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土曜日3

「ただいま」


 玄関の鍵は掛かっておらず、扉を開けると、そこには母親の靴が揃っていた。どうやら、俺が病院に行っている最中に、帰ってきたらしい。はぁ、家から出ていたことをバレると、言い訳をするのが大変なんだけどな。

 そう思って、出来るだけ音を立てないように、自分の部屋に戻っていく。だけど、扉を開けた時点で音が出てしまっているため、母親に帰ってきたことはバレてしまっていた。


「湊、お帰り。何処に行ってたの?」


 母親の声は、リビングから響いてきた。その声には、怒りなど含まれておらず、ただ柔らかく包み込むような響きがあった。これならば、まだ何とかなるかもしれない。

「ちょ、ちょっと散歩に行ってきただけ……」

「あら、朝ご飯もほとんど食べていなかったのに、こんな時間まで散歩してたの?」

「……まぁ、気分転換だよ」


 なるべく軽く言い流すように答える。


「ふぅん……。まぁ、お昼ご飯は用意してるから、手を洗って食べてね」

「あ、ああ」


 何とか追及されずに逃げ切ることが出来た。これならば、余計な詮索をされずに済みそうだ。靴を脱ぎ、洗面所で手を洗って、リビングに用意されている昼食を食べようとする。


「いただきます」


 テーブルの上には、湯気を立てる味噌汁と焼き鮭、卵焼きがきちんと並べられていた。箸を手に取り、味噌汁をひと口すする。朝起きた時とは違い、今はしっかりと食欲が戻っているため、何のためらいもなく食べることが出来た。

 そんな時、母親が急に声を掛けて来た。


「今日、病院に行ってたの?」

「は?」


 思わず、箸でつかんでいた卵焼きを落としてしまう。その卵焼きは、床に落ちて、転がりながらテーブルの脚にぶつかり、そこで止まった。

 母は椅子から立ち上がり、無言でキッチンペーパーを取りに行く。


「……どうして、そう思ったんだ?」


 できるだけ平静を装って問い返すが、声の端に滲む動揺までは隠しきれなかった。


「さっき洗濯物を干してたら、病院の方から帰ってくる湊を見かけたのよ。それに……今の顔、あの頃と同じだもの」


 その言葉に、何も言い返すことは出来なかった。あの頃と同じ顔をしている……それは、心の底から認めたくないことであったが、母親が言うということは、実際にそうなっているのだろう。自分には、そんな顔をする資格は無いのに。

 箸を持つ手が止まり、味噌汁の湯気がゆらりと揺れる。それでも、朝から何も入れていない腹が、残りの昼食を食べろと催促してくる。仕方なく、視線を落とし、再び箸を動かした。

 食べている間も、その食べ物の味を感じることは出来なかった。自分は、もう二度と楽しいとは思ってはいけないはずなのに、それでも、あの中庭で過ごした時間を思い出すと、胸の奥がわずかに温かくなるのを感じてしまう。


 ――違う!これは、ただの錯覚だ。あの時、俺は罪を背負っただろう?なら、この残りの人生は、一生償い続けなければならないはずだ!


 胸の奥の温かさが、一瞬で激情に変わってしまう。だが、俺にはそれが相応しい。

 箸を持つ手に力が入り、爪が掌に食い込んで鈍い痛みがじわりと広がった。そうだ、この痛みが自分に相応しい物なんだ。あんな暖かさなんて、俺には必要ない。

 残りの昼食を無理やり口に押し込み、茶碗を空にする。「ごちそうさま」とだけ告げて席を立つと、母は短く「うん」と返した。

 それ以上は何も言わない。いう必要もない。俺は黙ってドアを開け、階段を上がろうとした時、背後から声がした。


「湊……あれは、湊のせいなんかじゃないんだよ。誰も悪くない出来事なの」


 その言葉が気遣いから出たものであることは分かっている。だが、それでは意味がない。あの出来事は、俺のせいで起きたからこそ、彼女は救われる。

 そのためなら、俺はいくらでも罪を背負ってみせる。


「母さん、俺は認めないから。アレは、俺のせいに決まっている……自殺だったら、救われないんだよ」


 それだけを言って、自分の部屋に戻り、扉を閉める。


「寝よ」


 そう呟いて、部屋着に着替え、ベットで横になる。外からセミの鳴き声が聞こえてきて、 耳の奥にじわじわと染み込んでくる。

 枕を耳に押し当てる。そうでもしないと、眠りにつくことなんて出来なさそうだ。しかし、そこまでしても、セミの鳴き声は耳から離れてくれなかった。

 

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