第一話:タイムマシンは絶滅ポイントに止まる( Part 2 )
古生物学者ドクター・パンゲアと助手アキは、石炭紀へ“お土産”を取りに行く。
だが彼らの調査は、だいたい珍生物と報告書で崩壊する――SFコメディ連作。
時代: 3億500万年前、石炭紀。
酸素濃度は現代の約1.5倍。巨大なシダ植物が鬱蒼と茂る熱帯湿地。
場所: ヨーロッパの古代の森(現在のドイツあたり)。
ドクターがレバーを引いた瞬間、クロノス号は激しい振動と共に停止した。
ハッチが開く。今度は硫黄の臭いではない。
強烈な湿気と、異常なほど分厚く甘ったるい酸素の匂いが鼻をつく。
「うわぁ!空気が新鮮すぎて、逆に胸焼けがします!ドクター、
ここ、どこですか!」
アキは酸素酔いしそうになりながら叫んだ。
「落ち着きなさい、アキくん。ペルム紀より一つ前の時代、石炭紀だ。
酸素濃度が高すぎて、まるで『酸素バーの無料試飲会』のようだね。
だが、見てごらん!この雄大なシダの森を!
石炭紀は巨大な植物が地表を覆い、将来、私たちの文明を支える
『石炭』の元をせっせと作っていた、
言わば地球のブラック企業時代さ!」
ドクターはご機嫌に周囲を見回しているが、アキはそれどころではなかった。
周囲の湿地の音が、やけにカサカサと耳障りなのだ。
「ドクター、あの音、何ですか?なんか、巨大な殻がこすれ合う音のような…」
茂みの中から、それは姿を現した。
体長が2メートルを超える、巨大なヤスデ――アースロプレウラ。
その多節に分かれた甲羅は黒光りし、数百本の脚が機械的に動く様は、
悪夢のようだった。
「ひぃっ、ひいいいっ!」アキは絶叫した。
「ドクター!ドクター!2メートルのゲジゲジです!
あんなのがいたら、私が現代で食べているカニやエビなんて、
まるで赤ちゃんのツメです!
なぜここの節足動物はこんなにデカいんですか!」
「おや、アキくん。パニックになりすぎだ。あれはアースロプレウラ、
この時代の節足動物の最大種だ。
高濃度の酸素のおかげで、彼らは巨大化できたんだね。
ほら、見てごらん、カワイイじゃないか」
ドクターはまるで愛玩動物を見るかのように手を振った。
「可愛いわけないでしょう!あれは獲物です!
私たちを、原始時代の炭水化物として認識しています!
どうします、ドクター!武器は!」
アキは辺りを見回し、急いで両手で大きめの石を拾い上げた。
震える手でそれを構える。
「ドクター、応戦します!古代生物相手に、私たち人類の知恵(石)を
見せつけてやりましょう!」
ドクターは、アキが構えた石を一瞥し、鼻で笑った。
「アキくん、キミの『知恵(石)』は、あれの甲羅一枚も割れないよ。
あれは原始時代の装甲車だ。それに、アキくん、あれは草食動物だよ」
「え?草食?」
アキは石を構えたまま動きを止めた。
アースロブレウラは、二人を無視するように、巨大なシダの幹に体を寄せ、
葉をムシャムシャと食べ始めた。
その咀嚼音がまた、カサカサと不気味に響く。
「見なさい、悠々と葉を食べている。
彼は『石炭紀のデリバリーサービス』の配達物を消費しているだけだ。
私たちがやるべきは、彼に石を投げることじゃない」
アースロプレウラが、地面の枯葉をバリバリと粉砕する。
音が、工事現場みたいに大きい。
アキは顔を青くする。
「……腐植って、つまり“地面のごはん”ですよね。
地面がごはんなら、私が今立ってる場所も――」
ゴンドワナが頷く。
「地面だね」
アキが絶叫する。
「終わった!!私は“ごはんの上”に立ってる!!
ドクター!今すぐ帰りましょう!これ以上ここにいたら、
私、“腐植の仲間”として分類されます!!」
ゴンドワナは楽しそうにメモを取りながら言う。
「いいねぇ。“腐植の仲間”――新しい学会用語だ」
「やめて!!学会より私の命を優先して!!」
ドクターはニヤリと笑い、クロノス号の操縦席に戻った。
「ドクター、まさか…」アキは予感した。
「そう、我々の本来のミッション『絶滅を巡る奇妙なミッション』の
本当の第一歩だ。
我々はペルム紀のマグマ噴出岩サンプルの代わりに、
石炭紀の高濃度酸素下で巨大化した節足動物の『脱皮殻』を採取する。
未来の生物学界に、巨大化の秘密を教えるんだ!」
アキは持っていた石を、脱力して落とした。
「巨大ゲジゲジの抜け殻集めですか…?こんな緊急事態に、
本当にドクターの趣味に付き合わされているんですか…?」
「趣味じゃない、科学的探求心だよ!アキくん、早く!
あんな巨大な脱皮殻が、ペルム紀の絶滅イベントで全て
炭素化してしまってはもったいない!
サッと集めて、次はもう一度ペルム紀、シベリア・トラップへ直行だ!」
ドクターはクロノス号から巨大なネットとトングを持ち出し、
アースロブレウラが捨てていった抜け殻に向かって走り出した。
「待ってください、ドクター!勝手にミッションを書き換えないでください!
