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ズドンと海賊になりました


「さて。落ち着かれましたか?」


エマに言われて、私は頷く。


エマさんと言っていたら、呼び捨てで構わないと言われたのだ。


今、私は船の食堂みたいなところで水をもらっていた。


私が座っている席の向かいにはエマが。


そのエマに固まるように他の子供達も向いに座って私をガン見していた。


唯一、私の隣にチビがちょこんと座って、私が貸してあげた携帯を面白そうに弄って遊んでいる。


ちなみに、ロイドは血まみれのまま、食堂の壁に背中を預けて自分の刀の手入れをしていた。


普通に、彼が人を殺したという事実は恐ろしかったが、よく考えると自分自身も銃を発砲しているわけだし…。


あの場に至っては、殺さなければ自分が殺されていたのかもしれないのだ。


まだ、違和感は残るが、ここにいる限りは殺人の違法性などを考えるのは無駄なように思えた。


だからと言って、殺人に対する恐怖が消えたわけではないのだが。




ところで、チビが弄っているこの携帯。


海外設定にしてあるにも関わらずアンテナは一本も立たず、知り合いと連絡を取るのは不可能なようだ。


カリブ海ってアメリカの近くのはずだよなぁ。

アメリカまで行って、飛行機で日本に帰る…。駄目だ。お金がない。

いや、日本大使館に行けば…

ていうか、そもそもアメリカまでどうやって行けばいいんだ?



なんてぐるぐる考えていると、エマが咳払いをする。


「で。ナチ。私達の方も全員紹介しておきましょう。それから、私たちの今の状況も。何しろ、あなたは今、私たちの問題の中心人物なものですから」


その言葉に、私も頷く。


今はいろいろと情報が欲しいから黙ってエマ達の話を聞くことにした。




「まずは、私とロイドの名前は大丈夫ですね?あの血まみれのままシャワーも浴びずに刀に夢中になっているお馬鹿さんがロイドです。彼は14歳です」


爽やかにひどいことを言うエマに、私はどう反応すればいいか分からずとりあえず笑ってみた。


「私の右に座ってるのがユグ。体は大きいですが、大人しい子です」


エマの言葉に、ユグは頭を下げる。


「ユグ。10歳。よろしく」


「どうも」


ユグは、確かに10歳にしては体が大きいが、小さなくりっとした目が体に似合わず可愛らしい。

ちなみに頭はつるつるの坊主頭だ。


「更にその隣に座ってるのがお調子者のリュック」


リュックは頭に赤いバンダナを巻いて、少し長い茶髪を一つに結んでいた。


「俺はリュック。年は7だ」


「そして、反対側に座ってるのがジョー。口は悪いですが、素直な良い子…のはずです」


「エマ!その言い方はなんだてめえ!お前こそ胡散臭い貼り付けたような笑顔でにこにこにこにこしやがって!気色悪ぃ!」


早速エマの言葉に猛反発するジョー。


ユグに比べて体は小さくすばしっこそうな感じの赤毛君だ。


ジョーは私を見てふんっと鼻を鳴らす。


「俺はジョー!年は7だが、小さいからって甘く見てるとぶちのめすぞ!」


「はぁ…」


「ジョーのことを悪く思わないでくださいね。この悪口が彼なりの愛情表現ですので」


ジョーの言葉に、とりあえず返事を返した私に、エマがにっこりと笑って言う。


どうでもいいけど、エマさんは笑顔がよく似合う。



「で、次にあなたに懐いてるのがチビ。この子は、産まれてすぐに捨てられたので名前もありません。私達が拾って育てました。この中で一番小さいので我々の中ではチビと呼ばれています」


その言葉に、私は思わずチビを見る。


彼は楽しそうに私の携帯を弄っている。


まだ、恐らく4,5歳くらいだろう。


親の愛情もなく育った彼がこんなに屈託ない笑顔を浮かべられるのは、育てたこの子達が良い子だから、かな。


なんて、ちょっとジーンときたところで、再びエマが口を開く。


「まぁ、ここにいる者はみな、それぞれ事情がありますが、まずは貴女が置かれている状況を説明しましょう」




「とりあえず、私達“人間”の自己紹介は終わりましたが、実はもう一人いるんですよね」


「もう一人?」


エマの言葉に首を傾げると、エマは指を鳴らす。


「聞いているのでしょう、ウンディーネ。姿を見せてください」


「?」


誰に向かって話しているのかと思った、次の瞬間。


「ふふふ。面白いことになってるわね」


突然、机の上に胡坐をかいて楽しげに笑う綺麗な女の子が姿を現した。


長い髪は深い青色で、肌は透き通るように綺麗…というか、本当に透けてませんか?


