すてきなほりでぃ
「こっち見んな」
俺が素早く横を向く流れの中で、顔を寄せる相手がちろりと舌を出して上唇をなめるのが見えた。
「前みたいに耳たぶなめたら殴る」
すかさず放った俺の警告にショックを受けたのか、がっくりと肩をおとす佐鳥さん。
やっぱやる気だったな?
しかし精神的回復力が魔王クラスの佐鳥さんは、すぐに気を取り直したらしく俺の耳に朱鷺色の口を寄せると、肝心の話を始めた。
「えっと、まあこのギルドの先行きについては私も懸念していたので」
だからギルド違う。あー。サツキの蜜みたいな香りの息を吹きかけんな、さらさら指の腹で髪の根本の肌をなでるな。俺はわめき出したいが逆に調子に乗せるのでぐっと我慢する。
「二年ほど前から経理・財務ソフトに保険をかけときました」
えへへと罪無き子羊の顔でコイツが言うのは、社長に黙って二重帳簿を作ったという事だった。
「四カ国使って洗濯済みですからいつでも引き出せますよ! やり方はですねっ」
「いくら貯まってる?」
不正貯蓄&マネーロンダリングの仕組みについての熱弁をばさりと切り捨て、俺は一等重要な点を確認した。
「内緒ですけど、知りたいですか?」
「知りたくねーけど、話したければ聞いてやる」
俺は今度こそタフネゴシエーターになる。そう簡単に言いなりにならないぜ。
◆ ◆ ◆
洒落た街路の両側にはセレクトショップや女性に人気のブランド店が建ち並んでいる。どのウィンドウもクリスマス飾りであふれ、人びとの表情も愉しげだ。
その間のオープンカフェは外にかかわらず冬でも席が埋まるほどの人気だった。パラソル型のストーブで客席を暖めているので見た目ほどは寒くないのだ。
そのテーブルの一つにぐったりと疲れきった俺がいた。
テーブル上にはコーヒーカップとラッピングで派手になった紙袋や箱が入ったショップバッグ。もちろん俺の物じゃねえ。
「先輩とデートなんて夢みたいです」
隣でホットチョコレートのマグを両手で持ち、やけどしない様にちびちびとすする佐鳥さん。
冷たい外気で新雪の肌に可愛く鎮座する鼻の先がほんわかと赤くなっている。
サーモンピンクのコート包まれた、苺のショートケーキの様なかんばせ。俺は周囲のバカ共がだらしなくもチラチラ見ているのがわかった。
おい、お前ら。自分達の彼女がめちゃ不機嫌そうな事に気づけよ。
「で、退職金の話だが」
俺は何度もこの話を振ってはかわされる事を繰り返しながら、すでに店を何軒か付き合わされていた。
「周りから見たら絶対恋人同士ですよね」
「聞け」
そっちネタには絶対行かんと顔をしかめる俺に、佐鳥さんはやっと諦めたのか、渋々話し出した。
「足跡消すために、タックスヘイブンの国を経由しながら色々誤魔化つつ分散処理したので、為替レートの影響は受けましたが、現時点でUSドルで100万。ユーロでも同じく100万」
佐鳥さんの告げる金額の単位がすぐには頭に入ってこない。えっと今1ドルが83円で、1ユーロが110円ぐらいだから……
「日本円では2億円弱ですね」
俺の知りたい事をさらりと追加する。つーか最初からそう言えよ。俺が驚かなかったので、佐鳥さんはなんだから不満そうに顔を膨らませている。
いや、2億円なんて逆に現実感がないぞ。宝くじ並みだろう……だがちょっと待て。
「それ嘘だろ?」
俺はコーヒーを一口飲んで冷静に告げる。だってそうだろ?あんな零細企業から2年足らずで2億も抜くなんて。売上なら粉飾でやれない事はないが、利益は無理に決まってる。
給料の遅配が毎月心配だったほど会社の運転資金は困窮してたってのに。
「あそこじゃ無理だな」
俺はそう結論付ける。佐鳥さんは俺が信じないのが大層不満らしく、足を椅子の上に組んで黙り込んだ。周りのバカ共のどよめきと隠された興奮が伝わってくる。
おい、スカート、スカート。見たくもねえのに見えちゃうだろが。
俺が外の雑踏へ顔をそらしたまま下を指差した事で、指摘したい点に気づいたらしい。なんでか知らんが嬉しそうに座りなおし、機嫌を直して説明しだした。
「子会社のペーパーカンパニー作って、海外で株式化して欺瞞情報流してファンドで金あつめて中国先物に投資して売り逃げて、後始末はババ引いた頭の悪い邦銀になすりつけました」
えーと、どこのアングラ経済工学グループの話かな?
片手間なのであんまり派手にできなかったんです、と相手は殊勝な態度だが、そんな事はどうでもいい。
「マジ?」
俺がまだ半信半疑の状態で聞くと、佐鳥さんはベニスの商人も逃げ出す笑顔で答える。
「金融工学の果実、いらないんですか?」
もちろん、金は欲しい。だが経済工学やら金融工学という名前からはいかにも学問ぽいが、内実は博打に近い先物買いのおかげで、皆が最後に負け組にならない様必死でババ抜きをしてただけじゃねえか。
そんな犠牲の上に成り立った錬金術で作った金ってどうなんだ。
しかもそのとばっちりが昨今の世界的大不況の引き金で回りまわって仕事をなくしたと思うと、俺はなんか複雑だった。
佐鳥さんは背をまるめ、すこし醒めたチョコの表面をチロリチロリと仔猫みたいになめながら続ける。
「SEの加藤さんは交通事故で賠償金払っているので、子供さんが二人とも大学受験ですけど、学費が高くて志望校諦めるしかないらしいです。
営業の鈴木さんは奥さん長期入院ですが手術費が高くてこのままだと退院は無理だそうです。
総務の高橋さんは耐震偽装で引っ越すしかなかったマンションと今の分ローン二重払いで生活費はサラ金に手を出すしかないそうです。それから……」
佐鳥さんは、潰れた会社の同僚の苦境を事務的に報告し続ける。
こんなブラック企業に勤める奴らが、勝ち組なわけはない。正直言って他人の荷物を背負う程の余裕は無いメンバーだ。それでも愚痴を言い合い、時にはわめき合って、なんとか会社と人生回してきたんだ。
3年間俺の居場所を作ってくれた仲間でもあった。
かっこ悪いからそんな事ぜってえ言わねーけどな。
ふいにブラックオニキスの黒光を宿し、錬金術師は俺を見上げる。
「れっきとした経済活動による収入を、子供じみた独善でどぶに捨てるんですか」
いや、遵法精神は別に独善じゃないとは思うが。それに何がれっきとした経済活動なもんか。お前のやり方は違法か、良くて脱法行為だろが。
全てをグレーに塗り潰した手すりもない一本橋で、ダークサイドの谷を渡ったに違いないくせに。
佐鳥さんの批判の言葉より、氷水の視線から眼をそらす。カップの残りを乾しながら、俺は結局こう答える。
「きっちり10等分しろよ」
それを聞いた錬金術師は、イルミネーションもかすむほどの輝きで大きくうなずいた。
ああ、そうか。佐鳥さんも仲間を大切に思っていたんだな。まあ、そうりゃそうか。大概お世話になったはずだしな。
それでも俺には厄介なストーカーだけどな。