それに、あれ、生乾きですよ!」
アキは嘆息し、またしても振り回されながらも、
ドクターの後を追うのだった。
アキは巨大な脱皮殻をタイムマシンに詰め込む作業を終え、
汗だくになって戻ってきた。
「ドクター、勘弁してください!この森、湿気が高すぎて
呼吸器のフィルターが詰まりそうです!
早くペルム紀に戻りましょう!」
ドクターは、鬱蒼と茂るシダの森を見上げ、うっとりとした表情を浮かべた。
「待ちなさい、アキくん。せっかく史上最高の酸素バーに来たんだ。
もう少し深呼吸しないと損だろう?
それに、この時代は『巨大な虫の時代』だ。
アースロプレウラだけでは、お土産リストが貧弱すぎる」
「お土産リストじゃないです、サンプルリストです!
そして、これ以上大きな虫は勘弁してください!」
そのとき、森の上空に、低く唸るような羽音が響いた。
それは、小型ヘリコプターが飛んでいるかのような、重く連続的な音だった。
アキが空を見上げると、巨大な昆虫の影が、
分厚い葉の隙間から差し込む光を遮っていた。
その体長は、翼開長が70センチメートル以上はあるだろうか。
現代のワシよりも遥かに大きく、しかしその姿は間違いなく、トンボだった。
「ひぃっ!巨大トンボ!ドクター、あれはなんですか!あんなにデカいトンボ、
空気抵抗とか大丈夫なんですか!?」
「ああ、あれはメガネウラだね。素晴らしい!アキくん、
見てごらん、あの精密な飛行能力を!
酸素濃度が高いからこそ、彼らはこんなにも巨大化できた。
我々からすれば『虫』だが、当時の空の支配者さ。
まさに『原始時代のドローン』だ!」
ドクターはポケットから小さな網を取り出し、目を輝かせた。
「よし、捕獲だ!こんな美しい標本、未来の学会で発表すれば、
私は三度ノーベル賞に輝くぞ!」
「何を言ってるんですか!ドクター!
網で捕まえられるサイズじゃないですよ!
あれは現代でいう猛禽類ですよ!網を向けるんじゃない!」
アキが叫んだ瞬間、メガネウラはドクターの頭上をかすめ飛んだ。
その羽ばたきで強烈な風が発生し、ドクターの帽子がシダの茂みへと
吹き飛ばされる。
「おや、少しばかり空気が読めない『ドローン』だね」
ドクターは涼しい顔で、飛んでいった帽子を諦めた。
「空気が読めない、じゃなくて、あなたを獲物と判断したんですよ!
早く、タイムマシンに!」
アキがドクターを引っ張ろうとしたとき、足元にあった沼地が、
ぶくぶくと泡立ち始めた。
「また何か出てくるんですか!?石炭紀はもう勘弁して!」
泥の中からゆっくりと姿を現したのは、ワニとカエルの中間のような、
異様に平べったい頭部を持つ両生類だった。
その目つきは鈍く、全身は粘液質の皮膚に覆われている。
「おや、これはまた珍しい。リムノスセリス、アデルォスポンディル類の
初期のものかな。
この頭部の扁平さ、まるで『原始時代の座布団』だね」
「座布団じゃなくて、巨大な毒ガエルかワニの赤ちゃんです!
しかも何ですか、あの顔!目が離れすぎて、
獲物が三次元に見えているのか怪しいですよ!」
リムノスセリスは、鈍重な動きで二人に近づいてくる。
ドクターは突然、ポケットからサバの缶詰を取り出し、アキに手渡した。
「アキくん、いいか。ここは原始的な森だ。文明の力を使おう。
キミの任務は『原始時代の座布団』に、現代の魚介類が
どれほど進化したかを教育してやることだ。
つまり、これを投げてやれ!」
「なぜサバ缶があるんですか!非常食ですか!?これを投げて、
彼が食べるんですか!?」
「食べるとは限らないが、驚くだろう!絶滅していない古代生物に、
現代の食べ物を恵んでやる。
これこそ、時空を超えた文化交流というものだ!」
「文化交流じゃなくて、ただの餌付けですよ!」
アキは絶望的な表情をしながらも、ドクターの「餌付け」計画に
付き合わされる羽目になった。
彼は観念してサバ缶のプルトップを開け、
恐る恐るリムノスセリスの足元に投げた。
リムノスセリスはサバ缶をジッと見つめた後、
長い舌を伸ばして一瞬で缶ごと飲み込んだ。
「ええええ!缶ごと!?ドクター、あの生物はゴミ箱ですか!」
ドクターは満足そうに拍手した。
「見たまえ、アキくん!原始生物は逞しいね!
これで、未来の食べ物の味を知ってしまった彼らが、
進化の袋小路に入らなければいいが。
さあ、もう十分だ。これ以上、この時代の生態系に悪影響を与える前に、
私たちはペルム紀の絶滅という名の地獄に帰ろう!」
「地獄に帰る、なんて言い方やめてください!
もう二度と石炭紀には来ませんからね!」
アキは巨大トンボに怯えながら、ドクターをタイムマシンに押し込み、
次の瞬間、二人は絶望的なペルム紀の赤茶けた大地へと、
再び降り立つことになった。
( Part 3に続く)
たのだった。