向こう側にエマが見える気するんですけどぉ!?


突っ込みたいのを歯を食いしばって我慢してると、その女の子がにこっと笑ってくる。


「初めまして、ごきげんよう。私は水の精霊ウンディーネ。話は聞いてたわ。よろしくね」


差し伸べられた白い手を、私は驚きながらも握る。


「えっと…、水の精霊?」


握手をしながらも尋ねると、ウンディーネはにっこりと笑う。


「そう。あ、信じてないわね。まぁ、いいわ。そのうち分かるでしょうから」


その言葉に、私は疲れたように笑う。


「いえ、まぁ…理解を超える存在ではありますけど…あなた、どう見たって人間じゃないですよね。信じますよ」


握った手に体温はなく、体もぼんやり透けている。


オカルトとか信じない方だけども、ここまではっきり見せつけられちゃあ、彼女の存在の否定はできない。


…非常に信じがたいけども。


そう言うと、彼女はへぇ、と目を細めた。


「うん。いいわね。私、あなたのこと気に入ったかも」


くすくすと笑うウンディーネに、エマは困ったように言う。


「ウンディーネ、話を続けてもいいですか?」


「あら、ごめんなさい。はい、どうぞ」


肩をすくめて素直に黙ったウンディーネは愛嬌があって、本当に可愛らしかった。




「まず、この船、ウンディーネ号は、名前からも分かる通り、ウンディーネに貰ったものなんです」


「水の、精霊さんから?」


驚いて言うと、エマは頷く。


「ええ。彼女は、あの貴女が撃ったという男、ジャコブに囚われていたんです。そこを私達が救い出したお礼にこの船をくれたんです。私達はこの島から広い海へ出ていきたかったので」


「…?それならさっさと行けばよかったんじゃないの?」


海へ出るには船が必要。

で、その船を手に入れた。


じゃあ、なんで早く海へ出ないのか。


疑問に思って聞くと、エマは困ったように眉をさげる。


「実は、この船をもらった際に、ウンディーネから幾つかの条件が出されましてね。貴女が我々の問題に巻き込まれた理由もその条件にあるんですよ」


「条件、つけたんですか?助けてもらったのに?」


じと目でウンディーネを見ると、ウンディーネは涼しげな顔で頷く。


「だって、船造るの大変だったんだもの」


「え!この船、ウンディーネさん自分で作ったの!?」


驚いて言うと、ウンディーネは嬉しそうに頷く。


「そうそう!そうなのよ!だから、他では絶対にないような素敵なものがいっぱいあるんだから!それとね…」


「ウンディーネ」


目を輝かせてしゃべり始めたウンディーネを、エマが名前一つでたしなめる。


「あら。またやっちゃった。ごめんなさい。でもあとでいろいろ案内するわね!女の子が来てくれて本当に嬉しいわ!」


まったく悪ぶれた風もない謝り方も妙に可愛いウンディーネさんでした。



「えーと、どこまで話しましたか…。ああ、そうそう。その条件というのを我々は“掟”と呼んでいます」


「掟…」


「そう。無理難題なものが多かったのですが、何とか全てこなし、いよいよ最後の条件を満たすところまでやってきたのです。…が」


エマはふうっとため息をつく。


「もしかして…、それってあのジャコブとかいう凶悪変態男に関わること?」


私が巻き込まれたのはそれぐらいだし…。


聞くと、エマは頷く。


「最後の条件は、船長を選ぶこと。そして、その選び方は『ジャコブに血を流させた者がなる』掟だったのです」


「えええ…」


じゃあ、あれか。


銃で撃っちゃったのがまずかったのか。


顔を引きつらせる私に、エマが苦笑する。


「ジャコブは、ここを根城にしている海賊で、以前はあの大海賊バーソロミュー・ロバーツとやり合って生き残った人間ですから。船長の素質に関係があるのかは分かりませんが、あいつに血を流させることは奇跡に近いことだったんですよ」


え、なに?

