ。
「お前らがやってるのを聴いた次の日に楽譜を買いに行った」
マサがしれっと言う。目で、お前もだろ?と訊かれたので、頷く。
「じゃ、ドラム。カウントよろしく」
ドラムが入るとこんなにやり易くなるとは、思ってもみなかった。息が合うとでもいうのか、リズムが心地いい。高校のときもドラムは居たのにな。これが、レベルの差か。
弾きながら、ジンを見ると口が小さく動いていた。さっきのオレ達みたいに、歌いたくてうずうずしているのが判る。
これは、五人目決定かな。バンド名、”大魔神カルテット”にしなくって正解。
その日の残りは、オレ達はオリジナルの曲を合わせて、それを聴きつつ野島はドラムの演奏をくみ上げていた。
終わってからは、近所の居酒屋に流れて野島の歓迎会という名の飲み会だった。
改めて、自己紹介をする。
「お前、なんて呼んだらいい?」
そうたずねたオレに、ちょっと考えた野島は、
「ユキ」
と応えた。なんだそれは。アルムのお山の子ヤギか。
「カズじゃなくって?」
隣に座っていたジンがオレのつぶやきを聴いたらしく、吹きそうになりながら聞いた。
「親父が、”和広”やから、ばあちゃんとかは親父を”カズ”、俺を”ユキ”って呼ぶんよ」
から揚げに箸を突き刺しながら、”ユキ”が答えた
「OK。じゃあ、ユキ。これからよろしく」
マサがビールのグラスを上げるのを見て、オレたちもグラスを手にした。
「織音籠、五人目のメンバーに」
乾杯。
それから腹いっぱいになるまで、飲んで、食べて。オレたちは、楽しいひと時を過ごした。
ユキは、当たりの柔らかい西の言葉を使う奴だった。だからか、オレのぽろっとこぼす一言に、絶妙の合いの手を入れてきた。あの地方は、子供のころからボケと突っ込みの英才教育をするというのは、本当らしい。
そして、ビールを飲み、大笑いをするジンを見たのはこの日が最後だった。
年明けのライブからユキも合流し、本格的に活動が始まった。
学園祭で顔が売れた効果もあったらしく、少しずつ客が増えてきた。
そのころだったと思う。ジンが居ない学内の食堂でマサが言ったのは。
「なあ。最近、ジンが変わったよな」
と。
「変わったか?」
何が変わったっけ? 声は変わらないと思うし、見た目?
「あいつ、笑わなくなった」
そのマサの言葉に、初めてジンの歌を聴いた日の、あのリョウの冷たい目を思い出した。そういえば、ジンの笑い声を最近聞いていないように思う。
何か、あったのか? 中学のときのような嫌なことでも。
「笑っているだろ? 声は出てないけど」
リョウが、妙なことを言うな、という顔で答える。
「声が出ていない?」
マサとハモってしまい、つい顔を見合わせた。リョウは、なんでもないことのようにサンドウィッチをかじりながら、うなずいた。
リョウが口の中の物を飲み込むのをジリジリしながら待つ。コーヒーで流し込んだリョウは改めて言った。
「こう、咽喉の奥で笑うようにして笑ってるぞ」
クックック、と笑ってみせる。
「何で、またそんなことを」
心配して損をした、とマサがぼやく。オレもなんだかほっとした。
「咽喉を守っているんじゃないか? 最近、コーヒーを飲まなくなったし」
何か心境の変化でもあったのかね、と言いながらリョウは再びコーヒーを口にした。
しばらく、黙々と食事を続けた。考えるように、口を動かしていたマサが箸を置いた。
「もう、食わねーの?」
要らないんなら、そのプリンよこせ。
「いや、食うけどさ。ジン、咽喉の調子が悪いのかな? 年明けから入れた新しい曲、シャウトが入っていただろ? あれ、まずくないか?」
「本人、気持ちよさそうに叫んでいるけどな」
「ああ、昔から好きだよな」
リョウの言葉に、高校の文化祭でシャウトしていたジンの姿を思い出しながら、オレは最後の一口を頬張った。
声が出るときの、体中を振るわせる音の響きを楽しんでいる。ジンのシャウトには、そんな子供のようなうれしさや楽しさをを感じる。
「大丈夫、なのかな」
「少し様子見だな」
リョウが、そう話を締めくくった。
そろそろ、午後の授業だ。
オレたちの心配をよそに、ジンは相変わらず楽しそうに歌って、シャウトしていた。
ただ、リョウの言うように、コーヒーを飲まなくなっていた。さらに、酒も。
ライブの打ち上げとかの席では、ウーロン茶を手にしている姿を見るようになった。
「飲まねぇの?」
そう聞いたオレに
「あんまり、好きでもないしな」
と、苦笑して見せた。咽喉に良いわけでもないモン無理に飲まなくて良いだろ? と。
コイツも、何かきっかけをつかんだのかもしれない。最初のライブでオレがプロになる意識を明確に持ったのと同じような”何か”を。だから、咽喉を意識するようになった。というのは考えすぎか?
