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とある夏の日3

 みーんみんみん

 じりじりじり――


 とある夏、隣の県から転院してきたわたしは、病院の中にはで、ただぼーっと空を見上げていた。

 わたしは、生まれつき心肺機能が低く、何度も何度も病院に入院してきた。そのせいで、同年代の人と関わることなんて、ほとんどなかったし、出会ったとしても、退院か……別の理由で会えなくなってしまう。


 友人なんて出来たことも無くて、両親もいつも丈夫な体に生んであげられなくてごめんって言うばかりで、一緒にいても楽しくない。むしろ、そのたびに大丈夫って言わないといけないから、めんどくさくてつまらない。

 わたしって生まれてくる価値があったのかな?楽しかったことなんて無いし、わたしの存在が他者にいい影響を与えたことなんて無い。今すぐに死ねば、両親がわたしのために貴重な時間を使わなくて済むし、看護師さんたちの仕事はもっと楽になるだろう。


 まぁ、こんな考え方自体が迷惑をかけるだろうし、この中庭まで来れたのは看護師さんのおかげなのだから、こんなことは言うべきではないのだろう。

 そんな時、背後から声を掛けられた。


「ねぇ、君が最近ここに来た人?」


 振り返ると、同年代くらいの少女が歩行器を使い、満面の笑みで私を見ていた。しかし、その声は病院の静寂とはまるで違って、明るく澄んでいて、別の世界に住んでいるような印象を受けてしまう。


「……だれ?」


 問いかけた自分の声は、思ったよりも小さかった。歩行器に両手をかけたままの彼女は、屈託なく笑って首をかしげる。


「わたし?わたしはね、桜庭恵理って言うの。君の名前は?」

「……星野結衣」

「結衣?いい名前だね、これからよろしく!」


 あまりにも自然で、あまりにも距離の近い言葉に、思わず瞬きをした。「これからよろしく」なんて、そんなふうに言われたのはいつ以来だろう。

 いや、もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。


「……よろしく」


 あまりにも明るい声に、少し引きながら返事をしてしまう。だけど、これは仕方がないだろう。わたしのような暗い人と、彼女のような明るい人では、住んでいる世界が違うのだから。

 だけど、そんな思いとは裏腹に、恵理は歩行器を使ってどんどん近づいてくる。


「ねぇ、結衣は何か好きなものはある?」

「……ない」


 あまりにも近づいてくるものだから、車椅子の車輪を回して距離をとってしまう。だけど、恵理はそのことに気付いているはずなのに、そんなことを気にせず、ますます近づいてきた。この押しは、いったい何なのだろうか。


「えー、もったいない。せっかく神様が命を与えてくれたんだから、いろんなものを好きになって、毎日を楽しんだらいいのに」

「神様……?」

「そう、神様。わたしは、キリスト教徒だからさ」


 珍しいな。日本で、しかも病院という小さな箱庭の中でキリスト教徒と出会うなんて。


「へぇ……珍しいね」


 思わず口から漏れた言葉は、驚きというより戸惑いに近かった。恵理はにこりと笑い、まるでそれが当たり前のことのように続ける。


「よく言われるよ。この病院にわたし以外のキリスト教徒はいないし、幼馴染も信仰してないしね」


 そして、恵理は近くのベンチに腰を下ろし、空を見上げた。真夏の日差しの下、白い雲が悠々と流れている。空を見上げる恵理の横顔は穏やかで、見ているだけで心が静まっていくようだった。

 しばらくの間、ふたりは無言で空を眺めていた。蝉の声が遠くで響き、じりじりと肌を焦がす日差しを受けながら、時がゆっくりと流れていく。


「結衣は、生きてて楽しい?」


 突然、恵理が優しく問いかけてきた。視線を上げると、その瞳は真っ直ぐにこちらを見据えている。


「あまり……。友達はいないし、両親はずっと謝ってばかりだから」


 そう呟くわたしに、恵理はすっと手を伸ばして、わたしの肩に触れた。


「じゃあさ、わたしと友達になってみない?」


 驚きで思わず顔を上げると、恵理は優しく微笑んでいる。


「わたしには幼馴染がいるけれど、彼は学校に通っているから、いつもここに来れるってわけじゃないんだ。だから、結衣には同じ時間、同じ空間で過ごす友達になってほしい」

「同じ時間、同じ空間……?」

「うん。結衣と同じ時間、同じ空間にいられるだけで、すごく心強いから」


 確かに、恵理の言葉は自然で、ぐっと胸に響いた。


「でも、わたしは……恵理の友達にはふさわしくないよ」


 ぽつりと言うと、恵理はそっと私の頬に手をあてた。


「あのね、結衣。自分のこと、もっと誇りに思って。結衣は、とってもかわいくて優しい、完璧な美少女なんだから、生まれてよかったって胸を張って生きるべきだよ」


 あまりにも真っ直ぐで、ためらいのない言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。生きているだけで、こんなにも他人に迷惑をかけている駄目なわたしでも、自信を持ってもいいのだろうか。

 これまでのわたしなら、褒められたとしても、それを自信に変えることはなかった。いくら褒められても、頭のどこかで気を使って言っているだけだと疑い、素直に受け入れられなかったからだ。

 だけど、恵理の言葉は違った。その言葉は、飾りや慰めのために並べられたものではなくて、心の底から湧き出た本物の思いだったのだ。


「……本当に、自信を持っていいの?」

「そうだよ。わたしが保証する」


 その瞳は揺るがず、私を信じていた。

 胸の奥を温かさが満たし、こらえきれずに熱い涙が頬を伝った。驚くほど自然に流れ落ちる涙に、自分でも戸惑いを覚えてしまう。


「もう、急にどうしたの?」


 恵理はそんなことを言いながら、ポケットからハンカチを出して、手を伸ばして涙をぬぐってくれる。その優しさに、泣きじゃくる心が少しだけ落ち着いていく。


「ありがとう……」


 声は震えて、かすかだった。でも、恵理にはよく聞こえたらしく、にこりと笑ってくれる。


「うん、いいんだよ。泣きたいときは泣いていいから」


 恵理はそう言うと、歩行器をゆっくり押しながらベンチから立ち上がり、笑いながらわたしの方へと振り返った。


「これから、毎日を笑って過ごそうね。結衣」

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