大海賊?


まだ、そんなすごい海賊っていたのか?


聞いたことがないけど…、まぁ、精霊がいるぐらいだから現代にも海賊ぐらいいるのかもしれない。

うん。私が知らないだけ。


私が生きていた世界って狭かったんだなぁ。


なんて、しみじみと感じ入っていたところで、はたと気づく。


「あれ?でも、そのジャコブをロイドは…」


壁の方に目をやると、エマも溜息をつく。


リュックとジョーは口々にロイドのことを説明する。


「ロイドは俺達の中でも飛びぬけて強いんだぜ!それこそジャコブと互角に戦えるほどだ!」


「あんたが現れるまでは、ロイドがジャコブに傷を負わせて、あいつが船長になるもんだと思ってたんだよ!まぁ、俺も隙あらば船長になろうとジャコブの奴を狙ってたけどな!へへ」


そんな言葉を聞きながらちらりとロイドを見ると、ちょうどロイドも私のことを見ていた。


その海よりも暗い群青色の鋭い瞳に射抜かれて、私は固まる。


彼は、肩よりも長く伸びた青みがかった黒い髪を片側に垂らし、長い前髪がかかった顔はお世辞じゃなく綺麗で。


エマとは、また違った、力強さのある綺麗なその瞳に、私は一瞬意識を奪われてしまった。


く、くそ!ガキのくせになんかむかつく!






「ナチ?大丈夫ですか?」


エマに手を振られて、慌てて私は頷く。


「ごめん、ちょっと考え事してて…」


そんな私をウンディーネが何やら楽しげに見つめる。


「な、んでしょう?」


その何か言いたそうなウンディーネに問いかけると、彼女はにやにやしながら肩をすくめてみせた。


「何でもないわ。ただ、面白そうなことになりそうだなぁーって」


ふふ、と肩を震わせるウンディーネを咎めたのは私じゃなくエマだった。


「ウンディーネ。そんなことを言ってる場合ではないでしょう。あなたが曖昧な条件を出すから…」


エマは珍しく真顔でウンディーネを見る。


「ここで、はっきりさせてください。ナチは最初にジャコブに血を流させました。しかし、彼女は私たちの仲間ではありません。ロイドはジャコブを殺しました。けれども順番的にはナチの後です。この場合、どちらが船長になるべきなのですか?」


