じんぐるべる
世の中はじんぐるじんぐると朝から騒々しい。
どんよりとした空は水を吸った綿雲が広がっている。もしかしたら雪になる手前かもな。
そんな、どこか寒々しい街の景色だったが、灰色のビルに緑と赤と白が入り混じり、普段とは印象が変わっている。
いつ剪定したのか定かではない枯れ木の様な街路樹にも、電飾の帯がぐるぐる巻き付けられ光る。
無理やり幸せを演出している様なその光景を、俺は案外嫌いじゃない。
幸せなんて主観でどうにでもなる話だと思っているからだ。
餓死者が出る海外の貧しさ。抵抗も出来ず暴力を振るわれる子供達。そんな命にかかわるレベルに比べれば、俺の環境は楽園と言ってもいいはずなのだ。
「そういう事だな」
薄手のスプリングコートでは防げない寒風にやせ我慢をして、しもやけ一歩手前の指で紙を受け取る。
俺は駅前のチラシ配りから渡された漫画喫茶の割引券をポケットに突っ込み、ボロビルの3階にある会社に出勤しようとタイルが剥げた壁の階段を上がった。
……そんでもって俺はその直後会社をクビになった。なのでさっきのお気楽な台詞は撤回する。
正確には社長が夜逃げした。年末決裁の手形が不渡りを出したのだ。
まあ、ブラック企業だという噂だったのでいずれはこうなったのかもしれない。
しかし沈没する船から逃げ遅れたネズミにとって、その行く先が暗澹たるものだってことは、わかってくれるよな?
◆ ◆ ◆
がたつく会社のドアを開けると、さして大きくも無い事務所の中は、怖いお兄さん方で一杯だった。
結構ヤバイ先からも借金していたらしく、金庫はもちろん会社の機器や什器も差し押さえられて、何も持ち出せない。
書類棚から机の引き出しまで開けられた社内には、書類やコピーが乱雑に広がる。白い紙が床を覆う様は間の抜けた雪景色だ。
突然の不幸な現実が理解できず、茫然とした俺達社員をふいに彼等が見回す。
その視線から逃れるべく、俺が目立たぬよう顔を背ける中、可哀想に一人の社員が彼等の目に止まった。
オールバックのインテリ系が顎をしゃくると、舎弟のゴツイ禿頭がそちらへと歩き出す。
要領の悪い馬鹿は後ずさりながら派手に首を横へ向けるがもうどうしようもない。
まあ、運が悪かったな。俺はそいつに同情した。
坊主のアンちゃんはそいつに近づき、背に回した腕で、コートの襟ごと首をつかんで凄む。
「おまえ!社長の居所知らんのけ?」
……他人のふりで現実逃避しても俺だよね。
首をぶるぶる全力で振り回そうにも、半端ない握力のせいで俺の首は満足に動けない。するとアンちゃんはぐいっと顔を近づけてきやがった。
うわお、緊急事態!顔面接触まであと1センチしかねえ。いや、10ミリある。いやいやまだ100マイクロもある。蛇に睨まれた蛙の俺は、認識上の距離を少しでも離したくて、単位をゼロの桁が多い方へ換算する。
「知り、ません」
必死にそれだけを伝える俺の目じりには、すでに湿った物が浮かんでいたはずだ。鼻もツンとするし。 なのにアンちゃんは昨日の夕飯に餃子とレバニラ炒めを食べ、歯磨きをさぼったに違いない息を吹きかけ、節の大きい指で頚動脈をゆっくり絞りながら念を押してくる。
「嘘やったら、テトラポットの材料に混ぜるけーの?」
俺は地獄の釜の様な口臭と、天国が見える落とし技に意識を失いかけながら、張子の虎の如くかくんかくんとうなずくのが精一杯だった。