せいじゃがまちにやってくる
しばらく俺は気絶していた様だ。目覚めると接客用の古い長椅子に寝ていた。
なんでわかるかと言うと、後頭部に感じる破れた座面と体を横にできるサイズの椅子がそれだけだから。あと顔の上半分には水を絞ったハンドタオルらしい布を当てられている。
あー違うな。これって給湯室の急須磨き用の布きんだろ。しかも茶渋の匂いが染み付いて、洗濯しても落ちないって先週雑巾に格下げされたヤツな。濡れてるくせにどこかケバ立った感じからそれは間違いない。
どうでもいい事を分析しつつ、俺は周辺の物音に耳を澄ます。せっかく気絶して攻撃対象から外れたのに、ノコノコと戦線復帰するつもりはないからだ。
その時隣で動く気配を感じた。
俺は布きんがなるべく動かぬよう下の顔だけを器用にずらし、接客テーブルの方を向く。布の下から薄く眼を開けると向かい側の椅子に誰かが座っているようだ。
じっと眼を凝らして焦点を合わせると、低めのテーブル板の地平線から黒くて丸い山の様なものが二つ。どうやら膝小僧が半分だけ見えているらしい。その上には膝上のスカートと細いウエストのシャツが続いていたが、俺の視線は雑巾に遮られそれ以上は確認できなかった。
そこで会社で黒のタイツ&膝上スカートの人物を脳内検索。その結果気絶した振り続行の判断を下したが、そうは問屋がおろさない。
「熊原先輩。大丈夫ですか?」
俺の動きに気づき、椅子に座る人物はピアノの和音の響きに似た心地よい声をかけてくる。
だが違う、コイツはずっと俺を監視していただけだ。
それこそ一挙手一投足を秒間100万フレームの超高速度撮影カメラにも負けないほどの集中力で。このカメラは銃弾が林檎を貫く瞬間だって静止して見える。
俺が止めてほしいのはコイツの行動だが。まあ、それでも額を布で冷やすぐらいは知っていたんだな。 雑巾だけどな。
「ああ、佐鳥さん」
俺は小さな声で答えると、質問をする。
「状況は?」
「組関係者は現金が見つからず、転売可能なアイテムを強奪し撤収しました。社員の大半は自宅へ帰還、残りは事後対応の為に協議しています」
佐鳥さんはどこか楽しそうに報告をしてくれた。
俺は、これは現実ですよー、君の好きなオンラインゲームの突発イベントじゃないですよーと突っ込みたいが、その台詞が過去にこのストーカーのスイッチを入れた事を思い出し、ぶるりと震える。
顔の雑巾……ああ、そうだよ雑巾だよ、を取っ払うと、体を起こして両手を額の前で組む。視線はテーブル付近。もちろんストーカーの顔を見ないで済む様にだ。そして違う話を振った。
「じゃあ、給料とかは無理だね」
「そうですね。リーダーが資産持ち逃げでばっくれたら、ギルドも大抵解散ですしね」
いや、会社はギルド違うし。でも、佐鳥さんの言う通りこの会社は終わったと俺も思う。なにしろ社長の人脈で仕事を貰って、自転車操業で回してきたのだ。
10人の零細企業で安月給でも、そんだけの人間を食わしてきた社長は大したもんだと思う。もちろん思うだけで許せるわけはねーけどな。せめて今月の給料払ってから雲隠れしろっての。
とにかく、再就職先を探さないとなあ。ボーナスは期待してなかったが今月の給料まで無いのはキツイ。貯金もそろそろ底が見えている。だけど失業保険あてにしてると一気に生活保護まで行っちゃいそうだしな。
「働いたら負け」という悟りを開いていない俺としては、正社員の安心感は捨てたくないわけで。ま、正社員でも一寸先は闇な現状みると、安心なんて幻想だけどな。だけど幻想をぶち壊して不羈独立を誇る勇気はないんだ。
まったく、この年の瀬になんてこった。
俺が落ち込んでいると、佐鳥さんはなぜかもじもじとしながら話しかけてきた。顔は見えねーが、視界に入ったスカートの上で細く綺麗な指を捻くりまわしている仕草をいい意味で表現するとそうなる。
俺って善人だな。