その言葉に、ウンディーネはしばらく考え込む。


「うーん。……ねぇ、ナチ」


「な、なに?」


まさか私に振られるとは思わずに慌てて答える。


「あなた、これからどうしたいの?」


問われて、私は言葉に詰まる。


いろいろ引っかかることはあるけど…


「私は…帰りたい。日本に、帰りたい」


「日本?」


私の言葉に、その場の全員が首を傾げていて、胸の不安が大きくなる。


「日本…えっと、ジャパン?ヨーロッパのずーっと東の島国なんだけど…」


その言葉に反応したのは、今まで一度も口を挟まなかったロイドだった。


「…ジパングのこと?」


「!!そう!多分それ!」


訛ってたらジパングというのかもしれない。


とにかく、予想していた最悪の結果にはならなかった。


日本を誰も知る人がいない、ここは異世界でした、と言う結果。


ほっと胸を撫で下ろした私をよそに、なぜかエマ達は盛り上がっている。


「伝説のジパング!?」


「黄金の島といわれてるジパングだろ!?まだ、誰も見つけてない…」


「そんなところから来たんだったら…そこへの行き方も知ってるってことか!?」



そんな彼らを放っておいて、ウンディーネは私に問いかける。


「ジパングまで、どうやって帰るつもり?」


「え…と。とりあえず、船で…?」


そう言うと、ウンディーネは満面の笑みを浮かべる。


「そうよね。だったら、船が必要よね。あと、航海に必要なその他諸々も」


「え、ええ」


頷くと、ウンディーネは手をパンッと叩いた。


「決めた。ナチが船長よ」


この言葉に、一瞬全員が固まった。


「…本気か?ウンディーネ」


ユグの言葉に、ウンディーネは軽く頷く。


「もともとの“掟”に変わりはないわ。最初にジャコブに血を流させた者が船長になる。でしょ?」


「だけど…彼女は俺達の仲間じゃ…」


ジョーの言葉に、ウンディーネは綺麗な形の眉をひそめる。


「あら。同じ捨て子なのに仲間には入れられないっていうの?」


「そ、そうじゃねぇよ!だけど、その、ナチの方はどうなんだよ…?」


言われて、私は困惑する。


帰りたい。


帰るには、一人では不可能。


それよりも、なによりも、実は知らないところに捨てられていた自分を船に招いてくれたこの子達と一緒にいたい。


一人は嫌だ。


最初は何が何やらで気持ちの整理がつかなかったけど、どうやらかなり不安が強かったみたいだ。


それに。


私はチビをそっと見やる。


まだ、こんなに小さい子が危険な旅に出るのを黙って見送るわけにはいかない。


私は静かに席から立ち上がる。


みんなの視線を一同に浴びて、私は深呼吸する。


「私、ここには頼れるところもないし、一人で生きていく術も知らない。みんなが、もしもいいって言ってくれるなら…」


私は大きく頭を下げた。


「私を、仲間にしてください!」


私の言葉のあとに沈黙が降り積もる。



「…じゃねえよ」


ぽつりと、壁の方から声が聞こえた。


視線を向けると、手入れした刀を眺めながらロイドが今度ははっきりと言った。


「仲間じゃねえよ。俺達はみんな寄り添って生きてきた。仲間なんて安いもんじゃねえ。家族だ」


その言葉に、リュックもユグもジョーもたじろぐ。


私も、自分が拒絶されてるのかと思って、ぎゅっと手のひらを握りしめる。


そんな私を、ロイドが鋭い瞳で見つめる。



「あんたに、その覚悟があるのか?この家族の親として…船長としてやっていく覚悟が」


その言葉に、私は体中の力がふっと抜ける気がした。


「この命にかけて」


にっと、ロイドに笑ってみせると、初めて彼も笑い返してくれた。






「よっし!そうと決まればガキども!」


私が大きく手を叩くと、みんなびっくりしたように私を見つめる。


「あんたらのことは私が命をかけて守る!その代わり、あんたらも私の言うことはよく聞くように!」


威勢よく言い放った言葉に、ウンディーネがけらけらと笑う。


「そうね、ナチが船長になったからには、この船はもう私のじゃなくてナチのもの!これからはナチの掟に従わないとね!じゃないとこんな子供だらけの海賊船、すぐに襲われて沈んじゃうわよ」


「へ?」


その言葉にまぬけな声をあげたのは、私。



……


「…か、海賊船んん!?」




「あれ?言ってませんでしたか?」


にこっと笑うエマに、私は首を思いっきり横に振る。


「なんで!なんで海賊!?どっかここ以外の場所に住める場所を見つけに行くんじゃなかったの?海賊って…何でわざわざ犯罪者になんてなるつもり!?」


その言葉に、トンッと刀を床に置いたロイドが欠伸をする。


「戸籍も何もない俺達がどっかで新しくやって行こうったって、結局スペインやイギリスに全部搾り取られて終わりさ。奴らの上流階級は俺らのことを家畜としか思ってねぇ。先の見えてる未来よりも、俺は自由な海に出る。そうすりゃ、奴らは勝手に俺達のことを海賊と呼ぶだろうさ」


「…まぁ、ロイドの言うとおりです。もちろん、海賊はスペインやイギリスの海軍に捕まったら縛り首です。しかし、上手くいけば大儲け。一か八かの大博打ですよ。そして、私もボロ雑巾のように使い捨てられるぐらいなら海賊になります」