「何を考え込んでいるんだ?」
いきなり湧いて出るな!リョウ。
酔っているのか、ジンにだれーんと寄りかかりながら、ビールを手にしたリョウが話しによってきた。
重い、と文句を言いながら、ジンは好きなようにさせている。
「ジンが酒を飲んでいないなって」
どれ、とジンの持っているグラスを取り上げて飲むリョウ。
ほんとに、お前やりたい放題だな。昔から、”ジンのものは俺のもの”みたいに飲んでるし
「何かあったのか、ジン? 最近、いろいろ気をつけているだろ?」
「んー。何かっていうか……。ユキが入って、なんか音が安定した感じがしてさ。”これは、いかなきゃ”って使命感が出たというのが近いかな。純粋に歌うのが楽しいから、続けたいって言うのもあるけど」
そう言うと、ジンは咽喉の奥でクックックと笑った。
活動するライブハウスの規模が少し大きくなり、オレたちはインディーズレーベルとかに売り込みを掛け始めた。少し早いけど、就職活動だ。
当然のことだけど、授業は今までどうり、まじめに受けている。バイトも同じく。周囲の友人には、『もっと遊べば?』って言われるけど、なんだか時間が惜しい。何かに追われるように、活動をしていた。
世の中は、バブル景気に踊り始めていた。そんな時代に、バイト代を車にかけるわけでも、女の子に貢ぐわけでもなくただ音楽に使っていたオレたちは、ある意味変わり者だった。
バンド活動をしていると、声をかけてくる女の子も居たけど、少し付き合うと『大事にしてくれない』と愛想を尽かされる。そんな繰り返しだった。特に、オレとジンは。リョウはもう少し要領よく付き合っていたみたいだけど。マサとユキは本格的にバンド活動をする前から付き合っている彼女なので、『しょうがないわね』って感じだったらしい。
その日も練習の後片付けをしながら、雑談をしていた。
「サク、また別れたって?」
そんなリョウの言葉に、思わず脱力して楽器を落としかけた。あぶねー。
「なんていうかさ。オレもうちょっと、大人しめの子の方が好みかも。よってくる子がケバ過ぎて」
何人目かの彼女に振られたオレのぼやきに、ジンが判る、とうなずいてくれた。
「俺も実は苦手。こっちが食われそうだよな。それに『私と音楽のどっちが大事なの』っていわれてもなぁ」
「なぁ」
音楽が大事だよな。おれたちプロになりたいんだし。
「ちゃんと、好きになった子と付き合うたらええやん。そしたら、大事にしとうことは伝わるもんやって」
至極当たり前のことをユキに言われて二人でへこんだ。
「大体、お前らの中学はどんな教育をしているんだ。二人とも、女、とっかえひっかえ」
「いや、とっかえひっかえとは違うし。中学の教育はもっと関係ないだろうが」
マサの言葉にはむかっていると、お茶のペットボトルを手にしたジンが
「あぁ、そうか」
と一人で納得して、ふたを開ける前のボトルの腹をポンと叩いた。
「ほら、サク。覚えてるか?」
とオレに聞いてきたのは、奴を『おっさん』と呼んだ当時からケバかった女子たちの名前だった。
「あのタイプが苦手なのは、あれ、が原因だ多分。俺は」
はぁ。そうですか。って。
相槌を打った俺を、リョウが睨んでいる。
ジンの中学時代の話は本人より、コイツに鬼門なんだよな。二十歳を迎えた頃からかけ始めためがねの向こうで、色素の薄い瞳が『詳しく話せ』とすごんでいる。
このあとはきっとコイツと二人飲みだな。やれやれ。
未成年の飲酒は法律違反です。