「俺も」


「おらもだ」


見渡したみんなの瞳の力は強くて、その意思は私に変えられるものじゃなかった。


海賊って犯罪者の集団じゃん。


私の将来の夢は警察官だったのに…。


まぁ、それを目指していたのも、こんな小さなガキ共を少しでも救いたかったから。


それに、ウンディーネにも言われたが、日本に帰るにはこの船は絶対に必要。



スペインやイギリスがそんなにひどい国だとは知らなかったけどこうなったら、もう海賊だろうがなんだろうが構っていられないだろう。



私は、はあっと息を吐いてにっと笑う。


「分かった。この船の最終目的地はジパングにしよう。あんた達にいつまでも危険なことさせてらんないからね。そこで、見つけたお宝でも売っ払って平和に暮らそう!」


「さっすが!話がわかるぜ!」


私の言葉にガッツポーズを取るジョー。

他の皆も嬉しそうに笑う。


「ジパングかぁ!まだスペインもイギリスも見つけてない宝の島!最終目標はそこで決定だな!」


「よっし!それまでに俺達の名前を世界にとどろかせてやる!」


「ああ!海軍どもに一泡吹かせてやろう!」


「いや!それよりもまだ見たことのない海を冒険するんだ!キャプテン・キッドの財宝に、人魚の秘宝!」


がやがやとはしゃぐガキ達を見て、私は苦笑する。


全く、大変な航海になりそうだ。


「さて。じゃあ、最初の目的地はどこにする?」


まず、最低限の装備と準備を整えなければ。


航海に必要な食糧と水の確保。それから、武器の補充。

海に詳しくないから、それらを整えるにはどこがいいのか彼らに問えば、全員声をそろえて返してくる。


「トルトゥーガ!」


「トルトゥーガ?」


聞いたことのない名前に首を傾げると、エマが説明してくれる。


「海賊たちの本拠地とも言える島ですよ。しかし、ここからかなり離れているのでその前にどこかによって足りないものを補わないと。あとで、ここの現在地と海図を見せるので、航路を決定してください」


言われて私は頷く。


「分かった。じゃあ…出発はいつがいい?」



それにも全員が同じ結論を出す。




「この島には何の未練もないし、必要なものは最初から船に全部乗せてある」


「今から、俺達の航海の始まりだ!」


「船長、指示を出してくれ。出発の合図だ!」


ウンディーネもにっこりと笑って私を見る。


「初めての仕事よ、船長。思いっきり命令しちゃいなさいよ」


「まずは、帆を張って、錨をあげましょう」


そんなウンディーネとエマに、私もにっと笑い返してすうっと息を吸い込む。


「よっしゃ!出航だ、ガキども!帆をはれ!錨を上げろ!今日から私たちは海賊だ!」



今まで一番大きな歓声が船から響き渡った。



体が小さくてすばしっこいジョーとリュックがマストに上って下ろした帆には綺麗なイルカの絵が描かれていた。


ギギギ、と軋む音を立てながら帆に風を受けた船体はゆっくりと動く。


錨は力持ちのユグがすでに上げていて、彼は今帆を操る縄をロイドと一緒に引っ張って調整している。


そして、一際大きい風が吹いた瞬間


―ザプンッ


船が舳先を沖に向けて大きく波を切った。


強い風に髪をなびかせながら、誰もが顔に満面の笑みを浮かべていた。


新しい冒険の物語の1ページ目だった。






「せんちょー!」


甲高い声に、私が振り向くといつの間にかジョーとリュックが何か黒い布みたいなものを持って私の後ろに立っていた。


「どうした?」


聞くと、彼らは持っていたものをばさりと広げた。


「俺らの海賊旗だ!今日のために俺達で作ったんだ!これをあの見張り台の上に掲げてくれよ!」


広がった黒地の布には白い骸骨と赤い文字『Libertad』が描かれていた。


「…?骸骨は分かるけど…この赤い文字は?」


聞くと、いつの間にか集まっていたエマが教えてくれる。


「スペイン語で、自由という意味ですよ。この旗を掲げて世界に教えるんです。私達は国に囚われない自由の象徴である、ってね」


「へぇー」


頷いて、私は海賊旗を見つめる。


この時点で、私はまだ分かっていなかった。


この旗に込められた『自由』の意味が。



「よし。じゃ、これ預かるよ」


私は二人から海賊旗を受け取って、見張り台の縄梯子を登る。


そして、一際高い見張り台に立った瞬間、私はその光景に意識を奪われた。


きらきらと陽の光を受けて輝くエメラルドグリーンの海。

どこまでも続く水平線。

荒々しい音を立てて船にぶつかる波と、砕かれた水飛沫。


360度の青い広大なパノラマ。


まだ見ぬ未知なるものとの出会いに満ちた旅路。



このとき既に、私は海に心を奪われてしまっていたのかもしれない。






「おーい!せんちょー!」


下から呼びかける声にはっと我に返って、慌てて私は海賊旗を見張り台の中心に伸びるマストの先端に海賊旗を結びつける。


海賊になるのは日本へ帰るための仕方のない手段。


そんな考えは吹き飛んでいた。


私は見張り台から海へ向かって拳を振り上げて叫んだ。


「うわああああ!!」


知り合いに見られたら頭が可笑しくなったと思われるかもしれない。

でも、胸に沸き上る思いが慟哭となって口から突き出ていた。


さらに、それを聞いた下のガキ共も一緒に雄叫びを上げる。


それがさらにわくわくしていた胸をいっぱいにさせて、私は声が枯れるまで海へ向かって吠えたのだった。



黒い海賊旗がまるで私達の雄叫びに呼応するかのようにばさりと翻った。




「船長、この小さな島が私達のいた島です」


場所は変わり、ここは船室の中。


海図や地図、コンパスや定規が散乱しているこの部屋に連れてこられて、今はエマの説明を聞いている。


言われて、地図を覗き込むと、本当に点でしかないような島が地図に記されていた。


「ヴァージン諸島と呼ばれるうちの最南端の島です。そして、ここがトルトゥーガ」


エマが指で示した場所に私は眉をひそめる。


「…かなり離れてるね」


「そうですね。ですが、ここには海賊たちのネットワークがあります。ジパングへの航海の情報を仕入れるのにも何かと便利でしょう。目的地はここで大丈夫だと思いますが…」


「問題はそれまでの食糧と水だね」


エマの言葉を引き継いだ私に、彼は頷く。


「実は、そのことなんですが…」


言いかけたエマの言葉を突然誰かが遮る。


「そこが、この船のすごいところなんだから!」


「ウンディーネ!」


しばらく姿を消した彼女の突然の出現に、私は思わず驚く。


そんなウンディーネはぱちりとウインクをして、私の腕を取る。


「私、ナチに船の中案内してくるから!あとはよろしく!」


そう言って、有無を言わさずにウンディーネは私を引っ張ってずんずんと進む。


「ちょ、ウンディーネ?どこに…」


「ねぇ、ナチ。船乗りにとって何が一番問題なのかはあなたも分かってるわよね?」


言いかけた私の言葉を、ウンディーネは遮る。


突然の問いかけに、私はとりあえず思ったことをそのまま言ってみる。


「…水と、食糧?」


「そう。船乗り達が短命な理由は二つあるの。一つは、水の確保。水はすぐ腐っちゃうから何日もの航海には持っていけない。だから、船乗りたちは酒を乗せるわ。でも、酒ばかり飲んでると徐々に体に異変をきたす。とくにこの船に乗ってる子供達には良くないわね」


その言葉に、私は無言で頷く。


その間もウンディーネは歩みを止めない。


「そこで。私が何の精霊だったか覚えてるかしら?」


とある部屋の前で歩みを止めたウンディーネが悪戯っぽそうに振り返る。


「水…の、精霊…!」


「せいかーい!」


そう笑って扉を開けた先には。




「す、ごい…!これ、泉…?」


石で積み上げあられた丸い囲いの中に、噴水のように沸き上るきらきらと綺麗な真水。


そっと手で水を掬って飲んでみると、今まで飲んだことのないような甘みのある、とても美味しい水だった。


「ふふ。満足していただけたかしら?船長」


その言葉に、私は振り返ってにっと笑う。


「十分すぎるほどね」


その言葉に、同じようににっと笑い返したウンディーネはまた私の腕を引っ張る。


「それだけじゃないわ。さ、次行くわよ」


「まだ何かあるの!?」


驚く私を連れてさっさと歩き始めるウンディーネは自慢げに笑う。


「当たり前。あと、シャワーの水も使い放題!女の子が来たらいいなあ、と思ってお風呂も用意してあるのよ!」


その言葉に、私は思わず歓喜の声をあげる。


「うそ!すごく嬉しいんだけど!」


船旅じゃあ、陸にあがるまで体を洗えないと思っていたから思ってもいないサプライズだった。


「でしょ?で、さらに!」




ウンディーネは上に続く階段を上る。



「じゃーん!」


声とともに開け放たれた扉の先は、日のよく当たる船尾だった。

そして、そこには…


「うそ…!これ、畑?」


目の前には、まだ小さいが植物が整然と植えられていて、その間を綺麗な水がちょろちょろと流れていた。


「大正解!新鮮な野菜もすぐ腐っちゃうから普通は船には積み込めないのよね。代わりに乾パンやらビスケットを積むのだけど、それらにはすぐ蛆がわく。そして、新鮮な野菜を食べられないと壊血病にかかって死ぬわ。大体、この二つの主な理由で海賊ってすぐ死んじゃうのよ」


「でも、ウンディーネの力があれば…!」


「そう!私もここの子達はこれでも気に入ってるのよ?ただじゃ死なせないんだから!あとは、やっぱりあの子達は幼すぎる…。最初の船長候補だったロイドや、しっかりしてそうなエマもやっぱり子供。だから、私、待ってたのよ。あなたのことを」


そう言って、ウンディーネは私をまっすぐ見て手を握る。


「本当は、私、あなたに謝らなくちゃいけないことがあるの」


「ウンディーネ?」


珍しく真剣で、それでいてどこか泣きそうなウンディーネの様子に私は困惑する。


「ごめんなさい。ごめんなさい…!だけど、まだ言えないわ…。お願い、ナチ!何も聞かずにあの子達を幸せにしてあげて…!」


ぽろりと涙をこばしたウンディーネを、私はぎゅっと抱きしめた。


「ごめん。何を謝られてるのか私、あんま頭良くないからわかんないけど…。でも、頑張るよ。私が、みんなを幸せにできるように」


ゆっくり背中を撫でながらそう言うと、しゃくりあげながらウンディーネは小さくありがとう、と呟いた。




「船長、航路がだいたい決定しましたよ」


エマの声に、私は緩慢な動作で振り返る。


「ああ、エマ。すまん、全部任せちゃって」


「いいんですよ。ウンディーネの突然の行動は今に始まったことじゃありませんし」


にこりと笑うエマにつられて私も少し笑った。


結局あの後、ウンディーネは姿を消してしまった。

彼女の真意は測れないけど、まぁ、流石に今になってもなんにも気付いてないほど私も間抜けではない。


突然のカリブ海。


聞いたことのない海賊たち。


現代よりも遅れている船の構造。


そして、武器庫に行ってみてきたが、備蓄されていたのはどれも数世紀昔に使われていたマスケット銃やピストルだらけだった。


もしも、もしも“あり得ない結果”が待っているとしたら、私は何をするべきなのか。


そんなことを甲板から海を眺めながらずっと考えていたのだった。



「さてと。ウンディーネから紹介されたと思いますが、今のところ水の確保は問題ありません。ただ、畑はまだ植物が十分に育っていないので、すぐにでも食糧を調達する必要があります。そこで…」


エマが手に持っていた地図を広げた。


「ここから一番近い、グァダルーペに寄ろうと思うんですが…」


「グァダルーペ?」


「はい。スペインの植民地ですが、いまだ未開発の地が多く、インディアンも穏やかな性格だと聞いています。そこで肉や果物を調達できると思います」


彼の説明を聞いて、私は頷いた。


「よし。じゃあ、とりあえずそこへ向かおう。距離的にはどれくらいで着く?」


「ずっとこの風が続けば、今夜中にでも。ただ、一つだけ問題が…」


そう言って、エマが声を小さくして私にあることを報告する。


その言葉に、私はにっと笑う。


「おっけ。エマ、悪いけど皆を集めてくれる?」


「了解しました、船長」


私の言葉に、丁寧にお辞儀して見せたエマはガキ達を呼びに踵を返したのだった。




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